手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

旨い料理の始まりは

旨い料理の始まりは

 

 いま日本に来る観光客は、誰もが日本料理は旨いと賞賛してくれます。然し、私の知る限り(私が味覚を意識して物を食べるようになったこの65年間)、幼い頃の日本人の日々の食事は、品数も少なく、単調なものばかりで、味もさほどに旨いと言うようなものではなかったように思います。

 昭和30年代くらいまでの日本の食事は質素なもので、日々の食事は余り印象に残らないようなものばかりを食べていたように思います。

 基本的に、日本人の食事は、三食ともに飯と味噌汁と漬物がセットで、朝飯に鮭やたらこが出ることありましたが、家庭に冷蔵庫の普及していなかった時代は、鮭もたらこも塩がきつくて、ひとかけらで飯が一膳食べられるくらい塩辛かったのです。

 晩飯には、豆腐や焼き魚、煮魚、野菜炒め、総菜物のコロッケ等の中から一品が付く程度、そんな食事だったのです。肉類が出ることはめったになく、あっても、野菜炒めに僅かばかりの肉が入っている程度で、それも豚肉だったように思います。

 「何だ豚肉か」、と言うなかれ、豚肉はいい方で、当時頻繁に食べていたのは鯨(クジラ)肉でした。鯨肉には赤身とベーコンがあり、赤身は見た様牛肉のように肉肉しいのですが、焼くと色が真っ黒に変色します。そして噛むと筋張っていて子供には噛みきれないような硬い肉でした。

 ベーコンの方は食べやすいのですが、肉が殆どなく、全て脂身で出来ていたように思います。これは食べると胸やけをするくらいくどい脂身でした。それと比べれば豚肉は旨い肉でした。鯨肉は学校給食でもよく出ました。昭和30年40年代は、まだ日本が貧しかった時代で、鯨は子供の成長に随分貢献したのです。この時代に日本にやってきた外国人にとって、日本食およそ満足できるものではなかったでしょう。

 

 そうした貧しい食生活の中でも、カレーは早くから家庭に入り込んでいました。但し、今のような簡単にできるカレールウはなく、無論レトルトもありません。カレーを作るとなると、母親は数時間もかけて料理をします。

 先ず小麦粉とバターをフライパンで炒め、小麦が茶色くなるまで炒めます。次に、玉ねぎを焦げ茶色になるまで炒めます。それらを合わせて、そこにたっぷりの水をいれ、カレーの香辛料を混ぜ合わせた簡易なカレー粉を入れ、ジャガイモ、人参、肉を入れ、水分が少なくなるまでじっくり煮込んで行けば出来上がりです。

 文字にすればそれだけですが、家庭で作ると3時間や4時間かかります。当然頻繁に作れる料理ではなく、せいぜい月に一回くらい食べられるご馳走だったわけです。この後、カレールウが出来たことは日本の食文化の大革命で、以後、カレーが日常の食事に浸透して行くきっかけになったわけです。

 

 ハンバーグも時々作ってくれました。子供のころに食べたハンバーグは、ひき肉に玉ねぎやパンを入れ、牛乳を入れて捏ねて嵩を増していました。然し、挽肉とは言え、肉の塊は子供には魅力です。飛び切り旨いと思いました。

 但し、当時はソースが貧弱でした。デミグラスソースなどと言うものは聞いたこともなく、家にあるソースと言うのはウスターソースしかありませんでした。ドロッとしたとんかつソ-スが出まわるようになったのは昭和40年代以降ではないかと思います。私はブルドックと言うメーカーを知って、どろりとした甘いソースを知りました。このソースが劇的にフライや、ハンバーグの味を引き立てました。

 いずれにしても、とんかつやアジフライのような揚げ物、ハンバーグのような洋食が家で作られるようになるのは昭和40年代からだったと思います。街中に洋食屋さんとんかつ屋さんが出来て来るのもそのころからだったと思います。

 その原因は何かと言えば、昭和39年の東京オリンピックでしょう。オリンピック以降、日本人の暮らし方が変わって行ったのです。マヨネーズやケチャップが家庭に常備されるようになって行きます。以後急激に日本人の食事が変化して行きます。スパゲティ、シチュー、ハンバーガー、ピッツア、などなど、どんどん食べ慣れない料理が出て来ました。

 更に日本ではそれらの料理が発展して行きます。そもそもとんかつ自体も原点は、西洋料理のビーフカツレッツから来ています。薄い大きな牛肉にパン粉を付けてフライパンで焼いたものです。それを天ぷらを揚げるような油たっぷりの鍋の中で豚肉を揚げることを思い付いたことで、分厚い豚肉を揚げることが可能になり、今のとんかつが生まれます。

 元はビーフカツレッツでも、食べ比べて見ると随分違う料理になります。海外の観光客がとんかつを和食と呼ぶのは明らかに味に違いがあるからでしょう。

 

と、ここまで書いて、恐らく皆さんは私が一体何を言いたいのか、不思議に思うでしょう。「単なるノスタルジーを語っているのではないか」。と、いえいえそうではないのです。とんかつと言う料理の普及は、その後、かつ丼を生み出します。

 とんかつが生まれなければ、かつ丼は出来なかったわけで、とんかつの肉を幾つかに切り分けて、下に玉ねぎを敷いて、卵で綴じて、再度煮たものを飯に乗せる。卵とじの変形です。とんかつだけでも贅沢な食べものですが、卵とじとなって飯の上に乗るのですから大変に贅沢な料理です。これを考えた料理人は天才です。カツレッツはかつ丼に至って、ようやく西洋料理から和食になったのです。

 実は昭和30年代から、40年代にかけて、こうした新しい料理が日本でどんどん生まれて行きます。今、日本にやって来る海外の観光客が好む日本料理のほとんどは30年代40年代以降に生まれた新しい料理ばかりです。

 ラーメンも、カレーも、以前からありましたが、今のカレーと私が子供のころ食べたカレーは味が全く違います。ラーメンも同様で、味噌やとんこつは食べたことがありませんでした。これらを和食と言って海外の観光客に紹介するのは如何なものか、餃子も同様です。茹でた餃子を焼いただけで和食と言うのは中国に失礼です。和食と言うなら少なくとも100年くらい熟考した歴史が欲しいところです。

 「昨日今日出来たものを和食というな」。と、文句の一つも言いたくなりますが、見かけたところ誰も異論を唱える人がありませんので、私は沈黙をするしかありません。

 先日浅草を歩いていたら、パン屋の店先に「浅草名物メロンパン」と書いてありました。私は70年近く浅草の町を歩いてきましたが、メロンパンが浅草名物だったことは一度もありませんでした。いつから名物になったのでしょうか。

 でも、そんなことを言っても無駄です。衆寡敵せず、戦っても勝てません。でも時々小声で言います。「本当の名物。本当の和食は100年待って評価を得るべきだ」。と。

 

 続く

この一週間

この一週間

 

 政治やマジックの話ばかり書いていてもご興味のない方には退屈かとおもわれますので私の身近に起こった些末なことをお話しします。とは言っても、これもどうでもいい話ばかりです。

 まず、昨年暮れに生まれた孫は無事に育っています。男の子で「佑晴(ゆうせい」

と言います。一か月経って顏は大分しっかりしてきましたが、それでもまだはっきりしない顔です。女房は毎日写真を送って貰って喜んで見ていますが、私にはどれも同じ顔に見えます。もう少し大きくなれば情が湧いて来るのかも知れません。

 3月にお食い初めと言う式があります。その時に久々対面することになるでしょう。それまでには顔立ちもしっかりしてくると思います。良く育ってくれればよいと思います。

 

 昨年の12月の半ばに鳩が卵を二つ産みました。それが1月初めに孵りました。所が一羽は数日後に、巣から落ちて死んでしまいました。巣から落ちた雛は、親が巣に戻すことが出来ないためすぐに死んでしまいます。私が頻繁に見ていれば戻してやれるのですが、そうもいきません。

 私の家の鳩は良く卵を産みますが、なかなか育ちません。特に1月は寒いので、育てるのは難しいのではないかと思います。私がアトリエにいないと暖房も使いませんのでかなり寒いのです。

 「この寒さでは多分育たないだろう」。と思って、名前も付けずに皆様にも伝えずにいました。それでもこの雛は無事に育っています。最近は羽も生え始め、体も大きくなってきました。

 そこで名前を付けてやろうと思います。いつものように「飛ぶ」と言う文字を付けて「飛呂、ひろ」と付けました。「藤山飛呂」です。まだ飛べませんし、育つかどうかもわかりませんが、せっかく縁があって生まれて来たのですから、大きく育ってもらいたいと考えています。

 両親の飛雄馬と飛美子は実に甲斐甲斐しく子供の世話をします。常にどちらかが子供に寄り添っています。夫婦ともに餌をたくさん食べて、子供にかみ砕いた餌を口中でおかゆにして口移しで食べさせています。

 人間の親が、子供の面倒を見ずに、パチンコ屋で遊んでいるうちに子供が車の中で死んでしまうような事件を聞くと、鳩の方がよっぽど立派な生き方をしていると思います。何一つ贅沢をするわけでもない、粗末な餌と水だけで寒い部屋で子供を温めている姿を見ると、鳩の夫婦の愛情に敬意すら感じます。

 

 動画の魔法の力を始めてから頻繁に人が訪ねて来るようになりました。1月27日は二人尋ねて来ました。まず、午後に前田知洋さんが来ました。今度、魔法の力のゲストに出てもらうための打ち合わせです。何の謝礼もお支払いできない企画に、わざわざ三浦半島の自宅から車を飛ばして打ち合わせに来ていただいて申し訳なく思います。

 目的は打ち合わせでしたが、話は終始雑談でした。前田さんも雑談がしたかったのでしょう。仕事の相手とばかり話をしていても疲れます。たまには、私と馬鹿馬鹿しい話でもしないと頭がリセットできないのでしょう。私が時々マギー司郎さんやボナ植木さんと話をするのと同じです。

 前田さんは、未だにいいお客様を持っていて、毎月かなりハイソサエティーなお客様のパーティーに出演しているようです。前田さんを学生のころから見ていますが、いい具合に歳をとって、雰囲気のあるマジシャンになって来ました。なかなか長くマジックを続けて来ても、こういう年の取り方をする人は限られています。

 久々お茶とお菓子で3時間話をしました。前田さんが話したいことで、面白い話もいくつか見つかりました。彼がこれまで積み重ねて来たものの考え方は、この先プロ活動をして生きて行くマジシャンにはきっと役に立つと思います。

 さて、実はその後、この日はもう一人私と話をしたいという人が訪ねて来ます。Kさんと言う女性で、もう20年近く前にマジックをしていた人で、今はマジックを止めていて、勤めをしています。その女性が私の魔法の力を見て懐かしくなり、メールをして来たのです。私がいまだ現役でマジックをしていることで会いたくなったのでしょう。

 さて、前田さんも少し空腹になった頃でしょう。そうならこれから来るKさんと一緒に食事をしてはどうかと提案すると、前田さんはKさんとは初対面であるにもかかわらず同意して、三人で食事をすることにしました。

 場所は馴染みの桃太郎寿司です。ここでまた雑談をしました。何のことはない話ですが、雑談が結構楽しいのでしょう。二時間近く話をして解散になりました。

 Kさんにはこの先もマジックをすることを勧めました。20代で熱中したことを安易に捨ててはいけません。20代の活動には人生の重要な思いが詰まっています。これを手放しては生きる喜びを失います。是非再度若い頃の思いを復活させてほしいと思います。

 前田さんは来月またお会いして、魔法の力に出てもらいます。録画は大分溜まっていますので、前田さんの号の放映は5月頃になると思います。前田ファンはどうぞお楽しみにお待ちください。

続く

どうしたらトップランナーに立てるか

どうしたらトップランナーに立てるか

 

 若い頃はがむしゃらにマジックを覚え、やがて手に入るマジックと知識を人通り覚えた先に、「さてこの先どう自分を伸ばして行ったらいいのか」。と考えると、急に目の前に大きな壁が立ちはだかり、何をしてよいのか皆目わからなくなってしまいます。

 私も10代のころはそうでした。自分がどうしたらいいのか分からないまま、その時代に技量のあった先輩、師匠の家を訪ねては、ひたすらマジックを習って行ったのです。そうして覚えたマジックや知識が今に至るまでどれほど自分自身のマジック活動に役に立っているかは問われるまでもないことで、結局芸能は、人から人への継承されることによってのみ残って行くものなのです。

 「いや、藤山さん、本や、DVDでもマジックは覚えられるでしょう」。「はい、覚えられます。タネや仕掛けは覚えられます。でもそれが、一般のお客様の鑑賞に堪えるような芸能にはならないのです」。何故か、それは、種仕掛けを知っただけではマジックの上っ面が分かっただけで、不思議は作り出せても不思議が人の役に立っていないからです。不思議なだけでは人の心に響かないのです。お客様が不思議な現象を見て、それを自身の心の中にしまい込んであった、喜びや可能性に結び付いたときに、マジックは人に感動を与えるのです。

 プロマジシャンは、日ごろ、マジックを演じつつ、どうしたらお客さんの心を揺さぶって、閉ざされた心を開くことができるのか、そのことに腐心しています。

 若い頃の悩みはしばしば間違った知識を持った先輩や指導家によってかき回されます。芸能の芸が何たるかが少しもわからない人が、悩んでいる若い人に、もっと強烈なタネを教えることで問題解決に見せかけたり、

 「マジックに大切なのはオリジナリティだ」。などと言って、ろくに知識のない若い人に無理無理オリジナルを考えさせようとしたり、彼らが悩んでいる問題とは全く見当違いなことを教える人がたくさんいます。

 

 私は、ビギナーの人には、まず基礎のマジックをみっちり学ぶことをお勧めします。分かり切った技法でも、頭を空っぽにしてゼロから習ってみる。そうすることで、マジックの基本的な考え方が分かって来ます。そして、幾つかのマジックを組み合わせて手順を作って行く際には、どのようにして手順が作られているのか。マジックの構造と言うものが分かって来ます。

 一つ一つのことを、「分かっている」。「自分は出来ている」。と思い込まずに、もう一度初心に帰って学んで見ることが自身の成長に役立つのです。

 そして習って行くうちに、習うべきことは実は種仕掛けや手順ではなく、優れたマジシャンがなぜそうした発想に至ったにか。その人の考え方を学ぶことこそが大切だと気付いて行くのです。初めに申し上げた、芸能の継承とはこのことです。

 DVDや本は、物を知るには役に立ちますが、それらは質問をしても帰りはありません。個々の質問には何も答えてはくれないのです。芸能を学ぶためには解決しなければならない問題がたくさんあります。それらを一つ一つ語ってくれる先輩に習わなければ芸能は身につかないのです。

 

 私は4年も前、峯ゼミと言う企画を提案して、峯村健二さんに指導をお願いして少人数のレッスンをして、エキスパートを育てようとしてきました。ここではコースごとに一つの手順を作って手順完結型の指導を依頼しました。基本的なものの考え方から、峯村さん独自の創作部分に至るまでかなり細かく指導をお願いして来ました。

 幸い熱心な受講者がいて、現在、14人が毎月一回受講しています。次回、4月からの新規受講生は、これまで指導したウォンドのテクニックを使ったマジックインキ(ハイマッキー)の手順を再度指導します。これは峯村さんの手順の中でも、特に実用的で、ほとんど道具なしで、4分くらい演じられる演技です。

 従来からある、ウォンドの手順では、観客に意味を伝えるのが難しく、何をしているのか一般観客には意味不明な場合が多いのですが、マジックインキを使ったことで手順が生まれ、巧い手順にまとまっています。

 現代の日本で考え得る最高のスライハンドマジシャンである、峯村健二さんから直接習えることはスライハンドをめざす人たちにとっては大きなチャンスだと思います。今ここで習っておくことは一生の宝物を手に入れることです。

 今年の4月12日から9月まで、6か月間のコースです。詳細は東京イリュージョンをご覧ください。今、峯村さんから習うと言うことは、かつての、チャニング・ポロックとか、ダイ・ヴァーノンから直接習った。と言うことと同じ、歴史的な意味を持つことになります。しっかりした知識と技術力を備えた指導家から習うことは、自身の技量を引き上げる最高の近道です。

 新規受講者を募集する今回を機会にぜひ参加されてみてはいかがでしょう。

抜き打ち選挙はいい事か

抜き打ち選挙はいいことか

 

 新聞やテレビは、高市さんの解散選挙を、「何の目的も名分もない無謀な選挙だ」。と言っています。いやいや飛んでもない。どうして今回の選挙の本質が分からないのでしょうか。高市さんのやろうとしていることは、リベラルとか、中道と称する政治家達が、如何に役に立たない人達か、と言うことを焙り出すための選挙をしようとしているのです。

 そもそもが、昨年の高市さんの自民党総裁就任の際に、自民党はどこかの政党と連立をしない限り政権が取れなかったのです。そこで国民民主の玉木さんに相談すると、玉木さんは大喜びで連立を希望したのです。

 ところが、自分がキャスティングボードを握っていることが如何に大きなチャンスであるかを知ると、急に自分たちのポジションを要求したり、条件を吊り上げて、高市さんを窮地に追いやります。そのやり方が余りに露骨なため、高市さんは国民民主に嫌気がさし、急遽、維新との連立に切り替えます。当然玉木さんは大慌てですが、時すでに遅しです。

 この時、高市さんは、如何にリベラルと言う人たちが政治を見ていないか、国のことを考えていないか、彼らの欺瞞を知り、心の中でリベラル、中道と称する人たちを一掃しようと考えたのだと思います。

 そのことは公明も立憲民主も同じです。この人たちの言うことを聞いていては、政権を批判するばかりで、結局は政権の足を引っ張って、何も決められなくなってしまうことに気付いたのです。それが証拠に彼らの言いたいことは常に支離滅裂、「軍備を拡張すれば戦前の大日本帝国軍が復活する」。と平気で言っているのです。そう言いつつ中国の軍備拡大には寛容なのです。一体どこの国の政党なのか。「原子力は危険だから使ってはいけない」。そうであるならどんなエネルギーを使えばいいのか。そこに答えはないのです。

 高市さんはこの際、どうでもいい議員を一掃したいと考えているのでしょう。日本が前に進むことに足を引っ張るような政治家は不要なのです。実際今回の選挙でも、各党が政策として打ち出しているものは自民党と似たり寄ったりで、僅かな数字の差でしかありません。野党独自の物の考えをする政党は共産党くらいです。でも共産党は国民の支持力を失っています。そうなら他の野党はあってもなくてもどうでもいいのです。

 さらに今回は、自民党の中に巣食っているリベラル議員もあぶり出して、一掃しようと考えているのでしょう。そもそも高市さんがなかなか首相になれなかったのは、自民党の中で定着してしまった、リベラルな考え方が災いしているからなのです。

 公明党と連立をしてからは、自民党はどんどんリベラル化して、危険なことには手を出さなくなってしまいました。責任を持たなければならないことには逃げまくるようになったのです。自民党は物を決められない政党になって行ったのです。

 少なくとも国民は、日本がG7の国々のような国家になることを希望しているのに、海外の紛争地域への自衛隊派兵に反対したり、中国や、韓国の領海侵犯に対して何も言えなかったり、日本が余りに不甲斐ない行為を繰り返していることに不満が募っていたのです。

 なぜそうなったのか、それは日本に格差社会が生まれ、いつの間にかことを成さない政治家が定着してしまったからです。地元の経営者の息子が、親の意向で息子の一人を政治家にしようと考え、親が日頃支援している政治家の秘書に息子を送り、3年も勉強をして、自民党から立候補すると、自民党は企業から政治資金を貰ってくれて、しかも公明党から1万票程度の票が貰えて、親の縁故や、いろいろな支援によって票が集まり、めでたく当選します。

 そんな図式がこの30年くらいに完成してしまったのです。それは経営者の家族にとってはめでたいことですが、肝心の子弟は、システムに乗っかっただけで、日本をどうするかなんて考えもしない政治家が育って行ったのです。

 そうした政治家は、国民が住宅ローンに苦しんでいる。学費が払えなくて困っている。正規の雇用で貰われない儘、不安定な生活をしている。などと言う話は全く耳に入らないのです。政治家と国民の間に大きな格差が生じているのです。

 

 それは、かつての江戸時代の幕府の官僚を見るようなもので、役人の地位は、家柄や身分によって決められています。家の身分が高ければ黙っていても政府の高官になれます。勝海舟アメリカに渡った後帰国をした時に、身分の高い幕府高官から、「アメリカと日本の違いは何か」。と問われて「アメリカは才能に応じて地位を得ていますが、日本は身分が高ければ馬鹿でもいい地位につけます」。と言って怒りを買ったと海舟の自伝に書かれています。

 どうも日本は江戸時代に戻りつつあるようです。国民のことなど考えもしない恵まれた経営者の子弟が、見せかけのリベラルを語って、それで政治家として収まってしまう。結果、自民党は活力を失い、支持者を失って行ったのです。

 高市さんはそのことを知っているのです。それゆえに能力があって、国のためにひたすら働くような人材が必要だと考えているのです。疑う前に、石破さんや岸田さんの頃の政治と今の高市さんを比べてみてください。はっきりと違った政治姿勢を見せています。海外の国々からの評価も雲泥の差です。それは日本が何をしなければならないかをリーダーがしっかり把握しているからです。

 今度の選挙は大きく自民党が票を伸ばすでしょう。中間に位置する政党は党を維持することも難しくなるでしょう。今それをしなければ自民党に勝機はないのです(元々自民党が頼りないからこんなことになったのですが)。そう考えた高市さんが打った起死回生の策が今回の選挙なのです。

 そして高市さんが狙っているのは単純な過半数ではないはずです。更に30議席、40議席を上乗せしたいのでしょう。場合によっては参政党まで合流させて、強大な保守政権を作って憲法改正にまで持って行きたいのでしょう。それが出来るかどうかは私の知るところではありません。

 でもそんな時代が来るような気がします。私の人生の中で最も面白い政治の状況が生まれようとしています。

 続く

人口が減るのはいいことだ

人口が減るのはいいことだ

 

 以前からお話ししていることですが、日本の人口が減ることは労働力が減って、生産量が落ちて国が衰退して行く。と何もかも悪くなると考えている人が多いようですが。本当にそうでしょうか。私は以前から、日本は人口が減ることによって豊かになると言い続けています。

その根拠をもう一度お話しします。

 人口が減ると住宅や、土地の値段が下がります。これは日本人にとって千載一遇のチャンスです。日本は先進国だと言いますが、実際日本人が住んでいる家は、とても先進国の人が住む家とは言えません。今時個室を持っていることは珍しいことではありませんが、その個室のサイズが、4畳半だとか6畳なんて言うスペースは、欧州では考えられません。欧州の最も貧しい国ですら、そんな居住空間に暮らしてはいません。

 住居の話をすると、みんな「日本は国が狭いから仕方ないでしょう」。と言って半ばあきらめてしまいます。いやいやそうではないのです。例えばドイツと日本は国のサイズはほぼ同じです。然し人口は日本が1億2千万人。ドイツは9千万人です。しかも、ドイツは半分が平地です。日本の平地は3割です。国のサイズが同じでも、平地が少ないために、居住空間は狭められます。だから人口の多い、平地の少ない日本では狭い生活を余儀なくされるのだ。と言うわけです。

 でもそうでしょうか、スイスはどうです。スイスは日本よりも平地が少なく、山ばかりの国です。そうならスイス人は、4畳半のような部屋で暮らしていますか。彼らはもっと豊かに広々と暮らしています。

 何が違うのかと考えたなら。日本は人口が多すぎるのです。しかも長年狭い土地で暮らす事に慣れてしまって、もっと広い住居を求めようとしないのです。でも、もしこのまま日本の人口が減って行けば、自然と居住空間は広くなってゆきます。

 実際、今現在、都市の周辺地域で空き家や廃屋が増えています。価格も土地付きで100万円程度の家がたくさんあります。無論、都市部では、何億もするマンションがどんどん建っています。でも、この先人口が減って行けば、都心部も含めて、ますます住宅の価格は下がるでしょう。

 これは日本人にとってとてもいいことのはずです。人口が減れば貧しくなるのではなくて、日本人は豊かになれるのです。バブルの時代の半額くらいで、二倍の家土地が手に入る時代が来るでしょう。そうなって初めて先進国の国民だと胸を張れます。

 もし日本がドイツと同じように9000万人くらいの人口になったとしても、平野部のスペースが日本は狭いため、ドイツよりはずっと狭く感じるでしょう。日本の人口が7000万人くらいになればドイツと同等に、広々と暮らすことができます。7000万人は無理でも、9000万人に減ったなら、今の人口の30%が減少することになります。

 そうなれば、住宅事情は一変に解決するでしょうし、通勤時間も劇的に改善されるでしょう。会社まで自転車で通えるようになるかもしれません。当然、ラッシュアワーもなくなるでしょう。

 「そんなに人口が減ったなら日本は貧しくなるよ」。と言う人があります。そうでしょうか。そうはならないでしょう。なぜなら、人口が減る。老人社会になる。イコール貧しくなると言うのは余りに偏った見方だからです。

 現実に日本の老人はよく働いています。そして収入もあります。私の子供の頃は、老人と言えば、縁台で将棋を指しているか、碁会所で碁を打っているか、ほとんど無職でしたが、今はそうした人達を見ることのほうが稀です。

 現に私は71歳ですが、現役で働いています。マギー司郎さんは80歳ですが、サラリーマンよりはよほどいい稼ぎをしています。「それは芸能人だからでしょう」。と言う人がいますが、普通に暮らしている周囲の人を見ても、今の日本人の老人は実にこまめによく働いています。

 実際、日本の老人は若い勤め人よりも収入があるように思います。その収入を投資に向けたり、アパートを持っていたりして、きっちり稼ぎを上げて、社会に貢献しています。日本の老人は決して貧しくはありません。

 老人が増えたからみんな無収入だと言うのは昭和30年代の話です。勿論、労働力と言う点から考えて、若い人が足らない分は外国人を入れないといけないでしょう。それは、50年近く前に私が欧州に行った時も同じでした。

 ロンドンのデパートでは、接客する店員は、みんな香港か、インド人、アフリカ人が働いていて、デパートの店員で白系イギリス人は稀でした。欧州では半世紀前から人手不足だったのです。

 今更日本人が心配することではありません。人が足らなければ海外から求める以外ないのです。イギリスもフランスもそうして半世紀近く国を維持して来たのです。先進国が先進国として生きて行くにはそうした事をして行くほかはないのです。

 日本がこの先外国人が増えることは心配だと言う人がありますが、イギリスもフランスも50年前から労働者を受け入れて来て、未だに先進国を維持しています。そうならそれでいいのではないですか。

 むしろ、今の日本は人口を減らして、少なくともドイツ並みの人口になれば、見渡す限り山の上まで建売住宅のような家が並んでいるような、狭い家に住んで、満員電車に揺られて会社に通って暮らすような今の生活環境から抜け出て、家が半値で、今より近いところに買えて、広々暮らして行けたなら、遥かに豊かな暮らしができると思いませんか。

 それをなぜ、学者や政治家は人口減少を危ぶむのか、理解が出来ません。家土地の価値が下がれば、下がった分は消費に回せますし、生活にゆとりが出ます。その結果、国内消費を持ち上げて、新たなビジネスが発展するでしょうし、それが経済を押し上げて、巡り巡って国が豊かになるでしょう。それを望まない人があると言うことが理解が出来ません。不思議な国ですね。

 続く

衆議院選挙が始まるよ!

衆議院選挙が始まるよ!

 

 いよいよ高市総理大臣が、衆議院を解散して選挙に出ます。「抜き打ち解散だ」とか、「暴走だ」とか言う野党政治家がいます。マスコミも、予算編成をすっ飛ばしての選挙は暴挙だと言っています。然し、大方の日本人はマスコミの言葉に乗っては来ません。

 多くの国民は「攻めるならば今だ」。と思っています。野党側の選挙準備が出来ていないのです。そのためどの党も大慌てです。今選挙をすれば高市人気の追い風で、自民党は大勝利するでしょう。多くの国民はそれを望んでいるのです。

 一年前なら考えられないことです。いくら高市さんが人気があるからと言って、多くの国民が、自民党の大勝利を望むとは考えられなかったからです。しかし世の中の流れははっきり変わっています。いや実は国民の気持ちはもう20年以上も前から変わっているのです。そのことにマスコミも、リベラルと称する政治家も気付かなかっただけなのです。

 そもそも、もう国民はリベラルと言う政治家が何の役にも立たない人達であることに気付いています。「憲法を守れ」。「戦争をするな」。それを言い続けて60年。その結果、竹島は取られっぱなし。うっかりすれば尖閣諸島も、沖縄も霞め盗られてしまいます。日本の領空を韓国のジェット機が悠々と飛んでいます。北朝鮮のミサイルが毎月のように日本海を横断します。日本は、遺憾を言うだけで対処しません。それでいいのですか。日本は独立国ではないのですか。

 「台湾有事に際には、自衛隊は日本の安全のために対処しなければならない」。と言ったとたん、中国は主権侵害だと怒りまくります。そして日本への旅行を取りやめたりします。それは異常な行為です。日本の近くで中国と台湾が戦いをすれば、日本が無傷でいられるわけはないのです。その対処は、誰に言われるわけでもなく、日本がすることです。それを中国にお伺いを立てる理由はないのです。

 中国や、韓国や、北朝鮮、ロシアの理不尽な行動にじっと我慢してきたのが戦後の日本なのです。でもこのままでいいのかという疑問は日本の国民はみんな不満に感じていたのです。

 

 私はこのブログを始めた時から、「今の日本人が望んでいるのは、自民党以上に右寄りな政治なのではないか」。と書いてきました。それゆえに、高市さんが出て来た時は、「次はこの人だ」。と思いましたし、参政党が出て来た時は「この政党は大きくなる」。と思いました。民意は自民党よりもはるかに右寄りにあるのです。

 なぜかは明らかで、自民党は本来改憲を目指している政党だったのですが、長く政権の座にいるうちに、いつの間にか、リベラルと称する政治家が増えてしまったのです。リベラルと言っていれば国民に受けが良く、安定して票が取れると判断したのでしょう。始末の悪いことに、公明党選挙協力をしてからは、一層自民党は中道に偏ってしまいました。

 中道と言うのは、右寄りの考えも持たず、左寄りの考えも持たない、何も決められない政治のことです。「原発はいけない」。とまくし立てて、「じゃぁ、足らない電力はどうするのか」。と問えば、答えがないのです。風や太陽熱では膨大な日本の電力需要を補えないのです。

 「再軍備はいけない」。とはもっともなことですが、その結果、頭の上を飛ぶ韓国のジェット機を追い払うことも出来ません。中国の海軍が尖閣諸島にやって来ると水を放射することしかできません。リベラルの政治家のすることは解決策がないのです。そんな日本政府の対応に多くの国民は腹に据えかねていたのです。

 「日本はそんな弱い国ではないし、そんなだらしのない国ではない」。自国の主張を語るのに、近隣の国の意向を聞く理由はない。とは誰もが思っていたのです。

 それを高市さんは首相就任早々に明確に主張を始めました。国民は拍手喝采です。中国の主権侵害に対する日本への対策は余りに貧乏くさいものでした。「ホタテを買わない」。だの、「パンダは貸さない」。だの、何を言っているのですか。言えばいうほど中国が惨めに見えます。

 先週も韓国の大統領が外交交渉に来ました。自国の経済が危機に瀕しているので、日本から外貨を借りようとしにやって来たのです。それに対して高市さんの対応は見事でした。

 まずイ・ジェミョンさんを東京に招き入れませんでした。儀仗兵の閲覧もなし、迎賓館にも入れず、天皇陛下との会見もなし。奈良で会って、話をして、外貨の借り入れは明確に断って、早々に関西空港からお帰り願いました。いいですねぇ、これが日本のなすべき政治です。せっかく来たのだから、韓国に何か手土産を渡そうなどと考えることが間違いです。結局韓国の大統領は何一つ成果を得ることはなかったのです。

 恐らく高市さんは、今度の選挙で、曖昧な姿勢を見せていた、中道だのリベラルなどと言う政治家をあぶりだして、落選させるでしょう。自民党の中でさえ、曖昧な立ち位置の人には応援をしないでしょう。ましてや、公明党と立憲民主の連立合同などは、マスコミは連日大騒ぎをしましたが、高市さんはコメント一つ出しませんでした。全く無視です。高市さんから見たなら中道なんて曖昧の極みです。何ら政治を動かす力のない人たちなのでしょう。今度の選挙で、大きく議席を減らすでしょう。

 恐らく次の選挙で自民党が大きく躍進をして、その結果、憲法改正から、自衛隊国防軍昇格などを決めて行くでしょう。70年間停滞していた政治が一遍に前に進むはずです。マスコミもリベラル政治家も、唯々狼狽えているでしょう。やることなすこと拍手喝采で迎えられている高市さんの早急な政治にマスコミも対応に追われて、どう考えを切り替えたらいいものか、てんやわんやだと思います。

 いいことです。しばらくは政治が面白いと思います。

 続く

JCMA と FISM

 JCMA とFISM

 

 毎年夏と暮れに田代茂さんは、私を誘って下さってレストランなどで食事をご馳走してくれます。私自身が田代さんにそれほどお役に立てるような活動をしているわけではなく、コンテストの審査員なども頼まれても、ひたすら断ってしまうくらいですので、こんなにしてもらっていいのかなぁ、と思います。

 ほぼ唯一と言っていいのは、JCMAのジャパンカップで表彰する際のコメンテーターを、20年以上勤めています。これはジャパンカップ立ち上げから協力していることもあって、いかなる用事があっても引き受けています。そんなことでお役に立てるなら幸いです。

 さて今回は、暮れの日程が取れなかったらしく、1月11日にお越しになりました。そして一緒に新宿のパークハイアットホテルに行き、新装になって程ない39階のレストラン梢で食事をしました。

 

 田代さんは毎回ネットなどで店を調べて、私を食事に接待をしてくれます。至れり尽くせりで有難いです。今回は和食です。天上の高い建物で、中に入るとガラス張りの窓から東京が一望できます。

 まず初めに、とにかく外が寒かったので、燗酒を頼みました。熱燗で温まっているうちに、アワビとウニをトロロ掛けした前菜が出ました。

 次に、すっぽんの身と、椎茸、ネギなどの吸い物が出ました。すっぽんは珍しい食材です。人生でこれまで二度ほど食べました。昔道頓堀ですっぽん鍋を食べました。記憶では、身は淡い鶏肉のような味で、皮がゼラチン質で個性的でした。特に特別の味わいは感じませんでした。その味ももう忘れました。この晩のすっぽんも、特に個性的な味と言うわけでもありませんでした。

 次にお造りが出ましたが、これが陶器で出来た大きな器でした。形状はほら貝のようで、中に氷が敷き詰められていて、その上に、マグロ、くえ、イカが並んでいます。無論味は良かったです。でも一番うまかったのは生海苔がうずたかく積んであるのを摘まんで食べたのが、香りが良く、最高の味わいでした。但し、器が大きく、中に氷が山ほど入っている割に、刺身は僅かでした。どうもここの店は器が大きいのが特徴のようです。

 次に八寸が出ました。繊細な料理が並んでいます。鯖の握りが一つ、カラスミ、長芋、合鴨、小豆の寒天で固めたもの。等など、カラスミと小豆が旨かったのと、小さなクルマエビがいい味でした。

 焼き物は甘鯛の若狭焼、西京焼きのような感じでした。身は多くはありませんでしたが、これはとてもいい味でした。

 メインは牛フィレ肉です。但しとても小さな肉でした。ごぼうの和え物が旨いと思いました。

 飯はぶり大根を混ぜた炊き込みごはん。これが最高に旨い飯でした。ブリの脂の乗ったところを照り焼きにして、その甘み、大根のさっぱり感が炊き込みごはんに混ざって、文句のない旨さでした。

 それにデザートでリンゴのゼリーとアイスクリーム。どれも量の少ない食事でしたが、全部食べると充実感を感じました。

 

 さて、田代さんは昨年からFISMの副会長となって、かなりFISMの経営にかかわるようになっています。御多分に漏れず、FISMも資産はなく、収入もわずかです。大会のたびに大きな金が出ますが、毎回何とか運営が出来ています。

 FISMは大会運営は地元の団体がするので、収入にも支出にも直接関与はしていないようです。本部の唯一の収入は参加団体から年額で貰う会費ですが、その会費も知れています。そして大会ごとにFISMの名前を使用するロゴ、使用料等。然し、オリンピック協会から比べると、FISMは余りに規模が小さく、収益もわずかです。

 田代氏はこれをどう運営するのか、新たに多くの仕事を抱えて、頭を悩ませています。他に田代さんには、母体のJCMAがあります。これも、田代さんが企画をして、運営をして、当日には司会まですると言う大活躍のため、その運営は大変な仕事量です。

 私が見るに、田代さんは多くのことを抱え過ぎていると思います。思い切ってある部分は人に任せて、そこには自らが関与せずに、仲間の裁量を信じてもいいのではないかと思います。それでないとこの先パニックになってしまうでしょう。

 この先、FISMのアジア予選をどうするのか、二年後のFISM本大会をどうするのか、問題は山積しています。私は、今のアジア情勢を考えると、来年のアジア予選も、再来年のプサンの本大会も、このままでは大会そのものが危機に陥るのではないかと危惧します。

 中国も、韓国も経済が旨く行っていなくて、アジアが不安定な中で、よりによってプサンでの開催と言うのはリスクが大きく、本当に二年後にプサンで開催できるかどうかもわかりません。この状況は、30年前のFISM横浜大会の状況によく似ています。

 あの時も、日本経済のバブルが弾けて、スポンサーがいなくなり、あわや大会開催が不可能になる所でした。それでもどうにかなったのは、バブルが弾けてはいたものの、バブル余波でまだ日本全体が浮かれていて、何とか横浜市などの支援があったため、開催できたのですが、実はそれも破綻寸前でした。

 来年再来年には、中国にも韓国にもバブルの破綻が起きるでしょう。30数年前に日本で起こったことが、二年以内に中国韓国で起きます。そうなれば、来年再来年は、相当に厳しい開催になるはずです。無論大会そのものは韓国が開催するのですが、韓国の国家が破綻して、開催不能となったとき、田代さんの技量が試されることになります。

 今の田代さんではもう仕事は手いっぱいの状況です。早めに企画委員会を立ち上げて、実質活動できるメンバーをそろえて運営をして行かないと、私が思うには、30年前よりも厳しい時代が来そうです。

 また、支援金も必要です。クラウドファンドなどを活用しておかないと個人資産ではどうにもならない結果になります。マジック愛好家に、現状の運営の難しさを訴えて、支持者を作っておくことが必要でしょう。

 田代さんはこれからしばらく超多忙な人生を送ることになります。私としても、いつも食事をご馳走して頂いている手前、何とかご協力したいとは思いますが、この先の運営はとてつもなくハードルの高いものになるでしょう。私にできることは微々たるもので、多少なりとも文章でマジック愛好家に呼びかける程度のことは致します。

何とか上手く行くことを願っています。

 続く