手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

うまく行かない日

 さて昨日は朝4時に起きてブログを半分書きあげて、その後、浅草、新宿方面に買い物に行きました。来月になれば、舞台も指導も忙しくなりますので、先ずは毛氈(もうせん)を新調して、気分を変えようと考えました。

 大体3年に一度毛氈を取り替えますが、今回は4年目になります。少し汚れが目立ってきました。限界です。敷物は、毛氈の生地(フェルトです)を買って来て、淵に金襴を縫い付けます。3畳分ある毛氈ですので、淵を縫うのも1日ではできません。大仕事です。でも、綺麗な毛氈の上で手妻をするのは楽しみです。他に、ロープ、茶椀、木ねじ、真鍮棒等、あれこれ買い物をします。費用も掛かりますが、ここは投資です。

 ところが、まだ新宿のオカダヤが布地の販売を始めていません。仕方なく、ここは前田に東急ハンズに行ってもらい、私は、浅草方面に出かけました。然しながら、ロープ屋さんも休み、瀬戸物屋さんも休み、何とか手に入ったのは、だるまと扇子だけ。浅草橋、浅草、合羽橋と5時間近くうろうろして、成果もなく戻ってきました。

 事務所に戻ると、どうも体調が思わしくありません。どうやら日射病に罹ったようです。水分を補給して、ガリガリ君を食べたら少し調子が良くなりましたが、一遍にくたびれてしましました。やむなく何もできずにその日の事務は終了です。

 なかなか思うようにはうまく行きません。

 

 そして翌日、すなわち今日、5月30日ですが、昨日不調だった分、夜はよく眠れました。そのため、早朝に起きてブログに向かおうとしたのですが、朝8時を過ぎてしまいました。事務作業に追われ、ブログが書けませんでした。

 デスクに向かうと、いくつか仕事の話が来ていました。全くこの先、舞台のチャンスがないわけではないようです。かなり大きな仕事も来ています。来月は名古屋で水芸の仕事があります。秋にはクルージングの仕事も決まっています。来年には蝶から水芸から、生演奏を交えて市民会館で公演する企画もあります。こんな話が毎月一二本あれば私のチームは生きて行けます。

 あと半年、少ない舞台回数を辛抱すれば、年明けには元の活動に戻るでしょう。然しそれもこれもコロナウイルスの第二波、第三波が来なければの話です。また、関東大地震も心配です。月末に地震が来ないとも限りません。心配の種は尽きませんが、何が起こっても強く生きて行かなければなりません。

 さて、ブログを書こうかと思いましたが、雑用が多くて思うようにはかどりません。私の文章を期待してお読みになっている読者の皆様には失礼ですが、今日はこの辺で終わります。

また明日。