手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

九奇連開催中止

 さて、今週末、29日、3月1日、月をまたいで二日間開催される予定だった九州奇術連合会が、突然開催中止になりました。そのことでこのところ忙殺され、ブログも出せなくて失礼いたしました。

 公演中止は九奇連だけではありません。私のスケジュールの中で3つほど舞台の仕事が消えてしまいました。この先、自粛と言う名のイベント取りやめが相次いで起こらないとも限りません。そこで、この度のコロナの自粛について私見を申し上げます。

 

 先ず。コロナウイルスのために舞台や、イベントを自粛すると言うのは全く無意味です。それはポーズ以外の何物でもありません。そしてその結果に起こることは、先行きの見えない不安と、日本の大不況につながります。人の不安をあおるようなことを国や、地方公共団体がしたり、それに同調して、イベント会社や芸能人が進んで自粛することは、むしろコロナウイルスの不安を一掃煽る結果となり、何一つ問題解決にはつながりません。 私の言うことを嘘だ、間違いだとおっしゃる人がいるのら、以下のことをよくお読み下さい。

 

 多くの人は、横浜港に係留した豪華客船、ダイヤモンドプリンセスに留め置かれた乗客が次々に感染して行った状況を見て、「あんなところに長いこと抑留されたら、みんな感染者になるのになぁ。病気の種を培養しているだけではないか」。と思いませんでしたか。でも、よく考えてみてください。我々は日本列島と言う名のクルーズ船の中で毎日生活しているのです。我々こそ狭いスペースの中で病気を培養させて生活しているのではありませんか。

 ダイヤモンドプリンセスの中にいる人を気の毒と言う前に、自分自身が抜け出すことのできない日本列島の中で生きていることに気づくべきです。

 多くの日本人は日本列島から離れることはできません。いくらウイルスに気をつけろと言われても、何をどう気を付けるのですか。朝になれば満員電車に乗って会社に出かけるのでしょう。会社に着けばたくさんの人と仕事をしなければならないのでしょう。仕事が客商売なら、見ず知らずの人に接客しなければならないし、飲食店なら食事の注文も聞かなければなりません。デパートの店員、ホテルマン。ありとあらゆる職業が人と出会うことで仕事をしているのではないのですか。

 そんな中で、たまに出かけるイベントや、会合、演奏会、演劇、ショウがどれほど問題があるのですか、いや、問題だと言う人があるなら、山手線や中央線、大阪の環状線に乗ることと、イベントとどちらが安全だとお考えでしょうか。

 イベントを自粛するなどと言うことは気休めに過ぎません。本当にウイルスを蔓延させないようにするなら、山手線を止めることです。誰もが満員電車に乗らず、仕事を自粛しなければ、ウイルスははびこります。片や連日朝晩、水道の蛇口からジャージャー水を垂れ流しておいて、もう片方の蛇口からぽたぽたとしずくの垂れるのを指さして、水の無駄使いだから止めろと言うのは、満員電車には乗るが、イベントはやめろと言っていることと同じで、イベントをやめろとは誰が言うのですか。

 

 あまり使わない言葉ですが、誤謬(ごびゅう)と言う単語があります。これは一人が自身を律して生きることは良き行為であるとしても、みんながそれを真似すれば国全体が傾いてしまうと言うことを示唆した言葉です。

 例として、江戸時代には、幕府から度々倹約令が出されました。世の中が華美になると、人は衣装や、住まい、食べ物を競うようになり、貯蓄がおろそかになり、結果、風紀が乱れる。それ故に倹約をしろとお触れが出ます。法律があろうとなかろうと、個人が倹約をして生きることは美徳なのです。それを否定する人はいません。しかし、国を挙げて倹約を強制すると、やがて国は機能しなくなるのです。

 なぜなら、絹ものの着物を着てはいけないなどと言う法を出しても、金持ちは別段困ることはありません。着なければよいだけです。木綿の着物を着ればよいのです。

 日本人がみな絹ものを着てはいけないと言う法を出せば、困るのは生産者です。美しい絹の着物は、地方の大名が、地元の殖産のために、百姓や、下級武士の婦女子に機を織らせて作り、自国の産業として江戸、京、大阪に卸しています。着物が売れないとなれば、下級武士は困窮し、大名の財政も苦しくなります。同様に、贅沢禁止で、金銀細工の職人が仕事を失い。漆塗りや金蒔絵の家具や、食器が売れなくなります。

 贅沢禁止令は、金持ちの財布から金が出ないようになるだけで、本来贅沢品とは何ら関係のない、贅沢品の製作者、つまり貧しい人々から仕事を奪う結果になって行くのです。結果として、国中が不景気になります。

 誤謬と言う言葉は、一人が行動するには問題のないことでも、社会が風評や、政令にになびくと大問題になる。と言うことを表しています。

 江戸時代の倹約令が愚策だと思う人は多いでしょう。それならお尋ねします。コロナウイルス撃退のためのイベントや芸能活動を自粛することに何の意味がありますか、日本列島で生活する限り、船の中で生活しているのと同じことですよ。ダイヤモンドプリンセスが、仮に船内の食後のショウだけを自粛したなら、感染者は増えなかったでしょうか。いや、ショウをする、しないは全く関係なかったはずです。では日本列島丸は、ショウだけ自粛して、コロナウイルスは蔓延しませんか。問題の解決はそんなところにはないはずです。

 無論、消毒をし、マスクをし、人ごみの中だって出かけないようにすることは大切なことです。然しそれは個々の人が心がけることであり、国や、地方公共団体が強制したり、無責任に市民や国民を煽ることではないはずです。

 ウイルスは黙っていても陽気が暖かくなれば収束します。おかしな風評に惑わされず、いつも通りの生活をしていれば、必ずウイルスは消えて行きます。無理にマスクをする必要もありません。アルコール消毒も必要ないのです。まめに石鹸で手洗いをすればよく、くしゃみが出そうになったら、ハンカチで口を押さえたら良いのです。

 決しておかしな風評に流されず、努めていつもの生活をしていればいいのです。日本人と言う民族は、これまでもそうして生きてきたはずです。理性ある国民なら、今までの生活が正しいと言うことにすぐ気づくはずです。騒がず過剰反応をせず、冷静に生活することが結果問題解決につながるのです。

 

藤山新太郎、福岡指導

 突然ですが、2月29日、私は福岡に行くことになりそうです。以前から私から手妻、マジックを習いたいと言う人が福岡方面で、何人かいらしたのですが、29日昼から夕方まで、何人か個人指導いたしますが、ご希望の方はいらっしゃいますか。詳細はご連絡をください。