手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大波小波がやって来る 8

 今は連日、マジックや手妻のアイディアを考えることと、実際に小道具を作って、連日稽古をしています。これはこれで日々、新しいことが生まれて新鮮です。こんな時こそ、例え3分の演技でも新しい作品ができたなら、それは自分の財産になります。そう思うとコロナウイルスのために暇だとか、何をしていいかわからないなどと言うことはありません。やるべきことは山ほどあります。

 昨日から、弟子の前田君は蒸籠(せいろう 関西では宝箱とも言います)、の稽古を始めました。蒸籠は筒抜けの木箱で、中を改めているうちにハンカチが1枚、2枚と出て来る手妻です。現代の感覚からすると、およそインパクトのない、さえないマジックです。しかし手妻の世界では最も重要な演目の一つです。

 無論、弟子に入ってすぐ教えられる作品ではありません。一年二年と修行した後に覚えるものです。なぜなら、蒸籠には細かな型が残っていて、その型をこなすためには日本舞踊の要素が必要だからです。

 シルクを只出せばよい、ただ消せばよいというものではなく、見ているうちに明治や江戸末期の芝居小屋に入り込んだのではないかと錯覚してしまうような、およそ現代では見ることのできない世界を覗き見ているような、独自の幻想をお客様に創造させることに蒸籠の面白さがあります。ここをわかって演じないと、ただ小さなシルクが出現するだけのマジックになってしまい、面白くも何ともない古臭いマジックになります。

 

 晃太郎に教えた時も、大樹に教えた時も、初めはあまり稽古をしたがらなかったのですが、型を細かく指摘しながら教えて行くと、徐々にその面白さに気づいてきて、「蒸籠っていい手妻ですねぇ」。と言い出すようになります。

 そうなんです、蒸籠の面白さはすなわち手妻の深さにつながります。引出しにしろ袖卵にしろ、真田紐にしろ、おわんと玉にしろ、型の中に旨味を感じるようになると作品から離れられなくなるのです。そうした手妻の要となる作品が蒸籠なのです。前田君は蒸籠が習えて嬉しいようです。およそ私との縁がなければ、彼自ら蒸籠を稽古しようとは考えもしなかったでしょう。人のつながりの面白さと言うのはそこにあります。全く予想しない世界観を第三者が持ち合わせていて、人の縁から、それを習うことで人生の幅が広がって行くのです。手妻の価値はそこにあるのです。

 

大波小波がやって来る

 私の人生の中で、バブルがはじけたことによる大不況は大きな人生の転換になりました。平成5年。イリュージョンの仕事はなくなり、イベント会社は激減し、世間で景気のいい会社がほとんど見当たらなくなりました。6年前、天皇陛下が倒れられて仕事が激減したときも困りましたが、それは半年のことでした。しかし、バブルの後遺症はいつまで続くのか見当もつきません。銀行や、大きな証券会社が倒産しました。私の会社などはいつ無くなっても誰もなんとも思われない状況です。

 私の唯一の活路は水芸でした。水芸をもとに周りを固めて行けば生き残れると考えました。話は前後しますが、平成3年に和風イリュージョンと言う一連のイリュージョンショウをこしらえました。宝船(大きな船から次々に女性が出てきたり大きな扇子が出たり)、行灯(大きな行燈に女性の影が映り、女性の首が伸びる)、邯鄲夢枕(浮揚)、剣刺し(箱に入った女性に剣を刺し、無事出現)。これら一連の作品は水芸の前に演じると、大きさのバランスがよく、よく受けました。

 しかし、手順の展開がいわゆるイリュージョンショウでしたから、和の要素が希薄だったのです。もっと和を和にしたいという私の思いとは逆行しました。

 そんな中、平成6年に芸術祭に参加し、二度目の芸術祭賞を受賞しました。然し私自身はとても納得できるものではありませんでした。このころから今演じている傘手順や、蝶の手順を真剣に考えるようになりました。収入の少ない中で新作の手順に投資してゆくことはとても苦しい事でしたが、ここを通過しない限りこの先の成功はないと思っていましたから、とにかく必死で手順作りをしました。

 こうした中、平成7年に阪神淡路大震災が起こります。これには随分苦しみました。バブルの後遺症が収まらぬ中の大地震ですから、日本中のイベントに投入する予算がそっくり阪神地域の災害費用に回され、どこの地域のイベントも軒並み中止です。せっかく芸術祭賞を取っても、どこからもご祝儀にイベントがいただけません。きっとほかの芸能人もずいぶん困っただろうと思います。

 傍から見たなら私は、会社を株式にし、ビルを建て、娘ができて幼稚園に入り、芸術祭賞を二度受賞し、全国の大きなイベントばかりを手掛け、弟子がいて、アシスタントがいて、と、何ら不足のない安定した人生を送っていると思われていたでしょう。

 しかし、その実。バブルがはじけて、銀行から借り入れをしたローンが払えず、弟子やアシスタントの給料が払えず、新しい手順は遅々として進まず、自宅兼会社のローンは払えず。頼みの仕事も、一月の阪神淡路地震で、5月の連休も、八月のイベントも飛んでしまい、明日倒産してもおかしくない状態でした。

 そんな中で、銀行から新たな借り入れをしたりして、とにかく急場をしのいでいました。確実に言えることは、もうイリュージョンという枠の中で活動することには無理があるということでした。つまりイベントを頼っていてはあまりに不安定だと気づいたのです。ではどうしたらいいのか。そこを私は随分悩みました。

続く