手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コンテスト必勝法その2

 前回は「自分が入賞することにばかりこだわるな。それ以前にマジックの世界の一員になる覚悟はあるのか。あれば周囲を見渡して、人の善意に気づけ。そうすれば周囲は自然にあなたを押し上げてくれる」

 と、言う話をしました。しかしコンテスト必勝法と銘打っていながら、周りに感謝しろ、と言うのが答えでは、禅問答のような話です。ここはおしまいに又お話しするとして、話を先に進めましょう。

 

 実際ジャッジがどのように採点してゆくか、を詳しくお話ししましょう。

採点は単純に、マジック(不思議さ)30点、オリジナル20点、技術20点、演技力20点、喝采10点、合計100点で決めてゆきます。FISMはこれに芸術点と言う項目が加わり、その分各項目の点数が少し下がります。ただし、FISMの芸術点はあまり細かな規定がないようです。これができれば芸術であるという決まりを作らないと、ここはあいまいになりやすく、なれ合いや取引の材料になってしまいます。

 

  採点は、例えば、オリジナルを例にとるなら、オリジナリティのある人なら20点満点で、パクリなら0点と言うような決め方はしません。まず、基準点をあらかじめ定めます。20点のうち70%の14点を基準として、そこから加点したり減点したりします。演技の中に細かく工夫された部分が多々あれば、小さく加点されて点数を上げてゆきます。逆に普通のマジックを普通に演じて、特別工夫もなく、印象に残らないなら、減点されて、基準点は下がってゆきます。

 

オリジナル点 

 オリジナルは、最もジャッジ泣かせの採点です。演技の細かな部分のマジックがオリジナルであるか、人の作品をまねたものかは、なかなか第三者は判断しにくいものです。そのため、あるジャッジが「これはすごいオリジナルだ」と感動して、ジャッジミーティングで話をすると、別のジャッジに、「あれは誰それのパクリだ」と言われて、評価が一瞬でひっくり返ってしまうことが多々あります。 

 実際オリジナルであるか否かを、その日のうちに、5人のジャッジが判定することは難しく、一つの作品だけで一時間のディスカッションすることもあります。

 ここで私の持論を申し上げますが、まずコンテストでオリジナルに比重を多く割くのは間違いだと思います。チャレンジャーの中にはまれに独創的なマジックを持ってくる人もありますが、ほとんどの場合、マジシャンの言うオリジナルと言うものは、厳密に判定すればアレンジ(改案)です。クロースアップなどは、従来の技法を駆使して、そこに自身のアレンジを加えた作品が大変多いように見えます。そうなるとすべてがオリジナルで成り立っているわけではないのですから、ことさらミクロな部分のオリジナルを、オリジナルであるか否かでもめることはあまり意味がないように思います。

 私は、見慣れない技法や、現象に対しては、アレンジの加点をつけて、後でディスカッションの際に、オリジナルを強く主張する人があれば、別にオリジナル点をつければいいのではないかと思います。作品全体が単一マジックで、見たこともないようなマジックなら、オリジナルとして十分評価してよいでしょうが、部分オリジナルに関しては、演技全体の流れを見た上で、オリジナル部分が気の利いた演技になっていれば、加点するという程度で十分だと思います。

 オリジナルを判定するときにジャッジは相当に苦労します。それでも度々ジャッジはミスを犯します。それは知らなかったことによるミスです。

 

 かつて、マーカテンドーがFISMに出てカードルーティンを見せた時に、あの指先でカードを一枚ずつロールして4枚並べて行く技法は、それまでヨーロッパ人は誰も見たことにないものでした。ジャッジはテンドーのオリジナルだと思って高評価しました。  しかし、日本国内ではカードロールを演じている人は何人かいたのです。私の知る限りあの技法の考案者はダーク広和さんです。しかしそんなことはヨーロッパのジャッジは知りません。結果、先にヨーロッパのコンテストで演じたテンドーのオリジナルになってしまいました。残念なことですが、そんなことはいくらでもあります。

 

 それ故に、私は、あまりオリジナルか、アレンジかと言う判定にはこだわらないほうがよいと考えています。演技全体から見てその使い方がいいか悪いかを見たほうがよいのではないかと思うのです。

 SAMのジャッジはオリジナルの部分だけで3時間近いディスカッションをしました。しかし私は、正直こうした作業には醒めています。私が自分自身をジャッジに向かないと思う理由の一つがここにあります。五人のジャッジの個々の頭の中にある記憶を頼りに、今見たマジックのオリジナル判定しますが、これはどこまで行っても不正解になりやすいと思います。不毛の議論だと思うのです。

 

 技術点

 オリジナル点からすると技術点と言うのは、はるかにスムーズに進行します。技術点は、基準点を軸に、ミスや、ネタバレをどんどん減点してゆきます。加点は手慣れて、技巧が目立つ人には加点されますが、どうしても減点が主になります。ネタバレは、アメリカのジャッジが二人、客席の上手側と下手側に席を取り、横から種が見えていないかをチェックします。残りの三人は適当に中央寄りに座ります。

 中央に座ったジャッジが、「あの演技はよかった」と言って褒めても、脇に座っていたジャッジが「でも種が見えていた」と否定的な意見を言いうと、今、高得点をつけていたジャッジがすぐに減点をします。と言った具合で結構点数が明確に出ます。

 つまり、もしコンテストで高得点を上げたければ、ネタバレ、チラ見え(フラッシュと言います)、に、徹底的に気を付けることです。小指の隙間から四つ玉が見えても、すぐに2点減点されます。三回見えたなら6点です。腰の種が見えたらそれも2点、一回の演技で10点くらい簡単に減点になります。14点の基準点中10点減点されては、もうチャンピオンになることは無理です。もし本気で優勝したかったなら、わずかなフラッシュにも気を付けることです。点数を上げるにはここで稼ぐ以外にチャンスがないのです。このため、テクニックを過信しているチャレンジャーが案外点数が低いと言うことも多々あるわけです。事前にビデオをとって練習する。それも横から撮ったり、近くから撮るなどして、客観的な目を育てないとうまく行きません。

 

 演技力点

この部分がお国の差が出て面白い所です。特にドイツ人(彼はFISM横浜で、プレプスビュテルと言うチーム名で三人の男性でコメディマジックをしてました)、この男がいかにもドイツ的な考えを押し通そうとします。例えば、白いシルクを手の中に入れると卵に代わり、割ると黄身が出て来ると言う演技がありました。アメリカのジャッジは、「白いハンカチを手に入れて白い卵になるのは理屈にかなっている」と言いました、するとドイツ人は「黄身が説明されていない。黄身の黄色はどこで説明されているのか」こう言われてアメリカのジャッジは黙ってしまいます。

 また、あるジャッジは、チャレンジシャーに「君の演技は笑顔がない。もっとにこやかに常に笑って演技しなければいけない」。とアドバイスをします。するとドイツ人は「別におかしくなければ笑う必要はない」。と否定します。確かにドイツ人の演技は全く笑わずに演じます。言葉に窮したアメリカのジャッジが、私に目を向けて「そういえばシンタローは舞台であまり笑わないが、どう思う」そこで私も、「笑いたいと思うなら笑えばいいんじゃないですか、ヘルベルトフォンカラヤンは笑いながら指揮をしませんから。必要に応じてすべきです」。と言うと、黙ってしまった。ここは日独の勝ち。

 鳩に色を付けて出すマジシャンがいたときは、アメリカ人は、「赤いシルクから赤い鳩が出て、青いシルクから青い鳩が出るのは理屈にかなっている。素晴らしい工夫だ」と絶賛したのですが、ドイツ人が烈火のごとく怒って「なにが理屈にかなっているだ、世の中に赤い鳩なんてあるか、スプレーで着色したんじゃないか、そんなのは動物虐待だ。ドイツでこれを演じたらたちまち演技停止になる。鳩にスプレーを嗅がせるなんて許せない」とカンカンに怒った。困ったアメリカ人が私に助けを求めたので私は。

 「あなたは動物虐待と言うけれど、そもそも鳩を出すこと自体が虐待じゃぁないのか。あなたの国の鳩は、自分からホルダーに入って、自分のくちばしを使ってジッパーを閉めますか、そうじゃないでしょう。無理やり入れられているんでしょう。鳩は鳩出しを望んではいないはずです。舞台で使う動物は大なり小なり虐待を受けています。サーカスのクマが逆立ちして歩くのも、別に逆立ちが得意なクマを見つけてさせているわけではないでしょう。嫌々生きるためにやっているんでしょう。しかしそうすることでクマも、調教師も生活してゆけるんだから互いにいいことじゃぁないですか」。と言うとドイツ人も黙ってしまいました。

 私が彼らをみていて思ったことは、アメリカ人は現実に素直に反応して、比較的物事を肯定的に見る人たちのようです。しかし、舞台に出た瞬間にもっと派手なことをしろとか、ポーズを大きくしろなどと、およそ芸術的なセンスは薄く、エンターティナーな演技を喜ぶようです。方やドイツ人は静かに心の内部を語るような演技を好みますし、姿勢は芸術的です。しかし、基本的なスタンスを持っていて、そこから離れて物を見ようとはしません。主観的で、一方的な考え方をします。対して、私は世慣れた見方をしますが、案外私の考えが最終的に採用される場合が多いようです。

 

 ここで言い忘れましたが、他のジャッジが私の意見に従いやすいには、実は私がプロマジシャンだからです。アメリカではプロマジシャンをフルタイムマジシャンと言います。フルタイムマジシャンはマジック愛好家の間では最高位に位置付けられます。それだけアメリカ国内でもフルタイムでマジックをする人は少ないのです。アメリカのジャッジに一人プロがいると言いましたが、完全なプロではないようです。

 例えば、会社勤めをして、夜だけレストランでマジックを見せている人、あるいは土、日だけマジシャンになって子供たちのお誕生会に出かけてマジックをする人はパートタイムマジシャンと言います。日本でいうセミプロです。

 彼らは地元の新聞に、「マジックショウをします」、と書いて、電話番号を記します。広告は三行程度のもので、無料の時もあれば、わずかな金額を支払う時もあります。すると、土、日にはパーティーの依頼が集まります。アメリカでマジシャンと言っている人の多くはお誕生日のマジシャンのことです。SAMやIBMの役員たちの多くはこのパートマジシャンです。彼らは地元では少し知られていますが、ラスベガスや、ニューヨークの劇場には出演する可能性はありせん、そうした劇場に出演するマジシャンこそ、フルタイムマジシャンと呼ばれます。当然フルタイムマジシャンは、パートマジシャンから尊敬を受けます。

  ましてや、全くのアマチュアから見たなら、フルタイムマジシャンは神のような存在です。ここは日本でのプロマジシャンに対する接し方と、根本が違います。

 つまり私がフルタイムマジシャンであるから、こじれた話に私が意見を言うとみんな静かになってしまいます。

 

 アメリカのコンテストを見て感じたことは、前向きに、はつらつと演技をするほうが点数が高くなります。逆に、小声でしゃべったり、ぎこちない動作をすると、下手だと思われ容赦なく減点されます。練習の時点で、堂々と、強く、前に押し出すような演技をすることをお勧めします。

 

喝采

 喝采は観客の反応です。点数は10点にすぎませんが、ここはかなりジャッジの裁量に幅があります。チャレンジャーがもらった拍手がどれくらいのものかは、聞く人によって違って感じます。ここで仲間を持っているかどうかが大きく発揮します。周囲の支持さえあれば、技術点の少々のミスもひっくりかえせるのです。

 

さて、この先は、実際にどうしたら実際に勝てるのか、をお話ししましょう。それはまた、二、三日して続きを出します。乞うご期待。