手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

不思議を仕事にする

 昨日,午前中に原大樹(はらひろき)さんが訪ねて来ました。私の家のアトリエで、2時間話をしました。話の内容は29日のショウの打ち合わせです。考えてみると、これまで15年近く、何度もマジックの催しで会っていながら、一度もじっくり話をしたことがありませんでした。しかし、彼はあちこちで活躍して、何かと話題になっていた人ですから、方々から噂は聞いていました。

 私がひろきさん(藤山大樹と勘違いする人があるといけませんので、あえてひろきさんとひらがなで書かせていただきます)を認めている点は、彼が自身のマジックをきっちり仕事に結びつけて、成功していることです。

 多くの若いマジシャンは、マジシャンのテクニックと言うと、指の間にボールを挟むことだとか、カードをパスしたり、トップのカードをそのままにして、二枚目のカードを次々にテーブルに置いてゆくことだと勘違いをしています。無論それもテクニックには違いありませんが、それだけではプロにはなれません。

 先ず、自身が見せたマジックを評価する人がいて、その人から仕事を提供してもらって、それが収入になって、しかも毎月、毎月仕事の依頼が続く。それができてプロだと言えます。多くの若いマジシャンは、自身が演じたマジックの先を考えていません。不思議を見せていれば仕事になると信じています。しかしよく自身を見つめ直して考えることです。本当に仕事になっていますか。いや、収入にはなっていたとして、それが学生のアルバイト代を超える収入になっていますか。ベンツや、ヨットは買えないまでも、ゆくゆくは家の一軒も買える収入になっていますか。

 なっていないとしたら、何が間違っていますか。多くのマジシャンはもっともっと原ひろきさんを見なければいけません。この話は金を持っている人が偉いと言っているのではありません。マジックを仕事に結びつけることは立派な技術だと言っているのです。そうなら、多くのマジシャンは彼からその技術を学ばなければなりません。

 そこを真剣に学ぶ気持ちがないから、日々の小銭にも詰まってしまうのです。どんな不可能なことでも可能にできるマジシャンが、なぜ来月の仕事の心配をしなければなりませんか。どうしたら稼げるマジシャンになれますか、収入を得る秘策はありますか。あります。それは稼いでいる人からそのノウハウを学ぶことです。

 本来なら日本奇術協会(プロマジシャンが所属しているマジック団体)あたりが原ひろきさんを招いて、「不思議を仕事に結び付ける方法のセミナー」を開催したらよいのです。プロや、これからプロを目指す若いマジシャンは、セミナーに集まって、しっかりメモを取ったらいいのです。

 

 私が彼を知ったのは彼が15の時だったと思います。14年前でしょうか。当時、SAMの埼玉大会で、彼がコンテストに出たのを見たのが初めです。内容は詳しくは覚えていませんが、きびきびした動きで、ステージ心のある人だなぁ、という印象を持ちました。その後、ラスベガスのコンベンションでいきなりグランプリを取って、しかもそれがカッパーフィールドの目に留まり、カッパーフィールドの番組に出演します。

 ここから人気に火がついて、海外のエージェントが注目し、海外の有名企業のイベントに出演するようになります。初めは般若の面を使って、忍者のような、和のテイストを生かしたアクトを出していましたが、その後に画像とマジックをコラボさせたマジックを演じるようになり、これもヒットします。この数年は画像の仕事で海外を回り、そうとうに稼いだようです。その彼ももう29歳です。勿論、これまで彼は、十分な成功をつかんできました。

 彼の所属事務所はアミューズで、福山雅治さんの所属している事務所です。文字通りトップのタレントばかりが集まっています。そうした事務所ですから、持ってくる仕事の話もちゃちなものはありません。来週にはTBSの情熱大陸に出演するそうです。

 私事で失礼ですが、情熱大陸は二十年も前から、私が出たくて出たくて仕方のなかった番組です。若くして才能のある人を支援する番組です。今となっては私の出演はもう手遅れです。諦めています(番組の方から出てくれと言われれば出ます)。そこに出ると言うのですから素晴らしいことです。

 彼は海外の仕事が多いため、あまり日本国内で顔を見せることは少ないのですが、もっともっとマジック愛好家は彼を支援すべきです。彼は日本の奇術界の貴重な財産です。みんなが彼を有効に利用して、マジック界が今より高みにつけるように考えるべきです。

 

 ただし、昨日の話では、これまでの画像を使ったマジックに少し疑問を感じてきたようです。これからは原点に返ってマジックを研究し直したいと語りました。大体私に会って話をしたいと言う人はみんなそうです。今やっている仕事に疑問を感じて、どうにかしたいのだけれど答えが見つからない。そんな人が訪ねてきます。そんなマジシャンが来るたびに、私は伊勢丹の軒下に座っている占い師、新宿の母のごとく、一つ一つ相談に乗っています。

 昨日は、彼の口から突然「隅田川波五郎さんってどんな人だったんですか」と尋ねられました。波五郎は、日本で初めて、幕末に幕府からパスポートをもらってフランスに行き、パリ万博の催しに出演した手妻師です。彼は江戸時代の末、慶応二年にヨーロッパに乗り込んで、蝶を飛ばしたマジシャンで、ひろきさんは彼に興味を持ったようです。それは自身が単身ラスベガスに行って賞を取ってきたことと重ね合わさって、それよりも百年以上前に海外公演を成し遂げたマジシャンに敬意を持ったのでしょう。

 以来、彼はずっと蝶の研究を一人でしてきたようです。近々それを発表したいと考えているそうです。彼なりに蝶を飛ばすそうです。そこで私に、それがいいかどうかを聞きに来たのです。別段私は誰が蝶を演じても反対したりはしません。私の蝶のコピーでなければかまいません。

 但し、どうしても私や私の弟子の画像があちこちに出回っていますので、知らず知らずに真似をしてしまいがちですが、真似をしてはいけない部分(つまり私の工夫した部分)を二、三指摘した以外は何も反対はしませんでした。むしろ彼が古典の蝶をどう演出するかが興味です。

 不思議を次々と繰り出して行って、スピーディーなマジックを作ってきた彼が、一転静寂な演技の蝶に興味を持ったと言うのは、私にすれば驚きです。人は変わるものだと言うことを、つくづく得心しました。彼の蝶がどんなマジックになるのか期待したいと思います。

 

 さてこれから日本舞踊に出かけます。明日はまた富士の指導、明後日は名古屋の指導です。名古屋の帰りにはまた峯村健二さんと一杯やることになるでしょう。それが今から楽しみです。その晩のために今週は一切アルコールを飲んでいません。血糖値を調整するためです。私はまじめな芸人なのです。