手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

日々思うこと

 昨日のお座敷のお客様は海外から来た女性でした。日本の観光視察のようです。陽気な8人でしたが、私の演技が始まると静かになってしまいました。

 あまりに日頃見るマジックと違うため、興味が高まったあまり、声が出なかったようです。お終いは、蝶を演じました。蝶の吹雪が舞うと、元の陽気なお客様に戻って歓声を上げました。

 

 お座敷も海外のお客様が増えています。むしろ日本人があまり外で高級な遊びをしなくなりました。かつて旦那と呼ばれた粋な人たちが消えてしまいました。そうなるとお座敷も、海外のお客様を呼ばないと維持が難しいようです。

 

 今朝は朝から鼓の稽古があります。

鼓を終えたころに、原大樹(はらひろき)さんが訪ねてくる予定です。

29日のビッグセッションの打ち合わせをします。

 私は日本でプロ活動をしている30代の若手では、原さん、藤山大樹、アキットさん、この3人がリーダー格だと考えています。彼らはきっとこの先大きなポジションについててゆくでしょう。

 特に藤山大樹は、先週上海のコンベンションに出演して、丸一週間大きなマジックショウのトリを取ったそうです。また今週には台湾のコンベンションで出演が決まっているそうです。彼の演技は、始めは、中国の変面の模倣だと言われていたのですが、ここ最近、ようやく彼の真価が理解されてきたようです。彼の変面は古来の変面を超えています。彼は国内で頼まれれば1時間でもショウをします。彼には私から受け継いだ数々の手妻があります。どれも一作一作十分に厚みのある作品ばかりです。見飽きることがありません。それらを駆使して、和合奏のオーケストラを使って大きなショウに構成したりもします。

 大学を卒業して、私のところに弟子入りしたときに、同年代のマジシャンは、「なぜ弟子入りなんかするんだ」。と不思議がったそうです。しかし今になってみたならその修行は大きな価値につながったと言えます。創造と言うことを多くの人は勘違いをしています。新しいことを考えるのが創造ではありません。先だけ見ていても新しいことは生まれないのです。過去と今をつないでいる人でなければ未来は作れないのです。このことは、私にとっては基本的な話ですが、そこが多くのマジシャンにはわかりません。大樹はそれを具現させて見せたのです。

 

さて、三人を褒めるあまり、片山幸宏さんが漏れていますが、彼はまだ市役所の職員ですから、いわばアマチュアです。期待すべきプロとは言えません。

 片山さんは香港の大会でチャンピオンになっています。すごいことだと思います。今、片山さんがプロになると宣言するなら、誰も反対しないでしょう。しかし、私は少し危惧します。スライハンドマジシャンが生きて行く道は実は険しいのです。周囲は簡単に持ち上げますが、実際生きて行くことは簡単ではありません。今のままプロになったなら、並のマジシャンに埋没しかねないでしょう。

 確かに、グラスとカードの7分間の手順はよく出来ています。その手順だけを見たなら立派な魔法使いです。しかし、現実の仕事場のどこでそれを演じられますか。横から見られたらだめ、照明を暗くしないとダメ、30分の演技を依頼されたらできない。などと言っていたら、演じる場所がほとんどないのではないかと思います。この10年、韓国のマジシャンが作り上げた数々の悪弊が、日本の多くの若いマジシャンを一般の仕事から遠ざけています。

 この話は、片山さん一人の話しをしているのではありません。多くのスライハンドをする若いマジシャンに共通した話です。コンテストに入賞するために彼らは非常に多くの時間を費やします。そうして出来た手順は、マジシャンにとっては珠玉の作品です。然しそれはあまりにマジシャンに都合よく作られた作品です。いわば数式上の答えです。一定の条件が整った時にのみ起こる不思議です。

 しかし現実にその条件を満たす仕事場がどれだけあるでしょうか。あまり応用の利かない手順を、多くのコンテスタントは知るよしもなく、入賞することにのみ気力をを集中させてコンテストに挑みます。しかし入賞後に、現実の仕事場を見て、どう生きていったらいいか、考えあぐねてしまいます。

 そうなると往々に若いマジシャンは生きるために、既成のマジックを買って来て、ボーリングの玉を出したり、テーブルを浮かせたり、紙でバラの花を作って宙に浮かせたり、子供の頃の思い出を語りながら吹雪をまき散らしたりします。結果としてそれは平凡なマジシャンがまた一人誕生することになります。前回、韓国マジック事情で申し上げた、マーカテンドーの苦悩を繰り返すことになります。

 よく考えてみることです。FISMで、部門優勝したりチャンピオンになったりした人が10年20年後、半分もマジックの世界に生き残ってはいないのです。なぜでしょうか、それほど現実の仕事場で生きて行くことは難しいということです。

 自身を売り出すために、限界ギリギリの手順を作ることは結構です。マジック関係者なら、コンテスタントの注文に可能な限り応えて、彼らの夢を実現させてやろうと支援します。しかし現実の仕事場は過酷です。マジシャンの都合でマジックはできないのです。そこではベストの演技はできません。しかし、ベストの演技ができないからと言ってボトムの演技をしてはいけません。次善の策をしっかり立てない限り、プロの道は成功しません。

 片山さんに限ったことではありませんが、スライハンドの道で生きて行くには、一度メイン手順から離れて、広くマジックを見つめる時期が必要です。そこで、もっともっと基本的なマジックを学んで芸の蓄積をしておかなければ安定した仕事は来ません。20代の成功はせいぜい3年くらいの安定しか提供されません。20代で得る成功なんてそんなものです。30代の成功も同じです。

 実は20代30代の成功と言うのは人生では成功の内には入りません。階段の途中の踊り場のようなもので、頂点とは程遠いものです。本当の成功が来るのは40代50代です。その日のために20代でしっかり基礎学んでおかないと40になった時に何も財産を持たないまま年を取ることになります。

 マジシャンの真価が問われるのは40代です。40代までに自身の芸を見つけて、そのジャンルの中で一番になることです。それができた人がその先も生きて行けるのです。

 

 話はそれてしまいましたが、片山さんが素晴らしい成果を上げたことは認めなければいけません。今月の舞台が楽しみです。然しだからと言って市役所をやめようとすることには私は反対です。彼が東京に来たならその話をしようと手ぐすねを引いて待っています。