手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ショウほど素敵なものはない

 昨日(30日)は、座高円寺でヤングマジシャンズセッションを開催しました。継続は力と言いますが、今回で5回目の開催です。楽屋で聞いて知ったことですが、

 出演者の白菜さんが、1回目のセッションに裏方で参加していて、その時は高校生だったそうです。その時見た伝々さんの舞台に感動したそうです。そして、今回、楽屋で伝々さんに会うことが出来ました。再び感動したそうです。

 白菜さんは早稲田大学マジッククラブに入って、こうしてゲストで出演しているのですから、セッションの功績は小さくはなかったと実感します。白菜さんには、玄関に飾ったセッションの大きなポスターを差し上げました。

 

出演者の演技

 一本目の濱中友彰さんは、早稲田大学マジッククラブ。仕掛けのセットが複雑なため、急遽、一本目に出演してもらいました。絵画とお化け屋敷を組み合わせたストーリー仕立て。個性的で、よく計算された演技でした。但し、舞台が薄暗く、話もお化けネタで暗いため、3本目くらいに出てもらったほうが、効果は大きかったでしょう。

 二本目は白菜さん。四つ玉を主とした演技、おもちゃの人形が夜な夜な動き出してマジックをします。四つ玉はよく練られた演技でした。全体は黒川智紀さんに似ている点が気になります。

 三本目は。慶応卒の井上孟人(たけひと)さん。昔からゴムバトを使った鳩の演技。お終いに本物の鳩に変わるところが趣向。長く続けていると、演技にうまみが増してゆく見本のような演技。確かにうまくなりました。

 四本目は、前田将太。紙片の曲。袋卵から、テープ切り、紙卵とつながります。藤山流の定番の演技です。一つ一つ確実にものにして行ってもらいたいと思います。私の弟子である限り、年間10本や20本は大きな舞台を踏むことになります。責任ある舞台を演じているうちには自然と大きなマジシャンになって行きます。大樹がそうでした。前田もきっとそうなります。

 5本目は司会のザッキーさんによるカメレオンハンカチ。まじめな性格で、一生懸命演じる司会と、マジックは、お客様に好意的に受け取られているようです。この先プロになるなら並みの技を超えた、芸の充実が必要でしょう。と、言うのは簡単ですが、並を超えることに苦労は大抵の努力では超えられません。ご精進ください。

 対談。藤山、峯村健二、伝々の三人でよもやまばなし。コロナ禍の影響で、マジシャンの生活も一変しています。伝々さんは二か月沖縄にあるショウパブに出演していたそうです。手品屋さんが出した新店舗で、連日地元のお客さんで満員だそうです。ここでも伝々さんの人気はすさまじく、沖縄でいいお客様が出来たようです。

 峯村さんは、UGMが店舗移転になり、これまでの指導や、毎月のミニシアターショウが出来なくなり、対策に苦慮しています。近々に自主公演や、レッスン指導を定着させるそうです。

 私は、峯村さんの名古屋での活動も必要ではありますが、東京に出て来て、定期的に指導してはどうかと話しました。東京なら峯村さんから習いたい人も多いのではないかと思います。早速、来春から企画をして見ようと思います。

 アメリカでもヨーロッパでも、マジシャンが生活の場を奪われ苦労しているようです。冷静に見ればアメリカよりはまだ日本のマジシャンのほうが恵まれているように思えます。国からの補助ばかりを当てにせず。何とか我々の努力で活路を見出してゆきたいと思います。

 

 休憩後は私の傘出し手順。ここで痛恨のミス。途中のシルクの仕掛けがばらけてしまいました。然し、何とか続けて引出しに繋げました。傘のお終いは、人力車での引っ込み。そのあとおわんと玉。いつもの流れで終わりました。

 伝々さん、いつものアクトです。見るたび彼の演技の完成度に感心させられます。日頃の酒飲みの姿から、この人がどうしてこうも精緻なアクトを作り上げられるのか不思議です。舞台センスがいい人なのです。

 峯村健二さん、彼のFISMのアクトです。これが発表されたのは2000年です。もうあれから20年です。しかし演技は少しも古くなってはいません。いまだにここまで作り込まれた演技をするマジシャンはせかいじゅうを見渡しても、出て来てはいないのではないでしょうか。

 彼は、ポルトガルリスボンで開かれたFISMのコンテストのマニュピレーション部門の第1位に選ばれました。この時私もFISMのゲストで、蝶を演じています。初めて客席から彼の演技を見た時には、次々に起こる不思議を目で追うので精一杯でした。よく考えられた手順です。デリケートな性格で、演技に対する集中力は人並を超えています。今回あえて20年前のアクトを注文しました。それは正解でした。彼の生の演技を知らない20代の学生がみんな感心していました。

 その後縁あって、私と峯村さんは柳ケ瀬で毎月酒を飲むほどの仲間になりました。人の縁は分かりませんが、でも、才能ある人といつも会って話ができることは幸せです。

 

 こうして第五回のヤングマジシャンズセッションは終了しました。次回もきっとたくさんお客様が集まるでしょう。何とかこの面白さを多くのお客様に提供したいと思います。そして、今、東京と大阪で開催しているこの企画を、名古屋や、福岡、仙台、札幌など、日本各地で開催したいと思います。

 私の作る全国ツアーだけでも年間、20本、30本とあれば、マジックの公演が日本中に知れ渡り、多くのお客様を作ることになります。今までマジックのお客様と言うのは、アマチュアマジシャンとして演じる人たちばかりでした。そうした人たちも必要なことではありますが、これからは見ることを楽しみとするお客様を育てて行くことが必要だと思います。そのための手始めとして、来年は名古屋の開催を考えています。

 

 うまくすると、1月に、東京、名古屋大阪のマジックセッションの開催ができる可能性があります。その時にはまたブログや東京イリュージョンの広報でお知らせいたします。どうぞ皆様もご参加くださるよう偏(ひとえ)にお願いいたします。

続く