手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

御贔屓さんとのお付き合い

 ここまで書いてきたことを要約すれば、自分を支援してくれるお客様、すなわち、ご贔屓(ひいき)さんとどうお付き合いして行くか、と言う話です。支援者を募る、スポンサーを探す。こうしたことは今に始まったことではありません。私の親父でさえ、ご贔屓と言うものがあって、日に影に親父を応援してくれていたのです。

 ご贔屓は、時折、親父を呼んで、酒を飲ませてくれて、小遣いの一万円もくれました。これが一番小さなスポンサーと言えます。もう少し大きいと、自分の会社の宴会に呼んでくれて、親父に司会と漫談をさせて、ギャラと交通費をくれました。

 もっと肩入れしてくれる社長は、家の新築落成や、ゴルフのコンペ、あらゆる催しに呼んでくれて、親父を使ってくれました。こうしたご贔屓のおかげで、年間の仕事の3割4割は安定していたのです。

 ご贔屓さんたちは、純粋に演芸が好きで、特に親父の話が好きだったのです。親父は決して人にたかることをしませんでしたし、チップや祝儀を自分から求めたりはしなかったのです。社長とあちこちで散々飲んで、帰りに電車がなくなり、祝儀も交通費ももらえなくても、何も言わずにタクシーに乗って帰りました。私がそばで、「タクシー代だけ赤字だね」。と言うと、「こんな日もあるさ」。と言って清ましています。こんな時私は、「あぁ、親父と言う人は根っからの芸人だなぁ」。と思いました。

 

 名古屋競馬場の厩舎の社長は、風変わりな人で、安いおでん屋で飲んでいても、ひょっと親父のことを思い出して、電話をしてきます。「今おでん屋で飲んでいるんやが、今から名古屋に来んか」。と言われて親父は、夕方から新幹線に乗って名古屋に行きました。すると、おでん屋から、座敷に移り、そこには、競馬関係の仲間がいて、賑やかな宴会が始まりました。

 帰りには、自分の厩舎に親父を泊めて、(と言っても馬小屋ではありません)。自宅に泊めて、家族で歓待をして、翌日ギャラをもらって帰ってきました。この人が、私が藤山新太郎になった時、名古屋の大須演芸場で10日間披露をしたときに、たくさん切符を買ってくれて、連日大勢で見に来てくれました。

 この社長のすごい所は、人や物を名前や噂で判断しないのです。名のある店などと言っても決して信用せず、自分で味を確かめて、うまいとなったら何度も行きます。かなり豊かな人のようでしたが、この人の行動、言う言葉がおかしくて、随分と影響を受けました。

 例えば東京で一番うまい蕎麦屋は、「立会川駅のホームにある立ち食いそば」。と言います。常識で考えたなら、いくら立ち食いそばがうまいと言っても限界があります。しかしあえてうまいと言うところがすごいと思いますし、なおかつ、親父を連れて行って立ち食いそばを食べさせるのです。本当にうまかったかどうかは聞き忘れましたが、人を連れてまで食べに行くところが面白いと思います。あくまで自分が確かめたうえでの判断以外信用しないのです。

 

 親父のご贔屓には妖しい社長が多くて、同じ名古屋の、連れ込みホテルを経営している社長は、サイドビジネスに子分を使って、輸入物の時計を卸していました。この社長も、よく夜には錦通りに飲みに行き、かわいい娘がいると、ブランドの時計をプレゼントしたりしていました。その社長が、親父にラドーの時計をくれました。東京に帰ってきて、親父は早速私に、「どうだ、ラドーだぞ」。と自慢をします。親父は得意になって、毎日腕にはめて、会う人に自慢をしていましたが、一週間もすると、動かなくなります。

「こないだ社長にもらった時計だけどな、動かないんだよ。時計屋に持って行ってくれないか」。見ると、時計の文字盤の中でラドーのマークがはがれて、ころころと転がっています。「これは偽もんだよ。本当のメーカーなら自分の会社の文字盤がそう簡単にはがれるはずがないもの」。「嫌、社長は本物と言ったぞ。あの社長が嘘つくはずがない。」。「いや、親父よ、あの社長こそ妖しいよ。典型的にインチキ社長だよ。とにかく、自分でもらったんだから、自分で行っといでよ」。「いや、そういうなよ。1000円やるからさぁ」。言われて、私は時計屋さんに持ち込むと、時計屋さんは全く時計に触りもしないで、「なおりませんよ、偽物ですから」。 と言われ、下からのぞき込むような眼で顔を見られ、笑われました。

 帰ってから親父に、「親父ねぇ、人生でこんなに恥ずかしい思いをしたことはなかったよ。まったく時計屋さんは相手にもしてくれなかったよ。時計屋さんにすれば、夜店の時計を買った若者が、壊れたからと言って修理に持ち込んで来やがった、と言う目で見て、全く邪魔者扱いだったよ」。そう言ってもしばらく親父は、「おかしいなぁ、本物のはずなんだがなぁ」。と言って、時計を眺めていました。

 それから数か月して、親父はまた名古屋に行き、帰ってくると、「いや社長に会ってさぁ、時計の話をしたんだよ。そしたら、済まない、済まないと言ってな。あの時計の代わりにオメガの時計をくれたんだ」。と言って今度はオメガを見せびらかします。さすがに私は腹を立てて、「あのねぇ、ラドーだからダメ、オメガだからいいと言う話じゃないんだよ。そもそも、あの社長の絡む話は全て危ないんだよ。頼むからあの社長がらみの話を持ってこないでよ」。

 親父のお陰で随分妖しい社長を知り合いましたが、それでも、何か会を催すと言う時には、切符を10枚20枚と買ってくれる、いい社長でした。そんな社長と飲みに行くときに親父は、ご贔屓とどう付き合うかを私に細かく教えてくれたのです。それは今になっても役に立っています。親父のお付き合いはとても小さな経営者ばかりでしたが、今の私はそれを少し大きく、展開しているだけのことなのです。

 マジックを仕事にしたなら、マジックをしているだけで仕事が来るなんて幻想だと知るべきです。自身を売り込むことはいつだって必要ですし、縁も所縁もない支援者をその気にさせるには簡単なことでは仲間になってはくれません。然しそれをやり続けなければ生きては行けないのです。

 多くのお客様にすれば、マジシャンが生きていようと、死んでしまおうと、何の関係もないのです。あってもなくてもどうでもいいのがマジックなのです。マジックは「価値あるものだ」。「素晴らしいものだ」。と思っているのはマジシャンだけです。「世間は芸能に冷淡だ」。とか、「日本人は芸能に理解がない」。とかいう人がいますが、所詮書生論です。根本的に違います。

 世間の人はマジックに興味がないだけです。逆に考えてみたなら、マジシャンは相手の社長の会社や工場が、何を作って、どう生きているかを知らないではありませんか。すなわちマジシャンは相手に対して無理解なのです。ただ、いい所で酒を飲んで、金をもっていそうだから近づいているだけではないのですか。つまり、人は相手に対して無理解なのです。そうした人たちに、どうしたらマジックを自分事と捉えてくれるのか、

 それを考えた時に、相手の気持ちが少しでもわかると言うことは、人と付き合うにおいて大切なことなのです。せっかくご贔屓さんに興味を持たれたなら、今度は、自分が相手の気持ちを理解することが大切なのです。それが人と人との付き合い方なのです。