手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ハウスを見る

 ハウスを見ると言っても、家の下見に行ったわけではありません。世田谷のタウンホールで催された若手のショウのタイトル、「ハウス」を見に行ったのです。六本木のオズマンドのオーナーの支援による催しで、会場に入って見渡したところ、マジックの愛好家もたくさんいましたが、一般のお客様や子供連れが多かったのが好印象でした。

 ショウはパントマイマーの演じる人形作家が、一つ一つ人形を作って行き、その人形が動き出してマジックをすると言う、メルヘンな話の進行で進みます。人形作家は老人であるらしく、腰や足の痛みに苦しんでいます。本来はこの動作で笑いを誘って、進行のアクセントにしようと考えてしているのでしょうが、私自身の日常の動作によく似ていて、私には身につまされる話です。人形作家についつい同情してしまいます。

 

 一本目は台湾のコンビのマジシャン。以前岐阜のFISMアジア予選に出ていたのを見ました。20年前に死んだ父親と現在の息子が、手紙を通して交信すると言う話です。発想は奇抜です。然し、共鳴しづらい内容です。

 一番疑問なのは、芝居とマジックをコラボすると、往々にして、マジックの不思議が「舞台効果」になってしまう点です。音響効果、照明効果と同列の、マジックが単なる効果のための小道具に見えてしまう点が、少なくともマジックの愛好家には支持を得にくくなります。

 生け垣の花がしおれる、花が咲く、野球のボールが自動で動く、と言った装置は、マジシャンが介在しないため、舞台効果にしか見えず、マジック愛好家は素直に感動できないでしょう。一つ一つの不思議にマジシャンがかかわっていないと旨味を感じないのです。少なくとも、この場に集まっているマジック愛好家は、マジックの旨味を求めてきている人たちですので、観客の求めるものと逆行してしまいます。FISMもまた同様のはずです。二人組の努力は認めます。もう一作違った内容が見たいです。

 

 二本目の韓国人、ピーターパンのアクトは、見終わった後に印象が薄くて、前半が思い出せません。お終いのところで植瓜術に似た、メカを使ったジャックと豆の木のような仕掛けが出ましたが、それが意味不明なまま終わってしまいました。ラストに蕗(ふき)の葉が出てきましたが、出方はきれいでしたが、それとジャックと豆の木の関連が見えません。わかりにくい内容でした。若い人ですから、内容をまとめて、これからいろいろ改案すればきっと面白くなるでしょう。

 

 三本目のルンペンのアクトも、以前岐阜で見たような気がします。見たようなと言うくらいですからほとんど記憶にありません。ジャグリングとマイムとマジックのコラボアクトです。実際ストリートパフォーマンスにいそうなタイプです。この種のいろいろな芸をする人は、どうしてもマジックへの集中度が低いように思えます。それゆえにコンテストに出ると一番損な立場になるでしょう。

 自身の強い意志で作った不思議がないため、不思議の印象が薄いのです。このメンバーの中で見ると、どうしても色物的な要素の濃い人に見えてしまいます。ラストのかばんに入って消えてしまう演技でさえも、ベンチにかばんを置いた時点で種は誰でも分かるわけですから、より効果を高めるために、マイムの才能を生かして、頭から入るのではなく、顔は最後まで見せて、薬品で溶けるかのようにかばんに入って徐々に消えて行くとか、エレベーターのように上がったり下がったりして消えて行くとか、芸としての旨味が加味されていれば、意味はあったと思うのですが。

 むしろコンテストなど狙わず、徹底的に観客を喜ばせる、芸人臭いアクトになり切ったら人気が出るはずです。そうした生き方のほうが当人にも向いているのではないかと思いました。

 

 鈴木大河さんは、昨年、大阪のZAZAで催したヤングマジシャンズセッションに出てもらって人気を博した演技。一年たってどう変化したのかが興味でした。前半の三人からすると、後半の大河さんと、岩根祐樹さんはよりマジック色の濃い演技で、ここに集まってきたマジック愛好家には受けの良い内容だったと思います。

 ジャパンテイストのアクトで、今回は桜の花びらと桜の枝が強調されていました。 独自の不思議を追及して答えを出しているところは感心します。ただし、たびたび種が見えました。ここほど照明に凝っている舞台で、種が見えてしまうのでは、この演技を演じる場所は相当に限られるだろうと思いました。

 

 

 岩根佑樹さんは、岐阜で見て以来のアクトです。細かな不思議は進化していて、四つ玉のアクトは独自のアイデアが加味されて不思議が作られていました。この人の名前は以前からよく聞きましたが、才能のある人だと言うことは強く感じました。

 大河さんにも共通していますが、細かな工夫には独自のアイディアがありますが、大きな流れは、韓国的で、中心に立ったまま全く動かない演技のスタイル、黒い服、黒ネタ、それを隠すための暗い照明。そして、スローテンポで進行する演技、言ってみれば韓流真っただ中の演技です。ごく一部のカード好き、四つ玉好きのマジック愛好家には注目されるでしょうが、せっかくの才能をそのあたりの狭い世界で消費するのはもったいないと思います。理解者の前で演じるのではなく、むしろ無理解な人の中に入って仕事を取ってくるような努力をしないと、この道で生活してゆくのは難しいと思います。

 芸能芸術は演者自身の意志と観客の要望の接点に仕事が成り立つのです。もっとも、芸能芸術に限らず、仕事とはすべてそうしたものです。自分の意志ばかりを通していても仕事にはつながりません。と言って観客の求めるままのマジックをしていては媚びた芸になります。

 自身と観客との接点を見つけだすことに生きる道があります。その接点がどこにあるかが微妙であるが故に、演者のセンスや才能が試されるのです。どこかで一部の理解者の支持から離れて、スタイルから考え方から、自分の作品を作っていった上で、観客の支持を得たなら、マジック界の主流に立てる人だと思います。

 

 と、すべてを見終わって、わずか1時間のショウが終了しました。もう少しいろいろなショウが見たかったと思いました。若手の努力は評価しても、全体としては学園祭のマジックショウを見たような気持になりました。もう一年くらいしたらどんなふうに成長をしているのか、また見てみたいと思いました。