手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

スライハンドはなぜ売れぬ 4

スライハンドはなぜ売れぬ」と、題して1から3まで理由を上げ、2の演技時間が短すぎる。で随分時間を取ってしまいました。一度話をまとめましょう。今の芸能の仕事で求められる演技時間は最低30分です。7分の演技では仕事は来ません。そこで30分のグランドデザインを描いて、ショウ構成できる人でなければ売れないのです。

 ところが、多くのスライハンドマジシャンは、30分演じるとなると、安易に売りネタを使います。無論売りネタがいけないわけではありません。自分なりにアレンジしたり、ストーリーを加えるなどして、自分の世界に引き込んで演技をしたならいいのですが、売り物をむき出しで使われると全体のイメージを損なわれてしまいます。

 

 かつてSAMジャパンのコンベンションでゲストショウに、韓国の代表から当日、突然に韓国の若手を出してほしいと言われました。正直そんな話はお断りです。リハーサルもせずにいきなり乗り込んできて、本番に「出せ」と言うのはわがままです。然し裏の諸事情で了解しました。この時のショウのトリは、トミーワンダーでした。無論彼はトリネタに鳥籠の浮揚をします。韓国の若手は、カードやボールの手順を演じましたが、トリネタにテーブルの浮揚を演じました。

 これを見て私は頭を抱えてしまいました。マジック関係者なら誰もが知るように、テーブルの浮揚は、鳥籠の浮揚のパクリです。それをされたらトミーワンダーに失礼です。何のためにヨーロッパからトミーワンダーを招いたのか、公演全体のイメージが損なわれてしまいます。絶対にやってはいけない演目です。

 若手の演目が事前にわかっていたならなんとしても断ったでしょう。何よりいけないのは、その若手がテーブルを浮揚させる理由がないことです。カードやボールの演技とテーブル浮揚は全く関連性がありません。彼は自分の手順をより受けを良くするためにテーブルの浮揚をしたのです。主催者にとっては痛恨でした。

 演技を作るときに、スライハンドマジシャンがなぜ、それを演じなければならないか。と言うことを真剣に考えなければ、演技全体がどんどん間違った方向に進みます。自分の考えを持たずに,あちこちのマジックのうけをつまみ食いして手順を作れば、周囲のマジシャンに迷惑がかかります。

 私は今までどれほど多くのマジシャンに、私の演技の前で瀧、吹雪を撒かれたことか知れません。彼らは手妻をするわけでもないのに、いきなり瀧吹雪を撒きます。それをされたら手妻師に迷惑がかかることがわからないのです。自身の人生をかける30分演技を、売り物や、つまみ食いで作っていてはこの世界で生きてはいけません。

 私の傘から蝶、間の小ネタを挟んで40分手順と言うのは、5年の歳月をかけて作り上げました。私は弟子に対しては、同様に、30分構成の手順を作り上げるための指導をしました。大樹の、七変化からトリネタの蒸籠の手順、間に小ネタを入れて30分と言う演技も、考え方は私と同じです。人まねでない、独自の世界を30分。これを作り上げない限り、今の仕事に対応して生きて行くことはできないのです。

 

3、マニアの評価から脱却できない体質

 スライハンドマジックが一番クライアントに受け入れられにくい理由は、演目に変化がない事です。こう言うと、マジック愛好家は「いやかなり内容に変化がある」。と言うでしょうが、例えば、カードの演技だけで7,8分もやられるのはどうでしょう。

 四つ玉だけで7分、3本リングで5分、などと言う手順は、マジック関係者が見る分には面白くても、一般の観客には冗長に見えます。もっともっと一つのパートを凝縮して、2,3分で演じたなら、スライハンドは密度の濃い、変化の多いものになります。

 かつての。フレッドカプスやリチャードロスの演技は、どれも一つのパートが2分程度でした。しかし最近のスライハンドは一つがやたらに長くなっています。それは、一般に見せることを諦めてしまって、関係者の間の評価のみを当てにして作っているからのように見えます。こうなっては一層一般客を相手にできなくなって行きます。

 今のスライハンドの復活には、エディター(編集者)の目を持った人が必要でしょう。今の現状はマジック好きが、やりたいことをやりたいだけやっているのです。

 

 スライハンドで芸能の社会で生きて行きたいと思うなら、コンベンションの評価から離れることです。アマチュアや、若いうちはコンベンションを追いかけてもいいでしょう。然しプロで行こうとするなら早くにコンベンションから離れることです。離れて自身の世界を模索しない限り、スライハンドで生きて行く可能性はありません。

 今のマジック界は、マニアや、奇術関係者の評価が、一般の観客のニーズから明らかに乖離(かいり)しています。マジックの世界はどんどんアマチュア化していますし、好みは一般の人との共通性を求めるよりも、個人の好みに偏重しています。

 

 私が、1992年からSAMの組織を日本に持って来て、世界大会を年次開催するようになったとき、「5年開催して大きな間違いに気づいた」。と以前書きました。その間違いとは何だったのかと言えば、「コンベンションは次のスターを作り得ない」。と言うことでした。このことは私が心の内に秘めて、決して人に語らなかったことです。

 もしそれを語れば、コンベンションの主催者がコンベンションの否定をすることになり、そうなれば、コンベンションを開催する意味もなくなり、私のマジック人生も否定することになります。SAMジャパンの組織は多数の日本の奇術愛好家に支持されており、コンベンションではみんながニコニコとした顔をして大会を楽しんでいます。

 然しその組織からは次のスターは生まれないと主催者が確信したなら、参加者も、奇術関係者も、一体どうしたらいいのでしょうか。

 SAMジャパンの一回目のコンテストの優勝者は、カズカタヤマさんです。二回目はセロさんです。この二人はコンテストに出る以前からすでにプロになって活動している人たちです。心配なくチャンピオンとして認めることが出来ました。

 然しその先となると、アマチュアばかりが出て来て、アマチュアの価値観がコンテストを支配するようになりました。無論アマチュアが出て来ることはいいことです。しかし、SAMのハードルは高くしておきたかったのです。そのため部門優勝は出しても、チャンピオンは出しませんでした。

 5回目に幸条スガヤさんが出てチャンピオンになりました。そしてそれ以降、チャンピオンが出ていません。なぜかはお判りでしょう。プロとして社会に推薦出来るマジシャンが現れないからです。つまり、これ以降、私の心の中ではSAMのコンベンションのスタイルでプロマジシャンを生み出すことは不可能だと知ったのです。

 当時の日本のスライハンドのレベルでは、プロとして生きて行くことは不可能だと知ったのです。それは演じる側が、アマチュアの評価ばかり当てにして、プロを目指していないことが大きな原因なのです。

続く