手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ご近所の話 6 ねづっち

 元々高円寺はお笑い芸人や、ミュージシャンが多く住んでいて、ナイツの土屋さんも高円寺北に住んでいました。ねづっちもナイツももう20数年の付き合いになります。

 5年ほど前までは、私は家の近くの環7通りにあるビルに事務所を借りていて、そこが結構広かったものですから、毎年正月はそこで新年会を開催していました。料理やお年玉をたくさん用意して、お笑い芸人や、マジシャンや、生徒さん、邦楽演奏家など、いろいろな人が集まって、昼から夜まで一日中宴会をしました。このころは大きな仕事をしていたものですから、随分人も大勢集まりました。一日のトータルですと70人くらい集まったのではないかと思います。次から次と来るお客様のために、寿司や焼き鳥や、ケーキを切らさず用意しておくのが大変でした。

 私もこの日だけは遠慮せずに酒を飲みました。そこのビルは機能的で、まことに快適だったのですが、5年前に事務所をたたみ、自宅の一階に移しました。その理由は私の母親を介護するために老人マンションを買ったためです。マンションを買っても、月々の維持費は15万円かかりました、ちょうど事務所の家賃と同じです。やむなく事務所を自宅一階に移したわけです。

 このため事務所はとても狭くなって、派手な新年会はできなくなりました。今でも新年会は自宅の事務所で細々続いていますが、弟子や、生徒さんのみ、10人程度集まるおとなしい会になってしまいました。正月くらい、思いっきり派手に散財したいのに残念です。

 

 その新年会の常連がねづっちです。ねづっちとは、正月と、8月のお盆には一緒に飲むことにしています。20数年前、小学校3年生くらいだった娘のすみれが、百人一首を覚えて、人とかるた取りをしたがるのですが、子供の記憶力にはかないません。私なんかは簡単に札を取られてしまいます。

 その時、ねづっちは、漫才をしていて、ケルンファロットと言うコンビを組んでいました。相方は諸藤といい、諸藤は学生っぽい痩せた男でした。この二人が自宅に遊びに来たので、これ幸いと、すみれのかるた取りの相手をしてもらいました。然し、子供の記憶力と言うのはすさまじく、全く歯が立ちません。それでも一時間くらい遊んでくれたのです。以来、私がどこかで食事をする時には、頻繁に二人に声を掛けました。いい食事にありつけるとなると、二人は目の色を変えてやってきました。

 

 彼らは、私が吉祥寺でマジックのライブ「It's Magic」を始めた時には、毎回司会をしてくれました。その頃二人は収入になるような舞台がなかったらしく、わずかなギャラではありましたが、喜んで手伝ってくれたのです。

 実際ねづっちは、長いことアルバイトで生活していたようで、舞台の収入と言うような物はほとんどなかったようです。それはナイツも、他の漫才も同じで、みんな、舞台に出られるだけで喜んでいたのです。

 コンビが生きて行くのは大変なことで、病気だの結婚だのと言う人生の変化のたびにコンビは危うくなってゆきます。やがてケルンは解散になります。その後、木曽山中(きそさんちゅう)と言うガタイのいい相方を探してきて、コンビを組みますが、このころに始めた、なぞがけでようやく世間から注目を集めます。ねづっちと顔を合わせた時に第一声が、「最近は舞台だけで食えるようになりました」。とニコニコしていたのが忘れられません。

 ねづっちは頭の回転の速い男で、どんなお題も瞬時に解いて行きます。しかしなぞがけが当たりだすと、この漫才はねづっちの頭の回転だけで維持していることがお客様にばれてしまいます。いつしかコンビでやっている理由がないのではないか、と思われるようになり、やがて解散し、ねづっちは漫談に転向します。

 漫談と言うのは大変な職業です。話芸の中で一番難しいのが漫談です。何しろ自分で筋を振って、自分で落としてゆかなければいけません。舞台に出たらしゃべり続けないといけません。すべては自己責任です。よほど引出しを持っていても、お客様を笑わせ、納得させることは容易ではありません。手を抜くことのできない芸で、常に限界に近い演技をして見せなければならないのです。よくそれを続けていると感心します。

 

 そのねづっちとは、お盆時期の飲み会は続いています。私の女房が、お盆の時期に里帰りをしますので、私は一週間ほぼ一人で暮らします。そうなると、夜の食事が困ります。そこで、毎日スケジュールを決めて、仲のいい仲間と連日食事に行きます。娘がいれば娘と食事をし、小野坂東さん、演出の木下隆さん、田代茂さん、いろいろお客様を変えて様々な場所で食事をします。その中の一人がねづっちです。

 ねづっちは、寿司が好物です。特に炙り縁側が大好物です。ヒラメの淵のみをバーナーで炙ったものを飯に乗せてあるのですが、ヒラメの体の中で唯一縁側は脂がのっています。それを温めると、脂が解けたバターのようにとろりとはみ出て来ます。これが冷めた縁側よりも数倍旨く、私も、好物だったのですが、最近はあまりこうした脂の強いものは、食べられないようになりました。それがねづっちは大好きなのです。

 まず寿司屋について、ビールを頼むとすぐに、「師匠、炙り頂いていいですか」。と言います。「どうぞ食べて」。と言うと、ねづっちは喜んで縁側をほおばります。

しばらく寿司をつまみながら話をしていると、また、「師匠、縁側食べてもいいですか」。と聞いてきます。「いいよ、食べたら」。というと、また喜びの表情で縁側を食べます。帰る間際になって、「師匠、これでしばらく縁側も食べられないので、もう一ついいですか」。と聞いてきます。「「いいですよ、いくらでもどうぞ」。というと、心の底から旨そうに脂ぎった縁側をほおばります。

 毎回毎回、ねづっちの食べる姿を見て、「この男は実に素直な男だなぁ」、「20年少しも変わっていない。売れても売れなくても、ねづっちはねづっちだなぁ」、と思います。何も私にご馳走にならなくても、今のねづっちなら、いくらでも食べたいものが食べられるだろうに、ねづっちの姿勢は、初めて寿司屋に連れて行った時と少しも変わらないのです。そんなところが、20年以上も付き合っている理由なのかなぁと思います。毎年の夏の飲み会が来週あります。会って何を話わけでもないのですが、ねづっちと会うことは楽しみです。

続く