手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

名古屋は楽し

 二日間ブログを休んでしまいました。おとといは、読者が私のブログをちょろちょろ覗きに来たようで、350人もの訪問者がありました。昨日も休んでしまい、200人の訪問者の失望のため息が聞こえるようでした。

 忙しいのです。とにかく忙しかったのです。3000字のブログを書くと言うことは最低でも2時間かかります。その2時間が取れませんでした。新幹線の中で書こうかと思っていたのですが、一昨日、「反日種族主義」と言う本が届き、面白いので読み続けました。この本は、韓国人が言う、日本人の朝鮮人に対する様々な虐待、差別のほとんどは韓国人の捏造だったと言うもので、一つ一つ事実の裏付けをして否定して見せたものです。ある程度歴史を知る日本人なら普通に理解されている内容なのですが、韓国ではこれらのことを歪曲して国民に伝えています。それを韓国のソウル大学(日本統治時代の京城帝国大学が前身です)の教授が客観的に説明した文章です。面白い内容です。

 と言うわけで、何も書かずに2日が過ぎました。昨日、指導が終わって、5時に名古屋駅で、峯村さんと一緒に飲むことになりました。今回は岐阜の辻井さんも一緒です。これは中京地区の最強メンバーです。間違いなく面白い話が聞けます。実際、出るわ、出るわ、面白い話のオンパレードでした。ただし、ほとんどここに書けないことをお許しください。ブログでうっかりしたことは言えません。

 

 峯村健二さんは年間何度も海外で公演をしています。当然海外ゲストとも親しく話をする機会がありますので、マジシャンの情報には精通しています。私が海外のゲストを日本国内に招くときには、彼の評価はずいぶん参考になります。また彼自身がプレイヤーですから、海外ゲストのマジックの構成に関しても実に詳しく見ています。

 聞いていても「あぁ、彼はあの人の影響からこの手順を作ったのか」、と納得がゆきます。一見オリジナルの塊のような演技をするマジシャンも、峯村流の分析を聞くと、なるほど、こうした経緯を経てこうなったのかとよくわかります。さすがに彼は国立大学出身者だけあって、非常にロジカルな人です。

 と、こう書くと、とてもまじめな話ばかりしているように思えますが、実は全く逆です。峯村さんはゲラです。いったんツボにはまると笑いが止まりません。私は彼の笑いのツボを心得ています。ここぞと言う時に笑いのリーサルウエポンをガンガンぶち込むと、彼は立ち直れないくらいに笑います。これが私の快感です。昨晩も、ノドン、テポドンをぶち込みました。

 

 一方辻井さんは経営者です。経営状況もいいらしく、よくご馳走をしてくれます。この晩も、私と峯村さんが飲むと言う情報を聞くと、参加したいと言いました。無論辻井さんなら大歓迎です。こうした飲み会は、ある程度マジックの世界がわかっている人と話をしないと面白くないのです。いちいち説明が必要な人と話をすると、面白い話が面白くなくなります。辻井さんは実によくマジックのことを知っています。

 この晩辻井さんは、私に中津川の栗きんとんを持って来てくれました。大好物です。栗きんとんと言っても、お正月に食べるあの甘いねっとりとしたきんとんとは違います。栗の実を粉にして、再度手で練って、小さな栗の形にしたお菓子です。言ってしまえばそれだけのことなのですが、これが恐らく、日本の和菓子のベストスリーに入れてもいいくらいの味わいです。味は栗の実の味で、ほとんど甘みも加えてありません。栗の粉は時々、粒の大きなところもあります。それを噛むと全く生な栗の味がします。この生の香りが鼻に抜けると、まるで栗のとれた森の様子まで想像できるようなすがすがしい気持になります。そこが実に素朴でいい味わいなのです。

 言ってみればこの菓子はほとんど何もしていないのです。私が常々言う「普通のことを普通にやって、それでお客様が納得したなら、それは名人だ」。この言葉通り、まさに名人技と言えます。ただし、正味時間が2日間だそうで、それを過ぎると、素朴な栗の香りも消えてゆきます。はかない、繊細な菓子ですが、これこそが日本人の愛した「旬」を味わう菓子です。こんな菓子を口にして、一時でも秋を感じられることは、何て幸せなことかと思います。

 

 その辻井さんですが、東京に出て来ていた時にいろいろなマジシャンと知り合い、必死にマジックを覚え、やがてスピリット百瀬さんに師事するに至ります。例の、こだわり名人ですから、習いに行くたび、同じことを練習させられ、細かなことまでくどくど言われながら練習します。その時はつらかったようですが、今になって思えばそれはとても役に立ったと話してくれました。

 能勢裕里江さんがする6枚ハンカチなども、裕里江さんよりもずっと前に習い、何度も何度もフォールスノットばかりを練習させられました。しかしこの何でもないことを繰り返し練習することの大切さにやがて気づくようになります。今ではこうした稽古をする先生はほとんどいないと言っていいでしょう。それが今の歳になってとても役に立っていると言います。

 辻井さんは岐阜に帰ってもプロになりたくて仕方なかったようです。そこで、滋賀に住んでいたアマチュア、市川博三さん(故人)を訪ね、シガレットの手順を習います。市川さんはかつては第一勧銀に勤め、東京や、鎌倉に支店に勤務する傍ら、アマチュアとして、数々の賞を受賞しました。その市川さんの得意芸のシガレットを習ったわけですが、そこで辻井さんは、「プロになりたい」と告白すると、市川さんは「絶対プロになってはいけない」と大反対したそうです。「よほどの技量があってもプロとして生きて行くことは簡単ではない」と、再三言われ、結局プロの道はあきらめたそうです。

 結果として実業界で成功したわけですから、市川さんの助言は、辻井さんには良い方向を示したことになります。辻井さんは、「仕事で成功した分は、少しでもマジックの世界に使わなくてはいけない」。と言って、いい酒、いい料理を私や、峯村さんにふるまってくださいました。私は辻井さんは本当にいい人だと思います。

 しかし、それもこれも市川さんの助言があったればこそで、辻井さんがプロをあきらめ、立派に更生されて、実業家として成功されたからこそなのです。もし、市川さんの助言を振り切って、プロになっていたなら、食えないマジシャンが一人増えたことになるわけで、とても三人が和気あいあいと酒を飲むことはできなかったでしょう。

 と言うわけで、昨晩はいい酒が飲めて幸せでした。金鯱と言う酒が辛口でいい飲み心地でした。魚は金目鯛の煮つけが身が厚くて、ほくほくと身がはがれて、淡い白身と甘めのたれが合わさっていい味でした。いい酒を飲んでいい仲間と話ができるのは幸せです。更に今朝は、ブログを書きながら、濃い目のお茶と一緒に中津川の栗きんとんを味わいました。これもまた至福のひと時でした。