手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

一日稽古

 今日は朝から一日稽古をします。朝は弟子の前田の稽古を見ます。前田は前回まで双つ引出しをしていました。覚えのいい弟子ですので、どんどん進んでしまって、もう手妻だけで手順が組めます。しかし、あまり先々まで進みすぎて、前のことを忘れてしまっています。覚えのいい弟子はよくこういうミスをします。出来たと思っていると、何も頭に入っていないのです。

 今日は今まで教えたことをもう一度さらって見ます。私の指導は、私が十代に覚えた作品も出てきます。優に50年に歴史のあるマジックです。仮にそれが天海師の演技だとすればその作品の生まれた時期は100年前のものでしょう。こんな作品は若い人は見向きもしません。然し、いいのです。考え方が素晴らしいのです。いまだにこれを超える手順、アイディアは生まれてこないのです。自身がマジックの知識、技術を学ぶには最適なのです。つまり私が教えていることはマジックの古典です。

 今、大阪では午前中の基礎指導に四つ玉をしています。大阪はプロでマジックをしている若手が6人習っています。彼らは過去に一度は四つ玉を手にしています。家に帰れば道具の引き出しの中に四つ玉はあるのです。しかし、芸が地味ですから、舞台で演じることがなかったのでしょう。それを持って来させて、シルクを使っての一つ玉の発端からじっくり指導しています。

 これがいいのです。プロは日ごろ、こんなに丁寧に、パスからパームから指導を受けることがありません。どれもこれも知っていることばかりです。然し、うまくできません。なぜできないかは明らかで、とことん技法を突き詰めて考えていないのです。ほとんどのマジックはDVDなどで、外見を見ただけで盗み取っているのです。あやふやなままできると思い込んで演じているのです。

 そうしたことを3年も続けていると、自分の演技に自信が持てなくなります。何から何まで不安になってきます。心の不安をきっちり正そうと努力をするならいいのですが、不安なまま,適当な言い訳を見つけて、自分を隠して売りネタに走ります。結局誰からも相手にされないマジシャンが一人生まれるのです。

 まず、パスとは何か、パームとは何か、手順とはどうやって作るのか、基本をしっかり学ばなければいけません。それが出来なければ、アレンジもオリジナルも生まれては来ないのです。それを大阪教室で実践しています。

 今のマジシャンは、まず木製の四つ玉を嫌がります。つるつる滑るからです。然し、伝票めくりをしっかり指の間に塗って演技すれば、全く指先から玉が落ちることはありません。その上で基本技法を一つ一つ稽古をして行くと、実にスライハンドの考え方がわかります。初めは半信半疑で稽古していた若手が、「四つ玉は面白い」。と言い出すようになります。それでいいのです。基本がわかればどんなマジックも面白いのです。

 

 同時に手妻も指導します。無論、手妻こそ、この稽古処の本分です。手妻も繰り返し稽古をしていると、何が手妻なのかがわかってきます。日本文化にも全く興味のなかった人たちでも、少しずつ和の雰囲気が身についてきます。これが値打ちです。

 私は度々ブログで、鼓をやっている、日本舞踊をやっていると書いています。マジックをする人の中には、「そんなことをして何になる。マジシャンならマジックをしたらいいじゃないか」。と思う人もあるはずです。

 そうなのです。マジックだけやっていればマジックは旨くなるのです。しかし、それだけでは舞台の存在感が生まれません。マジックの道具を持っていなくても、ただ舞台に立っているだけでも存在感がある人にならなければ、仕事に招かれないのです。どこかで日本文化を理解していて、体験していないと、薄っぺらな手妻になってゆきます。

 大阪の若手はその点をこれから学んでゆかなければならないのですが、何分初手は費用のかかることばかりですから、しばらく手妻を演じて行って、そこから収入が上がってきたなら、習い事を始めたらいいと思います。

 手妻は彼らにとって全く未知の世界ですので、これもまた新しいことを次々に覚えられて面白いのです。20代にこんな時間の使い方をすれば、その人は確実にうまくなります。本来素質があって、どんどん上達して行くべき若いプロが、全く基本を知らずにネットと売りネタだけで育ってしまった結果、みんなある時から袋小路に入り込んでしまって、出口が見つからないまま廃業してゆきます。

 一度ちゃんと基本を学べばいいのです。習うことは恥ずかしいことではありません。出来ないこと、知らないことを放って置くことが恥ずかしい行為なのです。

 

 さてその後、午後からは自分の稽古です。まず傘出しをやってみます。そして蝶をやってみます。もう30年以上も続けてきた手順ですが、折々引っ張り出して、演じています。そして少し直してみます。地味な単純作業の繰り返しですが、私がやらなければ誰もこの手順を発展させるものはいません。今演じている演技が完成したものではなく、この先にもっといい作品ができるはずです。もう少し、もう少し何とかしようと思って今に至りました。まだ先がありそうです。そのための一歩を今日やってみます。

 また明日。