手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

舞台人のための秘伝書を開設

 前にお話ししました、少し複雑な芸能のことを書いた文章をnoteに載せることにしました。タイトルは「舞台人のための秘伝書」。まるで能の花伝書のようで、随分勿体ぶっています。これほど大上段に名前を付けて、くだらない話ばかりだったら飛騨牛どころの話でなく、えらく炎上するでしょう。

 今回は松本白鸚さんについて書いてみました。白鸚師は、元松本幸四郎と言って、歌舞伎やミュージカルで今も活躍していらっしゃいます。私はこの方にどれほどお世話になっか知れません。度々マジックのご指導をする傍ら、お仕事をする姿を見つつ、いろいろと学ぶことも多々ありました。その中で心に残っていることを二回に分けてお話ししようと言うわけです。師はマジックが大好きで、時折芝居の中で演じることもあります。面白いエピソードもありますのでご興味ありましたらご覧ください。

 

https://note.mu/hiden_shintaro/n/ndb5de5fa828f

 

 このブログでは、この先、北野武さんとの交遊も書きたいと思いますし、島田晴夫師のことも書きたいと思います。柳川一蝶斎も、松旭斎天勝も、天海師も、高木重朗先生も、小野坂東さんも、書きたい人は山ほどいます。

 今、下降傾向にあるコンベンションについてもぜひ書いておかなければいけません。マジッククラブについて、韓国のマジック事情について、マジック指導について、マジックの指導者は何を知っていなければいけないか。マスコミとの付き合い方について。仕事のとり方について。芸人、芸能人としての生き方について。書きたいことはたくさんあります。幸い私は、このところパソコンに向かうのが楽しみですので、しばらくは頭に記憶していることを順に書いてゆこうと考えています。

 

 昨晩は、松本白鸚さんの記事を仕上げ、同時に中村安夫さんから頼まれていた、「小野坂東さんの記事」(これは一週間前から少しづつ書いていました)。それをまとめて、深夜に就寝しました。大阪や、福井から帰る新幹線の中でもこの二つの記事は交互に書いていました。自分自身の頭の中は、かつてのことを思い出し、列車の中は一面、昭和60年代、平成の時代の世界がパノラマのように広がり、細部に至るまで浮かんできます。シカゴやニューオリンズポルトガルリスボンで東さんとビールを飲みながら、話をしていた時は時間を忘れて楽しいひと時でした。

 なおかつそこにマックスメイヴンさんや、サルバノさんなどが来て、表の話、裏の話が飛び交うと、「ああ自分はなんて贅沢な時間に浸っているんだ」。と喜びひとしおでした。そんなことを思い出しながら、パソコンを動かしている時がとても楽しいのです。疲れたときはそのまま寝てしまいます。目が覚めたらまたドイツやフランスの大会を思い出して記事を書きます。そうしているうちに福井につきます。時間はあっという間に過ぎて行きます。書き足りないときには、そのまま降りずに金沢まで行ってしまいたいほどです。

 

 もともと私は何か書くことが好きでした。しかしそうそうまとまったものを書くことはありませんでした。私は、書く以外にも、陶芸をひねる。絵を描く、長唄を唄う、日本舞踊を踊る、鼓を打つ。芸事何でも好きでした。そうではあっても自慢できるものは何もありません。長唄などはプロさんに褒められて、もう少し稽古をすると金が取れるよと言われました。自分では声質のいいほうだと己惚れています。それに気を良くして長唄の発表会などに家族や、娘、マジックの後輩などを招待するのですが、女房は結婚する前は熱心に来ましたが、結婚後は全く来ません。

 長唄の発表会の当日になると決まって用事を作って聞きに来ないのです。娘も自活するようになるともう来ません。マジックを習いに来る学生などは、声をかければ来ます。以前にウナギ弁当を10人前用意して、学生に渡すとすぐに食べてしまって、後は一人消え、二人消え、私の出番の時には一年生の後輩一人しか残っていませんでした。

 それでも私はその一年生を褒めて、1000円の小遣いをやり、「どうだった、どこが面白かった」。と聞きますと。「ええ、微妙です」。と言われました。彼らはウナギが食べられると言うことがどんなことなのか、気づいていないのです。ウナギが何の理由もなく誰でも食べられる発表会と言うものはないのです。

 

 執筆を真剣にするようになったのは50の時からです。糖尿病が見つかり、しかも血糖値が260くらいあったのです。医者から危ないと言われ、それまで毎晩欠かすことになかった酒をやめました。お陰で血糖値はてきめんに下がりました。酒をやめたのはいいのですが、そうなると夜にすることがありません。そこで前々から書きたかったことを本にまとめ始めました。

 雑誌マジックの連載で載せていた「そもそもプロと言うものは」(東京堂出版)を一冊の本にまとめました。それから長らく書きたかった、手妻の歴史をまとめて「手妻のはなし」(新潮選書)として出しました。初代引田天功さんや、アダチ龍光師匠の話をまとめた、「種も仕掛けもございません」(角川選書)。松旭斎天一の一生をまとめた、「天一一代」(NTT出版)。種の解説も「ロープマジック入門」(東京堂出版)として出しました。50代の頃はずいぶん精力的に書きました。

 60代になってからはほとんど書いていませんが、昨年夏に「たけちゃん金返せ」(論創社)と題して、40年前に北野武さんに貸した5万3千円のお金の話を書きました。楽しい思い出です。今もう一件、どうしても書かなければいけない本があるのですが、これが止まっています。いろいろな理由で書けません。それでもようやく時間が空きそうですので、今月から既に半分書いてある原稿を進めてみようかと考えています。

うまくできましたらまたお知らせします。今日はこの辺で。