手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

台北の福建炒飯

 今日(10日)は富士の指導です。然し、今日は簡単には行けないかもしれません。日中は台風が一番激しい時間だと思います。新幹線が動いてくれることを願っています。余裕を見て、2時間ほど早く東京駅に行くようにします。

 晩には岐阜に行き、柳ケ瀬で食事をします。このところこのスケジュールが定着しました。月に一度、辻井さんと峯村さんとの飲食会が楽しみです。

 明日は名古屋の指導です。今回は大阪には行かず、名古屋から帰ります。

 

台北の福建炒飯(たいぺいのふっけんちゃーはん)

 もう20年以上前のことですが、台北でレクチュアーをしに行ったおりに、時間を作ってあちこち食事をしました。台北はどこで食事をしてもおいしい店が多く、朝昼晩の食事たびに新しい店を探すのが楽しみでした。

 朝は屋台でお粥を食べました。お粥の中に油で揚げた細長いパンが入っています。何でもない食事ですが、このお粥のスープと塩加減が絶品です。そして揚げパンをお粥につけながら食べるのですが、この味が忘れられません。結局台北にいる間は毎朝屋台のお粥を食べました。

 昼はヤオハンデパートの近くの食堂で、ビーフンを食べました。ビーフンは既に炒めてある真っ白な麺に、お好みでトッピングを乗せます。私は肉野菜炒めを乗せて食べました。サービスにスープが付きました。肉野菜炒めの乘ったビーフンは、東京の台湾料理屋で食べたものとそう違わない味でした。

 驚いたのはおまけに付いてきたスープです。白湯(ぱいたん)スープに小さな白身の魚が一切れ入っています。魚はほんの3㎝角ほどのもので、大したものではないのですが、素晴らしかったのは白湯スープです。薄い塩味で、それでいてコクがあり、私の知る限り、おまけで付いてきたスープの中で、これ以上旨いスープは後にも先にも飲んだことがありません。これを只で飲ませる料理人の技は大したものです。

 数年後台湾でマジックコンベンションが開催され、私は蝶と水芸を演じました。その時に母親を連れて行きました。

 晩に、新市街の方にある香港飯店と言う大きな店に行きました。生のエビを是非食べてくれと店が勧めますので、エビとビールを頼みました。生のエビが深い皿に入っていてそれを剥いて、たれをつけて食べる料理が出ました。一度に20匹くらい生きたエビが出てきて、それを手で剥いて食べるのですが、いちいち殻を剥かなければいけません。手間がかかるのでなかなか食べきれません。それでもビールのつまみには最高です。残しては勿体ないので全部食べました。

 さて、その後で、何か炒め物を2,3品食べたいのですが、エビをたくさん食べたため、あまり多くは食べられません。何か適当に腹にたまって、量の少ないものはないかとメニューを見ていると、福建炒飯(ふっけんちゃーはん)と書かれたものが目に留まりました。炒飯の上にあんかけの炒め物が乗っています。「これなら量も少なくて、炒め物と一緒に飯が食べられるからちょうどいい」。早速福建炒飯を頼みました。

 炒飯は珍しくはありませんが、福建炒飯と言うのは初めてです。出てきたものは、大きな皿に、かなり立派な炒め物がどっさりかかっています。肉と野菜の中に袋茸(ふくろたけ)と言うウズラの卵くらいのサイズのキノコがたくさん入っていました。キノコの味はあまりはっきりしたものではなかったのですが、触感が素晴らしく、肉や野菜と併せて食べると旨さを感じました。炒めものは醤油味で炒めてありますが、ほのかに甘みがあり、それぞれの野菜がシャキシャキしています。

 少し食べて行くと炒飯が出て来ました。炒飯は卵と一緒に炒めてあり、飯が卵で黄色くコーティングされています。飯自体には具がなく、唯一卵が合わせてあるだけです。この炒飯とあんかけの炒めものを口に含んだ時の相性が絶品で、

 「あぁ、世の中にこんな食べ物があることを知らなかった。もし今晩ここにきてこれを食べなかったら、一生この味を知らずに終わっていただろう。そうなら人生で大きな損をしたことになる。今日、福建炒飯を知ったことは何て幸せなことだろう」。

 と、正直思いました。たかが炒めものの乘った炒飯です。然し、今も忘れられないほど見事な味でした。

 

 その後、日本に戻ってから福建炒飯を探しましたが、なかなか見当たりません。たまにあっても食べてみるとがっかりです。台北で食べたあの味わいはどこにも見当たらないのです。いつしか私は日本で福建炒飯を食べることを諦めました。

 

 落語に目黒のサンマと言う話があります。将軍様が今の目黒のあたりで鷹狩りをして、昼に百姓家によって飯を所望します。百姓は、飯だけでは失礼と、焼き立てのサンマを添えて出します。鷹狩をした後の将軍様は空腹で、その上焼き立てのサンマですから、旨い、旨いと腹いっぱい食べます。

 城に戻ってもサンマの味が忘れられません。そこで料理人にサンマを所望します。江戸時代は脂の多い魚は傷みが早いため、身分の高い人は食べなかったのです。そこで料理人は、サンマを仕入れて、油抜きをし、味を加えて煮魚にして出します。それを一口食べて、あの時の百姓家で食べたサンマとあまりに味が違うため、料理人を呼んで、「何だこのサンマは、どこのサンマか」、と尋ねると、「銚子沖で取れたものでございます」。すると将軍様は、「何、銚子、銚子はいかん、サンマは目黒に限る」。

 あの落語と同じです。福建炒飯は台北の香港飯店に限る。お後が宜しいようで。

続く