手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

盆の墓参り

  昨日は、墓参りに行ってきました。女房も、娘も行きません。私一人です。8月16日は母親の誕生日でした。その日に墓参りするのも何かの縁でしょう。さて車でまず浅草に向かいました。お寺さんに何かお茶菓子を買おうと舟和に行き、あんこ玉が目に留まり、それを一箱買いました。土産にあんこ玉と言うのもお手軽ですが、子供のころ食べた記憶がよみがえり、自分で食べるわけでもないのに、無性にあんこ玉が欲しくなりました。

 あんこに、硬めの葛が外側をコーティングしてあり、3㎝程のボールになっています。子供のころこれを食べて、感動するほどうまいと思いました。ボールは黒だけでなく、緑や赤の色が付いているものも並んでいます。子供にはうれしいものです。要するにあんこの甘みだけの食べものですが、それがたまりません。

 今なら一つ二つ食べたらもう十分でしょうが、子供の頃はいくつでも食べたいと思いました。「将来、お金を貯めたら、あんこ玉を山ほど食べてやる」。と心に誓ったのです。しかし実際お金ができると、あんこ玉のことを忘れてしまいました。それが、この旧盆の季節になって、突然子供の頃の決意を思い出し、あんこ玉を買いました。

 

 時間を見ると13時です、昼飯を食べようと、あちこち歩きまわっているうちに、新仲見世の裏の、「ラ・ルース」と言うロシア料理の店が目が留まりました。この小径は今まで何百回も通っています。その都度ロシア料理のレストランがあることは認識していました。然し、未だ一度も入ったことはありません。この時期でも店は営業しています。これは一度体験してみるべきと思い、中に入りました。

 中はそう大きな店ではありませんが、とてもきれいに作られています。銀座や、赤坂で見られるようなアッパーミドルクラスのお客様を相手にするようなお店です。中にはすでに一組のお客様がいらっしゃいました。70代後半くらいのお爺さん夫婦と娘さんのようです。このお爺さんは相当にいい仕事をしてきて、贅沢もずいぶん経験してきたようです。

 話っぷりは下町の伝法(でんぽう=ぞんざい)なものいいですが、どこそこの食べ物のなにがいい、悪いを肴に、ビールを飲んで、エスカルゴをつまんでいます。このお爺さんの話に出て来る店は、いい店ばかりです。帝国ホテルの洋食も、「やっぱり何だなぁ、村上(帝国ホテルの名物料理長)がいなくなったら、帝国ホテルもおしまいだなぁ」。等とバッサリ言ってのけるあたり、相当金を使って飲み食いしていたようです。

 私は、人の話に聞き耳を立てるようなことはしませんが、このお爺さんは店中響くような声で食べ物の話をしますので、いやでも聞こえてしまいます。シベリヤ鉄道でモスクワに行った話など、列車の食事がまずかったなど、いろいろ面白い話が聞けました。

浅草にもこんなに豪儀な人がいたとは驚きです。

 そして、そんな上客を昼から、ビールとエスカルゴで迎えるラ・ルースと言う店は、浅草の隠れた老舗なのだと知りました。

 

 そのロシア料理ですが、私はロシア料理でこれは旨い、ここは大したものだと言う店を知りません。これまでもロシア国内で数か所、東京で数か所。熊本で一か所。合計で10回に満たない程度ロシア料理を食べましたが、心に残る店がありません。

 ロシア料理は、フランス料理の影響を受けているらしく、ビーフシチューや、ボルシチ、カツレツ、ステーキなど一通りありますが、フランス料理を超えた味わいを感じたことがありません。なんとなく大味なのです。今回は、ランチメニューで、ボルシチと、ロールキャベツのセットを頂きました。

 ボルシチとは日本でもおなじみの、トマトベースの野菜と肉の煮込みスープです。いわばミネストローネです。親しみやすい味ですから、これを嫌う日本人はいないでしょう。これはまずまずでした。その後、ロールキャベツが出て来ました。ロシア料理でロールキャベツは初めてです。しかも丸めたロールキャベツが大きくて、食べ応えがありました。トマトベースのソースがたっぷりかけてあり、基本、ロシア料理はトマト煮込みのスープが基本のようです。なんとなくなんでもトマトで煮込むところが田舎臭い感じもしますが、然し、味はなかなかです。このスープを残しては勿体ないと、パンを頼みました。これが後で誤算を生みました。

 パンは香味野菜が刻み込んであって、おいしかったし、ロールキャベツのスープを吸わせて食べると実にいい味わいでした。そのあとアイスティーがサービスにつきました。ランチの料金は2800円です。少々高いのは覚悟でしたが、支払いの段になると4000円になっていました。パンが追加だったのですが、薄いパン二枚を足して4000円とは驚きです。昼に食べる値段ではありません。やはりこの店へ来るには、よほど大きな仕事をして、帝国ホテルの料理長を村上と呼び捨てて、日本中の旨いものを食べ歩けるような身分の人にならなければ来れないのでしょう。

 もっとも家族で墓参りをすれば、1万円や2万円食費に使わなければならないのですから、今回は安い昼食です。いい経験でした。

 

 その後、墨田区にあるお寺に行きました。今年は卒塔婆(そとうば=木でできた平らで細長い塔)を立てました。墓石を洗って、花と線香を手向けて、手を合わせました。暑さの厳しい日でしたから、そう長居もできませんでした。

 行きも帰りもずっと、両親、祖父母、のことを思い出していました。年に一二度の墓参りは是非したほうが良いでしょう。母親は、父親のお陰で貧しい暮らしを余儀なくされましたが、必死で働いて、家を建て、墓を買い、親子の芸人を二人育てました。欲の少ない人で、つつましい一生でした。母親のお陰で、父親は、全くほかの仕事をせずに、一生芸人で過ごせました。これも幸せな人でした。

 生前親父に、「夫婦が長続きする秘訣は何か」、と尋ねると、「早いうちに全てをあきらめさせることだ」。と言いました。酒飲みであることを諦めさせる。博打が好きなことを諦めさせる。毎月稼ぎ持って来ると言うことを諦めさせる」。

 つまりだめを早いうちに認めさせることが長続きの秘訣なのだそうです。親父は亭主と言うよりも、飼い猫のようなもので、好きな時に帰ってきて、家に金を入れることもなく、毎日遊びに出かけて行きます。それを何も言わずに認めている母親は全てを諦めていたのです。それを押し通して生きて行けたのですから、昭和の芸人は幸せです。

続く