手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

弟子に伝えていること

 ひと月ほど前、弟子の前田将太が、「紙うどんっていいマジックですねぇ」。としみじみ言っていました。恐らく大樹の演技を見て影響されたのでしょう。マジックマニアの前田が紙うどんの価値がわかったようです。

 私が10年前、シアタークリエで、筧利夫さんと芝居をしたとき、劇中劇で紙うどんをしました。その時のお客様の反応がものすごかったために、当時弟子で手伝っていたマニア小僧の大樹が舞台袖で見ていて、紙うどんの価値を再発見したのです。以来、大樹は自身のショウで、折々紙うどんを演じています。話は前後して、その大樹の演技を見た前田は紙うどんの威力を見直したのでしょう。

 良いことです。マジックのマニアは、決して自分が紙うどんを演じようとは考えもしないでしょう。紙うどんと聞いただけで、素人マジシャンの余興のように考えてしまいます。しかし、このマジックはマジックの根源の要素を備えています。交換改めの傑作なのです。元を正せば二千年の歴史は雄にあります。無論二千年前にうどんがあったわけではありません。

 二千年前の中国では交換改めのマジックを「変獣化魚術(へんじゅうかぎょじゅつ)」と言いました。大きな笊(ざる)の中に草鞋(わらじ)を入れて、布をして、しばらくすると子犬に変わったり(変獣)。桶に水を張り、笹の葉を撒いて布をかけると、笹が鯉に変わったりしました(化魚)。種は同じで、桶や笊や布を改めつつ、その都度、仕掛けを移して何もないように見せて、物を生き物に変えたわけです。

 これが周囲を囲まれていてもできる技で、しかも巧妙で種がわかりません。そのためこの手法のバリエーションがたくさん生まれました。まだステージマジックが発展する以前には、マジックの主流となす手法だったのです。その末裔ともいうべきものが紙うどんです。手妻をするものなら誰でも知っています。しかし、四つ玉や、カードから入ってきたマニアにとっては今更のマジックです。

 私からすれば、「前田もようやく自身が生きて行くためのマジックを前向きに見つめ直すようになったなぁ」。と感じました。プロになると言うことは実はここに気づくところから始まります。

 

 私が弟子に入ってきた人に、手順や作品を作る際に繰り返し言っていることが5つあります。順にお話ししましょう。

 

1、基本を軽視してはいけない

 今話した通りです。何百年も続いてきた作品には、続いて来た理由があります。まずそこを尊重することからマジックを学ばなければ、マジックの価値が見えません。それを古いだの、素人芸だのと言ってはいけません。私が手妻を演じていた二十代には、そんなことを言って手妻を否定するマジック愛好家がたくさんいました。そうした人の無理解な発言がどれほど手妻の発展を妨げてきたことか知れません。

 往々にしてマジック愛好家が無理解な発言をしたときに、決してめげてはいけません。そうした人たちは今受けているマジックにしか興味がないのです。他人の評価でしかものが見えないのです。そんな人の言うことで一喜一憂することは無駄です。

 まず、作品の何が素晴らしいのかを自身で演じてみて、体で理解することです。マジックをする人の一番いけないことは、やりもしないで、種ばかり漁って、黙視するだけで分かったと思い込むことです。こんな人は、目の前に何百名作を並べても満足できません。なぜなら、彼らには名作を見極める、審美眼が育っていないからです。

 まず基本ネタと呼ばれる名作の素晴らしさを理解することです。但し、そこに留まっていてはいけません。基本を今に生かすにはどこかを直さなければいけません。すなわちアレンジです。アレンジがうまければ必ずその作品は命をよみがえらせます。成功は必ず使い古された基本の中にあります。基本をなめている人には何も新しいものを生み出すことはできないのです。

 

2、理解者だけを相手にしてはいけない

  この話は私のところで修業する弟子には必ず話すことです。大樹が弟子の頃にも繰り返し話をしました。大樹が変面に興味を持って手順を作ろうとしたときも、「どこでも見せられる手順にしなさい。糸ネタや黒ネタは決して使ってはいけない、手順も、面の変化の不思議を訴えるのではなく、化かす狐の他愛なさをテーマにしなさい」。と言いました。プロとして活動する時に、横から見られたら出来ない。暗くなければできない、緞帳が一回一回閉まらなくてはできないなどと、条件ばかり言っていては結局仕事が来なくなります。仕事の一本は生きて行く上でとても大切なことです。それを自分の都合で断っていてはプロとして安定して生きて行くことはできないのです。

 今のマジック界の最大の問題は、コンテストやコンベンションのゲストに招かれることを最上の喜びと考えている人が多いことです。分かり合った人たちの間での評価ばかり当てにして、外の世界の観客を取り込む努力をしないから、ますます仕事が少なくなるのです。コンテストで入賞して、それでプロになって、コンベンションのゲストに招かれたとして、年間何本コンベンションの仕事が手に入りますか。年収いくらになりますか、それで生きて行けないことは明白でしょう。

 一般のお客様を対象とした仕事の依頼を受けて、それで生活がして行けるのがプロです。そのためにどこででも演じられる手順を作って自分から仕事を断らない。そうしなければ生活はできないのです。

 

 かつてマーカテンドーが晩年に、親しい友人に漏らした言葉で、「僕は子供のころから毎日、うまいマジシャンになれますようにって拝んでいたけれども、それは間違いだと今になってわかった。本当は、稼げるマジシャンになれますようにって拝むべきだった」。これは笑えない話です。50で亡くなったテンドーは40で既に仕事がなかったのです。テンドーの演技は角度の浅いカード手順でした。できる場所はわずかでした。そのため晩年の10年は苦労に連続でした。

 彼は自分を理解してくれて、自分を持ち上げてくれるコンベンションにこそ人生の生きがいを感じていました。然し、コンベンションは毎回テンドーをゲストで招いてはくれません。そのため、ディーラーとなって販売の利益でコンベンションに行くことになります。然し、いつでも道具が売れるわけではありません。売れなければ海外に行くことが赤字になります。赤字になってもテンドーは自分の理解者のいるところに行き続けました。収入がなく、赤字ばかり出して彼は生き続けなければならなかったのです。

 

 私は彼に尋ねたことがあります。「カードの手順って、年に何回くらい演じているの」。彼の答えは「二回くらい」。つまりコンベンションのゲストに招かれる以外にカード手順を演じる場がなかったのです。自分の人生をかけて作り上げた手順が年に二回しか見せられないのでは、マジシャンとして生きていても、死んだと同じことです。

 何が問題だったのでしょう。それは内々の理解者の評価ばかり求めて、外の観客を取り込めなかったことです。

 仮に、ここに神様がいて、あなたに棒を渡して、「この平野の土地を欲しいだけ与えよう。棒で線を引きなさい」。と言われてあなたならどう線を引きますか、丸一日線を引き続けても、手に入る土地は知れています。どうしたら広い土地が手に入りますか。答えは、自分の周り30センチに丸く線を引くのです。そして、その丸から飛び出して、「こっち側をください」。と言えばいいのです。

 これは何を言っているかと言うなら、まず自分が線を引いて自分のテリトリーを自分で決めてしまうことが間違いなのです。自分と同じような考えをしている人のところばかり出かけて行ってマジックを見せることはすなわち、自分で広い平野に線を引いて、線の内側の人のみを相手にしているのと同じです。これでは初めから小さな世界しか手に入りません。大切なことは、自分が引いた半径30センチの円から、自らが勇気を出して飛び出すことなのです。今の場所にいてはプロではないのです。その覚悟がなくしてどうしてプロとして生きて行けますか。

 

 さて、一日の字数が来てしまいました。この続きは明日お話ししましょう。