手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

天職とは何か

 人は何かをなそうと生きています。然し、その何かが何であるか、はっきりわかっている人がどれだけいるでしょうか。このことの最も顕著な例が、横田滋さんの人生ではないかと思います。昨日、横田滋さんは87歳で亡くなりました。

 横田さんは日本銀行に勤務し、日本中の支店を家族とともに転勤して回っていました。新潟支店に勤務の折、1977年11月15日に、突然、娘さんのめぐみさん(当時13歳)が学校の帰宅途中に姿を消します。手掛かりは全くなし。しかし色々な捜査の中、北朝鮮による拉致事件だと知ります。

 それから、日本中には、同じように拉致された被害者が数多くいることを知り、被害者の会を設立。政治を動かして、北朝鮮との交渉にまでこぎつけます。

 2002年、日朝首脳会談が開催され、その過程で何人かの拉致被害者が日本に帰りました。しかし横田めぐみさんは死去されたことを知ります。やがてめぐみさんの遺骨が届きましたが、DNAの鑑定結果、めぐみさんのものではないことが判明します。そうであるなら生存の可能性もあると、善意に解釈をし、めぐみさんの帰国活動を訴え続けました。

 

 めぐみさんは亡くなる前に、朝鮮で結婚をし、孫娘を生みました。キムウンギョンさんです。横田滋さんと奥さんの早紀江さんは、孫娘に会うために、モンゴルに渡り、キムウンギョンさんに会います。なぜモンゴルでなければ会えなかったのかはわかりませんが、全く予想だにしない人生を体験したことになります。それにしても、娘、孫の数奇な人生に呆然としたことでしょう。

 そしてその後も、日本全国で、拉致被害者の会を開き、各地で講演活動をつづけ、政治を動かし続けたのですが、めぐみさんは帰らず、ご自身も昨日亡くなられました。

 普通に生きていたなら、銀行勤めで、硬い勤め人として何一つ不安のない人生だったでしょう。横田さんは見た限り、どこにいても全く目立たないような人です。しかし北朝鮮の拉致によって、もっとも有名なサラリーマンとして、連日ニュース番組をにぎわすことになりました。

 ご当人が望む望まないにかかわらず、度々テレビのインタビューに出演し、娘を日本に戻すと言う、それだけを訴えるために人生を費やしたのです。

 その姿勢は一貫していて、常にマスコミや、視聴者に対しても誠実な対応をしました。知名度を利用して、政界に出ようなどと言う野望もついぞありませんでした。日本中のどこにでもいるような生真面目なサラリ―マンで、一途に娘さんが戻ることにのみ精力を使っていました。それだけに果たせなかった想いに同情を感じます。横田さんを見ると、人の天職とは何かを考えさせられます。自らが望まぬ立場に立ってなお、自らが果たさなければならない役目を背負った時に、人はどう生きなければならないかを身をもって教えてくれた人でした。

 天職と言うのは、通常、絵の才能がある人が画家になる。作曲の才能のある人が作曲家になる。そうしたときに、天職だと言われるのですが、世の中はそうしたドラマのような天職ばかりではありません。現実に、今いるマジシャンにあなたは天職を自覚してマジシャンになったのですか、と問うてみるとよいでしょう。案外半分近くの人は言葉を濁すのではないかと思います。また、仮に、胸を張って「はい私にとってマジックは天職です」。と言った人がいたとして、その周辺のマジック関係者はきっとその人の才能を疑って見ているのではないかと思います。私も含めて、才能と言う言葉も、当人の存在価値も、何もかも、それらは自己申告であって、どうにも怪しいのです。

 「トムソーヤの冒険」を描いたマークトゥエインが、「私は40歳にして自分がいかに才能がないかを悟った。しかしその時私は既に有名で、多くの著作を書き上げていた」。と述べています。面白い言葉です。充分うなずける話です。天職であるか否かも考えずに、ひたすら仕事をしてきて、ある時気が付いたら何の才能もなく仕事をしていたと気づく人は少なくないのではないかと思います。マークトゥエインの場合は多分に自分を卑下して語っているのだろうと思います。人は彼の才能を認めているのですから。実際、長らく一つの世界に生きて来て、そこそこいい仕事をしてきたつもりでいたら、自分の才能なんてないに等しく、ほとんど誰の役にも立っていなかった。何んて言う結果になりかねません。才能、天職何て、生涯わからないことなのかもしれません。

 

 実は、私は横田滋さんに何度かお会いしています。特別なことではありません。飛行場で、新幹線のホームで、たぶん横田さんが講演会に行く途中だったのでしょう。無論相手は私を知りませんから、顔を合わせただけのことです。然し、どうも私は、何度もニュースなどで見ているので、他人のような気がしません。特に私の所にマジックを習いに来る生徒さんで、横田さんによく似ている人がいるために、ついつい顔を合わせるとあいさつしてしまいました。その都度、横田さんも挨拶を返してくれますが、あとで、「あぁ、横田さんだった」。と思い、私の勝手な人違いを恥じていました。

 あの人を見ていると、決して自分の望まない人生を素直に受け入れ、全うした人と言えるでしょう。「それが天職なのか」、「それで幸せであったのか」は、別の話であって、良かった悪かったなどと他人が言うことではないのでしょう。但し、ご当人がこれを天職と自覚して行動していたのなら、実に重い人生だったと言えます。

 

続く