手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

浅草 並木の藪

 10月30日のヤングマジシャンズセッションは、もう80%くらい切符が売れています。コロナの状況下としは誠にいい成績です。一時は日にちも二転三転して、開催できるかどうかも分かりませんでしたが、周囲のマジックショウが軒並み中止されている現状で、開催できることは幸いです。峯村健二と伝々の顔合わせが楽しみです。面白い公演になると思います。

 

東洋館

 浅草の東洋館で水芸ができないかと言う依頼がきました。東洋館は何百回も出演していますが、あの舞台で水芸の経験はありません。社長に電話をしたのですが、今一つ要領を得ません。そこで昨日(7日)午後に東洋館に行ってみました。

 水芸は水の高さがほぼ4m上がります。水圧を下げることもできますが、下げてしまうと効果は半減します。なるべくめいっぱい水を吹き上げたいと思います。

 調べてみると、確かに天井高は4mあります。然し、照明機械や、文字(もんじ)と言う、寸法の短いカーテンが飾られていて、部分的には3.2mくらいしかありません。これは舞台の手直しが必要です。これからいろいろ打ち合わせをする必要があります。

 

 東洋館は今はお笑いの劇場になっていますが、初めはここはフランス座と言って、ストリップを見せていました。元々は、一階がストリップで、4階に落語の寄席があったのです。私が学生の頃円生師匠の道具屋を見たと言うのはここのことです。いつ覗いてもお客様の少ない寄席でした。

 そこにはよく柳家つばめと言う師匠が出ていました。インテリ噺家とかいうキャッチフレーズを持っていたと思います。新作落語をしていました。眼鏡をかけていて、もっちゃりと話すのが特徴のようでした。あまり面白い人とは思いませんでしたが、私が寄席を覗くたびに出会いました。

 見ていてワクワクするのは志ん朝師匠でした。テンポが良くて、軽くって、実に爽快な話っぷりでした。時々聞かせてくれる長い話、船徳や、愛宕山などは絶品でした。

 お兄さんの馬生師匠は逆にしっとりとした話し方で、名人の風格のある人でした。但し、親父さんの志ん生師匠を真似て、酒を飲んで高座に上がることがあり、それでろれつが回らなくなり、噺がうろうろすることがありました。それが愛嬌になったのなら親父譲りと言えたかもしれませんが、馬生師匠は只の下手に見えました。私はまだ学生でしたが、この差が芸人にとって決定的だと直感しました。

 その後、東洋館の経営者が、「これからはストリップの時代ではない」。と悟って、演芸ホールを一階に移し、ストリップを4階にしました。このころエレベータボーイをしていたのが北野武さんです。ストリップ小屋でコントの修行をしていたのです。

 やがて、ストリップもやめて、東洋館と名前を変えて、演芸場にしたのです。そのため、舞台はほぼストリップ時代のままで、客席に貼り出したスペースもあり、カラフルな照明なども今も残されています。

 

 天井高を図りつつ、客席を見ると、客席は20人ほどでしょうか。そばにいた漫才さんに、「これじゃぁ、やって行けないね」。と言うと。「それでも2か月前までは閉鎖していたんですから、舞台に上がれるだけでも嬉しいです」。と返事が返ってきました。

20人のお客さんでは劇場の借り賃も出ません。出演者が何となく暗い顔をしているのは収入に問題があるのでしょうか。にゃんこ金魚の二人が舞台脇にいたので、「噺家の寄席はどうなの」、と聞くと「同じですよ。上野の鈴本も一日10人何て言う時がありますから」。「10人の客さんで30人の噺家が出演していたんじゃぁ、生きて行けないね」。「厳しいと思います」。どこも大変なんだなぁ、と思いました。

 

 あれこれ苦労して舞台の寸法取りをしたころに前田がやってきました。本当は前田に高い所に上ってもらい、舞台高を計ってもらおうとしたのですが、30日の切符の手配などで遅れて、今、東洋館にやってきたのです。然し、もう寸法取りは済んでしまいました。とにかく陰気臭い東洋館を後にしました。

 

浅草 並木の藪

 久々浅草に来たので、色々買い物をしようと思い、あちこち歩いたのですが、休みの店があったり、いいものが揃わなかったりで結局、無駄足になってしまいました。どうも東洋館で陰気な神様を背負って来てしまったようです。これは験直しをしなければいけません。「そうだ、並木の藪に行ってみよう」。

 並木通りに近づくといつもの藪の行列が見えません。「あれ、休みかなぁ」。と、思っていると開いています。中に入るとお客さんは二組だけ。寂しいものです。ざるを二枚頼んで、菊正の樽酒を注文しました。

 「行列が見えないからやっていないのかと思ったよ」。「最近の平日はこんなものです」。「へぇ、藪でもそんななんだ」。菊正の樽が枡に盛ってやってきます。蕎麦味噌が付いています。前田にもサービスで一つ余計に来ました。そばの実が炒ってあってコリコリしています。そのそばに飴のように甘く煮詰めた味噌が絡めてあります。ちびろちびりと舐めながら菊正を一口づつ流し込んでいきます。前田は修行中ですから、菊正は飲めません。私が巧そうに飲むのを見ているだけです。

 枡に顔を近づけると、木の香りがプーンと薫ってきます。樽酒の証しです。菊正は甘口の酒です。この甘い酒が、並木の藪の辛いつゆにぴったり合うのです。夕暮れ時に、樽酒を飲んで、藪のそばを食べる、こんな贅沢ができるのは最高の幸せです。菊正を少し飲んではゆっくり息をします。すると腹の中の樽の木の香が鼻に戻ってきます。これが気持ちがいいのです。

 やがてそばがきます。薄い茶色のそばは昔の通りです。噛むと腰があって、そばの香りが口の中に広がります。つゆをそばに全部つけないで、七分ほどつけて啜ると、つゆの旨味と蕎麦の香りが両方味わえます。それを口の中で混合わせると一層旨く感じます。そこへ菊正を少し含みます。贅沢です。

 前田はしみじみ「巧いそばですねぇ」。と言いました。この男は結局浅草にそばを食べに来ただけです。楽な弟子です。まぁ、このところ大阪の仕事など立て続けに忙しかったので、今日はいい思いをさせてやります。

 外に出るとしとしとと雨が降っています。然し陽気がいいせいか雨が邪魔になりません。私は久々に日中に酒を飲んで、藪のそばを食べて上機嫌です。「こんな日があってもいい。こんな日があるから幸せなんだ」。蕎麦と酒一合で手に入る幸せなお話、まずはこれまで、です。

続く