手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

メンゲルベルクと宇野先生

 大変古い話になりますが、19世紀末から昭和20(1895~1945)年まで活躍した、オランダの名指揮者で、ウイレン メンゲルベルク(1871~1951)と言う人がいました。生前は世界4大指揮者の一人で、オランダのアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団ができると、弱冠24歳で常任指揮者に選ばれ、それから50年間指揮をし続けました。生前の欧米での人気は大したもので、オランダ国内でも、優れたオランダ人を国民が人気投票をすると、女王を抜いてダントツに一位になった人でした。

 そのメンゲルベルクが演奏したベートーベンや、ブラームスチャイコフスキーが今も復刻レコードで販売されています。私は中学生のころからクラシック音楽に興味を持ち、高校に入学したときに、母親が、ソニーから出たインテグレートと言う、重低音の出るステレオを買ってくれました。私はそのステレオの音に驚くとともに、この音を生かすレコードはクラシックだとばかりにオーケストラのレコードを買い漁りました。

 たまたま、高校生の時にメンゲルベルクの復刻のLP版を買い、一遍でファンになり、以来出るレコード出るレコードを買いまくりました。当時はLP盤一枚が1500円くらいしたと思います。そのころ私が平和島温泉や、池袋の七色温泉などのお手軽な舞台に立って、一回の出演料が1500円から2000円くらいでしたから、舞台の収入はそっくりLP盤に消えました。池袋の七色温泉に出演したときなどは、その日に貰ったギャラを持ってすぐにヤマハ楽器に行き、レコードを買いました。それが楽しみだったのです。

 ただし、SPレコードの復刻盤ですから、音色は悪く、ソニーのステレオで聞くには物足らないものでした。しかし、メンゲルベルクの演奏が、燃え立つような演奏で、一度聴いたら病みつきになったのです。

 私にとってはその1枚1枚が今も宝物です。大変個性的な演奏をする指揮者でしたから、その癖の強い演奏にはすぐにはまりました。古いものでは1920年代の録音されたものもあり、昔のSP版は78回転で、片面が最大4分程度しか録音できません。ベートーベンの運命などは、各楽章ごとにレコード盤一枚、裏表を丸々使いました。運命一曲で、レコードが4枚必要だったのです。

 無論、私の聞いているレコードは復刻盤ですから、片面30分は録音されています。それを聞いていても、楽章の途中で、つなぎ合わせた部分がわかり、「あぁ、昔の人はここでレコードをひっくり返したな」、と気づきます。その微妙に音色が変わるとこがレトロで面白いと思いました。但し、そんなことを面白いと思って、復刻盤を買う高校生と言うのは日本中探しても何人もいなかったでしょう。

 中にはライブ録音も残されていて、これは格段に音がよかったので、かなりリアルな演奏を楽しめました。私は、夜に試験勉強などするときに、ヘッドフォンをつけて、何度も何度もメンゲルベルクを聞きまくりました。

 お陰で私はレコードの隅々まで記憶しました。私が目隠しをして、友人がレコードの針を降ろすやいなや、1940年のアムステルダムコンセルトヘボウに来ていた観客が、ざわついている中、くしゅんと小さなくしゃみをした瞬間に、「あぁ、これはブラームスの1番の交響曲だ」と分かるようになりました。こうなるとマニアです。

 さて、話が長くなりました。私がなぜここにメンゲルベルクを書いたのかというと、師は戦後オランダで、ナチスに協力した罪で裁判にかけられます。ナチスの占領下でナチスに協力した人を片端から裁判にかけたのです。師は別段ナチスに協力したことはありません。然し、ベルリンに招聘され、ベルリンフィルハーモニー交響楽団を指揮したことなどを協力とみなされ、国外追放に至ります。

 当人は全く不本意だったでしょう。ナチスの勢力下で活動していた有名人は言ってみればみなナチスの協力者です。何らかの形でナチスに協力しなければ、オランダで活動をすることは不可能だったのです。師も、ナチスの命令に従って指揮者をするか、指揮をやめるかの選択を迫られ、ナチスの命令に従ったのです。このことと、ナチスの政策を支持したかどうかということとは別問題です。しかし、当時のオランダは、戦中はナチス一辺倒、戦後は、密告、妬み、讒言でオランダ国内は大混乱しました。

 その被害にあって、メンゲルベルクはスイスに亡命し、その後、指揮をすることなく1951年、生涯を閉じます。私が語りたいのは、師が74歳でオランダを追われ、スイスに亡命して過ごした6年間です。言ってみれば青天の霹靂で、指揮者の立場を追われたわけです。74歳は指揮者にとって円熟期です。もう少し長く活動していれば、ステレオ録音も間に合ったのです。そうすればもっと名前を残せたでしょう。然し、一切の指揮をすることなく人生を終えました。名人としてはあまりに侘しい人生だったと思います。

 然し、然しです。今の時代はどうでしょう。指揮者も演奏家も、役者も、私も含めて、コロナで舞台に上がることを止められています。こんなことをこのまま続けていれば、自分自身の技量も落ちるし、今迄、私を買ってくれていた仕事先の人たちも疲弊してゆきます。私の芸を楽しみにしていたお客様もこの先どうなってしまうか知れません。こんなことを続けていて、芸能芸術にいいことは一つもないのです。ウイルスから身を守るため。被害者を増やさないためとは言うことはわかりますが、非常事態宣言がその解決になるとはどう考えても理解できません。

 政府の言うことを聞くものだけが自粛をして、片方で、山手線、中央線は運転を続けています。パチンコ店は大繁盛です。パチンコ店の感染に関しては、決して小池都知事は言葉にしません。なぜかは知りません。妖しい風俗店もそのまま営業を続けています。これで本当にコロナは封じ込められるのですか。これではまるで、片方でジャージャー水道の水を流しっぱなしにしておきながら、各家庭の水道の蛇口の水漏れがないかを細かく検査して廻っているようなものではありませんか。本当にこれでコロナウイルスは封じ込められますか。

 

 メンゲルベルクは、スイスの別荘で、自問自答をする日々だったと思います。「自分が何をしたというのか」。そう問いかえす毎日だったと思います。その時の師の気持ちを、今になって私は理解します。「私から手妻を奪って、一体国は何がしたいのか。この規制は意味がないのではないか」、と。

 

 紙面はここで一杯です。メンゲルベルクから宇野先生とのお付き合いに発展するお話しはまた明日書きます。