手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

二宮金次郎

二宮金次郎

 

 二宮金次郎さんと言えば、戦前の修身の教科書には日本人のお手本として尊敬された人物です。かつての小学校の校庭には、薪を背負って本を読む子供のころの金次郎さんの銅像が必ず立っていたそうです。

 二宮金次郎さんが尊敬を集めていた理由は、勤勉に生きる姿でした。金次郎さんの家は足柄郡の農家で、村では豊かな暮らしをしていたようですが、酒匂川の氾濫で田んぼが流されてしまいます。家族は必死に働きますが、悪いことに、両親は病気に罹り亡くなってしまいます。

 この時金次郎さんは12歳です。弟が二人います。12歳の長男の背中に一家の一切がかかってきます。やむなく金次郎さんは賃仕事をして、手伝いで生計を立てようとします。然し12歳では満足に大人の仕事が出来ません。生活は一気に困窮します。

 薪を背負って本を読む姿は、親戚の家に身を寄せているときに、夜に灯りを使うのは勿体ないから本を読むな、と言われ、やむなく山に薪を取りに行く行き帰りに本を読んで勉強したことから、あの姿が村でも知られるようになったわけです。

 ある日、田植えを手伝っていると、田んぼの畔に余った苗が捨てられているのを見つけます。わずかな苗ですが、周囲の田んぼを見ると、ところどころに苗が捨ててあります。金次郎さんはそれを拾い集めて、自分の家の荒れて使えなくなった田んぼに水を引いて苗を植えてみます。

 すると秋には一俵の米が出来ました。その米を食べずにそのまま植えると三年で三十俵の米になりました。これを元手に、田んぼに転がった大きな石を村の人に手間賃を支払って取り除き、土を運んで田んぼを整え、自作農が出来るようになりました。元をただせば拾ってきたわずかな苗です。

 こうして自前の田んぼで稼げるようになると、田んぼは弟に任せ、そこから上がるわずかな金で本を買い、自身は小田原に出て商家に勤め、傍らに学問を学びに行くようになります。

 金次郎さんは自分の家の田んぼを元の規模にまで戻し、更に親戚の生活を助け、世話になった商家の経営を立て直します。すると、小田原藩の家老から家の経理を任されます。これも数年で借金を返し、健全な暮らしに戻します。

 そうなるとあちこちの村や、大名家から経理を頼まれるようになります。

 

 金次郎さんが、商家や大名家の経理を立て直すときに、まず何をしたかと言うと、過去5年の収入を調べてその平均を取るようにしました。そして平均の収入で生きて行くことを教えます。平均より収入の多かった年にはその収入を貯めて、少ない年には貯めておいた収入を使って賄います。こうすれば外から利息の付いた金を借りなくても生きて行けるわけです。

 当時の日本は農業で成り立っていた社会ですから、天候によって作物の出来不出来があります。そして、豊作だからと言って、必ずしも利益が上がるものではなく、地域全体が豊作だと、米の値自体が下がってしまい、収入も少なくなります。豊作でも不作でも収入は常に不安定だったのです。

 貧しいがゆえに、米の安いときに自作の米を売らなければならず、不作になれば逆に借金をして高い米を買わなければならなかったのです。

 毎年初夏になれば、日本全体で米が不足します。秋の収穫までは、米の値段が高騰するのです。この時まで米を残しておけばいい値段で売れるのです。然し、それが出来ないのは、その日その日に追われた生活をしているからです。そこで金次郎さんは、先ず、5年間の収入の平均値で生きる方法を教え、少しでも貯蓄することを教えます。これを固く守れば必ず収入が上がり、逆に利益が残るのです。

 ちなみに、今でも日本人が夏場に蕎麦やそうめんを食べるのは、江戸時代、夏に米が高騰して、庶民の口に米が入らなかった名残です。

 今は何でもなく蕎麦やうどんを食べますが、江戸っ子にとっては早く新米が食べたいと言う思いで、我慢して蕎麦うどんを食べていたのでしょう。

 話を戻して、金次郎さんは単なる倹約家なのではなく、経済の仕組みをしっかり周囲の人に教えて、せっかく作った利益を少しでも価値を高める方法を指導した、と言うところが今日の経営者の才能を備えた人なのだと思います。

 こうした点、教科書では金次郎さんの利殖の方法は教えません。然し、金次郎さんの人生を見ると、勤勉に生きることももちろん大切なのですが、むしろ、稼いだ金をどう生かすか、と言う才能を農民に指導したことが、当時としては新しく、疲弊していた江戸の農本体制の改革に役立ったのだと思います。

 

 金次郎さんの名前は全国に知られ、その農業、経理を学びたいと日本中の農家、大名家の家老が押し掛けてくるようになります。また、村の立て直しも依頼されます。

 金次郎さんは、大名家から村の立て直しを頼まれると、必ず村に行き、つぶさに村の様子を眺めます。そして、すぐに改革に着手しません。何日か逗留して、そのまま去って行きます。

 大名家の役人などは、何事かとあわてて追いかけて尋ねますが、金次郎さんは相手にしません。いくら聞かれても話をしません。なぜか、金次郎さん曰く、「人に頼るのでなく、自分がどうにかなろうとする気持ちがなければ改革はできない」、のだそうです。

 村に行くと、多くの百姓が働く意欲をなくし、朝から酒を飲んでいたり、博打をしていたりします。それでは何を話しても何も変わらないのです。自らが変わろうと言う気持ちがなければどうにもならないのです。

 金次郎さんは努力をしない人を助ける神様ではなく、まともに働く人に報われる生き方を教える人なのです。それもこれも、今の生活から抜け出そうと目を覚まして、自らが立ち上がる気概がなければどうにもならないのです。

 本気で今の生活を変えようとする人だけを相手に改革をするのです。後に名前を二宮尊徳と変えて、農家の間では神様にまつられるようになりますが、その生き方を見ると、決して倹約だけで金を作れと言っているのではなく、コメの備蓄を進め、備蓄をするだけでなく、その米を貸し出して利益を上げるように勧めます。

 また、相場もしっかり見て、利殖も進めています。そのためには積極的に学問を勧めます。つまり、金次郎さんは有能な経営者であり、その考え方は、一人一人の実践に役立つ経営方法を教えていたのだと気付きます。

 真面目であること、倹約家であることは金次郎さんの一面ではありますが、余りにそればかりを強調すると、金次郎さんがつまらない人に見えてしまいます。

 私は、金次郎さんを面白おかしく小説にして書いてみたいと思い、資料を少しずつ集めましたが、いまだ小説は果たせず、断片的な話をつらつら述べました。

 

明日はブログを休みます。

 

 

 

 

そもプロ復活

そもプロ復活

 

 昨日(11月4日)、カードを販売する会社を経営している和泉圭佑さんが訪ねて来ました。

 和泉さんはマジック雑誌を出そうと企画をしています。そしてその中に私の「そもプロ(そもそもプロマジシャンと言うものは)」を連載したいと言うのです。

 そもプロは、今から20年前に、東京堂出版から出していた、ザマジック(季刊誌)に10年間掲載されていたもので、その後、まとめられて同名で単行本になりました。

 話の内容は、プロに成りたての若手マジシャン、コワザ君とキムコ君が私のところに尋ねて来て、様々な悩みを話します。それに対して私が適切なアドバイスをすると言うもので、ステージ上の注意であるとか、手順の作り方であるとか、種明かし問題であるとか、話は多岐にわたりました。

 今でも熱烈な「そもぷろ」信者がいて、続編を求める声は高いのですが、ザマジックが廃刊になってしまい、如何ともし難い状況でした。

 そもプロを執筆しているときには、新幹線などで移動しているときにも、座っている私に、通りがかった人が、「ひょっとして藤山さんですか」。と尋ねられることがあり、「私はそもプロのファンです」と言う人がたくさんいました。

 ローカル線のホームで列車を待っているときも、高校生と思しき人が、私をちらちら見ていて、やがて意を決したように寄って来て、「藤山さんですか。僕はそもプロのファンなんです。毎回ザマジックを買っていますが、一番先に読むのがそもプロです。握手してくれますか」。と緊張して話してくる人があります。「あぁ、こんな田舎までも私は知られているんだなぁ」。と思うと嬉しくなりました。

 毎回、手紙や、メールなどももらいました。中には、「藤山さんと一緒に食事がしたい」。と言う人も何人かいて、「私が費用を出しますので、一緒に食事をして下さい」。と頼まれました。そして食事をしながら、マジックの話をすると、「これこれ、こんな話が聞きたかったんです」。

 と、妙なところで感動しまくる人がいて、彼らはそもプロに出て来るコワザ君や、キムコ君になり切って悦に入っていました。すっかり読者は、そもプロにはまって感動していました。

 連載が終わった後も、随分多くの読者から「続編を出してください」。と言う手紙をもらいました。考えて見ると、マジックの種仕掛けを解説している本はたくさんありますが、マジックの考え方、或いは、プロマジシャンは何を、どう、考えて生きて行かなければいけないか。などと言う話はどこにも書いていないため、そんな話を読みながら、プロを疑似体験するにはまことに貴重な本だったようです。

 

 それをこれから連載するそうですので、差し当たって、写真を撮り、タイトルの文字を作り。私が毛筆でタイトルを書きました。私の筆は決して自慢のできるものではないのですが、和泉さんのたっての依頼ですからやむなく書きました。

 原稿は月末までに書き上げます。私の執筆がマジック界発展の一助となれば幸いです。私の活動が、人に求められて、それが人の役に立つと言うのは何と幸せなことかと思います。

 雑誌名も発行日も知りませんが、ともかくご期待ください。

 

大阪セッション完売の勢い

 11月26日の大阪マジックセッションが完売の勢いです。もともと、120席程度のスペースですので、売れることは間違いないのですが、どうも大阪のマジックファンは、コロナ禍に遭ってあらゆるマジックの催しが中止になったため、マジックショウに飢えているようです。きっと白熱した舞台になるでしょう。

 

 福井天一祭苦戦

 方や、11月27日、福井市のフェニックスホールで開催される、天一祭は、チケットの売れ行きが今一歩です。福井ではこの天一祭の催しが唯一のマジック公演ですので、もっと盛大にマジックファンに集まっていただきたいのですが、どうもコロナ禍に遭って、人が出歩かなくなってしまったようで、人集めに苦労しています。

 峯村健二さんや、東京から、九州から、色々なマジシャンが集まりますので、是非ご覧いただきたく思います。

 

玉ひで公演

 11月20日は、12時から玉ひで公演です。私の他に、ザッキーさん、戸崎拓也さん、前田将太、が出演します。お食事をしながら、目の前で手妻をじっくりご堪能いただきます。どうぞひと時江戸情緒をお楽しみください。

 

2022年1月8日9日 ヤングマジシャンズセッション

 今月末からチケットの販売開始します。出演者は、緒川集人さん、アキットさん、藤山新太郎、藤山大樹、大学の優秀マジシャン。

 8日は18時30分スタート。9日は、13時からマジックコンテスト、17時30分からショウスタート。

 コンテストの募集も致します。11月15日から。内容。10分以内、ステージマジック。ビデオ審査あり、12月15日までビデオを東京イリュージョンまで送ってください。メールも可。12月20日に結果をお伝えします。  

 

コメンテーター

コメンテーター

 

 テレビ番組で、お笑い芸人が、コメンテーターになったり、ニュース番組の司会者になったり、様々に活躍しています。お笑いの中には頭のいい人もいるでしょう。そうした人たちがコメントを述べることは悪いことではないでしょう。

 然し、彼らに専門知識があるのでしょうか。ちゃんとコメントをする資格を持って話をしているのでしょうか。何でも思ったことを言えばいいと言うものではありません。

 特にニュース番組の場合は、正確な情報を提供しなければいけませんし、公平な立場で語らなければいけません。自分の好みでものを言うことはできないはずです。先日の選挙速報を見ていて、爆笑問題の太田さんの発言は見ていて不快でした。

 

 断片的にしか見ていませんので、私がここで詳細に述べることはできませんが、お笑いタレントがお笑いの世界でものを言うなら多少のことは許されるでしょうが、ニュース番組で政治家に対して失礼な物言いをすることは許されません。

 選挙報道という政治家にとっても国民にとっても極めて重要な番組で、根拠を示さず政治家を侮辱する発言は許されません。

 このところのお笑いタレントや俳優は、自身の活動の枠を超えた発言が目立ちます。そもそも、なぜタレントを起用するのか、また、なぜタレントの責任のない発言をテレビ局が許すのか首をかしげてしまいます。

 ニュース番組は、茶化したり、皮肉を言う場ではないはずです。そもそもお笑いタレントが引き受ける仕事ではないはずです。よほど専門知識があって言うならともかく、ただ出て来て、しどころのないまま笑いにもつながらないことを言い続けることに何の意味があるのか、いぶかしく思います。

 人気があって、収入がある人たちですから、自分たちの発言が社会で通るように考えているのかも知れませんが、勘違いをしているとしか思えません。お笑いやアイドルがどんどんいろいろな番組に進出して来て、お笑いタレントの社会的地位が向上してきたように感じられ、めでたいことだ、と思っていたのですが、どうも底の浅さが目立ちます。そもそもコメンテーターなどと言うポジションは曖昧で、あまり人の役に立っているとも思えません。タレントがこんな仕事をしていると、案外、先行きはそう長くは続かないような気がします。

 

昼散歩

 昨日(3日)は、朝のうちは部屋のかたずけをして、昼からは高円寺の駅前に出て、買い物をし、どこかで食事をしようと外出しました。高円寺の商店街を見ていても5年10年と続いている飲食店は少なくて、店は頻繁に変わります。

 アーケードでカレー屋さんを見つけました。比較的新しい店だと思います。店の表にはインド人と思しき人がニコニコしてランチを売っています。店頭に並んでいるナンが大きくて旨そうでしたので、ナンとチキンカレーを食べて見ようと思い、店に入りました。

 まぁ、インド人が経営している店ですし、まずいカレーを売っていてはインド人としての存在価値はなくなってしまいます。ナンもチキンカレーも彼らは嫌と言うほど作って食べているはずですから、そうそうはずれはないだろうと信じていました。

 私が外でカレーを食べることはめったにありません。正直それほど好きな食べ物でもないのです。なんせ私は辛いものは一切駄目なのです。カレーを注文するときはいつも甘口を頼んでいます。甘口を頼んでも、辛いときがあります。この店は初めてです。辛いカレーが出てきたら困るなぁ、と思いながら料理を待ちました。

 

 結果を言うならはずれでした。ナンはただ小麦粉の味しかしませんでした。旨味を感じません。チキンカレーは量があまりに少なくて、大きなナンに対して、カレーが足らず、結局ナンを半分も余らせてしまいました。全部食べたいと思うほどのナンでもありませんでしたので、結局残しました。初めに出て来たキャベツのサラダも、申し訳程度のもので、あってもなくてもどうでもいいような付け合わせでした。

 結局旨いと思ったのはラッシー(羊のアイスミルク)だけで、それも歩いて駅まで来たため、のどが渇いていたから旨いと思ったのでしょう。

 ランチのカレーとラッシーを追加して、合計770円。値段的には普通でしょう。然し、少しもいいところがありませんでした。

 神田明神脇のネパール人が経営するカレー屋さんが絶品で、弟子の前田がその店の大ファンで、私も神田明神に出演するたびにそこで昼食をとっていて、カレーファンになっていたのですが、高円寺で裏切られてしまいました。

 この先、よほどのこともない限り、初めてのカレー屋さんには入らないようにしようと心に誓いました。インド人だからと言って信じてはいけません。

 

読書

 家に帰ってから、太平洋戦争の本を読みました。「決定版大東亜戦争新潮新書)」共著で、内容が濃いためなかなか読みこなせません。かれこれ2か月かかって読んでいます。

 面白いのは、中国側から見た太平洋戦争が書かれています。一方的に攻められていた日中戦争から、英米との戦いである、太平洋戦争に至ったときに、中国は、初めて泥沼の戦いから、抜け出せたと判断をしたようです。逆に言えば、日本が、中国との戦いを解決せずに太平洋戦争に突き進んだことが日本の敗北の原因となったわけです。明らかにまずい戦いをしたことになります。

 もう一冊は、昔買った、「クラシックのCD名盤」。宇野功芳先生の著作です。私はこの本のお陰でいい演奏家のCD と出会えたのです。今また読みなおしてみると、宇野先生の熱き文章がよみがえってきます。

 特に最近はネットで昔のレコードが聴けるようになり、同じ演奏家の同じ作曲家の曲でも、録音した年代が違うとかなり違った演奏の仕方をしていることが分かり、興味が倍増しました。やはり、指揮者も年齢とともに、演奏の解釈が深まっていくのです。

 しかし同時に若さが失われて行きます。若く溌剌とした演奏がいいのか、高齢化して巨匠となった演奏がいいのか、聞き比べると一概に老練な演奏がいいとは言い切れないところが芸術の面白さです。

 宇野先生は、その都度、年代とCDの違いを指摘して書かれていますが、買う立場とすれば、同じ演奏家で、同じ作曲家の演奏を、年代別に、そうそう何枚も買うことはできませんので、いくら勧められても、予算上、買うことを諦めていましたが、ようやく足らない分はYouTubeで聞くことが出来て、著者の意図するところが分かって幸せです。

 それでもブルックナーの8番のシンフォニーなどは一曲で一時間以上ありますので、何人もの指揮者の演奏を聞き比べるとなると、体力と精神力と悠久の時間が必要とされます。日にちを変えて聞く以外ありません。

 それでも連日、オイゲンヨッフムや、チリビダッケ、朝比奈隆さんなどの名指揮者を聞き比べるのは何とも贅沢です。まさに壮大な宇宙を旅している心持です。こうした時間を持てることが幸せです。

続く

 

 

ディアゴスティーニのザマジック

ディアゴスティーニのザマジック

 

 以前にメイガスさんから原稿の依頼を受けていて、資料を送ったままその後仕事に忙殺されていましたが、昨日(11月2日)ザマジック71号が届きました。私は、ディアゴスティーニのザマジックを手にするのは初めてです。

 イリュージョニストのメイガスさんが監修をして、全くの初心者にマジック指導をする、と言う企画をしていることは知っていました。実は、このザマジックを定期購読している人が、私のところにマジックを習いに来ています。

 その人は、ザマジックを購読することでマジックに興味を持ち、欠かさず購読しています。マジック熱が高じて、私のところにまで習いに来ていると言うわけです。毎回指導書と一緒に、指導教材が付いていて、その教材がなかなか優れ物であることは聞いていました。

 メイガスさんが厳密にセレクトして製作した作品が教材についています。先日も私のところで指導を受けている学生さんたちが、メイガスさんの作ったファンカードを持っていました。

 ファンカードをゼロから作ると言うのは簡単ではありません。よくそこまで執念を燃やして一回の作品の付録教材に出せるものだと思います。

 今回の号は、お化けハンカチが付いていて、写真による解説書が丁寧に書かれています。DVDもついていて、演技と種の解説が出ています。親切な解説ではありますが、これを毎回テキストとDVDに起こして指導書を作るのは相当に時間のかかる仕事だろうと思います。

 71号とありますので、この活動を71回繰り返してきたことになります。これは単なる仕事を通り越して、マジックに対する愛情が感じられます。日々の地道な活動に敬意を表します。

 

 指導書の巻末にマジシャン紹介のコーナーがあって、そこに今月号は、私の写真と記事が載っています。私を紹介してくださるのは有り難いのですが、私の経歴を見て、マジック好きの読者の皆さんが、夢と希望を膨らませてくれるのかどうか、そこまで私が世間のお役に立つのかどうか、はなはだ疑問です。

 次号の宣伝を見ると、次回は藤山大樹が出るそうです。そうなら藤山一門が立て続けに紹介されることになります。光栄ではありますが、メイガスさんのご指導している世界と我々とはあまりにかけ離れた世界ですので、これでいいのかなぁ。と心配になります。

 いずれにしましても、マジック普及のために広く読者を増やしているメイガスさんの活動は評価に値します。これからもお続けくださるよう、心より願っています。

 

大樹は元気でした

 昨日(11月2日)、昼に藤山大樹が来ました。道具のことで尋ねて来ましたが、久々に会ったので、事務所でお茶を飲みながらいろいろな話をしました。

 大樹は、海外の仕事の依頼が多かったのですが、このところのコロナ禍の影響で仕事の数を減らしています。仕事が少ないのは芸能人すべてに共通することではありますが、会って話をすると、思っていた以上に元気で、結構テレビの企画など、次の仕事の依頼があって、忙しく動いているようです。

 私自身他人ごとではなく、コロナ禍で仕事が減少し、被害を被っているのですが、私のことよりも、弟子が無事に活動していると聞くとホッとします。

 このところマジック界で、なかなか若いスターが出て来ません。積極的な活動をして、仲間を引っ張って行くような力のある若手が出て来ないのです。

 そうした中で、身びいきでなく大樹は確実にリーダーの一人となって活動しています。私のところに入って来たころは、気が弱く、人前で喋ることも満足にできないような、弱々しい子供でしたが、修行してゆくうちに、演技に自信がついて来て、性格もしっかりしてきました。

 特に昨年、文化庁の芸術祭賞を受賞したことは大きな成果でした。マジシャンの多くは、マジシャンの中で評価されることを喜びますが、実際、芸能活動をして行く上では、マジック界のコンテストの評価が仕事に生かされる機会はほとんどありません。国の評価を得ていることは活動の幅を広げます。30代でこれを手に入れたことは大きな成果です。当人も随分自信につながったことと思います。

 

 本当は大樹レベルの若手マジシャンが5人10人と育っていると、マジック界も活気づいて来るのですが、なかなか望むべくもありません。

 来年1月8日9日に座高円寺で開催される、ヤングマジシャンズセッションに藤山大樹に出演してもらおうと思います。ヤングマジシャンズセッションには何度か大樹は出演していますが、この二年間は出番がありませんでした。その間、大樹がどう進化して来たか、2年のブランクの成果がどんなものなのか、是非ご覧いただきたく思います。

 

コンテストをします

 来年のヤングマジシャンズセッションの二日目(1月9日)、の昼に、マジックコンテストを致します。参加は限定10組まで、制限時間10分以内、内容はステージマジック、ビデオ審査あり、12月15日までに東京イリュージョンまで、ビデオ送付してください。当日は9時から簡単なリハーサルをします。参加費1000円。コンテスト見学者1000円。優秀者は、次回ヤングマジシャンズセッションに出演、プラスギャラ。また、大阪マジックセッションにも出演できるように配慮します。(今のところ確約はできません。多分です)。一位から三位までは賞状を差し上げます。発表は当日のステージ上で行います。

 マジックコンテストは、来年、大阪セッションの二日目にも行います。大阪の優勝者は東京のヤングマジシャンズセッションに出演できます(交通費、宿泊費、わずかなギャラが出ます)。東京と、大阪の二つを拠点として、若手のマジシャンを育てて行きます。来年は少しマジシャンズセッションをバージョンアップして、停滞しているマジック界を活性化します。ご期待ください。

続く

 

おひつ御膳

おひつ御膳

 

おひつの飯に感動

 昨日(11月1日)は、月に一回の糖尿病の検査で三軒茶屋の病院に行きました。予想以上に早く済み、玉川通の旧道を歩いて、大通りの玉川通りに出る角で新しい店がオープンするのに出会いました。

 「おひつ御膳田んぼ」、と看板が出ています。表には歌舞伎の芝翫さんからの生花などが飾られていて華やかです。

 時間は朝10時、病院検査のため朝食を抜いていますので、少し早いですがブランチをしました。和風の造りでとてもきれいにできています。ランチ定食は、鮭か鯖味噌におひつ御膳です。鯖味噌を頼んでみました。

 飯はおひつに盛り替えて食べると水分が飛んでうまみが増します。旅館などではおひつのご飯は普通に出て来ますが、家庭では炊飯器のまま食べますので、おひつのうまみに出会うことはありません。

 出てきた膳は、一見普通の定食のよう。鯖味噌は、汁を吸った鯖が皿に乗っていて、さらに鯖の上に味噌だれがオムライスのケチャップの様にかかっていました。

 飯を茶碗に盛って、一口食べて見ます。店の名前の通り、おひつからとった飯は甘く、粒が立ち、味わい深く上出来です。飯を食べてしみじみ旨いと思ったことはそうそうはありませんが、この日は飯だけで満足しました。

 鯖もしっかり脂が乗っていて、文句はありません。付け合わせの玉子焼や、漬物もいい味です。味噌汁はなめこで、出汁もしっかり出ています。

 傍から見たなら単なる鯖味噌定食を食べているだけなのですが、どれもが良く出来ていて満足出来ました。こうした普通のものを食べさせてお客様を旨いと言わせたなら大したものです。

 仕上げに出汁が急須に入っていて、残った飯にかけて漬物と海苔を乗せて、茶漬けにします。日頃、飯を二膳食べてはいけない身としては、このお茶漬けは悪魔のささやきです。

 値段は1100円。定食としては高めの値段ですが、味の良さで文句はありません。次回糖尿病の検査の帰りには鮭定食を食べて見ようと思います。と、こんな風に食べ物のことばかり考えているのですから、血糖値はなかなか下がりません。

 

衆議院選挙。日本が動き始めている

 一昨日は衆議員選挙で、テレビは夜8時からどこも選挙速報になりました。自民党が票を減らすことは当初からわかっていたことでした。コロナで飲食店などに制限を加えましたので、その不満が溜まっているとみられていたのです。むしろ、自民党の票が減ってどこに行くのかが興味でした。

 ところが意外にも、自民党の票は15減にとどまりました。案外国民はコロナ禍を冷静に見ていたようです。岸田さんとしても一安心でしょう。問題は立憲民主党です。

 本来は自民党の票をそっくり立憲民主党がもらって、大飛躍するプランを描いていたはずですが、意外や意外、立憲民主党は国民の支持を得られず議席数が100を切ってしまいました。これは自民党以上の痛手です。

 当初のプランでは、小選挙区制の中で、全ての党が候補者を出していたなら、野党同士が食い合いをして、決して自民党には勝てません。そこで、連合を組んで、統一候補を出そうと言うことになりました。この作戦はまっとうです。実際杉並区などは、石原伸晃さんがこの作戦に嵌って落選しています。甘利さんも落選です。狙いは大当たりだったはずです。

 然し、全体を見ると、自民党の傷は浅く、立憲民主党の傷は自民党以上に深かったのです。なぜか、答えは明白です。国民は社会主義の野党に飽きているのです。社会主義共産主義も、今の日本人の多くは望んでいないのです。

 ほとんどの人は中国や、ロシアや北朝鮮に憧れを抱いてはいません。二つの選択肢があったとして、自由主義がいいか共産主義がいいかと言う選択肢などないのです。

 今の日本人が求めているのは、保守か新保守なのです。両方とも保守であって、その差異はわずかでいいのです。国民がそう思っているなら、自民党と、立憲民主党からかすめ取った票が維新の会になだれ込むのは当然の成り行きです。

 維新の会と自民党との差はほとんどありません。維新の会は改憲にも賛成なのです。今回の選挙は大きく日本の進路を変えることになりそうです。改憲論争は一気に進むでしょう。

 日本はイギリスや、フランスなどの先進国と歩調を揃え、早く普通の国に成長すべきです。日本がやらなければならないことは山ほどあります。しかしここから先は国の運営にリスクが伴います。言葉だけで安全だの平和だのと言っていていても何も前に進まないのです。

 現実に、中国が台湾を攻め込んだなら、日本はただ見ているのですか。彼らを見殺しにできますか。然し、今の法律では何も手出しできないのです。台湾が攻め込まれるとなれば、アメリカもオーストラリアもインドも、イギリスも支援の艦隊を出すでしょう。そんな中で日本はただ見ているのですか。

 仮に、日本が台湾を見捨てたとして、中国が次に、「尖閣諸島は中国のものだ」。「沖縄も、元はと言えば中国だ」。と主張するでしょう。中国が攻めて来た時に、沖縄を見殺しにできますか。

 台湾の問題は、必ず尖閣、沖縄の問題につながるのです。その時にいまの憲法を隠れ蓑にして、平和と安全をお題目の如く唱え続けていることに何の意味がありますか。ようやく国民は気付いてきているのです。これから先は日本は大きく変わって行くでしょう。

続く

 

 11月20日(土)、玉ひで公演。若手出演者、戸崎拓也さん、ザッキーさん、前田将太。12時から、お席あります。詳細は東京イリュージョンまで。

 

 

 

パルト小石さん逝く

パルト小石さん逝く

 

 パルト小石さんが亡くなりました。先週、25日は私のリサイタルでした。そこにボナ植木さんが出演していました。ボナさんはこの数年ずっと一人でマジックを演じていました。

 長らく小石さんが入退院を繰り返していことはボナさんから聞いていました。私が、「小石さんの病気はどうなの、また一緒にできるの」。と聞くと、ボナさんは、「うーん、難しいかも知れないなぁ」。と言いました。「何とか、良くなったらまた一緒にできるといいねぇ」。と言うと、「うん、そうだなぁ」。と、気のない返事が返って来ました。

 その翌日、26日に小石さんは亡くなったそうです。

 

 亡くなったそうと言うのは、人から聞いたのではなく、亡くなった報せをネットで30日に知りました。31日には新聞や、テレビなどで死亡が報じられていたようです。

 私の記憶ではパルト小石さんは、本名小石至誠。昭和27年生まれ、岐阜県出身、専修大学卒、専修大学マジッククラブでボナ植木さんと知り合い、コンビを組み、依頼マジックナポレオンズと言うコンビでマスコミで活躍。

 私とは、45年にわたる仲間でした。一緒に勉強会をして、新宿のアシベ会館で定期的に公演をしたり、イベントでも随分一緒に仕事をしましたし、私の主催したSAMの組織にも加入してくれて、世界大会にも出演してくれました。海外のコンベンションにも一緒に出かけました。

 会えばお茶を飲んだり食事をしたり、いろいろな話をしましたが、ボナさんと言い、小石さんと言い、会って話をする内容はいつもマジック以外の話で、ばかばかしい話ばかりしていました。ここに、マギー司郎さんが加わると、ばかばかしい話は一層加速します。もう昔からの仲間同士ですので、どうしようもない失敗話などが飛び交い、腹を抱えて笑いました。

 

 舞台の上では、小石さんは喋りの進行役をしていて、快活に話をしています。会うと同じようにいろいろな面白い話をします。陽気な面白い人に見えます。見えると言うのは意味深な言葉です。私は子供のころからお笑い芸人をたくさん見ているので、笑いの好きな人が、どこか暗い影があるのを知っています。

 面白いばかばかしい話を延々仲間に話している人の多くが、背中に常に寂寥感が漂うのです。心のうちにある悲しみを打ち消すかのように、表は明るく振舞おうとします。北野たけしさんしかり、私の親父しかり、マギー司郎さんしかりです。多くのお笑いに携わる人は皆そうでした。

 笑いは、心の奥底に深い闇を抱えていないと、本当の可笑しみは生まれないのかも知れません。小石さんの場合は、普段会うとばかばかしい話ばかりしていましたが、時折言葉の中に被虐的な、自分を卑下したものの言いようが出て来たり、逆に相手を軽蔑するような言葉が出るときがありました。

 「この人はなんでこんなことを言うのだろう」。と不思議に思うことがしばしばありました。すなわち彼の心の奥にある闇からのメッセージが時々出てくる人なのです。それを毒と言えばその通りです。ちらりちらりと周囲に毒を振りかけてくる人でした。

 但しこれは、悪い性格ではありません。特に芸能の世界では、こうしたマイナス要素こそ人の魅力なのです。心の奥に闇があり、ひだがあるからこそ人は魅力があり、面白いのです。明るく陽気で人が好いと言うキャラクターでは、実はすぐ飽きられてしまうのです。なぜならそれは嘘だからです。

 お笑いの世界では、相手に罵倒されるようなことを言われても、おいそれとは怒ったりしません。互いが心のひだを理解しているからです。それが笑いにつながるなら許されます。

 私は内心、小石さんのようなタイプの人は、60代くらいになってから、もっともっと話術が磨かれた先に、心の中を吐露して、闇からとび切りくだらない笑いを作ってくれるような話術を見せてくれるのではないかと期待をしていました。

 然し、60代以降、小石さんは少しずつ舞台に対する興味が離れて行ったように見えました。ナポレオンズのコンビからも離れて行き、マジックからも離れ、仲間からも離れて行ったように見えました。

 自ら飲食店をするようになり、そこにはマジック関係者などは集まらずに、全く別の世界に暮らすようになって行きます。ボナさんとも疎遠になり、私が時々電話をしても、そっけない話し方になって行きました。

 マギー司郎さんとボナさんと私が定期的に会って酒を飲むようなときにも、小石さんは参加しませんでした。元々酒をさほどに飲まない人でしたから、付き合いで会って、話をするのも億劫だったのかも知れません。そうした付き合いもしなくなって行ったのです。それは個人の考え方ですから、どう生きようと自由なのですが、昔を知るものとしては少々寂しく思います。

 2年前に、ビッグセッションと言うタイトルで、ナポレオンズマギー司郎、私の3人で座高円寺でショウをしました。

 ところが、その少し前に小石さんは入院をしました。楽屋でボナさんから白血病だと知らされました。小石さんは痩せてはいましたが、普段は健康そうで、病気とは無縁の人だと思っていたので驚きました。とにかく、ビッグセッションには出演できません。ナポレオンズの出演が、ボナ植木の独り舞台になってしまいました。

 それから2年たった一週間前、同じ高円寺の舞台での私の公演の翌日。小石さんは亡くなりました。一人仲間が去りました。去ってしまうと、いつも会って何気なく話をしていたことが懐かしく思います。

「あぁ、あの時間こそ貴重な時間だったのだなぁ」。としみじみ思います。日頃の舞台では、頭をぐるぐる回したり、腕立て伏せで浮揚をしたり、ばかばかしい芸を繰り返していましたが、それだからこそ思い出すと妙に悲しく感じます。

 心よりご冥福を祈ります。合掌。