手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

お座敷で手妻

 今晩は、築地の料亭の仕事です。私は年間を通して少なからず座敷の仕事をします。マジシャンで座敷に出ると言う人をあまり聞きません。恐らく私くらいではないかと思います。私の演技が座敷向きと言うこともありますし、昔から父親の仕事を見てきましたから、座敷での対応は知っています。

 数年前、石原慎太郎先生の座敷に招かれました。この先生は誠に芸事に理解の深いいい先生なのですが、芸の内容が不出来だと、「なんだお前は、こんな芸で生きてるのか。帰れ」。と言って芸人を追い返してしまいます。帰れと言われた芸人はショックだったでしょう。別に悪気があってした芸ではないでしょうに、帰れと言われては立つ瀬がありません。某座敷で石原先生は毎年忘年会をしていたのですが、2年連続芸人を追い返してしまったのです。

 料亭の主人としては穏やかではありません。3年連続で芸人がしくじったなら、もう石原先生が自分の座敷を使ってくれないかもしれません。方々の料亭に尋ねて、絶対安全な芸人の情報を探ると、私を紹介されました。そこで私が呼ばれて石原先生の座敷に出たのです。そして40分ほど手妻を演じて、お終いには蝶を飛ばしました。すると先生他、座敷の皆様20人ほどが大喜びで、その場で一万円札が次々に出ました。私はそれをいちいち礼を言いながら頂いて懐に入れ、あいさつを済ませて楽屋に帰り、着物を脱ぐと、バラバラと一万円札が15枚も落ちて来ました。取り決めをしたギャラのほかに15万円です。なんと芸人とはいい商売なんだろう、と喜んでいると、座敷からもう一度お呼びがかかりました。

 慌てて着物を着て、座敷に行くと、興奮冷めやらぬお客様から次々と質問攻めにあいました「蝶の芸はいつごろできた作品なのか」。とか、「手妻を演じるマジシャンは日本に何人いるのか」。など、話は30分以上に及び、えらく気に入っていただきました。それから3年連続同じ座敷に招かれました。

 お座敷のお客様は、銀行の頭取さんですとか、大企業の社長さんですとか、大物政治家さんですとか、名を成した方々ばかりです。そうした方々の前で手妻を見ていただくことは誠に光栄です。

 但し、座敷は年々廃業するところが増えて、消えゆく運命にあります。かつて、赤坂の通りなどは軒並み日本建築で、黒板塀を巡らせ、大きな松の木が道にはみ出て葉を茂らせ、立派な料亭が軒を連ねていたのですが、一軒一軒消えて行き、その跡地はパチンコ屋さんになったり、カラオケ屋さんになっています。

 日本の伝統的なサロン文化が私の20代まではしっかり残っていたのですが、徐々に失われていくのを見ると誠に残念です。

 

 さて、午後には日本舞踊の稽古に行き、そのまま築地の座敷に入ります。体が解放されるのは恐らく10時過ぎでしょう。一日長丁場ですが、それでも座敷の仕事は楽しみです。

 

 ビッグセッションのチケットは後10枚で完売です。当日売りのことも考えたなら、もう満席と言っていいでしょう。今回はよく売れました。来年、毎年開催している、ヤングマジシャンズセッションが4月25日に大阪道頓堀のZAZAで、東京は座高円寺で5月8日にあります。でんでんなど、意欲ある若手マジシャンが出演します。お早めにご予約ください。