旨い料理の始まりは
いま日本に来る観光客は、誰もが日本料理は旨いと賞賛してくれます。然し、私の知る限り(私が味覚を意識して物を食べるようになったこの65年間)、幼い頃の日本人の日々の食事は、品数も少なく、単調なものばかりで、味もさほどに旨いと言うようなものではなかったように思います。
昭和30年代くらいまでの日本の食事は質素なもので、日々の食事は余り印象に残らないようなものばかりを食べていたように思います。
基本的に、日本人の食事は、三食ともに飯と味噌汁と漬物がセットで、朝飯に鮭やたらこが出ることありましたが、家庭に冷蔵庫の普及していなかった時代は、鮭もたらこも塩がきつくて、ひとかけらで飯が一膳食べられるくらい塩辛かったのです。
晩飯には、豆腐や焼き魚、煮魚、野菜炒め、総菜物のコロッケ等の中から一品が付く程度、そんな食事だったのです。肉類が出ることはめったになく、あっても、野菜炒めに僅かばかりの肉が入っている程度で、それも豚肉だったように思います。
「何だ豚肉か」、と言うなかれ、豚肉はいい方で、当時頻繁に食べていたのは鯨(クジラ)肉でした。鯨肉には赤身とベーコンがあり、赤身は見た様牛肉のように肉肉しいのですが、焼くと色が真っ黒に変色します。そして噛むと筋張っていて子供には噛みきれないような硬い肉でした。
ベーコンの方は食べやすいのですが、肉が殆どなく、全て脂身で出来ていたように思います。これは食べると胸やけをするくらいくどい脂身でした。それと比べれば豚肉は旨い肉でした。鯨肉は学校給食でもよく出ました。昭和30年40年代は、まだ日本が貧しかった時代で、鯨は子供の成長に随分貢献したのです。この時代に日本にやってきた外国人にとって、日本食およそ満足できるものではなかったでしょう。
そうした貧しい食生活の中でも、カレーは早くから家庭に入り込んでいました。但し、今のような簡単にできるカレールウはなく、無論レトルトもありません。カレーを作るとなると、母親は数時間もかけて料理をします。
先ず小麦粉とバターをフライパンで炒め、小麦が茶色くなるまで炒めます。次に、玉ねぎを焦げ茶色になるまで炒めます。それらを合わせて、そこにたっぷりの水をいれ、カレーの香辛料を混ぜ合わせた簡易なカレー粉を入れ、ジャガイモ、人参、肉を入れ、水分が少なくなるまでじっくり煮込んで行けば出来上がりです。
文字にすればそれだけですが、家庭で作ると3時間や4時間かかります。当然頻繁に作れる料理ではなく、せいぜい月に一回くらい食べられるご馳走だったわけです。この後、カレールウが出来たことは日本の食文化の大革命で、以後、カレーが日常の食事に浸透して行くきっかけになったわけです。
ハンバーグも時々作ってくれました。子供のころに食べたハンバーグは、ひき肉に玉ねぎやパンを入れ、牛乳を入れて捏ねて嵩を増していました。然し、挽肉とは言え、肉の塊は子供には魅力です。飛び切り旨いと思いました。
但し、当時はソースが貧弱でした。デミグラスソースなどと言うものは聞いたこともなく、家にあるソースと言うのはウスターソースしかありませんでした。ドロッとしたとんかつソ-スが出まわるようになったのは昭和40年代以降ではないかと思います。私はブルドックと言うメーカーを知って、どろりとした甘いソースを知りました。このソースが劇的にフライや、ハンバーグの味を引き立てました。
いずれにしても、とんかつやアジフライのような揚げ物、ハンバーグのような洋食が家で作られるようになるのは昭和40年代からだったと思います。街中に洋食屋さんとんかつ屋さんが出来て来るのもそのころからだったと思います。
その原因は何かと言えば、昭和39年の東京オリンピックでしょう。オリンピック以降、日本人の暮らし方が変わって行ったのです。マヨネーズやケチャップが家庭に常備されるようになって行きます。以後急激に日本人の食事が変化して行きます。スパゲティ、シチュー、ハンバーガー、ピッツア、などなど、どんどん食べ慣れない料理が出て来ました。
更に日本ではそれらの料理が発展して行きます。そもそもとんかつ自体も原点は、西洋料理のビーフカツレッツから来ています。薄い大きな牛肉にパン粉を付けてフライパンで焼いたものです。それを天ぷらを揚げるような油たっぷりの鍋の中で豚肉を揚げることを思い付いたことで、分厚い豚肉を揚げることが可能になり、今のとんかつが生まれます。
元はビーフカツレッツでも、食べ比べて見ると随分違う料理になります。海外の観光客がとんかつを和食と呼ぶのは明らかに味に違いがあるからでしょう。
と、ここまで書いて、恐らく皆さんは私が一体何を言いたいのか、不思議に思うでしょう。「単なるノスタルジーを語っているのではないか」。と、いえいえそうではないのです。とんかつと言う料理の普及は、その後、かつ丼を生み出します。
とんかつが生まれなければ、かつ丼は出来なかったわけで、とんかつの肉を幾つかに切り分けて、下に玉ねぎを敷いて、卵で綴じて、再度煮たものを飯に乗せる。卵とじの変形です。とんかつだけでも贅沢な食べものですが、卵とじとなって飯の上に乗るのですから大変に贅沢な料理です。これを考えた料理人は天才です。カツレッツはかつ丼に至って、ようやく西洋料理から和食になったのです。
実は昭和30年代から、40年代にかけて、こうした新しい料理が日本でどんどん生まれて行きます。今、日本にやって来る海外の観光客が好む日本料理のほとんどは30年代40年代以降に生まれた新しい料理ばかりです。
ラーメンも、カレーも、以前からありましたが、今のカレーと私が子供のころ食べたカレーは味が全く違います。ラーメンも同様で、味噌やとんこつは食べたことがありませんでした。これらを和食と言って海外の観光客に紹介するのは如何なものか、餃子も同様です。茹でた餃子を焼いただけで和食と言うのは中国に失礼です。和食と言うなら少なくとも100年くらい熟考した歴史が欲しいところです。
「昨日今日出来たものを和食というな」。と、文句の一つも言いたくなりますが、見かけたところ誰も異論を唱える人がありませんので、私は沈黙をするしかありません。
先日浅草を歩いていたら、パン屋の店先に「浅草名物メロンパン」と書いてありました。私は70年近く浅草の町を歩いてきましたが、メロンパンが浅草名物だったことは一度もありませんでした。いつから名物になったのでしょうか。
でも、そんなことを言っても無駄です。衆寡敵せず、戦っても勝てません。でも時々小声で言います。「本当の名物。本当の和食は100年待って評価を得るべきだ」。と。
続く