手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

邦楽の掛け声

 今日は神田明神で手妻の公演です。曲芸のよし乃さん、幇間の八好さん、落語の遊かりさん、そして私、バラエティに富んだメンバーです。今日と25日の火曜日にも致します。事前予約で4000円です。ご興味ございましたら、こちらの予約フォームまで。https://edocco-studio.com/oedogei/

 明日の玉ひでも好評で、明日8月22日も、来月9月19日も、10月17日も既にご予約が入っています。限定20名と言う小さな会ですので、ご興味の方がいらっしゃいましたら、お早めにご予約お願いします。毎回半分ほど内容を変えて公演しています。このため、日頃演じることのない、とても珍しい手妻も演じることがあります。どうぞ江戸の情緒を実体験できる玉ひでのお座敷での手妻を一度ご覧ください。12時30分からは、若手のマジシャン、日向大祐さん、ザッキーさん、早稲田康平さん、前田将太が出演します。次代のスターを応援してください。

 

邦楽の掛け声

 鼓や、太鼓を稽古していると、西洋音楽とは違ったリズム感を体感します。特に著しく違うのは、掛け声です。曲のさ中に、様々な掛け声が入ります。ざっと並べてみますと、イヤー、ヨーイ、ハッハ、ハッ、ハオー、ハア、ヨオ、ホオ、ホーオ、オーイ、など、これらの掛け声は、一定の決まりがあって、必ず曲の決まった場所で決まった掛け声をします。

 ヨーイと言うのは、曲の初めに全合奏が揃うように、太鼓が大きな声で掛け声を発してから太鼓を打ちます。それをきっかけに三味線や、歌い手が出ます。曲のが終わるときには、上げると言って、曲をリタルダンド(テンポを落とす)して、最後の一音を残して決めの前にイヤーと、これも大きな声を張り上げてラスト一音を打つ間際までフェルマータ(適当に一音延ばす)します。そして、三味線が、小さな声で、ヨオと言うと、太鼓や鼓は最後の音を打って終結します。このあたりは指揮者のいない日本のオーケストラが全体を揃えるために三味線、太鼓、または鼓が主導権を持ってそれぞれが曲の終結をまとめています。

 歌舞伎の音楽ではかなりの部分三味線がきっかけを出しますが、能では、三味線がありませんので、鼓や太鼓が曲全体をまとめています。

 

 私が興味があるのは、曲の間にハア、ヨオ、ホオ、ハオー、などと掛け声を入れるところです。多くの場合は休符の代わりに掛け声を入れて、休符の寸法を取る場合が多いのですが、かなり忙しいリズムの間にも、細かな掛け声が入ります。これらは一体何の目的で掛け声をかけているのか私は長いこと不思議に思っていました。

 ここからは、私の推測ですが、休符につける掛け声や、細かな掛け声は、実は「抜け譜」なのではないかと思います。なぜそう考えたのかと言うなら、

 私がキャバレーに出演していたころ、当時は、BGMは全て生演奏でした。そのため譜面を持参して、バンドさんに演奏してもらっていたのですが、その時の譜面と言うのは、サックス(4人)、トランペット(4人)、トロンボーン(4人)、それに4リズム(ギター、ピアノ、ベース、ドラム)、もしこれだけの人数がすべて揃っていたなら、たった一曲を演奏するために16枚もの譜面が必要だったわけです。(実際のキャバレーでは、サックス2、トランペット2,4リズムの、せいぜい8人くらいのバンドでした)。通常、私の舞台は一部のショウが4曲、二部が4曲音楽を使いましたから、16枚かける8曲の譜面が必要で、譜面だけで小さなトランクが必要でした。しかもびっしり譜面を入れますので、とても重かったのです。

 更に、譜面はそれだけではなくて、Cメロ、Eメロなどと言う、メロディー譜を別に用意していました。これは、店によって、トロンボーンがない店とか、トランペットがいない店などもあったのです。そんな時には、ピアノさんかギターさんにメロ譜を渡しておくと、いないパートの音をギターやピアノが弾いてくれたのです。このいない楽器のメロディーが書き込まれた譜面がメロ譜だったのです。

 私はそうしたバンドの仕組みを覚えていましたので、鼓の稽古を始めた時に、意味不明の掛け声の入る部分や、全く掛け声だけで空白を伸ばす部分は、本来は、そこに別の楽器があって、古い時代には今は使っていない楽器が演奏していた部分だったのではないかと考えたのです。

 奈良時代には散楽と言って、国が丸抱えで様々な芸能を維持していたのですが、奈良の政府が財政破綻すると、芸人たちは巷に放り出されます。そうなると、贅沢に、10人20人と言うオーケストラを使ってBGMを演奏してもらうことはできなくなります。

 例えば、琵琶や、琴や、鈴、チャッパ(シンバルを二つ合わせたような金属楽器)、笙(しょう)篳篥(ひちりき)など、古くは雅楽などで使われていた楽器が時代とともに、予算の都合で一座が維持できなくなり、楽団の数を減らさざるを得なくなっていったと思われます。然し、演奏家にすれば、正しく曲を残してゆく手段として、「本来はここで鈴の音が入ります、ここでは琴がメロディを弾きます」と言うきっかけだけでも残しておこうと、イヤーとかヨーイとか掛け声を入れて、無くなってしまった楽器の間を残して演奏したのではないかと想像します。

 これが私の言う抜け譜です。つまり、太鼓、鼓は、無くなってしまった楽器のメロ譜を引き受ける意味で、自らの声で元の音楽を残したのではないかと思います。そうでなければ、あれほど執拗に、ホー、ポン、ホー、ポン、ホー、ポンと一回一回繰り返し掛け声を入れる理由がわかりません。あのホーは私らが使ったCメロなのだと思います。

 能は、長い時代を経て、メロディーを演奏する楽器が無くなってしまい、リズム楽器だけで曲を演奏するようになってしまったのだと思います。そのリズム楽器を歌舞伎は、能から取り入れ、それに三味線を足して、メロディを加味したのが今日の歌舞伎の演奏です。

 然し、三味線が加わっても、リズム楽器、(四拍子と言います。鼓、大鼓、太鼓、笛の4楽器です)は、抜け譜をそのまま維持して、空間を残したままリズムを数えています。このため時としてとんでもない空間を生むことがあり、空間のリズムを数えないと、拍子の取りにくいリズムに感じることがあります。和の音楽の不思議な残り方と言えます。

 ちなみに。Cメロは、楽屋言葉ではツェーメロと言います。キャバレーのバンドでも、クラシックから入ってきた人もあったらしく、音符はドイツ語で発音しますので、アー、ベー、ツェー、と発音します。ここから、数の勘定も、ツェー、デー、イー、エフ、ゲー、ハー、オクターブ、ナイン、と呼び、「イー千ゲー百(3500円)貸して」、などと言う風に使っていました。今でも突然そんなセリフが自分自身から出て来ることがあり、自分でびっくりします。

続く