手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

稽古の大切さ

  昨日は、今月29日のショウのために稽古をしました。内容は札焼きと蝶です。札焼きはこれまで千回以上演じています。蝶に至っては5千回は演じているでしょう。何をいまさらの芸です。でも稽古をします。やってみるとわかりきっていることが少しずつ形が崩れていることに気づきます。弟子の道具の扱いを見ても、少しずつぞんざいになっています。

「あぁ、こんなことをしていてはいけないなぁ」と、気づきます。一回の稽古は一回の成長につながるのです。自分自身のしている蝶も、毎回飛ばしていても精気のある飛び方をするときと、元気のないときとがあります。せっかくお客様に見せるのですから、いつでも精気にあふれた蝶を演じたいのですが、そうでないときもあります。「こんなことではいけない」と思いつつ、気持ちを正します。毎回していることでも一回一回気持ちを入れて演じないと、結果が全く違ってしまいます。

 芸能は、同じことをしているのに、こうもお客様の反応が違うかと思うほど違います。芸能の恐ろしさは演者とお客様の向かい合う気持ちが重なるか否かで決まります。そして失敗も成功も演者の気持ち一つです。若いころは、「これを30年もやれば楽に演技ができるようになるだろうか」なんて漠然と思っていました。

 でも、30年たって、40年たっても少しも楽にはなりません。やればやるほど責任は重くなり、毎回緊張します。

 

  私は、60歳になったら、白髪になって、黒紋付を着て、蝶を飛ばしたいと思っていました。私は30代半ばで白髪がたくさんありました。白いままにしておいてもいいかと思っていましたが、周りの人が染めたほうがいいと言うので染めていました。しかし60になった時にもういいかと白髪染をやめました。するとみるみる白くなりました。

実際、白い髪で黒紋付で蝶を飛ばすと実に雰囲気があっていいものです。この道50年、蝶を飛ばして違いの分かる男。というイメージです。これはこれでいいなぁ。と自分自身は満足しています。

 しかし、会う人会う人に「年を取りましたねぇ」。と言われます。別に年を取ったわけではありません。初めから白かったものを自然のままにしただけです。私自身は白くなった髪形を気に入っています。と言うのも、50くらいから髪の毛そのものが少なくなってきたため、黒く染めると、地肌が目立ってきました。つまり、薄禿です。どこと言って禿げてはいないのですが、全体薄くなってきたのです。これが気になります。特に頭の中央から後ろに掛けて薄くなってきました。私の行きつけの床屋さんでは鬘(かつら)をやっています。「藤山さんもそろそろ鬘にしたらどうですか」と言われて、鬘を作りました。知りませんでしたが、鬘はとても高価です。勤め人の月給分くらいは軽く飛んでゆきます。しかしその効果は絶大です。

 かぶってみると確かに若返ります。ただし問題が生じました。私は髪を染めています。巧く染めないと、鬘の黒と、染めた黒の色が微妙に合いません。私の娘がいつも細かくチェックし、「今日はわかるよ」などと言います。言われると妙に気になります。

 普段人と接するときでも、どうもみんなに気づかれていないかといらぬ気をまわします。ちょうどマジックで、カードをパームしているような気持で、持っていることがお客様に気づかれていないかと、だれも疑っていないことを当人だけが気にするように、常に頭が気になります。そこでむしろ開き直ったほうがいいだろうと考え、舞台で鬘を使うことを思いつきます。

 

 私の演じるマジックに植瓜術(しょっかじゅつ)と言うものがあります。およそ2000年の歴史のあるマジックです。土の上に種を撒き、4本の細竹で柱を立てて、そこに布を巻き、その中に水を注いで呪いをすると、土から芽が出ます。また呪いをすると、芽が伸びて弦になります。さらに呪いをすると、大きな瓜(うり)が幾つも生ります。マジックの歴史の中で5本の指に入るほどに古い芸です。中国、インド、日本にもあり、長く伝えられていたものです。日本では私しか演じるものがありません。

 そこで、芽が伸びる術を演じつつ、「草花だけではない。この薬を頭につけると髪の毛も伸びる」。と言って、瓢箪(ひょうたん)に入った水を頭に振って、「一分間、室(むろ)の中に顔を入れておくと髪の毛が伸びる」、と言って、布の中に顔を入れ、密かに中で鬘をかぶって、「どうだ」と言って顔を出すと、お客様が大喜びをします。

 喜んでいただいたのはいいのですが、そのあとの演技の時に鬘を脱ぐわけにはいきません。なぜなら、薬によって髪が伸びたと言う設定ですので、蝶の時も、水芸の時もずっと鬘をかぶっていなければいけません。それはいいのですが、蝶を飛ばしている最中に客席からクスクス笑い声がします。植瓜術で受けた反応がずっと尾を引いているのです。「あぁ、こんなことではいけないなぁ」、メインの芸にまで笑いを引きずって来てはまずいと思い、植瓜術で鬘をつけるのはやめました。

 今、鬘はサイドボードの中のお菓子の箱に収まっています。何十万もかけた鬘が生きていないのは悲しいことです。どなたか欲しい方がいらっしゃったら差し上げます。

 

 さて、髪を白くして蝶を演んじると、独特の雰囲気があって、上品でいいと思います。私は満足しています。そうであるなら、今度はオーソドックスな黒の燕尾服を仕立てて、白髪で燕尾服で、カードや、四つ玉をやったら、これもスライハンドの歴史を背負って生きてきたマジシャンのように見えて、それなりにいいかと思います。

 やってみたいと言う気持ちは多々あるのですが、私が20代に覚えたスライハンドのレベルで今更通用するかどうか、と思うと、少々心配になります。でも、せっかくなら今からまる1年稽古して、カード、四つ玉をやってみようかと考えています。どこまでできるかわかりませんが、品のいいマジックを演じたいと考えています。