手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ジャパンカップ2020

 田代茂さんが提唱して始まったジャパンカップが、今回、JCMAから離れて、新たに日本マジックファンデーションと言う組織を立ち上げて、引き継がれることになり、第19回目のジャパンカップが帝国ホテルで開催されました。

 

 私はプレゼンターとして出席するため、和服で伺いました。和服なら車で出かけたほうが、行き来に好都合なのですが、恐らくパーティーでアルコールが出ると思いますので、電車で伺いました。ところが、中野を出て、新宿に近づくと、電車は止まりました。吉祥寺駅での人身事故を知らされます。そのまま電車は30分ストップ。これでは遅刻です。やがて電車は動き出し新宿駅に、そこからすぐに総武線に乗り換え、7時15分のパーティーの開会から遅れること10分、帝国ホテルの会場に入りました。

 参加者は30人ほど、ゲストショウのHIRO SAKAIさんが演技をしていて、そのさ中に私は客席に着きました。そのあと表彰に入りました。

 先ず感謝状。小林洋介さんが組織に寄付をしてくれました。会長の田代さんから感謝状が贈られました。

 NMF(日本マジックファンデーション)フェローシップ賞、淵脇洋介さん、こちらは私は存じませんが、FISM東京を誘致しようとした際によき協力者になってくれたそうです。プレゼンターは弁護士の小野智彦さん。

 功労賞は、ジャグリングの謳歌さん。トゥルーアクトの主催者です。プレゼンターはメイガスさん。とてもいい顔合わせです。

 著述、放送文化賞、ROUTE13。テツヲサン、シンゴさん、maguraさんの三名。マジックのアイディアをテレビ番組などに提供している。プレゼンターは滝沢敦さん。

どんな形であれ、マジックを生かして生きて行くことは素晴らしいと思います。

 ベストクロースアップマジシャン賞は、高橋匠さん。地味な活動ながら黙々とクロースアップを演じ続けてきた高橋さんが認められたことは素晴らしいことだと思います。但し高橋さんは仕事で出席できませんでした。もし出席できないのであれば、翌年の受賞でもよかったのではないかと思います。優秀な活動をしているクロースアップマジシャンはまだ何人かいるはずですから、急ぎ高橋さんに渡す必要はないと思います。

 新たに出来たこの会の意義を高めるうえでも、受賞者が出席をすることを原則に、賞を渡すべきでしょう。プレゼンターは二川慈夫さん、代理受賞者は小林恵子さん。若手を讃えるためにやってきた二川さんには失礼な結果になってしまいました。

 マジシャンオブザイヤー賞は、原大樹さん。黒紋付の和服の正装で受賞に臨みました。プレゼンターは私です。原さんは、若手の中でも、しっかり稼いでいるマジシャンで、いい仕事をして、実績を残している人です。こうした人が認められることはむしろ当然なことで、この先一層飛躍することを望みます。但し、私はここで、「若くして成功した人は、30代で次の自分の目標が定めにくく、そのまま消えて行く人もいます。そうならないためにも、この先、しっかり目標を立てて活動してください」。と申し上げました。

 なんでそんなことを授賞式に申しあげたのかと言うと、実際、去年、私が主宰したビッグセッションにゲスト出演して頂いた際も、原さんが何か悩んでいる姿が感じられました。10代の頃に作った手順が、今演じると、何となく今の自分にはぴったり来ないのでしょう。芸が未熟なうちはそれで十分拍手が来たのです。しかし、いろいろ分かって来ると、芸能の難しさを知ります。さてそうならどうするか、ここで思い悩みます。

 

 私は、人に色紙を頼まれるとよく、「昨是 今不是」とかきます。「さくぜ、こんふぜ」。どう言うことかというなら、昨日までならそれでいい。今日からはそれではだめだ。と言うことです。私のように、古典奇術をしているものは特にそうなのですが、古いことをそのまま演じていてもそれで生きていけるのです。然しそれを続けているとある日、観客がいなくなり、仕事がなくなります。

 それがなぜなのか、それは、世の中の流れ、自分の心、お客様の目、一つとして固定されたものはないからです、すべてが微妙に動いています。動く世の中に対して、古典奇術だけが動かないというのは正しくありません。古典であってもやはり動かなければ生きては行けないのです。それには自分自身が自分の演技を「おかしい」、「このままでは取り残される」。と、気づかなければいけないのです。気づいたなら、すぐに行動に出て、マイナーチェンジをしなければならないのです。そうしなければ古典と言えども生き残れないのです。

 芸能で生きるものはそこを常に考えていないと、ある日世の中からとんでもなく離れたところにポツンと置き去りにされた自分に気づきます。その時全てが終わります。

 そうならないために、自分自身が、もう今のやり方では通用しないと気が付く感覚が必要です。世の中で成功している人の多くは、自分を変えられる人です。ピカソなどはそのいい例です。人生の中で何度も作風を変えて行き、それぞれが話題となり、常にトップを維持し続けてきました。北野たけしさんなどもその一人でしょう。一つの成功にこだわらず、次々に新しいジャンルに分け入って挑戦する、こうした人は人から尊敬されます。原大樹さんも、そうあって頂きたいと思います。

 

 パーティーはその後会食があり、帝国ホテルの中華のコースを着席で十分楽しんで、解散となりました。今回の催しで、田代さんは随分散財したことと思います。昨年は色々なことがありましたが、何があってもめげずにマジック界に貢献してくださる田代さんは立派だと思います。

 特に人を認める行為を19年間続けてきたことは素晴らしく、その年月から、この行為は本物であると、誰もが認めざるを得ません。極めて大きな足跡を残した人として、マジック界は田代さんの名前を深く記さなければならないでしょう。

 私はNMFの活動には、何かあればいつでも協力したいと思います。