手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

自粛と言う名のフォース(強制)

 昨日コロナウイルスによるイベント自粛について書きました。一夜明けると、その流れは一層大きくなっていました。パヒュームや、エグザエルや、米津玄師の公演が相次いで中止になっていました。スポーツの国内大会なども中止です。出演者やお客様の希望は後回しで、公演を中止しなければならない状況に追い込まれています。

 そうこうするうちに、安倍首相が、スポーツ大会や公演活動は二週間は自粛しようと言う発言が出ました。首相が言えば、自粛ではなく、強制になります。カードマジックの技法で、「どれでも1枚お取りください」。と言って、お客様が自由にカードを引いたつもりが、実は、マジシャンが予定していたカードを引かせてしまう技法をフォースと言います。首相の要請は、まさにフォースです。

 有名タレントは別段数本のイベントが無くなっても生きては行けるでしょう。しかし、イベントや国際大会に関わる音響照明、舞台、ダンサー、場内整理担当のアルバイト、売店の販売員、そうした人たちは日当仕事です。彼らにすれば死活問題です。弱者の生活も考えず、ただ無責任にイベントの中止を要請して、それでウイルスが撃退できると本当に考えているのでしょうか。

 昨日私は、「本当にウイルスを撃退したければ、山手線を止めたらいい」。と申し上げました。東京や大阪を閉鎖して、二週間活動を休止すれば、拡散は防げます。「まさかそんなことはできない」。と言う人もあるでしょうが、現に中国の武漢は完全に町を閉鎖しました。仮にエグザエルのコンサートに観客が殺到すると言っても、山手線の混雑時の乗車率とは比較になりません。山手線、中央線、京浜東北線を毎日走らせておいて、高々2千人のライブを中止させて、本当にウイルスが根絶できると考えているのでしょうか。政治家や役人が、音楽や、芝居を自粛させて、「自分はこれだけのことをしている」。と見せかけているパフォーマンスとしか思えません。そんなことをするよりも先に、通常の町の病院で、ウイルスの検査ができるようにすることのほうが第一優先ではないのですか。

 

 

 昭和63年、夏に天皇陛下昭和天皇)が倒れられました。するとどこからか、イベント自粛がささやかれるようになります。やがて、陛下の病状が長引き、9月に入ると、毎日、ニュースで、陛下の病状が語られるようになり、秋口からのパーティーや、イベントが次々に中止になってゆきます。

 結婚式を先延ばしをする人が出たり、会社の催しを取りやめたり、それがいつまでたっても先が読めないため、世間が重苦しい雰囲気になっていました。悲鳴を上げたのはホテルでした。秋から正月にかけてパーティーや結婚式が目白押しの状況だったものが、どれも中止や延期になって行きました。時はバブルの真っ盛りで、私のチームも忙しかったのですが、次々にかかってくる仕事の依頼が、9月に入ると、すべてキャンセルの電話に変わって行きました。

 それを見かねて、皇太子殿下(平成天皇)がテレビで、「過剰にイベントの自粛をすることは好ましくない。平常通りの生活をしてもらいたい」。と仰ったのです。正直私には有難かったです。その皇太子殿下が、天皇陛下になり、そして、30年で退位したときに、私は、「あぁ、昭和天皇がいきなり病気になって、しかも半年近く自粛が続いたことを、平成天皇は憂慮されていたんだな。それ故、退位と言う特殊な形で平成を終わらせようとしたんだな」。と得心しました。誠に平成天皇は聡明な方だと思います。

 陛下は翌1月7日に亡くなりました。年末も正月のイベントもすべて消えました。もしあと3か月病状が伸びていたなら、東京イリュージョンも無くなっていたでしょう。

 

 話を戻して、今の状況は、無責任な自粛要請があちこちで聞かれます。こんな形で自粛されれば、生活に困る人たちがたくさん出てきます。国や地方自治体が、催しや、国内大会に、しっかりとした保証を出すなら、自粛要請やむを得ないですが、口だけ要請をして、その要請が、実はフォースで、保証もないと言うのでは、弱者いじめであり、コロナウイルスの撲滅とは全く違った答えしか導き出すことはできません。

 昭和が終わりかけた30数年前に起こった自粛騒動が、またぞろ令和に時代になって起こったことにおぞましさを感じます。日本列島丸と言う船に乗っていながら、その中で、誰か弱者を見つけて、みんなで責任を押し付けているのです。芸人やミュージシャンが、踊ったり、芝居をするのは遊びではありません。それをしなければ生きては行けないのです。今は、人が生きて行くと言う、最低限の人権すら守られていません。

 コロナウイルスを、イベント中止のニュースですり替えている姿は、体の弱い子供、自己表現の苦手な子供を、ストレスのはけ口にして、みんなでいじめているクラスの行為とどこが違うのですか。

 

 ちなみに、昭和の天皇陛下の自粛の時に私が何をしたのかをお話ししましょう。まず先行きが読めないことで私は悩みました。そんな時に知人の漫画家の海老原たけし(マイッチングまち子さんの作者)さんと町でばったり出会いました。彼はこまめに不動産投資をしていました。私が天皇陛下の自粛でこの先の資金が足らないと言うと。「住んでいるマンションを担保にお金を借りたらいい」。とアドバイスを受けます。私は自分の暮らしている中古マンションに担保価値があるとは思いませんでしたが、試しに銀行に行って、500万円の融資を頼むと、二つ返事でOKが出ました。

 嬉しくなって、その金をアシスタントの前で見せて、「これで半年は仕事が来なくても給料は払える」。と、みんなを安心させました。実は前から10月にはリサイタルをしようと会場も借りていました。しかし、一回のリサイタルに軽く百万円の出費が出ます。仕事がない時期だからやめようかと考えていたのですが、銀行の借り入れが成功したため、やることにしました。そのうちに、琴の家元、伊藤松超先生から、依頼した水芸の音楽ができた。と電話を頂きました。それなら、秋のリサイタルで生演奏で新曲発表をしようと話がまとまり、水芸を、8人の邦楽の生演奏ですることになりました。

 この間、練習室を借りてみんなで稽古をしました。それまでは、頼まれた仕事の手順の時は稽古をしていましたが、今回は全く目的もないまま、思いつくままに稽古をしたのです。時間はたっぷりあります。じっくり考えながら、一つ一つ稽古をしました。私は、それまで、ただ現象をつなぎ合わせればマジックになると考えていました。鳩の演技も、なぜ鳩を出さなければいけないのか、そんな基本的なことは考えませんでした。それが、深くマジックを捉えることの必要性に気付いたのです。すると、自分の演技の思い違いや、アシスタントの使い方の間違いなど、色々なことが見えてきたのです。

 

 そうして稽古をした上で、文化庁の芸術祭参加公演でリサイタルをしました。これが受賞につながりました。受賞の報告は、12月1日に来ました。34歳の私の誕生日でした。私は、アシスタントや、女房をレストランに招待し、フランス料理のフルコースをご馳走して、受賞を祝いました。

 あの時、お金がないからと言って、リサイタルをやめていたなら、この成果はつかめなかったでしょうし、仕事がないことを泣いてばかりいて、一からマジックを考えなかったなら、その後、ロジカルにマジックを考える習慣もつかなかったでしょう。琴の家元や、周囲の人の善意を大切にしてきた結果、今もお付き合いは続いています。

 

 あの時の状況に今は酷似しています。この先、どんどん舞台の仕事が切れてしまうようなら、また一から初心に返って、マジックの稽古をして行こうと考えています。但し、無責任な自粛要請は断固として抗議し、突っぱねようと決意しています。

 

福岡マジック、手妻指導

 今月、29日、3月1日、福岡に行きます。マジック、手妻を習いたい方がいらっしゃったら、ご指導いたします。事前にご連絡ください。

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東京イリュージョンまで。