手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

居場所を変える

居場所を変える

 

 日々の生活で人間関係がうまく行かないことは誰にもあります。いわれなきいじめを受けたり、親や家族から虐待を受けたり、仕事先で阻害されたり、嫌がらせをされたり、そんな時は毎日がつらく、生きていることが苦しいものです。

 真面目な人はひたすら耐えようとしたり、いじめをする人と誠実に向き合って何とかよく思われようと努力をしたりします。ただ、それは報われないことが多いのです。

 

 私が記憶する中で忘れられない体験があります。まだ5歳の頃でした。私の家は貧しく、母親が朝から晩まで編み物の機械を使ってセーターやマフラーを編んで、それを洋品屋さんに卸してその日の生活をしていました。

 部屋は編み物の機械の音が一日中ガーガー鳴っています。部屋にはテレビもなく、じっとしていても退屈ですから、夕方、テレビが始まる時間(この頃は夕方になるとテレビが映って番組が始まりました)になると向かいのちーたんと言う二つ年下の女の子の家に行って、テレビを見せてもらっていました。

 ちーたんか、ちーたんのお母さんがいるときはすぐに部屋に入れてくれたのですが、お婆さんがいると子供を部屋に入れることを嫌がって、入れてくれませんでした。お婆さんは学校の先生をしていたと思いますが、いつも6時過ぎに帰ってきます。テレビの始まる夕方5時からお婆さんの返って来る6時までの一時間、部屋に上がり込んでテレビを見せてもらうのが私の楽しみでした。

 ある日、ちーたんの家に行き、庭から、「ちーたんテレビみーせーて」と声をかけると、返事がありません。何度か呼ぶと、ちーたんのおじさんと言う人が隣の部屋で作業をしていて、「ちーたんはいないよ」。と言いました。この人は足が不自由で、隣の部屋で一日中機械を扱って何かの部品を作っています。

 私は、仕方なく「ちーたんのお母さん、テレビ見ーせーて」と言いました。すると、おじさんが、「テレビはお母さんだけの物じゃないよ」と言いました。仕方なく私が「ちーたんとお母さんとおじさんテレビ見ーせーて」。と言うと、おじさんは「お婆さんの物でもあるぞ」と笑いながら言います。私が「ちーたんのお母さんとおじさんとお婆さんテレビ見ーせーて」と言うと、母親が飛んできて、「もういいからこっちにおいで」、と言って私を部屋に引っ張って行きました。

 部屋で母親は「もう二度とちーたんの家に行ってはいけないよ」。と言います。「でもそれじゃぁテレビが見られないよ」。と言い返すと、母親は何も言いません。

 なぜ母親は頑なに行くなと言うのか、子供だった私にはよくわかりませんでした。後になってこれがいじめなのだと知りました。そして貧しいと言うことはこんなことがしょっちゅう起こるのだと知りました。

 

 根に差別やいじめを持っている人に、何とか自分を理解してもらいたい、何とかよく思われたいと思うことは、多くの場合徒労に終わります。そんな人には近づいてはいけないのです。出来ることなら生きて行く場所を変えたほうがいいのです。

 

 私は12歳の時から舞台に立つようになり、小学であるにもかかわらず、いきなり毎年、何十本もの仕事が舞い込むようになりました。その時何よりもうれしかったことは、学校の閉鎖的な雰囲気から解放されたことでした。

 学校では別段いじめにあっていたわけではありませんでしたが、勉強かスポーツかでしか認められないと言う世界は随分とせせこましく感じていました。習い覚えたマジックで世間に認められることがなんと楽しいことだろうと思いました。

 その時の私のマジックは粗末なものでしたが、そんなマジックでもお客様は喜んで見てくれたのです。そして、子供のもらう小遣いからは想像もできないような高額な出演料をもらうようになりました。

 小遣いが自由に使えるようになると、衣装を作ったり、マジックの道具を揃えました。母親の誕生日には口紅をプレゼントしたりしました。母親はそれを喜び、出かけるときには必ずその口紅を差していました。

 

 自分自身が今の環境でうまく行かないときには、居場所を変えることはよい解決方法です。ひと所に辛抱していても決して状況が好転するわけではありません。

 シンデレラの話を思い出してください。シンデレラが如何に気立てが良く、顔立ちが良く、容姿が良くても、三人の姉から見たなら、そのすべてが嫉妬の対象でしかありません。どんないい子でも見る人にとってはすべてがいじめのネタなのです。

 言って伝わらない人には近づいてはいけません。思い切って別のところで別の人と付き合ってみることです。勿論、仕事などよって、今の立場から離れられない人もあるでしょう。そんな場合は、趣味を作って別の仲間を持つことです。

 趣味の世界で新しい仲間を見つけて話をしてみると、案外、自分の別の才能を評価してくれる人がいたりして、新しい可能性が生まれることが多々あります。一つのことを思い詰めないで、常に外にアンテナを張って自身の可能性を探ることは自分自身の心を豊かにします。

 私などは毎年いろいろな舞台に立ちますが、時には少しもまともにマジックを見ようとしないパーティーなどを経験することもあります。そこで何とか受けようと努力をしても、初めから見ようとしない人たちに善意は伝わりません。そこはもう、仕事と割り切って淡々と演技をこなす以外ありません。

 逆に、同じ演技をしても、信じられないぐらい熱烈に歓迎されることもあります。つまり芸能は、どんな優れた芸能をもってしても相手に見る気がなければ無価値なのです。価値を理解しない人に価値を訴えても無駄なのです。

 

 今朝、棚から紙箱が出て来て、中を整理していたら、母親の遺品が入っていました。日記やメモと一緒に、口紅が出て来ました。私が12歳の時にプレゼントしたものでした。ふたを開けてみると、三分の一も使っていませんでした。日記をめくると、「毎日必死で働いたのは貧乏が嫌だったから。貧乏は馬鹿にされるから」。と書いてありました。

 その時、昔の思い出がよみがえりました。母親が、「ちーたんの家に出かけて行ってはいけないよ」。と言ったときに「じゃあどうやってテレビを見たらいいの」。と聞き返して、長い沈黙が続いたあの時、私の言葉は母親をいじめていたのだと気付きました。貧しい人になぜ貧しいのかと尋ねることはいじめなのです。それは答えの出せない悲しみなのです。

続く

 

 

SAMジャパン 5

SAMジャパン 5

 

 SAMジャパンは日本国内で定着しました。当初、私は5年間は何があってもSAMジャパンをケアしようと考えていました。然し、5年経っても10年経っても私はSAMジャパンから離れることができませんでした。

 特にアメリカ本部は、私がSAMの役員から抜けることを恐れて、エグゼクティブプロデューサーなどと言うポジションを新設して必死に引き留めようとしました。然し、私自身はこの激務に会社や家族を手伝わせることに限界を感じていました。

 それは日本人の意識に原因のあることだと思いますが、会員はお客様であろうとするのです。会費を払って、参加費を払って世界大会に来ているのだから、自分は客だと信じています。

 SAMが自分たちの組織で、組織はボランティアで運営されていると言う認識がないのです。彼らが何か一つでも協力しようという善意の意識が芽生えることがないのです。

 会員から、例えば、当日受付を手伝おう、コンテストの裏方をしよう、写真を撮ろう、会計をしよう、などと自発的な申し出があれば、SAMは私の手を離れて組織は動いて行くでしょう。無論わずかな協力者はいました。然し、奉仕の意識が広がってSAMが自主運営されることはなかったのです。

 

 前に地方の奇術クラブの体質を批判しましたが、なぜ地方の奇術クラブの会長がしばしば会を独占してしまうのか、と考えるなら、指導し、会をまとめ、発表会を企画し、と、何でもかでも会長一人で動いてしまうからです。

 ではなぜ会長が一人で動くのかと言うなら、会に集まる人たちが会長に任せっきりで、常に受け身でクラブに来るからです。「自分の組織」と言う認識がないのです。

 会員は、「今日は何を教えてくれるのか」。と言って、例会にやって来ます。発表会が近づくと「わしは何をしたらええんかいのう」。とまったく受け身です。

 そのうち会長は奉仕をすることのバカらしさに気付き、道具の販売で収入を上げようと考えます。収入が絡めば会は会長個人のものとなり、排他的な組織になります。

 

 私は、SAMを利益団体にする気持ちはありませんでした。出来ることなら意欲のある人に組織を任せ、自主運営して行ってもらえればいいと考えていました。

 しかし世の中はうまく行かないことが次々に起こります。バブルが弾けて日本全体がとんでもない不景気がやってきました。年会費を支払う会員も減り、大会に参加するアマチュアも減少して行きます。平成8年頃には、会員数は500人を切ってしまいます。

 私のチームの仕事も激減して行きました。当初、SAMに赤字が出ても、年間300万円までは私の経費で補填していました。ところが仕事が激減して、私の使える金も減少して行きました。それも本業がうまく行かない中での補填ですから、何のためにSAMを運営しているのかわからなくなりました。

 景気のいいときは、アシスタントや弟子が何人もいましたから、その人たちに発送や、大会運営を手伝ってもらっていましたが、人が減ってからは手伝いもなく、私と女房で作業する以外なくなりました。明らかに自分の道楽で、会社にも、女房にも迷惑をかけ続けたことになります。

 それでもみんなが感謝をしてくれて、SAMの必要性を認めてくれるならやりがいもあるのですが。現実はそうはならなかったのです。

 

 当初SAMは各支部のプロマジシャンを会長に立てて、支部を立ち上げました。プロとアマチュアが一体になって会を運営すると言うのは面白いだろうと考えてそうしました、実際、マーカテンドーやナポレオンズなど、人気のマジシャンが会長をすることで会員も集まったのです。

 そして、プロが組織の中で発言権を持てばマジシャンも奇術界でポジションを得て、いい顔になると考えたのです。然し、私の目論見はあっさりと崩れます。

 大会開催中に総会を開きますが、彼らは出演のない世界大会には参加しないのです。顔を出すプロマジシャンは販売をするプロマジシャンなのです。然し、販売をするマジシャンは、総会には顔を出しません。同じ建物にいながら総会中、彼らは売り場に立っているのです。

 支部会長が総会に顔を出さずに、売り場で物を売っていては、総会に人が集まるわけはないのです。バブルがはじけて舞台回数が減って、プロとして生きて行くことが大変なことは同情しますが、総会ぐらい、アルバイトを立ててでも集まってくれればよいものを、彼らに組織の意識は希薄でした。

 つまり彼らは、販売目的でSAMに参加するわけで、私がいくら、コンテストの改革を唱えても、プロの育成を語っても、結果は書生論です。

 しかも、10年目くらいから、プロの中で自分で大会を開催する人が出て来ました。SAMよりも一層小さな大会を開催し始めたのです。結果、参加者を分散させることになり、SAMそのものが弱体化して行きます。

 300人集めてもぎりぎりの黒字にしかならない世界大会を、脇で100人150人の大会を作って地方で運営しても、マジシャンの家族に赤字を背負わせる結果にしかならないのに、彼らはミニ大会を始めたのです。そんな大会を開くくらいなら、SAMに参加者を連れて来てくれればより強固な大会運営が出来るのに、

 こうなると私が毎年世界大会を運営して、毎年赤字補填をして、女房が会計をして、名簿の整理をして、アメリカに送金をして、つましく運営をしていることが無意味になります。

 明らかに私は人生の失敗を知りました。私自身がもっともっと自分のことのためにマジック活動をして行かなければならないときに、私は寄り道を繰り返していたのです。

 

 そんな中、平成10年に芸術祭大賞の受賞がありました。世間は一気に手妻(和妻)に注目するようになりました。ここで手妻を大きくまとめて、成果を上げれば手妻を安定して残せる。これが私の人生の最後のチャンスでしょう。

 然し、そうなるとSAMに割く時間が負担でした。SAMから解放されれば私はもっともっと大きな成果が残せるのに、と常に悩みました。結局SAMから離れられずに、私が解放されたのはそれから5年先のことでした。これが良かったか悪かったか。知らず知らずに私は50を過ぎていました。

 

 最終的には、SAMは田代茂さんに引き受けてもらうことになりました。大会も開催せず、機関誌も発行せず、ただSAM本部との連携を保ちつつ、本部の活動に協力して行くと言う組織になったのです。今も50人くらいの会員がいます。私も永世会員として残っています。

 かくして私のマジック界の改革は頓挫しました。その後始末を引き受けてくれた田代さんには心から感謝しています。田代さんをとかくに言う人がいますが、マジックの世界で将来を見据えて、きっちりなすべきことを考えて行動している人は田代さんを置いて他にはありません。しかも、私にとっては恩人なのです。

SAMジャパン終わり

SAMジャパン 4

SAMジャパン 4

 

 SAMジャパンでは毎年コンテストを開催し、優秀なコンテスタントはアメリカの本大会にゲスト出演が出来るようにして、海外との連携を考えました。

 SAMからアメリカ行きの旅費が出たなら、SAMの大会の帰りにマジックキャッスルに寄って一週間出演することも可能です。そうなればアメリカで自分の顔を売ることも出来ますし、アメリカでの出演チャンスを作ることも可能です。いろいろな道が開けて行くでしょう。

 これまでの日本国内のコンベンションは、チャンピオンに、トロフィーを渡した先に、彼らにどう生きて行ったらいいかを示していないのです。

 日本の国のあらゆるジャンルに共通する話なのですが、国内で有名になったり、人に認められた人たちが、その先に何をすべきかとなるとどこにも先が示されていないのです。結局、頂点に立ったことが袋小路に嵌るのです。

 せっかく才能のある人たちが育ったのに、その人の先が見えないため、有能なマジシャンは過去の栄光にしがみついて、狭いテリトリーを作って、自分の支持者の囲い込みを始めます。囲い込みとはすなわち、次に出てくる若い人を排除することです。

 本来有能な人の才能は、次の人を育てるためにその才能を生かさなければならないはずなのに、全く逆の立場に立って、狭い日本の社会を一層狭く、屈折した人間関係を作って行きます。

 何が問題なのでしょう。その答えは、日本に先を示すリーダーがいないことなのです。日本のコンベンションで入賞したなら、世界のもっと優れた大会に出るべきです。その上で、自分の演技を磨いて外国勢を超えた演技を作ることです。そして、マジシャンの評価だけでなく、通常のイベントの仕事をして世界中で活動してゆくべきなのです。

 日本国内だけでなく、世界のどの舞台に立っても恥ずかしくないような演技を作り上げなければいけません。やるべきことは山ほどあるはずです。

 日本のマジック界の限界はマジシャンが何をすべきかを、どこの大会も、どの指導家も示していないことです。私は私なりにそこにメスを入れて改革を考えたのです。

 

 SAMは、何度かテレビ局にショウを買ってもらい、積極的にマジックショウを放送しました。これは、私が最も熱心に行ってきたことで、当時、日本国内のマジックコンベンションは、殆どマジック関係者が集まって、その中で楽しむだけの大会になってしまっていたのです。

 いくらマジックの愛好家が大勢集まったとしても、ショウのすばらしさを一般のお客様に知らせない限り、マジック界は大きく発展しないのです。

 毎年、毎年世界大会を開催していても、同じ人が集まっている限り、やがて組織は小さくなって行きます。大きく発展させるためには、縁もゆかりもない人たちを、マジックの世界に取り込んで夢中にさせなければいけません。マジックはそれが出来るはずです。

 SAMは積極的にテレビ局に大会を売り込みました。そこからマジシャンがうまく顔を売って、次のテレビの出演チャンスを掴んで行けば、マジシャンは知名度を得られるわけです。コンテストに入賞するだけがチャンスではないのです。

 

 更に、役員人事にもメスを入れました。会長は一年ないし二年で変わるべきなのです。SAMジャパンでは、初年度と二年目までは私が会長を務めましたが、三年目は熊本の原田栄次さんに会長をお願いし、四年目は名古屋の武野光一さん、五年目は仙台の桔梗徳哉さんにお願いしました。

 私は一人のリーダーが何十年も会長を務めることは反対です。それは結果として組織が老化してしまうからです。組織は意欲ある人、出来れば若い人に任せることが一番いいのです。

 

 何度も申し上げますが、日本のあらゆるジャンルが組織の発展を考えずに、ひたすら狭い人間関係でもめるのは、その社会に先が見えないからです。マジシャンだけではありません。

 アマチュアで、30年も40年もマジッククラブの会長を務める人がいることも同じ理由です。会長に目的意識がないのです。いつしかクラブが会長個人の所有物いなってしまっているのです。

 そうなると会員は依頼心が強くなり、自分で会を向上させようとは考えなくなります。すべては会長が面倒を見て、会長の一存で動いて行きます。やがて会は、会長の仲間のような人ばかりが集まり、会長と同年齢の人しか寄ってこなくなります。マジッククラブは一気に老齢化して、やがて会の運営すらも出来なくなります。

 

 どうしたらいいのでしょうか。大きな組織が彼らに先を示さなければいけないのです。地方の20人程度のマジックラブの会長にそこで満足していてはいけないと教えるべきなのです。

 この先はSAM ジャパンの全体を統括する責任者になったり、役員となって、コンテストの担当をしたり、機関誌の発行に携わって大きな仕事をしてもらいたいのです。

 それが達成できたら、アメリカ本部と関係して、世界中のマジシャンを育ててやる立場に立ってはどうでしょう。やるべきことは山ほどあるのに、20人のクラブを頂点と考えていては先がないのは当然です。

 

 プロも同様に、ローカルのコンベンションでトップに立ったからと言って、その成果を後生大事に握り締めていても、それでその先、プロとして安定して生きて行けるものではありません。もっともっと一般の人の評価を求めて外に出て行かなければいけないのです。

 そのきっかけを作るためにSAMジャパンは、毎年、世界大会の催しの中でショウのみのチケットを 一般に販売してきました。マジック愛好家だけでなく、一般のお客様の反応も知ってもらいたいと考えたからです。

 実際これらのことは、言葉で言うことは簡単ですが、実行するには、大変な労力を使いますし、費用も掛かります。自分が言った言葉に責任を持つと言うことは大変な仕事を背負うことになるのです。

 私が「会長は変わるべきだ」、と、それだけの発言をしたことでどれほど人から恨まれたか知れません。「地方開催のショウのチケットを一般売りすべきだ」と、言って、知らない土地でどうやってマジックのチケットを売りますか。

 勿論協力してくれるSAMの会員さんもいます、しかし理解者だけでは到底広い会場の席は埋まりません。どこかに神様がいて、大量にチケットを買ってくれますか。いえいえ、大概こうした状況の時には神様は居留守を使って雲隠れするものです。

 私は、自分が今までショウをしてきた中で、その地域の、お付き合いをしてきたお客様のリストを調べて、薄い縁を頼りにひたすら手紙を書きました。10通出してようやく2枚のチケットが売れる程度の、至って効果の薄い方法で、個人的な地方の人との結びつきで席を埋めて行くのです。この時期私はそんな活動をひたすら続けていました。まぁ、30代40代だからできた仕事でした。

でもそれもだんだんできなくなって行きました。

続く

 

 

総裁候補、ショスタコービィチなど

総裁候補、ショスタコービィチなど

 

 ガースーさんが総裁不出馬になって、にわかに総裁候補が続々と名乗りを上げて来ました。どなたになるのかはわかりませんが、自民党の総裁は自動的に次期首相になるわけですから、世間の期待度は大きなものになります。

 今回私は、高市早苗さんに注目しています。マスコミは高市さんを蛇蝎のごとく嫌っているようですが、案外高市さんの考えが日本の将来の基盤になって可能性を感じます。

 未だマスコミはリベラルな政治家を支持したがる傾向にありますが、実際の国民はどうでしょうか。今、野党が束になっても自民党に勝てないのは、既に社会主義が希望を失っているからではないのですか。

 私が高校生くらいの頃は、革マル派だの全学連だのと、社会主義に憧れている人が大勢いましたが、今、日本やヨーロッパの様に高度に発展した国々に住む人たちで、ロシアや中国の体制に憧れを感じている人は稀有でしょう。

 最近は、新聞の政治欄を見ても、マスコミがいたずらに自民党を批判しても、国民は醒めて眺めています。むしろ煽り立てた政治批判は冷笑されています。オリンピック批判しかり、靖国参拝しかり、靖国は「別に行きたい人が行ったらいいんじゃないの」と、容認している人の方が多いのではないですか。

 日本は社会全体が保守化しています。と言うよりも国民が冷静になっています。そんな中で、高市さんの言っていることは、10年前ならこっぴどく批判されたでしょうが、どうやら風向きは変わりつつあるように思います。

 すなわち、憲法9条改正、再軍備が議論される状況になりそうです。一昔前なら軍国主義復活だの、右翼だのとすぐにレッテルを張られた議論でも、今では肯定はしないまでも、議論のために議題に載せることに反対はしなくなったように思います。

 

 軍隊を持つ国家、例えば、イギリスやフランス人が自国を軍国主義だとか右翼国家とは思っていないでしょう。彼らは別段どこかの国を攻めるために軍隊を持っているのではなく、あくまで国防のために保持しているのです。

 それは例えば、ベルギーのような小国ですら、軍隊を持っています。第一次大戦も、第二次大戦も、ともにドイツ軍に攻め込まれています。その都度ベルギーはドイツ軍と戦い、戦うたびに一週間で降伏しています。あまりに呆気ない戦い方ですが、それでも無条件降伏はしません。必ず戦います。

 ベルギーは、ドイツと戦うたびに、町一つが一人残らず虐殺されるような悲惨な体験をしています。イープルなどと言う町は、町中墓場だらけです。大戦の度に大量虐殺されているのです。ベルギーのような小国はドイツと戦えば必ず負けることは分かっています。それでも戦争を仕掛けられた時には戦います。

 ベルギー人が軍隊を持つことは軍国主義でもなければ、右翼でもなく、民主主義国家として自国の自由と尊厳を守るために戦う当然の行為なのです。

 何でも極端な話をして、軍備の必要性すらも語ろうとしないのは間違っています。それが高市さんが出てきたことでようやく日本の国防が議論されようとしています。私は日本人が成熟してきたことを喜んでいます。今度の総裁選は面白いと思います。

 

 ショスタコービィチ

 近代ロシアの偉大な作曲家であり、ストラビンスキー、プロコフィエフ、と並んで三大作曲家に数えられながら、ショスタコービィチの音楽は演奏される機会がありません。

 かつての前衛作曲家だったプロコフィエフですら最近はコマーシャルに使われているのに、ショスターコビィチは使われません。

 理由はなぜか、暗いのです。その暗さも並大抵の暗さではなく、重く、深く、救いが見えません。同じ陰鬱な曲を作るシベリウスですら、曲の中にロマン的な甘美なメロディーが出て来て救われますが。ショスタコービィチは愛想も子もなく、ひたすら社会主義体制を嫌い、党の圧力に怯え、媚び、へつらい、へつらう自分を嫌悪し、一層憂鬱になって落ち込んみます。

 この人は理解者を拒否します。当人は救いを求めようとしていながら、安易に近寄る人を嫌います。救いのないお宅です。でも作品は文句なく立派です。

 15曲の交響曲弦楽四重奏、オペラを書き、立派な仕事を残していながら、自身の作を嫌い、決して本心を見せず、曲の片隅に小さなメッセージを残し、苦悩を訴えます。心が屈折しています。

 ショスタコービィチの作品の中で、5番と7番の交響曲は初演以来好評で、特に5番の演奏頻度は高く、よく知られていますが、当人は、5番も7番も共産党の批判をかわすために書いた作品で、あまり好きではなかったようです。

 代表作が当人の本心を語った作品ではない、と言われたなら、彼の何を理解したらいいのか観客は苦しみます。彼の音楽の本質を理解していたのは、サンクトペテルブルグフィルハーモニーの常任指揮者だったムラヴィンスキーでした。

 私はこの人の指揮が好きで高校生くらいから随分レコードを集めました。その中でもショスタコービィチの5番7番の交響曲は面白くて何百回も聞きました。

 昨日(6日)何十年ぶりかで7番を聞きました。何しろ一曲80分に及ぶ大曲です。曲は「レニングラード」と言うタイトルがついています。ドイツ軍がレニングラード(今のサンクトペテルブルグ)を包囲した時に、ショスタコービィチはレニングラードにいて、空襲と飢餓の中でこの曲を書きました。

 曲は第一楽章が圧巻です。30分近い第一楽章は、初め、親しみやすいメロディーで始まります。そして、農村の祭りのようなのどかな行進曲が遠くの方から聞こえてきます。このメロディーが延々繰り返されますが、それが実はドイツ軍の戦車軍団だと気付きます。曲は凶暴化して盛り上がり、飛行機が飛び交い、戦車のキャタピラによって人がひき殺され、阿鼻叫喚の世界になります。そして絶望の中ショスタコービィチは叫びます。「なぜ戦争をするんだ、なぜ人を殺すんだ」と。

 彼は戦争の愚かさを音楽にしたのです。ピカソゲルニカと並んで、彼の交響曲は20世紀最高の芸術です。

 彼が大曲を作って初演されたことは、すぐに連合国に情報が伝わり、総譜(スコア)はマイクロフイルムに収められ、飛行機でニューヨークに送られ、さっそく1942年、トスカニーニの指揮で、ニューヨークフィルの演奏でアメリカ初演が行われます。曲は熱狂で迎えられ、莫大な義援金が集まり、ソ連に送られました。アメリカ政府は直ちにソ連に武器輸出をして、独ソ戦に協力します。一曲の音楽が国を動かしたのです。

 然し、今、戦争から80年経って聞くと、不自然さばかりが目立ち、曲は陳腐です。通俗的でわかりやすくはありますが、既に目的を終えたかに感じます。50年前に聴いたときにはものすごく感動したのに。

 当時、LPレコード二枚組で4000円くらいした高価なものでした。私の一回の出演料が3000円くらいの頃、宝物のように扱ってきたレコードでしたが、今聴くと、あの時の感動はもうありません。ただ少年の頃の思い出だけが通り過ぎて行きます。

続く

マジックマイスターなど

マジックマイスターなど

 

 マジックマイスター

 一昨日(4日)座・高円寺でマジックマイスターが開催されました。いつも出演される皆さんの参加が減り、随分メンバーが変わりましたが、若いマジシャンがたくさん出演されたため大変活気のある公演になりました。出演者が多いため簡単に感想を書きます。

 

 一部の司会はザッキーさん。喋りがこのところ冴えてきています。話している姿が育ちの良さを感じさせます。この先マジック界には貴重な司会者となるでしょう。

 一本目はサクさん。ウォンド、カードなど。ただ立っているだけでも雰囲気があって好印象。演技も工夫されていてとてもいい出来です。

 二本目は柳澤錦さんのロープ、シルク。シンプルな演技ながらまとまっていました。

 三本目は高木優希さん。白い四つ玉からカラーチェンジまで、きれいに手順がまとまっています。不思議さも何か所もあります。もう少しやり込んだら得意芸になるでしょう。

 四本目はU-sukeさん。田代茂さんの生徒さん。中学2年生ながら熱演。リングも、タンバリンもいい出来でした。

 五本目は、高橋正樹さん。奇術歴50年のベテランです。随分前にご当人が作られた「マジシャン」と言う音楽に乗ってカラオケマジック。楽しい演技でした。

 六本目は、戸崎拓也さん。いつも玉ひでで演じているコーンとボール。それにメキシカンロープ。手慣れています。でもそろそろ前後に変化が欲しいところです。

 七本目は早稲田康平さん。カードマニュピレーションはそつなくきれいにこなしています。そのあと喋りに入って、卵、レモン、ミカン、シルク出し。消して行くところはうまいものです。一部の取りにふさわしい演技。

 休憩

 二部、

 八本目は前田将太。グラス、羽根出し、テーブルクロス引き。グラス、羽根は気の効いたスライハンド。これを充実させたらいいアクトになると思います。そのあと出てきた素材でテーブルクロス引き。この工夫は良く出来ています。

 然し、ここで思いがけなくも無駄に長い喋りがだれました。セリフがつっかえる。笑いが滑る。拙さが露呈しています。もっと計算して話をしなければだめです。

 後半の司会はそのまま前田が致しました。

 九本目はザッキーさん。12本リング。喋りも上手く、リングもこなれていました。

 十本目はせとなさん。グラスとボールのコラボです。だんだんまとまってきました。でももう少し手順を大きくとらえて、芸能として見つめて欲しいところです。

 十一本目はスマイル藤山さん。富士から毎月習いに来ています。五色の砂。口上をしっかり覚えて古典の雰囲気をよく出して演じています。

 十二本目は藤山郁代さん。米と水、紙うどんの三段返しです。和服で口上をしっかり述べながらいい演技を見せてくれました。

 十三本目はカズカタヤマさん。コロナに罹って復帰、当人は瘦せたと言っていましたが、ちょうどいいです。元気で何よりです。いつものカードシルクのアクトと、お終いに小さくなるトランプ。マジックの原点ともいえるアクトをあえて演技のラスト見せるのはマジシャンの人生を凝縮しています。

 十四本目は田代茂さん。バーノンの五本リングを和服で演じました。これはこれでありでしょう。そのあと私の手順のお椀と玉、「アンパンどれ」の演技です。

 どうも少数のマジック関係者でこのお椀と玉を演じたい人がいるようです。私のセリフをそっくり演じたのは大阪の魔法の愛華さんと、私の弟子だけでしたので、これもまた珍しいと思います。無断使用するのでなくて、ちゃんと習ったのですから結構です。

 十五本目は私。二つ引き出しと蝶。さて蝶を演じる際に舞台上が異常に風の強いことに気付きました。いつもは空調を止めて演じるのですが、この日は舞台中強風が吹いています。

 あとで理由を聞くと、コロナの換気をする都合で空調は切れないのだそうです。それにしても、上から空気圧がかかって、蝶が高く飛びません。

 久々やりにくい舞台でした。仕方ありません。そんな日もあるのです。と、こうして18回目のマジックマイスターは終了しました。

 終了後、軽く焼鳥屋さんで一杯やって帰りました。もう少しいいところで呑みたかったのですが、どこもやっていません。朝の8時からずっと稽古を立ち会ったりして、少し疲れました。アルコールが入ると実に気持ちが良くなりました。

 

 パラリンピック終了

 昨晩(5日)。パラリンピックが終了しました。閉会式は素晴らしいショウでした。伝統芸のないのが寂しかったですが、やむを得ません。ブレイクダンスなどが出て派手でした。

 圧巻は、百人くらいの人がひな壇に座って、体は黒服、腕だけがそのまま出ていて、指揮者に合わせて腕でパフォーマンスを演じました。全員が奇麗に揃って、何気ない動きがとても美しく、感動的でした。お終いは腕で2024パリと描かれてしゃれていました。

 画像は同時にフランスのパリの中心街が映りました。背景にエッフェル塔が建っています。フランス人がたくさん集まって、日本の閉会式を見ています。そしてフランスの芸術家も広場でアクロバットを見せてくれます。

 画像がワイドになってパリの街並みが映し出されて、これで終わるかと言いきや、エッフェル塔の足の一本が不自然なデコレーションがしてあります。よく見ると、大きな義足になっています。

 「あぁ、そうか、これはパラリンピックだったんだ」。随分しゃれた演出です。と同時にとてもインパクトのある表現方法です。改めてフランス人のセンスに敬意を表したいと思いました。

 オリンピックも、パラリンピックも、東京で開催してよかったと思います。随分感動の場面を見せてもらいました。アスリートの皆さん、パラリンピック関係者の皆さん。いいものを見せてくれて深く感謝します。

続く

有為転変

有為転変

 

 菅首相総裁不出馬

 世の中が一つも同じ状態で止まっていないで、予測のできないことを有為転変(ういてんぺん)と言いますが、昨日(3日)菅首相の不出馬を聞いて、全く有為転変を感じました。

 内閣改造をして、その後、首相の再選を狙おうとしていた矢先に突然、ご当人が不出馬してしまうのですから、何のことだかさっぱりわかりません。

 確かに、このところの菅首相は、国民の支持率が低かったようですが、それはコロナ禍においてずっと緊急事態宣言を続けていたからでしょう。然し、コロナは未曽有の災害で、これは誰が首相をしても、どうやっても解決しきれない問題です。

 そんな中でも、ワクチン接種を積極的に進め、もう国民の60%が接種を二回済ませたと言うのは、いい成績だと思います。これからは感染も収まり、コロナは縮小して行くと思います。むしろ菅首相の政策は間違ってはいなかったと思います。

 菅首相は、経済とコロナの感染をしきりにバランスを取って解決させようとしていた経緯があり、GOTOキャンペーン政策を積極的に進めました。それをマスコミは批判しましたが、GOTOで爆発的な感染拡大した形跡はありません。コロナ対策を取りつつ、経済も考える姿勢は首相の判断は間違ってはいなかったと思います。

 

 オリンピックも同様で、オリンピックそのものは、コロナの感染を増やしてはいなかったのですから、オリンピック反対を唱えた人たちは的外れな批判をしていたことになります。菅首相は、終始一貫してオリンピックを推進する姿勢をしていました。結果、大きな感染被害もなく、無事にオリンピックをやり遂げたのですから、菅首相を評価すべきだと思います。

 実際、オリンピックを開催したことで、殆どの国民は家にいてテレビでオリンピックを見ていたにもかかわらず、コロナは感染が広がったわけですから、緊急事態宣言をして、国民が外出を控えていたにもかかわらず、コロナは感染すると言うことが明らかになってしまいました。それなら分科会の言う「不要不急の外出を控える」と言う考え方そのものが行き過ぎているのではないかと思います。

 そうなら、緊急事態宣言そのものが無意味であり、国民が観光しようと、オリンピックの競技を競技場で観戦しようと、大きな変化はないはずです。

 私が思うに、菅首相は歴代の首相の中でも、素晴らしい成果を残した人だと思いますが、なぜみんなして引きずり降ろそうとするのでしょうか。良いものは良いとなぜ言えないのでしょうか。不可解です。

 

池袋自動車暴走事故

 ブレーキと、アクセルを間違えて誤発進させた飯塚幸三被告は、昨日禁固五年の求刑を受けました。通産省の技官で、東京大学工学部博士、エリート中のエリートが、人生の最晩年に起こした犯罪です。

 88歳の時に事故を起こし、若い母親と三歳の娘をひき殺しています。裁判は二年に及び、90歳になった被告に禁固5年の刑が言い渡されました。これに対してマスコミは、「上告して、裁判を引き延ばして、刑務所に入ることを拒むのではないか」。と勘繰っています。実際90歳の被告を刑務所に入れることは、医者だの、付き添いだのも必要になる可能性もあるでしょうから、現実には禁固刑は不可能かもしれません。

 ところが世間は飯塚被告に対して、情状酌量の余地を認めようとはしません。その理由は、飯塚被告が「自動車の不具合のせいだ」。と言って自分の罪を認めようとしないためです。

 然し、当人の経歴を見れば、自動車の部品の不具合で起きた事故か、そうでないかは当人が一番わかっていることでしょう。それをあえて、謝らないところに、エリートの尊大な姿勢が見えて、国民もマスコミも反発するのでしょう。

 奥さんと子供をいっぺんに亡くした旦那さんは、度々テレビの取材に答えて、しっかり意見を言って好感が持てます。どれほど悔しいか、どれほど日々つらい立場にあるのか、よくわかりますが、じっと耐えて、冷静に裁判の経過を見ようとしています。すべてを失ってもなお理性を保っている旦那さんの人柄と、自分の非を認めようとせず、謝罪もしない飯塚被告とを比べると、一体どちらが人間として優れた人なのか、上級国民とはどちらのことを言うのか、考えてしまいます。

 これでのらりくらりと飯塚被告が逃げ通してしまうなら、日本の司法は役に立たないと言うことになります。そうなら、恨みを晴らすための解決は、必殺仕事人に五両支払ってお願いするしかありません。後味の悪い事件です。

 

パラリンピック盛況

 連日パラリンピックを見ています。東京大会では、世界新記録が次々に生まれています。これは恐らく近年、障害者にたいしてのケアや、練習方法が進んだために記録が伸びているのではないかと思います。パラリンピックはまだまだこれから伸びて行くスポーツなのです。

 視力障害者の短距離走などは、伴走者が、指にゴムを付けて一緒に走っています。あの走っている人も、相当に速く走れるアスリートを依頼しなければ意味がないわけですから、障害者の短距離走は簡単にはできないことが分かります。

 多くの人のケアがあって、福祉の予算などがあって、初めて障害者は競技が出来るわけですから、国や、周囲の協力が充実していなければパラリンピックはできないことになります。

 足の不自由な人のために、ばねのような義足がありますが、あれはとても高価なものなのだそうです。実際メーカによって技術の差が大きく。いい義足を手に入れれば記録は大きく伸ばせると言います。そうなると、有力なスポンサーを持つ選手とか、国の応援を得た選手などは随分有利です。

 かつて東京都知事選によく出ていた、ドクター中松さんが、板ばねのサスペンションが付いた靴を発明して、「疲れないし、どこまでも早く走れる」。と自慢していました。あの靴を履いたらきっと早いと思います。誰かあの靴を探してプレゼントをしてあげませんか。

 

 これからマジックマイスターに出かけます。

明日はブログを休みます。