手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

雨垂れ(あまだれ)

 昨日も、日中数時間昼寝をしました。その分、夜になるとそう長くは寝ていられません。今朝も4時に起きました。睡眠は昼寝と合わせて7時間ありますから、申し分ありません。先ずコーヒーを入れて、快適にデスクに向かいます。朝4時のデスクワークは周囲が全く無音で、頭は冴えわたり、最高の環境です。

 全くの無音と言うわけではありません。時折、雨垂れの音がします。もう雨はやんでいますが、どこかに残った雨水が庇を伝って忘れたころに静かに落ちます。能を見ていると、静かな場面に時折り小鼓が入ります。決して拍子に忠実なわけでなく、どういうリズム感なのかわかりませんが、ポツンと一つ、鼓が鳴ります。デスクから雨垂れを聞くと、「あぁ、能はこの静寂を音で語っているのかなぁ」。と気づきます。雨垂れが聞こえるほどの静かな風景を、あえて音を出すことで表現しているのでしょう。

 

ビデオも指導も両刃(もろは)の剣

 さて、私が多くのビデオを出して、自らの収入の一助となった話をしましたが、その後ビデオの販売はやめました。それはビデオも指導も危険な道であることに気付いたからです。マジシャンが種仕掛けに関わるものを公開する時は、よほど気を付けなければいけません。ビデオを出せば、一瞬多くの人が飛びついて収入になって、いいような話ですが、長く続けていると弊害が現れます。マジシャンは安易にマジック愛好家と種仕掛けの話をしてはいけません。寄ってくる人たちは、マジックを種でしか見ない人ばかりが寄ってきます。別段どんなアマチュアがいてもいいのですが、そこに交わっていると、やがて自分自身も意識の低い人に落ちて行きます。

 

手順指導から高級品へ

 私はシルクやロープのビデオを出してゆくうちに、アマチュアの求めているものは単発のマジックではなくて、手順なのだと気づきます。手順こそ、アマチュアが考えにくいもので、3分なり、5分の流れを教えてくれる指導家がいれば、アマチュアの技術は引き上げられます。そして手順を通して芸能とは何か、と言うことに気付いて行きます。そこで、手順指導のビデオを出し始めました。併せて、マジックの道具があまりに粗末なことを思い、ゾンビボールの完全版をデザインしたり、手妻も、蒸籠、引き出し、連理の曲、紙卵(紙片の曲)、真田紐(陰陽水火の曲)、など立て続けに発表しました。実はこれがとんでもなく売れました。

 それまでマジックの小道具で一つ30万円、40万円などと言う小道具はまずなかったのです。それをいきなり出したものですから、そのインパクトは絶大だったのでしょう。時は平成10年、私が芸術祭大賞を取った翌年ですから、実績のバリューがついて、道具はとてもよく売れました。ところが、これが結果、マジック界の質向上につながらず、その後の私の人間不信につながってゆきます。

 

コピーの氾濫

 アマチュアの中で、私のビデオだけを買って、道具は自分で作る人が出て来ます。せっかく私がデザインして、漆塗りの金蒔絵の箱を作っても、多くのアマチュアはベニヤで箱を作り、スプレー塗装をしてコピーする人が出て来ます。

 私は日ごろ、舞台人は、楽屋に入るときから人に夢を与えなければいけないと話します。化粧前(ドレッサー)の前に道具を置くのでも、段ボール箱から道具を出すのをやめて、桐箱からウコンに包まれた道具を出し、化粧前に並べて、きれいに磨き、それから衣装を着かえて、舞台に立たなければいけません。その一連の仕事が美しくなければいくら手妻がうまくても無価値なのです。その元となる道具がちゃちでは、見る人が見たなら決して一流の芸能とは思わないでしょう。

 だから小道具に気を付けなければいけないと話します。私の弟子はそれを毎日見ていますから、30万も40万もする道具を躊躇しないで注文します。衣装も私と同じところで作ろうとします。弟子にすれば大変な出費ですが、その出費が結果としてどんな効果を生むかは十分承知していますから、積極的に投資します。人の上に立ってものを教えることの大切さはまず自分がして見せることです。

 それを指導ビデオで実践したのですが、これがうまく行きません。すぐにコピーが出回ります。コピー専門のメーカーが私に無断でベニヤで道具を作り、私のビデオをコピーして解説書にして、ベニヤの道具を販売します。まったく泥棒です。

 こうなると対処しなければいけません。先ずビデオ販売を止めます。そして、これまで私の指導を受けた人、親しい人のみに今後は指導し、販売するようにしました。ここにおいて、私のビデオと道具の一般販売は終わったのです。

 

人の限界

 人に物を教えることの難しさは、ある一線を超えると、脱落してゆく人が大勢出ることです。それはどの社会でも当然起こることで、学校でも、誰もが優秀な学校に進めるわけではないのです。人をこういう風に育てたいと思っても、そうならないことはいくらもあります。そうした中で指導家はどう生きて行ったらいいか、教える側が自分の道を模索するようになります。こうしたときは苦しいものです。

 種仕掛けを教えれば、種仕掛けでしかものを見ない人が山ほど育ちます。ここを注意して生きて行きなさいと指摘しても、指摘されたことが自分の人生とは無関係だと思い込んでいます。いい道具を見せると、それを似せて作ります。そんな人ばかりを見ていると、マジックと言う世界に失望を感じます。

 

直接指導を始めました

 然し、失望していても前に進みません。ちゃんと芸能のわかる人を育てなければいけません。私は10年前から、東京、大阪、名古屋、富士と4か所で直接の指導を始めました。東京と大阪では毎年発表会を開催しています。それがマジック界の向上に役立つならいいがと思って続けています。

 

 指導も、ビデオの販売も、よほどうまく立ち回らないと、自分の人生を悪くします。誠実に人を育てようとしても、相手は種を知ってしまえばその後は何ら敬意を払わずに、手に入れたマジックは自分のものと思い込みます。売ると言うことはそういうことです。それを怒っても始まりません。そこに何らかの人間的なつながりを求めたいと思うなら、顔の見えない人に種やビデオを売らないことです。よくよく相手を見極めて指導することです。人生を良くするも悪くするも「誰と知り合ったか」、それがすべてです。縁のない人、行きずりの人に芸能の深い理解を求めても、大概はうまく行かないものです。

続く