手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

プロの顔

 今日は朝から鼓の稽古。そのあと前田に稽古をつけます。これでほぼ午前中の仕事は終わり。午後は電気屋さんに行ってみようかと考えています。

 実は、先週、一階のアトリエのクーラーを新調して、一階はとても快適になりましたが、たちまちのうちに、3階と4階のクーラーも調子悪くなってしまいました。家を建てて30年ですから、電気製品はどれも古くなり、あちこち痛んできました。然し、この夏に3台のクーラーを買い替えるのは大きな負担です。よりによってこんな時期にどうして大出費をしなければならないか。悩んでいます。

 

プロの顔

 今週末の玉ひでは、予約のお客様が増えて、ほぼ満員の状態です。満員と言っても、客席に、コロナ除けの空白のスペースを作らなければならないため、せいぜい20席で一杯ですので、満席になっても収入は大したものではありません。

 それでも、弟子や、若手のマジシャンに出番を作り、舞台に立てるようにしてあげなければいけません。コロナだから、仕事がないからと言って、舞台に立たないでいると、いつしか、顔つきが芸人の顔ではなくなってしまいます。

 同じ仕事を長く続けていれば、勤め人は勤め人の顔になり、コンビニのお兄さんはコンビニのバイトの顔になってゆきます。それでいいのです。それがプロの仕事なのです。芸人とは、浮世の苦労を感じさせない、何とも呆気羅漢(あっけらかん)とした顔をしていなければいけません。そうでなければ人がお金を払って芸を見に来ることはないのです。どんなに苦しい時でも、頭の中は常にばかばかしいことを考えていて、周りの人を笑わせていなければいい芸人とは言えません。そうでなければ人は寄ってこないのです。

 

 アマチュアマジシャンとプロマジシャンの根本的な違いは、顔の作りにあります。アマチュアで知識があって、技も旨いと言う人は大勢います。そうしたアマチュアの技術は認めたとしても、その人が人前に立ってマジックをすると、多くのお客様はその人をマジシャンとはなかなか認めないものです。勿論、マジックの技が巧いことは素人にも分かるでしょうが、顔つきが、勤め人であったり、学校の先生であったり、学生であったり、すなわち、マジシャンでないことがお客様にもばれてしまっていると、お客様はマジックの世界にすんなり入り込めないのです。お客様にすれば、得体の知れない人の、得体の知れない演技を見せられていることになります。

 プロの価値は、その顔にあります。プロの活動を3年も続けていると、何となくほかの仕事をしている人と違う顔つきになってきます。10年も続けていると、体中から雰囲気が香ってきます。これがプロの値打ちです。何もしていなくても芸能に生きていることがお客様にもわかるようになるのです。

 こうなって来ると、楽屋に入って来た時から既に芸人になっています。小さなしぐさ一つ一つがほかの社会にいない人になります。

 長く舞台を務めていると、顔に滋味が生まれます。何とも見飽きのしない顔になるのです。目元に魅力があったり、肌につやがあったり、表情が豊かだったり。よその世界にいない顔になるのです。これがプロの魅力です。

 世間のお客様はそんなプロマジシャンに接したいのです。決してカードを出して、一枚引いて、それを当てるからプロマジシャンなのではありません。そこにいるだけでマジシャンと思わせる人がマジシャンなのです。

然し、プロの顔を維持することは簡単ではありません。

 

舞台は鏡

 なるべく数多く、舞台に出て、お客様に接してていないと、顔はみるみるつまらない顔になって行きます。芸能は、舞台に上がるたび、一回一回お客様の反応を見つつ、反応に合わせて、自らの表情を変えて行くものです。百回、千回演じてきた演技でも、次に出る舞台で、その瞬間その瞬間にどんな表情をしたらお客様が喜ぶのか、その微妙な違いを自分で感じ取って演じなければいけません。終演後には、毎回お客様の反応を反芻(はんすう)しながら、自分の表情を微調整します。常に微調整を繰り返していると、いつしか味わい深い顔になってゆき、舞台に独自の世界が生まれてきます。

 実は、マジシャンのパーソナリティを作るのも、舞台を作るのも、全てはお客様が教えてくれるのです。それ故に、一回一回の舞台をないがしろにしてはいけません。一回の舞台には、この先どうして行っていいのかのヒントが隠されています。それを的確に感じ取って、表情に活かして行くのです。それができる人がいい芸人なのです。

 さて、そのためには、舞台に数多く立たなければいけません。一人で稽古をしたり、ビデオを映してマジックをしても、あまり効果はないのです。無論、稽古は大事ですが、稽古をしたなら、それが正しいかどうか、お客様の前で確かめなければ芸に至らないのです。稽古ばかりしていると、芸が頑迷になり、融通の利かない芸になります。結果として人の気持ちを救えない、わがままな芸が出来てしまいます。それは芸であって芸ではないのです。

 うまく行った演技と言うものは、常にお客様の気持ちと寄り添っていて、演じていても、お客様の息遣いまで重なってきます。「あぁ、お客様はこうしてほしいんだなぁ。ここをじっくり見せてほしいんだなぁ」。と、細かくお客様の気持ちがわかります。その期待を外さずに、ぴったりお客様の心に寄り添って演じ切ると、お客様は惜しみない拍手を送ってくださいますし、時に涙を流してくださいます。

 そんな演技ができた時には気分良く舞台を終えることが出来ます。それもこれも常に舞台に出続けていて、細部に至るまで自分自身が演技を把握していなければできないことです。そのために、私は自分の舞台チャンスを自ら作っています。

 舞台の上では雑念を捨てて、心を無にして演じなければいけません。今月中にクーラー2台を何とかしなければいけないと言う、些末な悩みは脇に置いておいて、純粋な気持ちで舞台を演じなければならないのです。

続く