手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

雨音止まず

 昨晩から降り続いた雨は、わずかな晴れ間を見せてまた雨に戻り、私のアトリエにあるデスクの窓の庇(ひさし)から、一滴(ひとしずく)、休符、一滴、ゆっくりと、正しくリズムを刻んでいます。テンポは遅く、調子は明るくも、暗くもなく、全く機械的に雫が落ちてきます。

 朝の4時です。昨晩ほどではありませんでしたが、今晩は5時間眠れました。帯状疱疹のことを思えば、もう少し寝ていたほうがいいのでしょうが、目が覚めては眠れません。一階のアトリエに入って、デスクに向かいます。このところ私のブログの読者が増えています。今の矛盾した社会から、何か光を求めて私のブログを読んでいるのでしょうか。もしそうなら、何か役に立つ話をしなければいけません。

 そう思いつつ、コーヒーを入れて、しばらく考えます。この間雨音は、無機質に、一滴、休符、一滴、を繰り返しています。2020年、5月20日、私はこんな風に雨音を聞きつつ生きているのだなぁ。と、わが身の置かれた位置に気づきます。

 

 これまでの私の人生は、何かに脅迫されているかのように、あれもしなければいけない。これもやらなければいけない。このことは自分が解決しておかなければいけない、あれも、これも、と必死に生きて来たのに、このところ、ぽっかりと何もせずにただ物を思うことが多くなりました。

 それでも心の内では、あと一つ、二つ、人のやらないような大きな仕事ができるに違いない。と考えています。それが何か。案外次の一手が、私と言うものが後世に評価される活動になるのかもしれません。と、己惚れつつ、その実、次の一手が見つからず、ボヤっとコーヒーを飲んでいます。

 

 私を10年以上にわたってマネージメントしてくれた、宮澤伊勢男さんはもともとは読売広告の専務さんでした。この人は、漬物の桃屋をヒットさせたり、バレンタインデーにチョコレートを配ろう、などと言う本来チョコレートとは何の関連もない行事を日本中に定着させて、お菓子業界を復活させたり、ものすごいアイディアマンでした。

 その名プロデューサーが、なぜか私の手妻を気に入ってくれて、読売広告退社後の晩年は、私を方々に売り込んでくれました。人生は優れた人に出会うとはっきり生き方が変わります。宮沢さんにはどれほど多くのことを教えていただいたことか、有難い人でした。

 その中で宮沢さんがよく言っていたことは、「藤山さん、イエスキリストさんと言う人はいくら調べても、晩年の3年間の記録しか見当たらないんですよ。それ以前に何をしていたか、全く謎です。でも、名前が知られてからの3年間はものすごい活動をしました。キリストさんの価値はこの3年間で決まったのです。ですからね、人は3年なんですよ。3年。3年本気で一つのことに打ち込めば、2000年たった後までも皆さんから信頼されて、世界でもっとも有名な人になれるんです。

 一つことを長く続けていることも大切ですが、ただ続けていても意味はありません。3年集中することが大切です。人は3年集中すればとんでもないことができるんです」。

 私の最も良き理解者であった宮沢さんは一昨年亡くなりました。私がイエスキリストさんにような大きな仕事を成していないことは明らかです。いろいろ工夫して、生きては来ても、その成果は微々たるものです。

 今私に何ができるのか、何とか工夫して、多くの人の役に立ったなら、私の生きてきたことは無駄ではありません。

 毎日、ニュースを見ていると、世界中のタレントが、替え歌を唄ったり、自分の曲でエクササイズをして見せて動画に投稿したりしています。それも表現の一つですから、それはそれでよいと思います。

 でも、もっと芸能、芸術家として生きることの苦悩を人に伝えるべきではありませんか。芸能、芸術に限らず、小売店も、飲食店も、みな生活が成り立たずに困っています。こうした人たちに成り代わって、芸術はもっと積極的に自己表現をしたほうがいいのではありませんか。

 

 ハイドンは宮廷の楽長を長く務め、そこで多くの曲を作曲しました。その中に、交響曲で「告別」と名付けた曲があります。これは、自分の主人が楽団を引き連れて、別荘に行き、何か月も逗留していたため、楽団員は家に帰ることもできず、家族に給金を渡すこともできず、困っていました。そこで、ハイドンは一計を案じ、一曲の交響曲を書きます。交響曲と言うのは最終楽章は、大概華やかに、軽快に終わるものですが、この曲は、しんみりした曲想で、しかも、はじめ全合奏で始まりますが、すぐに、あるパートの楽団員が、手元の蝋燭を消して、舞台を去ります。少しして、別のパートの楽団員が明かりを消して、舞台を去ります。どんどん人がいなくなり、お終いは、弦楽四重奏のように、4人だけになって、それもやがて消え入るようにして終わります。

 これを聞いた主人は、自分が長く別荘に楽団を引き留め続けたことを知り、城に戻る決意をします。ハイドンらしい洒落た抗議です。

 

 あの、ハイドンの告別を、国会議事堂の前か、都庁の前で演奏してみてはどうでしょう。国も、都庁も、芸術家に生活の保証をすると言っておきながら、いまだ一円の保証もしていません。そんな国や、地方自治体に対して、これでは芸術は死んでしまう。と言うことを、音楽で表現してみてはどうでしょう。

 マジシャンが困っているのと同様に、オーケストラなどは所帯が大きいだけに身動きが取れません、毎月何億もの赤字が出ています。誰も助けてはくれません。芝居も同じです。歌舞伎座も、帝国劇場も、国立劇場も、閉鎖されたままです。これも毎月億の単位の赤字です。このままでは松竹も東宝も倒産してしまいます。役者の給料も出ず、音響照明、裏方の給料も出ません。衣装屋さんも困っています。

 こうした人たちの保証はどうしますか。結局政治は無責任です。責任が散れないなら、非常事態宣言などしなければいいのです。ロックダウンもすべきではなかったのです。非常事態も、ロックダウンもなくても、暖かくなれば、ウイルスは退散するのです。現実にそうなっているではありませんか。都市封鎖、学校閉鎖は人の生活を荒廃させるだけです。むしろ病気よりも後遺症が残ります。こんなバカな政策をやめさせるためにも、みんなでハイドンの告別を聞きに行きましょう。

 

 昨日の、どうしたら指導ビデオで売り上げを作るかと言うお話はまた明日、

続く