手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンのお正月

 私は大田区池上の生まれです。私の子供の頃の池上は、日頃はぱっとしない町ですが、お正月は随分華やかに飾り付けて商店街もにぎやかでした。ただし元旦二日はほとんどの店は閉めていました。開いていたのはおもちゃ屋さんで。子供のお年玉を狙って、店は早くから開いていました。プラモデルや、盤ゲームが山と積まれていて、子供が群がっていました。本屋さんも元旦から開けていたと思います。漫画雑誌の正月特大号を買うべく、これも店の前に山と雑誌が積まれていました。

 元旦、私は池上の親戚の家をあいさつ回りをしました。何軒かある親せきを回るとお年玉をもらいます。お年玉は長いこと百円だったように思います。昭和30年代、百円はお札で、板垣退助肖像画が載っていて、茶色い色をしていました。当時は百円も威厳があったのです。何しろ、電車の初乗りが子供5円でした。今川焼が10円、グリコのキャラメルがおまけ付きで10円、明治の黒い板チョコが20円でした。

 

 親父はよく、私を連れて仕事先に連れて行ってくれました。お正月の浅草や、上野はまた格別に賑やかでした。人の出も多く、みんな着飾っています。子供は人ごみの中に入ると周りが見えなくなります。ただ人の後ろをついてゆくだけです。それでもお正月の繁華街は楽しみでした。

 小学校6年生になって、舞台に上がるようになると、演芸場や、座敷にまで行くようになりました。座敷のお正月は更に別格の世界です。芸者衆はみんな髷を結って、お引き刷りの着物を着ています。あちこちの座敷を掛け持ちするために、人力車を路地に待たせて、一つ座敷を済ますと、引きずりの着物を着て、裾をすっと持ち上げて、急ぎ人力に乗って、細い路地を通って次の座敷に行きます。子供心にも何て美しい世界だろうと思いました。

 このころの私のマジックは、マジックとは言えないような内容のものでしたが、子供がマジックをすると言うのが珍しく、随分と忙しく仕事をしました。パーティーや座敷の仕事は一本千円から千五百円、寄席、演芸場は一日千円でした。お正月の劇場は格別に華やかで、楽屋も出演者も何となくうきうきしています。

 楽屋にいても、ひっきりなしにお客さんが来て、夕方どこそこで宴会をするから来ないかと誘いに来ます。看板の芸人はそんな用事が何件もあります。行った先々で芸を見せるのですが、看板になると、いちいち芸を見せるのも億劫ですので、若手を連れて行き、若手に芸をさせます。私なんぞも呼び出されて宴会の場に行き、よくマジックを見せました。するとご祝儀と言って、小さな袋にお金が入ったものをくれます。これは全くの心づけです。百円の時もありますし、千円の時もあります。子供だった私はもらえれば何でも嬉しいので、喜んで芸をしました。

 百円をもらうと翌日は、食事の後にクリームソーダーを食べに行きました。千円を超えると、マジックの道具か、当時凝り始めていたクラシック音楽のレコードを買いました。レコードはLP判で1500円から2000円しましたので、簡単には買えませんでした。

 

 さて、今はどんどん正月の賑わいが薄れています。私は高円寺に住んでいますが、家の近所は静かで、およそお正月の華やかさがありません。私の娘が子供だった頃は、家の前の路地にもたくさん子供が遊んでいたのですが、今は子供の姿を見ることがありません。寂しくなりました。

 今年は、1月3日が仕事始めで、弟子がやってきます。4日は一門や生徒さん、仲間が集まって新年会をします。少し賑やかになります。芸能の世界に生きるなら、いつも人が出入りして賑やかでなければいけません。舞台も何となく華やかでなければ仕事が増えません。

 マジシャンの中には、まるで、雪男や、雪女のように、寒々として陰気臭く、木枯らしと北風が背中を舞っているような暗い人がいます。目が上目使いで、声が小さく、おどおどしていて、カードを4枚、鉛筆を削るような動作をして1枚づつ見せながら、時として乾いたギャグを言いながら、カードの柄が1枚づつ変わってゆきます。不思議ではあっても少しも面白くありません。こんなマジシャンは初めから失格です。

 お客様が芸能にお金を支払うのは、それが楽しいものだからです。見ていると幸せになれるものだからお金を支払うのです。マジックをする以前に、お客様をいかに楽しませるか、を理解していなければ仕事にならないのです。その人が会場に来ただけで何となく明るくなって、パーっと華やかになってゆくような人でなければ仕事にはならないのです。そこをいかに学ぶかは、日頃が大切です。日頃が地味であったり、陰気臭かったら、人は寄り付きません。どうしたら人が寄って来るのか、そこをもっと真剣に考えなければマジックで生きて行くことはできないのです。

お正月という、年の初めに先ず、明るく生きることを心がけてください。明るく、楽しくと言うのはどういうことなのかをよく考えてください。