手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

誤謬の果てに来るもの

 さて、私はコロナウイルスを書き始めた時に、誤謬(ごびゅう)の話をしました。誤謬とは、個人が自身の考えで行動しているときには何ら問題のない事でも、社会全体が行動するようになると様々な大きな問題になることです。その例として、江戸時代の、生類憐みの令や、贅沢禁止令を上げました。動物を愛することは良いことですが、一度これが法律になって、動物を虐待した人に刑罰を与えるようになると、多くの人は迷惑をします。実際、飼い犬に食事を与えることを忘れた飼い主が、近所の密告によってむち打ちの刑にあったりしています。

 贅沢禁止令では、絹ものを隠れて着ていないかどうか、岡っ引きが辻々に立って、娘の衣装を改め、胸から手を入れて、着物の裏地を改め、裏地が絹であったりすると、その場で引きちぎって、証拠の品として取り上げ、引っ立てて行ったそうです。贅沢をせずにつましく生きることは美徳としても、人の着ている着物をその場で引きはがすのは行きすぎです。しかし、どんな道徳も、正義も、ひとたび国や政府がかかわると、そこには法ができ、法ができれば罰則が生まれます。すると全く逆の方向に進んでゆきます。これを誤謬と言います。

 

 現代の我々が江戸時代を無知と笑うことはできません。一連のコロナウイルスはまさに誤謬の最たるものです。小池都知事がテレビで、なるべく外出しないように、と言うのはいいことです。しかし、バーや、レストラン、劇場やライブハウスに行くことは自粛しましょう。と、特定の職種を名指しで言えば、レストランやライブハウスは休業せざるを得ません。休業しないまでも、次の日からのお客様の数はがったり落ちます。これでコロナウイルの感染は多少は収まるでしょうが、現実にレストランやバーで生活している人たちはどうしてゆけばいいのでしょうか。

 ライブハウスや劇場公演は中止と言われたら、芸人はどうやって生きて行ったらいいのでしょうか。歌舞伎座が閉まってしまったら、歌舞伎役者はどこで歌舞伎をするのですか。それが人のため人類のためと言いますが、昨年、一昨年、インフルエンザが今以上に蔓延していて、連日今以上の死者を出していた時に、なぜレストランや、バーや、劇場を自粛させなかったのですか。なぜ今回だけこうまで大騒ぎをするのですか。

 毎日180人の感染者がいたとして、その中でバーに行って感染した人は何人ですか、一人ですか、二人ですか、レストランに行って、感染した人は何人ですか、一人ですか、二人ですか。その一人二人の感染を止めるために、何百軒ものバーや。何千軒ものレストランを閉鎖することに何の意味がありますか。それは。一匹ののみが出てきた猫を見つけた時に,数千匹の猫を集めて殺処分することと同じではありませんか。

 

 今、病院はコロナウイルスの検診で人があふれています。陽性となれば入院させろと騒ぎます。騒がれては入院させないわけにはいきません。すると、本来入院すべき他の病気の患者を受け入れられなくなっています。入院しなくても治る風邪の患者がベッドを独占して、危険な状態の患者を受け入れられない。何か間違っていませんか。

 結局国を挙げてしていることは、正義を振りかざして、話を極端にして、他の病気の人に不便を強い、特定の業種の人々を廃業に追い込んでいるのです。そんな資格が誰にありますか。

 

 昨日、私は、人形町の玉ひの座敷で手妻の公演をする予定でいました。しかし、自粛要請が強いため急遽中止をしました。しかし、すでに、チラシを配って告知しているため、もし玉ひでに尋ねて来るお客様がいたら失礼になります。そこで、昨日は、早めに出かけて、外に中止の張り紙を出し、土砂降りの雨の中で弟子の前田を立たせて、来るお客様に断りを言わせました。弟子とすれば、こんなことは人生で初めての経験でしょう。

 しかし致し方ありません。本来なら、公演をしたいのです。でも公演ができないのです。費用と、時間をかけて、公演を達成しようとして活動しながら、中止は誠に酷です。やむを得ないことと知りながらも、無情の雨は降り続けます。

 玉ひでの社長は、「このままでは店は持たない」。と言います。玉ひでは270年近く続いている老舗です。今日までも営業している料理屋で東京で一番古い店です。連日一時間待ちの行列のできる店です。然し、今では行列はできません。見ていても、ぽつりぽつりとお客様が入って来る程度です。広い入れ込みの座敷は満席にはなりません。

 毎月1000万円の赤字が出ているそうです。「5千万円までは何とか出せても、そこから先はもう出せません。こんな状態が年末まで続いたら、もうおしまいです」。人気の玉ひでさんですら、そんな状態です。東京中の飲食店はこの先一体どうするのでしょう。「仮に銀行から借り入れをして急場をしのいだとしで、非常事態が解禁になったとして、それからすぐにお客様が戻るとは思えません。案外長く尾を引くのではないかと思います。そうだとすると、銀行から借り入れることが果たして正しい事かどうか。店の将来を思うと躊躇します」。

 この悩みは玉ひでさんだけの話ではないと思います。小さな焼き鳥店を経営する親父さんでも、同様な悩みだと思います。今は自己資金で何とか赤字を補填しても、この先、無理して借りて仕事が成り立つかどうかの判断は大きな岐路であろうと思います。

 こんな時に政治は何をすべきなのでしょうか、本来なら、「大丈夫、心配はいらない。景気が元に戻るまで面倒を見ます」。と言える政治家がいればいいのですが、小池都知事は、毎日感染者の人数を語ることにのみ専念し、不安を煽ることにのみ全力を尽くしています。そこから先の話は一切しません。

 コロナウイルスの感染者、死者だけとらえて、昨日も死んだ一昨日も死んだと言えば一大事に聞こえますが、全く無意味です。日本は1億3000万人も人が暮らしています。毎日毎日、癌で亡くなる人、心筋梗塞で亡くなる人、肺炎で亡くなる人が、何百人、何千人もいます。その中でコロナウイルスの死者は、死者のベストテンにも入っていません。なぜあえてそんなことを言うのですか。

 安倍首相は、マスクを二枚配って、30万円の支援金を10万円に切り替えて、10万円がいいのか、30万円がいいのか、よくわからないまま、そこから先にどうするかの話がありません。国民は10万円も30万円もいらないのです。国民は乞食ではないのです。

 そんなことよりも、非常事態宣言を取りやめることが第一です。そして、この先に支払わなければならない事業税などを大幅に減額する話をすべきでしょうし、消費税は3年間くらい取りやめる話をすべきです。しかしその話はありません。

 野党はどうしましたか、次の首相となるべきお方はなぜ経済の処方箋を出さないのですか。今、解決策を示さずして、次のリーダーになれますか。後世の歴史から見たなら。コロナウイルスの非常事態宣言は、生類憐みの令以来の誤謬になります。一刻も早く中止することです。これでは人は生きては行けません。人を死に至らしめるのはウイルスだけではないのですから。