手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

イリュ-ジョンミュージアム

 昨日は朝8時に名古屋を立って、新幹線で大阪へ行き、10時から指導を始め、3時まで、そのあと大阪城内にあるイリュージョンミュージアムへ出かけました。

 大阪城は今までも何度か出かけています。20年前には、大阪城天守閣前で水芸を演じています。しかし、遊びに行くのと、仕事に行くのとでは大違い。大阪城内は自動車を乗り入れることができません。堀の外の道路際から歩いて、砂利道を行き、約10分。

 私は、指導の小道具や衣装を入れたスーツケースをころころ押しながら、お城の階段や坂道を歩かなければならず。こんなことなら誰か手伝いを連れてくればよかったと後悔しました。

 天守閣近くにある古い建物に到着。ここは元陸軍師団のあったところです。戦前は大阪城そのものを陸軍が使っていて、軍の設備がいろいろあったようです。師団本部は、大阪府庁並みの立派な石造りの建物です。この建物を改造して、イリュージョンミュージアムを作りました。建物の中は廊下にまでシャンデリアが下がっていて、階段の手すりなども凝って作られていて、居ながらにして昭和初年の世界が満喫できます。

 こんな立派な建物をマジックのためのミュージアムにしてもらえるなんてすばらしいと思います。さて、博物館の玄関で小原さんが迎えに来てくれていました。小原さんは京都のギアのオーナーで、同時にこのミュージアムの運営を引き受けています。まずミュージアムの中にある劇場のショーを拝見しました。

 ショーは15分の構成で、イリュージョンが3点。間にスライハンドがあって、男性マジシャンと、女性アシスタントの二人によるマジックショウです。客席は60人ほどで、なんとニ日で12回演じます。二つのチームがあって、6回ずつ、分けて演じているそうですが、それでも、ひとチームが一日6回出演です。平日は8回、つまりひとチーム4回は出ることになります。無論私には無理です。一日6回も出演したら、翌日起き上がれなくなるでしょう。若くなければできません。

 劇場のサイズは、マジックキャッスルのメインステージよりも少し小さいくらい。舞台床は低く、天井も高くはありません。しかし、マジック専用に作られていますので、見栄えはします。こんな環境を若いものに与えたなら、みんな大喜びでしょう。

 

 さてショウを見た後、いろいろと小原さんと話をしました。この人はプロジェクションマッピングで大当たりをして、財産を作り、そのあと京都の毎日新聞社の古いビルを買い取って、それを劇場に作り替えて、ギアと言う芝居をして、もう10年。10年同じ内容の芝居を、同じ劇場で演じ続けた人は、日本では小原さんを置いて他にはいないでしょう。その成功があって、関西では文化人として重きを置かれています。

 私が招かれて話をすると言うことは、小原さんが和のマジックに興味を持っていることは明らかです。私は大阪に手妻の稽古処を持っていますし、そこの若いマジシャンが5人習いに来ていますから、そのメンバーを何人かに手妻で出演させることは十分可能です。

 しかし、ただ個人個人のありもののマジックを演じるだけでいいなら簡単ですが、小原さんがもう少し高いレベルのショウを考えているのだとしたら、かなり工夫しなければなりません。そこで昨日の話し合いとなったわけですが、とにかく、いくつかのプランを考えて企画を立ててみますと言って昨日は別れました。

いずれにしましても、これから随分と忙しくなりそうです。久々小原さんと話をしたためついつい話し込んでしまい、新幹線の時間が危なくなりました。外の道に出るまでに10分。またスーツケースを転がしてゆき、腕が痛くなりました。タクシーに乗って新大阪まで。着いたら6時ちょうどでした。私の乗る新幹線は6時6分です。これは大変。急ぎ足でホームに向かい、エスカレーターを上がったら車両が到着しました。セーフです。しかし、家族にお約束で買ってゆく551の中華饅頭は買えませんでした。

 さすがに疲れました。本当は一人飲みは慎んでいるのですが、車内販売で弁当とハイボールを買い、一杯やりました。実に爽快です。松沢成文さんの書いた文庫本、二宮尊徳が4分の一ほど残っていたので、それを読み終えました。途中少し眠りましたが、実に快適でした。

 

一夜明けて、本日14日は、午後に朝日新聞の取材があります。午前中に指導の内容を整理して、間を見て道具の制作をしてみようと思います。毎日休みがありませんが、やむをえません。