手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

蝶が舞い 水立ち昇り 江戸の夢

 最近色紙を頼まれるとこの言葉を書いています。川柳のつもりですが、別段川柳を勉強したわけでもなく、全く素人芸ですが、絵柄が感じられますし、特に春の景色としてていいのではないかと思い、書かせていただいています。

 蝶とは文字の通り、蝶のたはむれです。紙で作った蝶が、扇の風に乗って、ひらひらと舞っているさま。まさに春景色です。水立ち昇りは、水芸で、湯呑から一本の水が、天に上る龍のごとく、すっと立ち昇って吹き上がる様を七文字にしました。水芸は、舞台一面菖蒲(あやめ)の花を飾るのが決まりですので、これも春景色です。

 蝶も水芸も、江戸時代のお客様はそこに別世界を想像して、舞台を眺めていたのでしょう。まだ私の娘が三歳くらいの時に、舞台の袖に椅子を置いて娘を座らせておくと、私の水芸を見ながら、水芸の音楽に合わせて、足を左右に振りながら、きゃっきゃと笑いながら水芸を見ていたのを思い出します。言ってみれば手妻は、蝶と水芸の中に全てが語られています。そして私の人生も、ここに集約されています。

 

 さて、今まさに春を迎えて、人の心は華やいできているはずですが、どうしたものか、江戸の夢をお見せする場がありません。水芸の仕事も中止になってしまいました。

 昨日は、その水芸を演じるために、久々道具を出して、朱の欄干を組み立てました。私のアトリエでは水芸の装置を並べきれませんので、表の道路に出して組み立てます。表の道はめったに人が通りませんので、水芸の稽古には最適です。時々郵便屋さんや、宅急便の車が通るくらいです。

 水芸はしばらく演じる機会はありませんが、昨日は随分前から稽古日を決めていたため、スタッフが集まり、一日稽古をしました。水芸は通常、太夫の私と、才蔵役の前田、それに菖蒲の精が二人、和田奈月と、穂積みゆき、それに後見一人、五人で演じます。みんな浴衣を着て、装置をセットして、少し寒かったですが、外で何時間か稽古をしました。

 半年くらいの空白があって、久々、装置を出してみると、あちこちで道具が古くなっていて、故障がみつかりました。道具はいったんアトリエの名kに入れておいて、来週、修理をすることにしました。

 奈月も、仕事がキャンセルになって困っています。何とか助けてやりたいとは思いつつも、私自身がこの先どうなるかわからない状況ですので、大した協力もできません。

歯がゆい思いをしています。

 

 私は31歳の時に。装置を松旭斎天暁先生から譲り受け、それをほとんど旧来の形をとどめないほどに改良を加えました。と言っても外見だけを見たなら変化はありません。中の装置が全く違います。実は私の水芸は、内部の仕掛けに二つの特許が入っています。従来のものとはまったく違った作りなのです。

 手順も、極力同じ振りは排除し、口上をやめて、スピードアップを図りました。昔の初代天勝の演技は、水芸だけで30分くらいかけて演じていたのですが、現代の感覚で言ったら、一芸30分は長すぎます。私の水芸は正味10分間です。その10分を四つの章に分け、第一章が、水改め。第二章が、才蔵の頭水。第三章が、菖蒲の踊り。第四章が、綾取りの段と大水。それぞれが2分30秒程度にまとめてあります。

 これだけの大道具を持って来て、舞台を拵えるとなると、演者の思いとしては、どうしても20分や30分演じたいという気持ちにはなるでしょう。しかし、ここが舞台人のセンスだと思います。あえて、10分でさっと切り上げるところが奢(おご)りなのです。長く演じたならお客様は退屈します。面白そうなことが次々に起こって、あっという間に終わる。そこに江戸の夢があるわけです。

 

 水芸を筝曲の伊藤派家元、二代目、伊藤松超先生に作曲していただきました。全くの新曲です。33歳の時のリサイタルで音楽と、水芸の演技を披露し、芸術祭賞を頂き、以来、基本的にはその形が今日までずっと維持されています。

 私の水芸は、全方向を囲まれても、ホースもポンプも見えません。外から水を引き込むこともしません。サッカー場の真ん中でやって見ろと言われてもできるのです。30歳の時の私は、古典奇術を残すためには、来る仕事を断らず、どこでもやって見せなければ手妻は生き残れないだろうと考えていました。そのため、360度囲まれたところでもできる水芸を考案したのです。

 今回演じる予定だった、国立劇場の正面玄関前も、野外ですし、しかも横からお客様がご覧になりますので、むしろ、劇場で見るよりも、仕掛けが見えないため、より不思議に思うのではないかと思います。今考えてみても、30代でどうして、それだけの集中力と、アイディアが次々と出てきたのかわかりません。同じことを今して見せろと言われても恐らくできないと思います。30代のパワーと言うものは別格だと思います。

 私は自分の人生を考えた時に、30代で水芸を作り上げたこと、そのあと40代で今の蝶の芸を作り上げたことがその後の成功につながったと思います。自分の体力がまだ十分な時期に、徹夜などを繰り返して、一つのことを完成させられたことは大きな成果につながります。そして、同時に頭の柔らかいときに集中力を持って創造活動をすれば、その道での成功は手に入ると思います。

 逆に言えば、体力も想像力も十分な時期に、遊んでしまったり、他の仕事をしていたりすると、中年以降が花開かなくなるのではないかと思います。

 その後、水芸は私の舞台活動を大いに助けてくれました。水芸一本演じると、収入が大きいものですから、ちょっと仕事の少ない月があっても、年間トータルすると、必ず前年を上回る収入があったのです。水と蝶は、どれほど私のチームを豊かにしてくれたか、計り知れません。

 それが今年は、なかなか演じる機会がありません。でもここで腐ってはいけません。仕事があってもなくても道具の修理をして、稽古をすることが大切です。いつでも頼まれたならすぐにできるように、私しか演じることのできない手妻の数々を何としても残していって、江戸の夢を次に時代につなげて行かなければいけません。何があっても休むことなく活動をしています。