手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大波小波がやって来る 9

 マジックで、立てた竹の棒を腕の脇の下に挟み、90度体全体が真横になって、さながら棒の上で昼寝でもしているような姿をして浮遊する芸を、人体浮揚と言います。この芸は、江戸時代から既にあり、江戸の頃はこれを邯鄲夢枕(かんたんゆめまくら)と呼んでいました。

 

 中国の唐の時代、趙(ちょう)という国の首都、邯鄲に役人になろうと盧生(ろしょう)と言う若者がやってきて、勉学に励みます。ある日、尊敬する先生から、何でも出世が叶う本と言うものを借りて来ます。下宿で、飯炊きがお粥を焚いているときに、うつらうつらとして来て、その本を枕に微睡(まどろみ)ます。

 すると、盧生が官吏に合格し、家族を呼び寄せ、良家から嫁をめとり、子ができ、五十年先まで数々の幸せな人生を体験し、一生を終えたところで、ふと目が覚めます。

 あたりを見回すと、飯炊きの炊く飯はまだ炊けてもいません。自分が50年の栄耀栄華の夢を見ていた時間と言うのは、実は、飯を炊く間のほんのわずかな時間であり、そのわずかな時間の幸せを手に入れるために、必死になって勉強している自分が虚しくなります。盧生は虚無感に襲われ、全てを捨てて旅に出るのです。

 邯鄲夢枕は、午炊の夢(ごすいのゆめ)と同じ意味です。厳密にいえば、話の前半、うたた寝をして、栄耀栄華を見るところまでが邯鄲夢枕です。そのあと目覚めて虚無感に陥るところが午炊の夢と言うことになります。午炊とは、昼飯で、午炊の夢とは粥が炊き上がるまでのわずかなうたた寝を言います。

 邯鄲夢枕もわからないのに、午炊の夢が出て来られては多くの方々は迷惑すると思います。何のことかと面食らっている方に順にお話ししますと、邯鄲とは趙(ちょう)の国の都です。今日なら東京と捉えてもいいと思います。夢枕は、寝るというよりも、うたた寝とか微睡(まどろみ)と捉えていいでしょう。つまり「邯鄲夢枕」とは「東京でのある日の微睡」という意味です。

 恐らく盧生は地方から出てきた真面目な青年だったのでしょう。その青年は、道士呂翁(どうしろおう)。呂翁先生に出会います。この先生が栄耀栄華が思いのままになるという本を盧生に貸してくれます。ここのところから話が怪しい展開になります。

 さしずめ、まじめに受験勉強をしようと地方から出てきた若者に、マジックを見せる先輩がいて、若者がマジックにのめり込んでゆくうちに、「こうしたらマジシャンになれる」。と言うハウトゥー本を貸してもらったようなものです。恐らく若者は、呂翁先生と別れた後も、下宿に帰る道々、ハウトゥー本を読んだのでしょう。そして、下宿に戻って、飯が炊きあがる間に、微睡みます。今、受験勉強をしている先に何が待ち受けているかを夢想したのです。夢の中では実際出世をして行き、多くの幸せを手に入れます。それは本来これまで自分が望んでいた道です。

 やがて目が覚めて、若者はこれまでの価値観を疑い始めます。人の一生の短いこと、見ていた夢の小さいこと、自分自身が意味があると思ってしていたことが本当に意味があるのかどうか。科挙の試験も、国という考えも、出世も栄誉も、確たるものは一つもなく、絶対などと言うものはかけらもないことを知って、虚無感に陥ります。

 そこから先、マジシャンになって行ったかどうかは知りません。しかし、生きているうちには、ある日突然価値観が変わることは多々あって、昨日まで絶対と思っていたことが、翌日には全く無価値になってしまうことも実際にはあります。その逆に、今までは思いもよらなかったことが急に価値が出て来て、自身の人生が変わったり、それにつれて周囲の人の見る目が180度変わってしまうこともまた多々あるのです。

 私は舞台で邯鄲夢枕を度々演じましたが、私がこの話を面白いと思うことは、若者の盧生が、うたた寝をする前と、その後とでは、飯炊きしている人を見る目から、人生から、世界観がそっくり変わってしまうことです。それを舞台で表現できたなら、マジックは優れた芸術に昇華するのですが、相当な才能を要すると思います。

 

 盧生の見た夢の後先ではありませんが、今、東京は、1月に見た景色と全く別の世界になっています。誰が今の東京を1月、2月に予測ができたでしょうか。そしてこの先はどんな社会になるのでしょうか。みんなが不安におののいています。

 昨日、ある医者は、テレビで、このまま行けば感染者は40万人になる。と言っていました。本当でしょうか。私は嘘だと思います。今は既にウイルスは減少方向に向かっているはずです。陽気がよくなればウイルスは自然消滅します。元々大騒ぎするような話ではありません。コロナウイルスは風邪なのです。しかし手妻師が嘘だと言ったところで誰も信用しないでしょう。思い付きで言っているだけだと思うでしょう。

 そうではないのです。今現実の死者の数を見てください。どう考えても爆発的に増大しているとは言い難いものです。死者は出ています。しかし世間が大騒ぎをするような数でしょうか。確かに感染者は連日増えています。それは事実です。しかしなぜ感染者が増えたのでしょうか。

 それは連日テレビで不安をあおるから、我も彼もと病院に行くのが最大の原因です。病院に出かけることで、院内感染が増えます。また、その行き来で電車に乗り、バスに乗って、また感染者を増やしているのです。テレビが大騒ぎする前は感染者もごくわずかだったはずです。医者は「病院に来るな。来ても直せない(特効薬がないから)。家にいて寝ていろ」。と言っていたのです。それを守っているうちは決して感染者は増えなかったのです。

 世間が騒げば騒ぐほど感染者は増えます。それをマスコミは、「ほら、こんなに感染者が増えています」。と連日、150人、180人と感染者の数をグラフで知らせます。なぜ増えているのかその原因は誰も言いません。原因はマスコミが煽るからです。マスコミが感染者を増やして、マスコミがことさら話題を作っているのです。しかし、ほとんどの感染者はその後治っているのです。亡くなる人もいますが、無くなった人は他の病気と併発して無くなる場合がほとんどです。死者の実数はわずかです。健全な人は風に敗けることはありません。これまでの歴史を考えても実際そうだったではありませんか。

 こんな社会を見ていると、虚無的な思いに陥ります。みんな何がしたいのかと思います。パチンコ屋さんの混雑を認めて、性風俗店を野放しにして、山手線や、中央線を走らせて、ホームセンターや町の商店街はそのままで、何が非常事態宣言なのですか。

 補償金を出す出すと言いながら、30万円を出すと宣言したり、ひっこめたり、昨晩は安倍首相が10万円を出すという話をしていました。仮に毎月10万円もらっても、借金の利息にもならない現状を考えれば、国は何を考えているのか見当もつきません。結局これではマスク2枚と同じ次元の話です。

 問題は、何十年も続けてきた商店や、企業が倒産してしまう現実です。コロナウイルスの見舞金を貰ってもどうにもならないのです。停滞してしまった経済の立て直しの資金が必要なのです。ここを真剣に考えて資金提供をしなければ、この先の日本が機能しなくなってしまいます。30万円ならいい、10万では足らないという話ではありません。

 こんなくだらないことで大騒ぎをした結果、国が崩壊しては元も子もなくなってしまうのです。利息の国負担。支払い5年間の猶予。大きな貸し出しをしないと危ない状況に来ています。早くどなたか力のある方が気付いて先手を打ってくれませんか。