手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ご近所の話 7 高円寺

 一昨日右手が急に動かなくなったと言う話をしました。昨日(11日)整形外科に行って、手首に注射を打ってもらうと、嘘のように痛みが消えました。まぁ、大したことでなくて良かったのですが、これからは、定期的に整形外科に行って、注射を打ってもらわないとまともに生きて行けません。それが少々悲しい話です。

 私はおよそ病院とは縁がなく、糖尿病にかかる以前は入院も、通院もしたことがありませんでした。糖尿病も、入院はありません。毎月一回、血液の検査をして、飲み薬をもらうだけです。こんなことが十年以上も続いています。

 しかしここへきて、整形外科、皮膚科、眼科などに罹ることが多くなり、財布の中に診察券が増えて来ました。何とも年寄り臭くて嫌になります。人と会うと、相手が話のとっかかりとして、私の病気の話から始まります。私を気にしてくれることは有り難いのですが、病気の話ばかりしているのは何とも情けなく思います。 勤めて面白い話をしようと思います。

 来週は、22日に人形町玉ひでで、お座敷で手妻をします。目の前で手妻の数々を演じます。前田、ザッキーさん、日向さんのマジック、そして私の手妻が1時間あります。親子丼のコース料理がついて、5500円です。

 当日にお越しになった場合はコース料理が間に合いませんので、2500円のショウチャージのみになります。但し、限定20名様までです。お早めにお申し込み下さい。

info@tokyoillusion.co.jp

03-5378-2882 東京イリュージョンまで

 

高円寺

 高円寺と言う町の話をします。高円寺がなぜ高円寺かというと、高円寺というお寺があるからです。それは当たり前だと言う人がありますが、そうでもありません。同じ中央線に吉祥寺と言う駅がありますが、吉祥寺に吉祥寺と言うお寺はありません。実は江戸時代にはあったのです。

 今、吉祥寺は、本郷に戻っています。但し、このお寺は、元々、吉祥寺(きっしょうじ)と言います。吉祥(きっしょう)とは、良きことの知らせを意味します。めでたい名前の寺です。元々本郷にあったのですが、江戸の大火で燃えてしまいました。やむなく、寺領(お寺が所有していた田畑)のあった今の吉祥寺の土地に仮の寺を建てました。その後、元の本郷に再建したために、吉祥寺は本郷に戻りました。その際、寺はなくなりましたが地名は今の吉祥寺に残ったのです。

 吉祥寺(きっしょうじ)がなぜ吉祥寺(きちじょうじ)になったのかはわかりませんが、寺がなくなってもなおかつ寺の名前が残るのは面白いことです。

 さて高円寺は昔から今に至るまで高円寺にあります。但し、地味なお寺です。南口の広い道を南下して、いきなりステーキの道を左に行くと、参道があります。木々が植えてあって、春は桜、秋は紅葉で素晴らしくきれいな雰囲気のある道です。私が高円寺で最も好きな小径です。

 正面に山門があり、そこから中に入ると辺りは静かでまるで京都にいるようです。その周辺に、古着屋さんが増えて、若い人がたくさん歩いていますが、ここだけは別世界です。このお寺さんは、あまり派手な催しは好まないようですし、人を大勢いれることも求めていないようですので、見学は静かに歩いてください。

 山門の左わきに鐘撞堂があります。毎朝、6時と夕方6時に鐘の音がします。但し、夕方6時の時は私の家と高円寺さんの間に環7通りが真ん中を遮っているため、鐘の音は聞こえません。朝6時は、車の通りも少ないため、かすかに聞こえます。寝ていて、静かに鐘が聞こえて来るのはいいものです。

 高円寺さんの裏はお墓がたくさんあります、その周りが雑木林になっていますので、中央線で高円寺に近づくと、駅の南口に雑木林が見えます。そこが高円寺です。高円寺の町をテレビや週刊誌が取材すると、ラーメン屋さんとか、ビンテージの古着屋さんばかり取材しますが、本当は高円寺さんこそ本家本元ですので、もう少しマスコミに注目されてもいいと思います。

 そもそも不思議な話ですが、住所番地が、高円寺さんは、高円寺南4-18です。行政の区分では、中央線を挟んで南口が高円寺南と言う町名になり、北は高円寺北になります。しかし、よく考えると不自然です。この町は昔から高円寺さんがあったからこそ高円寺だったのです。寺は1555年の開基と聞いています。そうなら鉄砲伝来の少しあとくらいに建立されたのでしょう。織田信長がいた時代です。

 そのころから高円寺があったにもかかわらず、なぜ高円寺は高円寺南4丁目に置かれなければならないのでしょう。本来なら北でも南でもなく、高円寺さんは、高円寺1丁目1番地でなければならないはずです。これは失礼な話です。早くに苦情を言って、変えてもらうべきだったと思います。

 しかし今に至るも、このことはそのままになっています。行政が過去を尊重しないで、勝手に町名を変えたり、新しい町名をつけて、昔の町名が消えてしまったことは良くあります。それは間違いです。そこに住むと言うことは歴史を継承することです。歴史を尊重する者だけが住むべきもので、後から来て勝手に名前を付けてはいけません。

 郵便屋さんが配達しやすいようになどと言う理由で町名や番地の配列を変えてはいけません。極力昔を尊重すべきです。京都をごらんなさい、未だに、町名は勿論、上ル、下ルの呼び方まで生きています。

 あれこそが歴史ある民族の町の姿です。不便と言って変えてはいけません、不便は決して不幸ではないのです。むしろ千年の歴史の中で生きることは幸せなことなのです。そうであるなら、高円寺さんも、1丁目1番地に直すべきです。と言ってもそれはたわごとにしかならないでしょう。でも言い続けます。伝統を残すものの言葉として。

続く