手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ペンは剣に勝てず、いわんや芸人をや

 私の文章のファンが全国に3000人くらいいます。その支持者が私のブログを常に見ているわけではありませんが、大体一回書くと300人くらいの反応があり、ちょっと気の利いたことを書くとすぐに700人くらいの支持者が見てくださいます。

 そうした人たちに期待されると、ついつい何か役に立つことを書かなければいけないと思い、毎回、2500字くらいの文章を出しています。私の支持者が何を求めているのか、全く手さぐりの状態ですので、マジックの体験を書いたり、手妻の歴史、海外のマジシャン、お世話になったマジシャン。日常のこと、芸能のこと、食べ物のこと、シトロエンクラシック音楽、いろいろ書いて反応を確かめています。

 昨日、一昨日は、クラシック音楽を書いてみたのですが、およそ、100年も前の指揮者のことなど、誰も興味がないのではないかと、ブログの支持者を大幅に減らすのではないかと心配して書きましたが、どうしてどうして、わからないながらもついてきてくださって、300人以上の支持を得ました。そこから逆算して、大体私を支持してくださる方は、私の書くことは一応何でも目を通してくださるのかな。と判断しました。

 実は、私がブログを書こうと思ったきっかけは、何とか、マジック以外のことを書いて、お客様とつながりを持ちたいと思ったからです。どうしてもマジシャンの書くことは、マジックに関連したことであり、しかも極論してしまえば種の解説ばかりしています。然し、道具や技術の解説ができる人は、どのジャンルにも山ほどいます。勿論そうした活動をする人は、そのジャンルでリーダー的な役割をしている優秀な人たちなのですが、しかし、しかしです。そのジャンルの知識を備えた人と言うものが、外の世界に影響を与えることはわずかです。

 かつて、私にマジックを教えてくれたマジック研究家の高木重朗先生は、生涯に何百冊ものマジックの教本を出しました。が、しかし、マジックを離れて、例えば、随筆を書いたとか、世相を書いた本などと言うものはなかったのです。わずかに、探偵小説の解説本などを出したようですが、これとてもごく一部の愛好家のための本です。

 氏は慶応大学を卒業して、国立国会図書館に勤め、多くの日本中のマジッククラブの指導をし、ある時期、カリスマ的な指導家だったのですが、師が、マジックから離れて、自身の心の内を語るような文章はなかったのです。

 それは氏だけではなく、マジックをする人に共通して言えることのようです。彼らの興味は種、仕掛けであり、物を書くときは、ほとんどの場合、それを教えるときです。種仕掛けを語るときは饒舌になりますが、マジックを通して感じた人生観や、いかに人と共存して生きるかなどと言う話にはあまり興味がないようです。

 室町時代世阿弥が、花伝書を残したように、現代のマジシャンが、マジックからどのような芸術論を語るのか。そんな本があったら興味深いのですが、マジシャンは芸能、芸術はおろか、自身の思いも告白しようとはしません。

 こうしたことが、マジシャンと言う存在が、マジックを超えて、芸術家であるとか、人として優れた人物であるなどと言う評価が生まれない原因ではないかと思います。

すなわち、マジシャンが社会的な地位が低いから、芸術家として評価されないのではなく、自らが芸能芸術を語っていないから、評価の対象になっていないのです。

 

 そこで僭越ですが、私が、いろいろと芸能芸術を書いてゆこう、そして、日常感じたこと、私の趣味など、いろいろお伝えしたいと思って、ブログを始めた次第です。

 従って、話は右に左にうろうろします。理解しがたいことも書きます。然し、それもこれも、マジシャン、或いは手妻師が、世間をどう見て、どう考えたか、という、自身の目で正直に世間を見た結果を書こうとしたわけで、何ら他意のないものです。

 この先も、私の心の奥を語ってゆきますので、気長にお付き合いしてください。ほんのひと時の気晴らしにご覧くださるだけで結構です。それで十分私の目的は達成するのですから。