手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ビゥレットトレイン(弾丸列車)2

 12月4日の鎌倉芸術館小ホールでの落語会は、柳家三三師匠が二席落語を演じます。間に私が入って手妻をいたします。どうぞご参加ください。

 

第六十一回 鎌倉はなし会

柳家三三独演会 

演題:「御神酒徳利」他一席

 

日時:12月4日(金) 18時半開場 19時開演 

 

場所:鎌倉芸術館小ホール

主催: 鎌倉はなし会 

木戸銭:4000円(全席指定)

出演:柳家三三  藤山新太郎 桂宮治

 

お申し込みは、m-aki@df7.so-net.ne.jpまで

電話でのお申し込みは 0467-23-0992(秋山)まで

 

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ビゥレットトレイン(弾丸列車)2

 昨日は、新幹線の企画が実は戦前の昭和14年から考えられていたと言う話をしました。現代人から考えると、戦前と戦後の時代は別物と考えがちですが、色々な本を読んだりして行くと、戦前も戦後もほとんど違いがなかったことがわかります。

 私の母親に聞いた話では、戦後にあって戦前になかったのはテレビくらいなもので、戦前にはすでに何でもあったと言います。

 新幹線が完成した昭和39年と言う時代は、まだ日本は貧しく、随分明治以来の質素な生活をしていました。私の家には火鉢がありましたし、こたつの火は炭をおこしていました。親父は部屋着に丹前を着ていましたし、爺さんは煙草を煙管で吸っていました。

 そんな時代に新幹線を走らせたのですから、当時の日本人はびっくりしました。私が初めて新幹線に乗ったのは15歳の時で、新幹線が出来て5年目のことです。それは驚きの世界でした。

 先ず、ドアのあく音からして宇宙的でした。ピュウと言う音がして、すぐにシュッと空気の抜ける音がして、ドアが静かに開きます。これがまさに宇宙船に乗り込むような感覚でした。車内は、日頃狭軌の電車に乗り慣れていた者からすると、広々としていて開放感がありました。照明もいきなり天井に蛍光灯が嵌めてあるような無粋なことがなく、間接照明だけで照らされています。吊るしの広告もなくすっきりしています。

 当初の新幹線の顔つきは弾丸列車そのものでした。顔の先端は丸く突き出ていて、ライフル銃の玉にようでした。この時代にこんな顔をした列車は他にありませんでした。この顔でなければスピードが出ないんだろうと勝手に得心していました。

 私が30代までは、車両の真ん中には食堂車があり、ハンバーグやビーフシチューが食べられました。値段もそう高いものではなかったと思います。私は新幹線から景色を眺めながら食事をするのが楽しみでした。こんな体験はここでしかできません。大人になってからはビールやウイスキーを頼むようになり、シチューを肴に、ちびちびウイスキーを飲みながら車窓から景色を眺めるのは幸せでした。

 ただし、いつのころからか、随分揺れがひどくなりました。レールにゆるみが出たのか、車両のサスペンションが古くなったのか。テーブルに置いたグラスがガタガタ、ずれて行き、床に落ちそうになります。この揺れが改善されないものかと思っているうちに、やがて食堂車が廃止されてしまいました。やむなくワゴンを運ぶお姉さんから缶ビールとナッツなどを買って車窓から眺めるようになりましたが、何とも寂しい思いを感じます。世界に冠たる新幹線なら、効率ばかりでなく、食にこだわってほしいと思います。やはり出来立ての熱々の食事が食べたいのです。

 大阪からの帰りには、551の肉まんを買って帰ります。家には6個買い、自分の晩飯用に別に2個買います。ついでに太巻き寿司を買って、これが私の車中の晩飯です。551は蒸し立てで熱々です。但しニンニクが入っていますので、周りのお客様に匂いが漂って迷惑がかかります。周りに断ってから食べています。肉まんをトリスのハイボールと共に食べるのは、指導の疲れも忘れて至福のひと時です。

 

 逆に東京を立つときには、崎陽軒の焼売弁当を買って車中で食べます。これは私が子供のころ食べた味と変わらない味です。内容も、焼売が5個、卵焼き、かまぼこ、唐揚げ、焼き魚、支那竹の甘い煮物、生姜と昆布の佃煮、飯と、中央に小さな梅干し、それに杏子です。昔と同じです。唯一違うのは醤油入れが陶器の瓢箪からビニール製に変わったことだけです。

 食べる前にしきたりがあり、まず、5つの焼売に洋辛子を塗ります。そして醤油をかけて、余った分はかまぼこにもかけます。これで準備完了です。飯は俵型に8っつに区切られています。この8っつの俵をどう配分しておかずを食べて行くかが工夫です。

 私はまず俵の一つを箸で摘み取り、半分食べます。そして焼売を一つ食べます。残った半分で支那竹を三つほおばり食べます。同じことを五回繰り返して、焼売と俵が5つなくなります。梅干しは合間に頂き、次にかまぼこで俵を半分食べます。昆布の佃煮で残り半分。更に、卵で半分食べ、昆布で半分。焼き魚で半分食べ、唐揚げで半分食べます。これでおかずも飯もすべてが消えます。お終いにデザートの杏子を頂きます。

 初めからお終いまで全部おいしいおかずです。いつも残さず食べています。焼売のきゅっと締まった肉は味がしっかりしていていくら食べても飽きません。ホタテの貝柱が隠し味になっているそうですが、この味の発見は大したものです。香港や台湾の本場の中華料理屋で焼売を食べてもこれほどの味わいは経験したことがありません。冷めた焼売でここまで納得させる力があるのはすごいことです。駅弁でうまいものはたくさんありますが、私は焼売弁当を一番に推します。

 と熱弁をふるっているうちに、新幹線のことを書くのを忘れていました。

 

 先ほど新幹線が揺れると書きましたが、その後、サスペンションが改良されたのか、今の新幹線はほとんど揺れなくなりました。室内の音も静かです。その上、新幹線の顔つきが変わってしまいました。かつての弾丸の面影はなく、今の新幹線は、南米の淡水魚のピラルクのような顔をしています。よくこんなデザインを考え出すものだと思います。異常に鼻が長く、滑(ぬめ)っとした顔でホームに入ってくる姿は、まるで宇宙基地に異星人のロケットが入って来たかのようです。我々日本人は見慣れていますから、それを普通に受け止めますが、海外の人が初めてこの光景を見たなら、日本の科学技術に震えが来るでしょう。

 私は、富士に指導に行くときには、東京からこだまに乗ります。1時間10分で富士に着きますが、その間、何度か停車中にのぞみと行きかいます。この行きかう時の音が実に未来的です。初めに対向車がホームに近づくと、小さくガーと音がします。すぐにグワンと大きな音がしてものすごい風圧がきます。先頭車と行きかう瞬間乗っている車体が左右に揺れます。そして、シュシュシュシュと16回音がします。これは16両編成を意味します。一両毎にシュと音がして、16両が過ぎると音は遥か彼方に消えて行きます。

 日本人にとっては日常のことですが、こんな音が聞けるのは、未来の世界にいるからこそで、メキシコでもポーランドでも、世界中のどの国でもこんな音は聞いたことがないはずです。外国人が新幹線に乗りたがる理由がよくわかります。私はいつも焼売弁当を食べながら、停車した車内で、行きかう新幹線の音を聞きつつ、「すごい国に生まれたなぁ」。と、新幹線の科学技術に感動しています。

続く