手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

30年後のそもプロ 2

 本題に入る前に、今月、22日にノームニールセンが無くなりました。享年81、私が最も尊敬するステージマジシャンの一人でした。良き時代のマジシャンがまた消えて行きました。グレートトムソーニも亡くなり、ナイトクラブ、キャバレー時代の芸人は終わった感があります。全く寂しい限りです。合掌。

 

 私の知る、かなり確かな情報ですが、大量のコロナウイルスに感染した、台東区の永寿病院で、能勢裕里江さんが連日患者さんの治療に当たっているそうです。多くの医師、看護婦が感染した結果、医師が不足し、健康な医師がそれを補って、連日奮闘しています。裕里江さんは、健康な状態で仕事をしているようですが、余りの激務が続くと心配です。交代制にでもなって、少し休みが取れればいいと願っています。

 

 30年後のそもプロ 2

 昔、ケン正木さんがプロになるときに、私に、「何かいい芸名を考えてくれませんか」。と言って来ました。そこで私は、

 「まさきと言う語感は、濁りも、音便もなく、平坦だから、お客様が聞いても印象に残らないでしょう。例えば私の、藤山は、ふじのじが濁っていますから、人の印象に残りますし、新太郎はしんの『ん』が音便になっていますから、これもアクセントがついて人の心に残ります。芸能で生きるものは、その名前をすぐにお客様に覚えてもらわなければ意味がありません。

 君がどうしても本名の正木を使いたいなら、正木は残したとして、名前はもっと簡単で覚えやすいものがいいですよ。漢字ではなく、ゲン、とか、ケン、にしたらどうですか。ゲン正木でもケン正木でも、覚えやすくて印象に残ると思いますよ」。

 言われてケンさんは、すぐに「ケン正木」を選んで、今も活動しています。私はこれまでも人の名前や、人生を左右する問題にかなり深く関わることが多々ありましたが、幸いなことに、私が命名した人、プロになることを認めた人はみな成功しています。

 これまで私はあまり自身の性格を人に話したことはないのですが、私は人よりも相当に第六感が強いようです。私の当たり癖の強さは、母親がよく知っていて、商店街の福引などによく私を連れて行き、くじを引かされました。すると三枚に一枚くらい、 二等や三等を当てたのです。但し、私はこうした偶然の域を出ないことに運がいい悪いを言うことが好きではなく、あまり人に話さなかったのです。

 然し、私には何となく人の行く先が見えるのです。あぁ、この人こんな表情していて大丈夫かなぁ、と思っているとその人は数日のうちに亡くなります。マジシャンになりたいと言う人を見て、「あぁ、この人は伸びるな」。と思うと、プロになることを認めますし、だめだと思ったら、「やめたほうがいい」。とはっきり言います。名前をつけて欲しいと頼まれても、だめと感じた人は断ります。

 幸条スガヤさんがプロになるときに、「自分は荒城の月と言う曲を使ってマジックをしますので荒城スガヤと言う芸名にしたいと思います」。と言って、仮の名刺を出されたのですが、私は名刺を眺めて直感で、「それはよしたほうがいいですよ。名前に、荒れた城と言うのは縁起が悪いですよ。どうしてもこうじょうを名乗りたいなら、例えば、しあわせの文字を書いて幸(こう)と読ませ、じょうは、一条、二条の条を書いたらどうですか。条と言う文字はまっすぐ先々まで伸びると言う意味ですから、幸せが先々まで伸びると言うなら、すごくいい名前だと思いませんか。と伝えました。すると、数日して、スガヤさんから、「幸条スガヤにします」。と電話がきました。氏の人生の成功は私のおかげだとは申しませんが、その一助を成したとは思っています。

 弟子の大樹も、元々気の弱い、おとなしい性格でしたから、もっと積極的に前に出て、自分だけでなく、周囲の人も助けてあげられるような男になれ。「寄らば大樹の陰」すなわち、多くの人が寄って来て、雨宿りができるような、大きな木になれと言う意味で大樹と名付けました。現在は、まだ人を助けるほどには大きくなってはいませんが、行く行くこの世界で、とても重要なマジシャンになってゆけばよいと思います。

 

 ケン正木さんは最近youtubeに自分の手順をまとめて解説をつけて、演技を残そうとしています。自身の健康のこと、コロナウイルスで仕事が減ってゆくことなどを心配して、ステージマジックとはこうしたものと言う記録を残そうとしています。いいことです。どういう形であれ、自分がこれまで演じてきた作品をきっちり演技として残しておくことはいいことです。

 ケンさんに関しては昔から、私は、弟分のような気持で接してきましたが、考えてみたなら一つ違いです。私が、「君ね、ああしなさい、こうしなさい」、などと言うこと自体がおかしいのです。ほとんど同じ年なのですから。彼が自分で判断して、これまでの演技をまとめたいと思うことも、彼の年齢を思えばもっともなことなのです。コロナの時期に時間があると言うことが、むしろ幸いなのだと思います。

 

 カズカタヤマさんは、この間昼に食事をした時に、先々の不安を語っていました。カズさんに限らず、ほとんどの芸能人はみんな不安でしょう。そして、私が、オイルショックにあった時、天皇陛下が倒れられたとき、バブルがはじけた時、その後の、リーマンショックや、阪神大震災東日本大震災など、災害があった時、その度に仕事が減って、生活が立ち行かなくなった時にどう生きてきたのかを聞いてきました。

 カズさんが私に質問してくる姿は、全く30数年前に私に真剣に相談していた、独立したての頃と同じでした。つまり30年たって、そもプロの体験はまだ続いているのです。私の見るところ、カズさんの現在は、当人が思うほど心配な状況ではないと思います。

 なぜなら、カズさんほどのマジシャンは、もう世界を見渡してもそう数多くはいないからです。ケンさんも、カズさんも共通して言えることは、貴重なジャンルの一人になっているのです。そうとなればそう簡単にはつぶれません。つぶれようにも周囲が守ってくれます。何を隠そう、かく言う私自身、手妻と言う、いわば絶滅危惧種の一人なのですから。その私が言うのですから、そう心配する必要はありません。絶滅危惧種はつぶれません。カタヤマさんには生き残るための秘策を詳しく伝えました。

 その秘策は明日、「大波小波がやって来る」がまだ完結していませんので、大波小波の11でお話ししましょう。どんな場合でも、人はなすべきことがあります。そして、今、何かをしておくと、次の時代にはきっと大きな仕事を手に入れられます。泣いてばかりいては何もならないのです。人が弱っている、人が苦しんでいる時が飛躍のチャンスなのです。うまく行かないとき、みんなが袋小路に入って困ってしまった時、そんな時にスカッとホームランを飛ばして見せるのがスターなのです。

 さて、スターになるにはどうしたらいいのか、明日を乞うご期待。

 

続く