手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

いけないことはいけない、でも

 今日は朝から鼓(つづみ)の稽古です。鼓は月に4回、お師匠さんが私の自宅に見えて、ご指導くださいます。鼓は口唱歌(くちしょうが)と言ってお経のようなものを丸暗記して、それに合わせて鼓を打ちます。ポーポースポポー、ポーポーポー 、とか。チリカラチリトトなどと暗記をすると、鼓の手が自然に出てきます。しかし暗記をするのが大変で、朝九時からの稽古で、鼓をすると眠っていた頭の中がすっきりします。

 とても素晴らしい世界ですので、よかったら皆さんもやってみませんか。

 

 昨日、4日のアクセスは1日で2000人を超えました。画面を眺めているうちに目に見えて読者の数が増えてゆくのは痛快です。どうやら皆さんは私が10年前に出した「そもそもプロマジシャンと言うものは」の、続編が読みたいのではありませんか。それなら少し時間を割いて、マジック界の様々なことを書いてみましょう。

 

 昨日は、M君と言う、マジック愛好家の若者が、マジック界の中で自分の立ち位置が見つからず、悩んだ末にグッズ販売を始めたのですが、私から見ると、自分の趣味のマジックの領域からでない商売に見えました。案の定、経営が芳しくなく、苦し紛れに、カード偽造に走ったのではないかと言うお話しをしました。

 彼のしたことの罪は罪として、私がM君に対して思うことは、マジックを愛する心を持った若者が、なぜ愛するマジックで生きて行くことができないのか。わずか、身一つを生きてゆくだけの収入すら得ることができないのはなぜか。私は何度か彼から様々な質問をされ、そのたびにアドバイスしました。しかし、M君は、私の話を仕事に生かせませんでした。どうも彼には人が見えていないようでした。仕事とは人との接点を見出すことなのですが。そこがわかっていないようでした。

 

 人は物事がうまく行かなくなると、ついつい自己本位な考え方をして、自分の欲を満たすために平気で人に迷惑をかけます。初めは遠慮がちにことをして、やがて間違いが通ると知ると、今度は自己の正当化を始めます。周囲が何も言わなければ、間違いを繰り返します。そこに、収入が絡んできて、稼げるようになると、周りのマジック愛好家が馬鹿に見えてきて、やがてわがまま勝手なふるまいが日常化してゆきます。

 世の中に、生まれた時から強欲で、人に嫌がらせをするような人はいません。どの人も元の心は純粋です。それがいつの間にか間違いを犯して、人に無理解になります。

  話は長くなりましたが、今日お話しすることは四つ目の問題で、アイディアの盗作と、無断販売の問題です。ここに書かれていることは最近、私に降りかかってきた話で、マジック界全体のことではありません。しかしマジック界で頻繁に起こる話ですので、お話しましょう。

 

 先月、マジックメーカーが私のマジックの手順をそっくり真似して、それをDVDに出して販売をしました。抗議をすると、すぐに謝りの電話が来て、二度と販売しないと言ってきました。この代表者は、学生の頃からよく知っている人だけに、謝ったのなら、不問にして、ことを収めました。解決がついたことですので、ここではメーカーの名前も当人の名前も伏せます。

 ただ、なぜ私のように古くからマジックの活動をしているマジシャンの作品を、しかも、多くの人が私の作品と知っているものを無許可でコピーして出したのかが不思議です。この世界で生きる最低のマナーがいとも簡単に崩れてしまうことが問題です。

 

 それに先立って、今年の4月、私の蝶の手順をそっくり真似て、DVDと小道具をつけて販売したメーカーがありました。実際販売を始めたのは3年前だそうです。ビデオで指導しているマジシャンは私の良く知っているマジシャンです。私は、彼が蝶のレクチュアーしているという話は以前から聞いていました。しかしそれは古典のやり方だろうと思って関与しませんでした。しかし私の手順であることを知り、これは看過できないと思い、遅ればせながら今年春に私は彼に会いました。

 彼曰く「蝶は古典芸だから誰が教えてもいいのではないか」。私は、「あなたの教えた蝶は、古典の蝶ではなく、私の改案した蝶だ。私のアイディアがたくさん入っている。それを自分のアイディアだと言って販売することは許されない」。蝶と言う芸を指導するなら、古典の作品と私の作品がどう違うのかぐらいのことは知っていなければいけません。いや彼は知っていながらとぼけているのかも知れません。

 すると彼は「蝶のDVDを出すことが著作権に触れますか」。と今度は法律を持ち出してきます。私は、「明らかに法律違反です」。と言い、なぜ法律違反なのかを話しました。彼は私の話を聞いて、素直に自分の間違いを認めました。そして二度と私の蝶の演技の指導はしないと誓約書を書きました。この話もこれで解決です。

  

 さて、講師が間違いを認めた後、今度はマジックのメーカに電話をしました。話はうんざりするほど、言い逃れ、言い訳の連続でした。そしてしまいには法律の話です。

 私はメーカーの代表者が学生だったころから知っています。私が関西でレクチュアーを開催すると、彼は必ず参加していました。その頃は素直で純真なマジック愛好家でした。やがて自ら店を出して道具の製作を始めます。すると徐々に悪い評判が立ちます。

 代表者は昔から私の蝶を習いたがっていました。実際教えてほしいという依頼は何度かありました。しかし、教えればきっと商品にされてしまう。それゆえ断りました。

 それが三年前ついにコピーされました。そこで今年遅ればせながら、メーカーに電話をしたわけですが、彼の主張は「古典に著作権はない」と言います。「これは法律違反です。まず、この演技は古典ではなく私の作品です。しかも、あなたは道具やトリックをコピーしていないから法に触れていないと考えているようですが、法は著作権だけではありません。例えば、花鉢に活けてある牡丹の花にとまった蝶が、離れた瞬間に二羽になる演技は古典にはありません。まったく私のオリジナルです。直接種の模倣ではなくても、演技の流れや、振りやストーリーが同じなら、知的所有権によって違法になります」。聞きなれない法律を知って、彼は非を認めました。そののち会って謝罪すると言いいましたが、なぜか体調不良だという理由で、まだ会っていません。

 

 何とか蝶の問題は解決しましたが、私には気になることがあります。コピーをしたり無断で指導したりする人に苦情を言うと、必ず法律問題が出てきます。何十年も前、アマチュア時代から知っているマジック愛好家が私にそんな言い方をします。

 私が真似をされて苦情を言っていることは、法で争うために言ってるのではありません。単に迷惑だから苦情を言っているのです。ちゃんと間違いを認めなさい。と言っているのです。ただそれだけです。非を認めたなら、相手が傷つかないように穏便に話をまとめようと言っているのです。別段補償金を取ろうとは思っていないのです。同じマジックの仲間の間で起こったことです。間違いと分かればそれでいいのです。それがなぜそこで法律の話が出てくるのでしょうか。

 仮に私が、「法律には触れない」。と言ったら、そのまま居直る気でしょうか。居直ったとして、それで済みますか。私が被った迷惑はどうなりますか。私の感情を害したら、この狭い世界を一層狭く生きなければならなくなりませんか。

 世の中のほとんどの人は法律で生活しているわけではありません。日常生活で法律なんて不要です。人はほとんどのことは良識で決めているのです。道端に物を捨てないのは、法律で罰せられるから捨てないのではなく、良識があるから捨てないのです。

法で縛られている国と言うのは後進国です。先進国は個々の国民に良識があって、法があろうがなかろうが、間違ったことはしないのです。

 マジックも同じではありませんか。法に触れようが触れまいが、人に迷惑がかかることは同じマジック愛好家として、やってはいけないでしょう。苦情を言われたら、まず良識で判断して、速やかに謝り、二度と繰り返さないのが仲間ではありませんか。

 それを法を持ち出すということは、むしろ日ごろ法律すれすれに生きているから法にこだわるのではありませんか。私が後輩に迷惑だからやめてくれと言うことを、後輩が、法律を盾に反対するという姿は、ほかのジャンルで通用すると思いますか。落語家の先輩と若手が法律を出して話をしますか。あまりに世の中の常識からかけ離れていると思いませんか。

 実は、ここがマジックの世界の大きな問題だと思います。マジシャンの中には、人が見えていない人がたくさんいるのです。自分自身がマジックの世界の中でどう生きて行っていいのかがわかっていないのです。彼らにとっての興味はマジックそのものであって、イフェクトやトリックばかり、ほかのことが見えていないのです。観客も、仲間も、先輩も、アマチュアのことも、つまり人が全く見えていないのです。

 ネットでマジックを覚えて、ネットでトリックを買って、ひたすらそれを演じて、誰かに認めてもらいたい。それで生きて行きたいとそればかり考えています。

 マジシャンとなって生きて行くには、観客を熟知していなければプロにはなれません。コンテストで優勝するには、コンベンションの主催者がどんなマジシャンを求めているのかがわからなければ優勝しません。マジックグッズの販売をするなら、購買者のニーズがわからなければ物は売れません。すべては人が何を考えているのかがわからなければ何をしても成功しないのです。ところがマジックをされる人は人のことがわからないでマジックをする人が多いのです。そこが問題なのです。

 

 私は、初めに、マジック界に起こった四つの問題の根は一つなんだと言いました。根とは何でしょう。それはマジックばかりを見て、人を見ていないことです。しかし、マジックの世界はマジック愛好家の善意に守られて出来上がっています。何のかんのとマジック愛好家はマジックを愛する人を温かく見てくれるのです。しかし、往々にして、仲間の善意に気づかず、平気でマジック愛好家を裏切ったり、愛好家を餌にして生きて行こうとする人がたくさんいます。彼らは目に見えない形でマジック愛好家に助けられていることを知らないのです。目には見えないけれどの仲間を守る垣根があります。それがどれほどありがたいことで、どれほど重要なことなのか、それをわからずに平気で垣根を壊そうとします。

 ネットで種明かしをしている人たちも、詐欺で捕まったM君も、勝手に種明かしをしたマジシャンも、無断で人の作品を販売するメーカーも、マジックの世界にいるから何とか許されているものの、本来は決して許されるべき人たちではないのです。

 私自身、これまでも、よほど警察に訴えてやろうかと思うほど腹の立つ、性根の悪いマジック関係者に何度か出会ったことがありますが、それでもじっと我慢して、何とか許そうと思い直しました。

 それは、先のメーカーの代表者も、学生の頃は純粋な顔で私からマジックを学んでいたのです。その姿を私は今も覚えています。

 盗作したマジシャンも、私が蝶を飛ばす姿を、舞台袖で目を輝かせて見ていた姿を私は記憶しています。あの顔に嘘はない。彼らは純粋にマジックが好きなんだ。そう思うと、彼らのマジックを愛する心だけは真実なのだから、その人を100%の否定はしないようにしようと思い直します。かつて彼らにあった純粋なまなざしに免じて、私は最後の言葉は言わないようにしています。たとえ相手が間違ったことをしても、彼らの心の中にあったマジックへの愛情に免じて、少し許してやるのです。これがマジック愛好家が持っている垣根です。

 一寸の虫にも五分の魂と言う言葉があります。とるに足らない虫でさえ、心の中には小さな真実を持っています。ましてやマジックを心の底から愛した人なら、その愛情の一点だけは評価してやらなければいけないと私は考えます。

 早く自分の間違いに気づいて、いつまでも愛好家を餌にして小銭稼ぎをせずに、自分のわがままを押し通さずに、自分は自分の才能で生きているなんて高慢な考えを持たずに、マジックの先人、マジックの仲間に生かされていることを忘れずに、わずかでもいいからマジックの世界に恩返しして欲しいのです。

 

 以上、最近マジック界に起こった四つの問題(そのうちの三つ)について私見を述べました。参考になれば幸いです。