手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

高円寺の立ち食い蕎麦

高円寺の立ち食い蕎麦

 

 高円寺の駅前に立ち食い蕎麦屋さんがあったのですが、1年前の大雨の時に、強風で建物が倒れてしまいました。倒れた姿を見てびっくりだったのですが、間口は5間(9m)くらいあって、なかなか大きくて目立った店だったのですが、奥行きが1mしかなかったのです。後ろにあるビルが大家さんのものだと思うのですが、その大家さんのビルと同じ色に塗ってあって、つなぎ目を看板などでカモフラージュしてあったため、ビルと一体の作りに見せていたのです。

 恐らく立ち食い蕎麦屋さんはネジか何かで後ろのビルとくっついていたのでしょう。

それが強風で建物がゆすぶられ、薄っぺらな建物がそっくり歩道に倒れたのです。朝になって通勤客が見て唖然としました。建物と言うよりも、大きな本が本棚から倒れて来たようです。間口のある建物ですから、歩道をそっくり埋め尽くしています。

 然し、この残骸を見て、誰も家が倒れたとは思えません。ドラマのセットの家か、日光江戸村の建物が壊れたように見えます。しかも、よくこれで商売ができたものだとみんな感心しました。長いカウンターがあって、お客様が座る椅子があって、なお且つ、厨房があって、蕎麦の丼などを収納する棚がなければいけません。トイレも必要でしょう。それらの一切が収まるのは奥行き1mの家では絶対に不可能です。それを可能にさせていたのですから、これはマジックです。

 

 駅前とは言っても、横断歩道を渡った向かい側にありましたので、商売としては難しい土地です。ちょっと蕎麦でも食べようと言うにはわざわざ歩道を渡って向こう側に行くのはおっくうです。駅前にはほかにも立ち食い蕎麦屋さんが何件もあります。どうしてもこの店でなければならないと言うほどの店でもないようです。

 うまい店ならお客様も呼べたでしょうが、味の評判は聞いたことがありません。いつもはあまりお客様が入っていないようでした。私が高円寺に引っ越して32年経ちますが、ずっと店はありました。全くお客様がいなければ32年間生きて行くことは難しいはずです。そうした意味からいうと、手堅い顧客がいたのかもしれません。

 少なくとも私は一度もこの蕎麦屋さんに入ることはありませんでした。流行らない店には何か人が入りにくい雰囲気が漂っています。特に飲食店はそうした雰囲気があったら最悪です。

 よく、「この店は見た目は汚いけどね、味は絶品だよ」。と言って、訳知りの仲間に奨められる店があります。入って食べてみると大概は「まぁまぁ」の味で、「一度食べればもういいや」。と言う店が殆どです。

 確かに我々は店に行って、料理を食べるのであって、店を食べるわけではありません。店が古かろうが、厨房が油にまみれていようが、古い週刊誌が散らばっていようが、店の中を子供が三輪車に乗って遊んでいようが、どうでもいいと言えばどうでもいいのです。然し、本当にどうでもいいでしょうか。

 マジシャンにも言えることですが、人前に出るタレントなら、少しは衣装にも小道具にも費用をかけて、いい趣味のものを持つべきでしょう。そうすることでお客様に好印象を与えるのが芸能に生きる者のすべきことと思いますが、その発想は通俗な芸人の発想なのかもしれません。

 もしそんなことに全く構わずに、汚いなりで、汚い小道具で、ものすごいマジックをいきなり見せてくれるマジシャンが現れたなら、確かにそれは衝撃です。自分自身が常識にとらわれて、どうでもいいことにこだわってきた日々を恥じる結果になります。そんな人が出てきたなら、むしろ尊敬に値するでしょう。

 然し出て来ません。そうしたマジシャンは出てこないのです。汚い芸人は結局出て来る前に弾かれてしまいます。巧かろうが、すごかろうが、決していいパーティー、いい店に招かれてマジックをすることはないのです。いい仕事に呼ばれなければ食べては行けないのです。人は外見で判断してはいけないとはよく言われますが、人は外見で判断します。それゆえに芸人は外見にこだわるのです。

 

 その後、いつの間にか店は解体され、綺麗に整地されました。後ろのビルの壁は破損したまま建っています。その跡地を連日見ながら駅に行くのですが、常識で考えたなら、この土地は使い物にはならないと思うでしょう。せいぜいツツジや、アジサイの植え込みでもして、通行人を楽しませるのが精いっぱいと言う土地です。

 ところが、この半年前から、建築が始まり、今また店舗が作られているのです。なんの店になるのかはわかりません。いずれにしても奥行き1mです。やはり立ち食い蕎麦屋さんでしょうか。仮に店ができるとしても、今のコロナウイルス騒動のさ中では最悪のスタートです。どんどん他の店は廃業しています。この状況下で今から新しい飲食店をしようとする人がいるとしたらよほどの発想を備えた人ではないかと思います。

 もし店が出来たら私は真っ先に覗きに行きたいと思っています。どんな人がこの店に夢と希望を感じて商売を始めるのか、それを一目見たいと思います。そして、その店主の想像力を讃えたいと思います。

 私なら絶対に店を開こうとは考えもしない、狭小な場所で、コロナをものともせずに商売をしようとするその発想が尋常ではありません。確かに、駅前で、しかも間口が5間もあればいい場所ではあります。家賃も安いのでしょう。メリットは十分にあります。でもデメリットもたくさんあります。

 こうした店舗を借りる人はきっと何か人に見えないものが見えている人なのでしょう。汚いなりですごいマジックをする超人と同等の発想を備えているのかもしれません。そんな人なら私は尊敬します。願わくば、再度店が倒れないことを祈ります。うっかり倒れて、立ち食い蕎麦屋さんの下敷きになって亡くなる人がいたなら気の毒です。同じ死ぬのでも、立ち食い蕎麦屋の下敷きは情けないです。

続く

 

 

35年前のビデオ

35年前のビデオ

 

指導

 昨日(14日)一昨日(13日)は指導が続きました。13日は紙幣のプロダクションを指導しました。14日は12本リングでした。いずれも私が20代の頃に悩み、苦しみつつ拵え上げた手順です。それが今に役立っているのは幸いです。

 紙幣は4作。どれも個性的な作品で受けがよく。随分いろいろなところで使いました。生徒さんには珍しかったようで、好評でした。紙幣はまだ何作か作品があります。時間をおいて別の作品の指導をしようと思います。

 12本の方は、14日で3回目の指導が終わりました。ここからは細かなテクニックの指導をして行きます。12本は指導ビデオをただ流して見ていたのでは見落としてしまうような小さな工夫があちこちにあります。今まで生徒さんから求められれば詳しく指導をしましたが、なかなか奥の奥まで詳しく聞き出そうとする生徒さんは少ないものですから、尋ねられなければそのままスルーしていました。

 しかし昨日の生徒さんから、かなり突っ込んだ質問を受けました。彼らは私の昔の映像を探し出して、繰り返し見て、疑問となる部分を調べ上げて来ています。時代が進むと、ネットでいくつもの古い映像を探し出して、それを見比べて、疑問の部分をリピートしてみることが出来ます。

 12本リングは私が20代の末にレクチュアービデオを出しています。私の指導ビデオの第一作です。今見ると恥ずかしい教え方をしています。逆に、演技の方は手慣れていて、手がいくらでも動きましたので、とにかく演技が早かったのです。今見ると見せることにゆとりがなく、お恥ずかしい演技です。

 その後60になってそっくり撮り直しをしています。これは演技の仕方もしっかりできていますし、見せる力もついていますので安心して見ていられます。然し、何となく面白味がありません。安定しているのは間違いないのですが、芸としてみると、20代のほうがキラキラ輝いて見えます。何がキラキラしていたのかはわかりませんが、自分自身がこの作品を惚れ込んでいて、しかも自信を持って演じていることがよくわかります。まるで強力な武器を持って戦っているように見えます。若いうちは怖いものなしです。

 

 昨日は、指導ビデオではなく、実際にショウの中で12本リングを演じている映像が見たいと言うことで、生徒さんに求められるままに、35年前のリサイタルで演じた12本リングのビデオを見てみました。その当時どんなふうにやったのかは全く忘れています。私としては、「突っ走らなければいいが」。と祈るようにして見ていました。

 初めに、伸びるロープから三本ロープに行く私のいつも演じていた手順です。喋りの数は多く、喋りのスピードもかなり速いです。どこと言って問題はありませんが、何とも心が休まりません。

 そして12本リングです。「うーん」、思っていたほどひどいものではありませんでした。と言うよりも技術的には今よりもこの時のほうがベストに近いと思いました。

 然し、昔の演技を見ることは恥ずかしいものです。リングは手慣れていて、曲によくはまっています。ビデオに映し出された30代の私は、予想したほどには、忙しい演技をしてはいませんでした。「あぁ、よかった、お粗末な演技でなくて」。ほっと一安心です。この当時(昭和60年)はバブル最盛期の最も仕事量の多かった時代でした。恐らく年間120回くらい舞台上でリングを見せていたと思います。

 ビデオを見せた後は、生徒さんから質問攻めでした。実に丹念に小技を見つけ出して技法を取ろうとしています。いいことです。この人たちが、12本リングを継承して、次の時代に続けてくれたならこの芸はこの先も残ります。

 

道具が手に入らない

 但し、12本リングがどこからも入手できません。私が持っていた在庫も底をついてしまいました。リングだけではありません。四つ玉も、ピラミッドも、中華蒸籠も、何もかも、ステージマジックはいい道具がどんどんなくなってきています。この先道具をどうやって確保して行ったらいいのかが不安です。

 私にまとまった資金があれば、リングでも、ゾンビボールでも、四つ玉でも職人に頼んで十年分くらいの在庫を確保しておくのですが、とてもそんなことは出来ません。粗悪な道具を我慢して使うなどと言うことはしたくはありません。何とか良い道具を確保したいと思いつつ果たせず何とも残念です。

 

 玉ひで

 20日玉ひででの公演です。毎回安定してお客様が見えます。有難いことです。残りあと4席です。ご希望ありましたら、お早めにお申し込みください。

 

 入院ご安心ください

 私が来月15日から一週間入院すると書いたら、心配して電話やらメールをくださる方が何人もありました。すいません言葉足らずで、大した入院ではありません。大腸のポリープを取るための入院です。手術と言うほどのものではないのです。また肛門から内視鏡を入れて、中を覗きながらポリープを取るだけです。前回取り切れなかった、2つを取るそうです。

 但し、時節柄、面会謝絶です。病院は虎ノ門にあります。そうなら、夜な夜な抜け出して銀座に遊びに行こうかと考えていましたが、それができません。外出禁止です。そうなると全くやることがありません。

 然し、これは考えようによってはじっくり自分の知識を広げるためのチャンスかもしれません。そこで、日頃読みたかった本を本屋さんに注文しました。しっかり本を読もうと考えています。エンターテイメント2.0も読みかけていますので、これは来月の入院で読了させます。(今月中には読み終えてしまうかも知れません)。ブログも十分書けると思います。病院からも連日発信しますのでご期待ください。

続く

 

オリンピックはどうなる

オリンピックはどうなる

 

オリンピック騒動

 さて、森さんがオリンピックの東京大会の会長を辞任したと思ったら、今度は川渕チェアマンが、「正規の手続きを踏んでいないから」と言う理由で不支持になりました。きっと一昨日から、川渕さんに各方面の関係者からたくさん電話が入ったのでしょう。みんなの勝手な言い分を聞いるうちに川渕さんもやる気をなくしたのでしょう。せっかく有能な人材がいながら、みんなでつぶしているのです。つまり、森さんと言う重しが取れたら、一斉に、みんなが勝手に動き出したのです。

 ネットでは「密室でことを決めるのは許せない」。と言っていますが、一見もっともな言いようですが、その実、日本人の本質を理解していません。この国は昔から密室でことを決めているのです。現実に総理大臣ですら密室の会議で決まっています。投票はつじつま合わせに過ぎません。投票の前には誰が総理大臣になるかは決まっているのですから。

 密室会議でことを決めて、その時に選ばれなかった人には別の役職を与えて納得してもらう。そうやって八方気を使って、まとめて行くのが日本式のやり方です。これを否定して騒いでいる人は、初めから選ばれる可能性のない人です。

 それでも、まとめ役がいなくなればみんなが勝手に動き出し、終止がつかなくなります。但し、今は密室であれ何であれ、すぐに適任者が決まって活動を止めないことのほうがオリンピックの開催には有益なはずです。日本人は一体自分たちをどうしたいのでしょうか。

 気の毒なのは川渕チェアマンです。二階に上がって梯子を引かれたと同じことです。馬鹿を見た川渕さんがオリンピック会長を断るのは当然です。日本はこんなことを繰り返していていいのでしょうか。

 

 我々は民主主義が最も優れた政治のあり方だと考えています。然し、民主主語は過去に何度も、起こっては消えを繰り返しています。民主主義の後に、帝政が生れたりもします。人は民主主義を経験しておきながらなぜ帝政を支持するのでしょうか。それは、民主主義が時として衆愚政治に陥るからです。

 人の話を聞くと言うことはいいことですし、多数決でものを決めることは一見正しく、平等な考えに思えますが、それは人が善意で、誠実に民主主義を行った場合のみ有効なのです。無責任な人たちが、根拠のない、我ままな自己主張をしたりすると、政府はその人たちの意見も聞かなければならず、彼らをなだめるために、無駄な補助金を出したりするようになります。

 それがいつしか、声高にものをいう人の理屈が通って、真実が曲げられて行きます。第二次世界大戦時のナチスを思い出してください。ドイツ人ほど頭のいい民族が、なぜナチスを支持して、民主主義から、帝政に逆戻りしたのですか。ナチスは遠い昔のことではありません。わずか90年前のことなのです。

 私の親父などは、如何にドイツ軍が強くてかっこよかったか、子供だった私に何度も語って聞かせてくれました。親父は子供のころさんざんにニュースなどでナチスの行進を見たのでしょう。親父にすれば帝政ドイツもヒトラーも憧れの存在だったのです。

 多数決が正しいと言うのは実は大変に危険なことなのです。例えば、裕福な人と貧しい人の数は、どっちが多いかと言うなら、圧倒的に貧しい人のほうが多いのです。その貧しい人が、みんなで「金よこせ」と叫べば、政府は金を出さざるを得なくなります。そうなると政府はいくら税金を集めても配る金のほうが多くなり、金が不足します。

 ローマ帝国の時代、ローマ市民の支持を得るために、帝国政府が連日コロセウムで猛獣と人との戦いをしていたのも、祝日が年の半分にまで膨れ上がったのも、市民をなだめて票を求めた結果です。

 それでもローマが拡大して、新しい領地からどんどん年貢が入って来る内は、政治の矛盾が見えなかったのですが、いざ領土が縮小を始めた時に、サービスが低下することでローマ市民が不満を言うようになります。政府は市民の不満をなだめるために、放漫な財政支出を繰り返します。結果としてこれがローマ帝国の滅亡につながります。

 これをローマのことだからと聞いていてはいけません。今の日本は、或いは先進国は、このままで大丈夫ですか。毎年税収以上の予算を組み、福祉や、年金や、保険に際限なく税金をつぎ込んで、しかも、まだ福祉を、年金をと言っている現状は、ローマ帝国のそれと同じではないのですか。

 さて、更に市民のわがままを許す危険な存在が生れました。ネットです。ネットで声高に叫べば、オリンピックの開催会長まで辞任させてしまいます。もう怖いものなしです。でも、よく考えてください、そうして力を持っ人たちがその先、何がしたいのですか。熱意あって仕事している人たちの些末な失敗を騒ぎ立てて、つぶしたとして、その先にどんな時代が来るか、お分かりですか。

 有能な人が、善意でことをして世間から攻め立てられれば、何もしないことのほうを選びます。熱意ある人、有能な人は、自然自然と今の世界から離れて、隠遁生活を送るようになります。衆愚政治とは、結局人から熱を奪い、無気力な世界を作ってしまうのです。以前私が書いたように、ローマ人が何となく目がトローンとしていて、覇気がなかったと歴史家が言っていたことと同じ、この先能力ある人が諦めるような時代に陥ってしまう可能性があります。そんな時代が世界中に訪れた時に、ネットはどんな力を持って、どんないい世界を作るのでしょうか。オリンピック騒動を見て、そんな事を感じました。

 

 

マジック指導 

 さて、今日は、午前中と午後とマジックを習いに来る生徒さんが来ます。今まで誰が来るのかを書いていましたが、名前を書くと、SNSツイッターなどで生徒さんを中傷をする人がいます。全く何の役に立たないことを向きになって非難する人がいるのです。かつてそうした人を愉快犯と言いましたが、どうもその延長の人が、ネットにはびこって、嫌がらせをしています。

 私はブログを善意で書いていますが、その善意が人に悪影響を与えるようなら、閉鎖しなければなりません。 誰もかれもが不可解な人たちではありませんが、なかなか善意を理解しない人がいることが危険です。書き手である私が注意して書かなければいけません。とにかく、今日一日は指導をします。

 

玉ひで神田明神

 来週20日(土)は、玉ひでの公演です。半年以上開催を続けたおかげで、毎月お客様の予約が絶えることがありません。有難いここと思っています。そして、22日(月)は、久々ですが神田明神の江戸っ子スタジオで、落語、曲芸を交え伝統芸能を開催します。詳細は東京イリュージョンの掲示板をご覧ください。

 私は、3月には入院をします。そのため、3月の玉ひで公演は私はお休みします。代わりに、大樹が公演します。若手はいつもの通り出演します。3月のチケットはもうかなり売れているようです。観覧ご希望の方はお早目にお申し込みください。

 

続く

森さん辞任

森さん辞任

 

 とうとう世論は森さんを辞任に追い込んでしまいました。女性蔑視、男女平等を叫ぶのは良いことですが、錦の御旗を押し立てて、実際、森さんを辞任に追い込んで何かが変わるのでしょうか、日本人も、或いは世界中の人々も、集団ヒステリーで叫ぶだけ叫んで、森さん一人を止めさせて、それで自身の留飲を下げたとしても、それでおしまいと言ううことになりませんか。

 日本の女性蔑視を解決したいなら、実際の自分たちの勤めている会社や、役所のあり方にこそ問題があるのでしょう。そうなら自分たちの職場の管理職や、会社役員に女性が少ないことを本気で会社に訴え続けて、一つ一つ権利を勝ち取って行かない限り問題の解決は程遠いでしょう。

 問題は我々の隣近所に住んでいる、会社経営者や、会社役員、管理職の人たちの価値観が変わらない限り、何も変わらないのです。然し、人の価値観を変えると言うことはとても難しいことです。

 森さんの後任には川渕チェアマンが内定したようですが、無論、川渕さんなら、人望もありますし、これまでのサッカー界の貢献度などは誰もが認めるところでしょう。

 然し、客観的に見たなら、83歳のお爺さんから84歳のお爺さんにトップが変わり、男のリーダーから男にリーダーに変わったわけで、これで女性蔑視の問題は解決したと言えるのでしょうか。

 

 森さんがワンマンであることは森さんを知る人たちの間では周知の事実なのでしょう。時々おかしなことを言う人であることも、これまでの行動からさもありなんと思います。ならば、そんな人をなぜオリンピックの委員長に据えたのでしょうか。それは、実力があるからなのでしょう。

 森さんをトップに据えたなら、政界も、役人も、財界も、みんなひとまとめにまとめ上げるカがあるから選ばれたのです。仮にオリンピックが中止になるとしても、森さんなら、アスリートや、企業や、スポーツ団体に補助金などを配って、うまく行かなくなった人たちを支援し、大きな損害を与えないようにまんべんなく配慮してくれる人だと読んでいるから、みんな従っているのでしょう。

 オリンピックほど大きな組織になったなら、表でも裏でも相当に多方面にわたって関係者を納得させる手腕を持っていないと組織は運営できないはずです。それができる政治家は日本にそう何人もいるものではないはずです。私は直接森さんにお会いしたことはありませんが、知り合いの政治家から伝え聞いた話では、森さんは周囲の気配りのできる人で、長年の活動実績から、今のポジションにいるわけです。

 今回の舌禍は、森さんの間違いではあったとしても、辞任を求めるほどの問題ではなかったのではないかと思います。謝罪したのだから、この場は収めようと言うのが大人の判断だと思います。

 オリンピック開催間際でのトップの差し替えは、オリンピックの開催を難しくするでしょう。開催されるにしろ、中止になるにしろ、この先日本がうまく行かなくなることが多々発生しそうです。ただ騒ぎ立てるだけでは国が悪くなるばかりです。

 そもそも、SNSでヒステリックに騒ぎ立てて何が解決しますか。話題が海外に波及し、海外でも「女性差別は許さない」。と騒いで、結果、女性尊重を言わなければ、タレントもアスリートも、政治家も、女性の敵のような扱いを受けることに問題があるように思います。

 

 ヨーロッパの国々が、女性差別を叫ぶことは結構なのですが、彼ら彼女らは、自分たちが人種差別をしていることをどう考えているのでしょうか。今回ヨーロッパでなぜこれほどまでコロナが蔓延したのかと言うなら、その根は人種差別にあるのです。

 中東紛争等の影響で、多くの難民が出て、彼らが職を求めてヨーロッパに集まって来ました。ドイツもフランスもイギリスも、人道的な立場から、難民を受け入れました。その行為は立派なのですが、実際国内に彼らを受け入れると、露骨な人種差別を被りました。難民は給料が半分しか支払われないとか、保険に入れないとか、正業に付けないとか、住む地域が限定されているとか。

 そうした中で、アルバイトで生活していると、例えば風邪をひいても休むことすらできません。何日も休めば簡単に解雇されます。変わりはいくらでもいるのです。そのため休まず働いているうちにコロナに感染すると、難民は自分がコロナに罹っていると知っていても仕事を休めないのです。保険もなく、収入も低いため病院に行くこともできません。これがヨーロッパやアメリカで爆発的に感染者を増やしている原因なのです。

 人道支援の名目で、難民を受け入れても、実際には、国民に根深い差別意識が災いして、結果、人種問題も、コロナウイルスも解決しません。今回のコロナウイルスは、ウイルスの問題よりも、人種差別が問題をこじらせているのです。そうなら、いくらワクチンが出来ても、それでコロナウイルスは完治できません。人種差別に聞くワクチンはまだ発明されていないのですから。

 人種差別をするヨーロッパ、アメリカ人たちが、女性蔑視を語った日本政治家を糾弾して何の意味があるのでしょうか。こうして書いていても、この話に関わることのむなしさを感じます。

 

 さぁ、オリンピックを何としても成功させましょう。東京で胸のすくような競技を見せてほしいと思います。50年数前のオリンピックを見た者としては、もう一度人生で東京オリンピックが見られることは幸せです。10歳だった私にとって、オリンピックの催しは忘れることのできないものでした。あれをもう一度日本の子供たちに見せられるなら、きっと子供たちに大きな影響を与えることが出来るでしょう。オリンピックを無責任にやめろと言わないでください。良きことに水を差しては国も人も良き方向に進まなくなりますから。

続く

天一 17 西洋奇術一座

天一 17 西洋奇術一座

 

 天一の東京での興行は次のようなものです。

小奇術数番

 先ず何人かの弟子が出て来て、簡単な奇術を数番演じます。このころの演目はが何だったのかはわかりませんが、恐らくハンカチをウオンドの上で廻して見せる「ハンカチ回し」。ハンカチを二つに畳むと中から卵が出て来る、「ハンカチから卵」。二銭銅貨を十枚持って、数を数え、お客様に渡しますが、握った手から一枚抜き取る。「銅貨の扱い」などと言ったものだったろうと思います。

 

2、天一の口上と小奇術数番

 これが終わると、やおら上手に置いてあるオルガンが、「春の弥生の曙は」、と言う、雅楽の越天楽から編曲した唱歌を演奏します。天一はこの曲が好きだったようです。オルガンで演奏すると、神秘的で荘重な感じがします。その曲に乗って天一登場です。新しくもあり、厳かではありますが、随分地味な出現です。でも、当時は、もっぱら三味線音楽が芸事の伴奏を一手に引き受けていたわけですから、この出だしは珍しかったのでしょう。

 ここで天一が東京に進出した理由を長々口上を述べます。天一の口上は堂々としていて評判が良かったようです。そして奇術です。

「万国旗の取り出し」箱の中から出したのでしょうか。

「筒からのマリの取り出し」。三本筒からのプロダクションかと思います。

「ハンカチの焼き継ぎ」お客様から借りたハンカチの真ん中を焼いてしまい、焦げを作ります。それを手の中で揉んでいるうちに復元します。今でも演じられます。

「火食い術」「火吹き術」「口中紡績」これが会津磐梯山噴火になぞらえた奇術です。天一が十代で四国を回っているときに覚えた放下の古い術です。西洋奇術師とはいいながら、こうした古典の放下芸(手妻)も持ち芸として演じていたのです。口中紡績と言うのは、火吹きをした後、口から紙テープを延々と出すもので、太古の昔からある術(太古は糸)です。今は口から物を出す芸は流行らなくなりましたが、やれば今でも受ける芸です。

 

3、大奇術

 その後中幕が開いて大奇術になります。

「空中浮揚」。これはノートン一座も演じた、棒の上に横たわる美人の芸と似ていますが、天一は、似ていると見せて、支えの棒も抜き取って、完全に女性が浮揚します。これは観客が驚いたようです。然し、この術のほうが実は古く、江戸時代にはすでに演じられています。背景の黒幕を利用したブラックアートです。

「三剣バクス詰め」。バクスとはボックスのこと。箱に美人を入れて外から剣を刺します。箱から血がしたたり落ちます。箱を開けると美人は消えています。美人はどこかと見渡すと、天井から大きな鶴が下りて来て、そこに美人が乗っていて降りて来ます。これは大変な人気を呼び、11月15日の東京日日新聞の劇評に絶賛されています。

「磔(はりつけ)術」。これは大阪の中座で帰天斎が演じたものと同じ奇術。もう天一の得意芸になっています。磔で槍を美人に刺して、血がしたたり落ちます。美人の死体を樽に詰め、水を入れますが、しばらくすると樽の中は空になっています。消えた美人は別の場所から出現します。どうも天一の芸は血糊が度々出て来ます。現代では敬遠されるでしょうが、新聞の劇評では、その血糊がすごいと逆に褒められています。時代の違いでしょうか。

 

4、小奇術

門弟数名による小奇術。

「柱抜き」。サムタイのこと。既に弟子の演目になっていたのでしょうか。

「ダラ棒」ダラとはドルのこと、棒の先から1ドル銀貨が何枚も出て来ます。日本では二銭銅貨で演じたようです。

メリケン帽子」。メリケンハットのこと。煙草の箱や、ハンカチなど様々なものが出て来ます。

 

5、七変化

 天一の最も得意とする演目。初めは「夕涼み」から始まります。裃姿で天一が現れ、大きな壺を改め、中に水を入れると、中から火が灯った提灯が幾つも出現します。次に、絹の反物が次々に出現し。まとめた反物の中から傘が何本も出現します。その後大幕が出現し、その大幕の陰で、天一は芸者に早変わりして、涼しげに団扇を仰いでいます。しかし天一は、立派な髭を生やしていますので、芸者姿は大爆笑になります。

 ここから次々に早変わりをします。芸者姿で引っ込んだ天一と入れ替わりに、中国の留学生が現れ、人力車を探しています。そこへ、天一が、車夫になって現れます。留学生は行き先を告げますが、人力車がありません。

 車夫は人力車を今から作ると言って、さっき夕涼みで出した傘を利用して人力車を作り、そこへ留学生を乗せます。いざ動き出そうとすると、乗りずらくて、留学生が文句を言います。車夫と喧嘩になり、車夫は留学生を殴って気絶させてしまいます。

 慌てた車夫は医者を探しに引っ込むと、すぐに天一は医者となって出て来ます。医者は、「もう手遅れだ助からない」。と言って去って行き、代わりに坊さんに代わって出て来ます。坊さんが経を読み、死体をかたずけようとしますが、戸板がありません。仕方なく、長い棒を見つけて来て、留学生の胴に突き刺します。人足に棒の両端を持たせて留学生を連れて行きます。その後神主になって現れたり、大礼服を着た軍人になって現れて、喜劇は終わります。

 ここで天一のとぼけた芸がいかんなく発揮されます。天一と言うと真面目で固い印象を受けますが、三枚の芸も達者で、とぼけていておかしかったようです。これも帰天斎や一登久の影響から芸を学んだのでしょうか。

 

 その後休憩があって、

6、「小奇術」。門弟数名が演じました。

 

7、「身体切割解剖術」。名前はものすごいですが、胴切り術です。

  「袋抜け」。袋に美人を入れ、袋の口を縛り衝立をして、数秒で入れ替わります。

 

8、「陰陽水火の使い分け」。水芸です。一登久から習った水芸を、曲独楽の部分を外し、水芸のみにスポットを当てて手順を作り上げました。水火とは、女性に花火を持たせ、花火が出ている先からも水が噴き出しました。天一は、大礼服、女性は、ドレスを着て、からかいはチョッキに蝶ネクタイと言ういで立ちです。完全に西洋奇術として演じています。然し内容は従来の水芸そのものです。然し目新しいことの好きな東京の観客には洋装の水芸は絶賛されました。

 

 この後、またオルガンが蛍の光を演奏して、長い興行が終わります。

続く

 

 

天一 16 大成功の秘密

天一 16 大成功の秘密

 

 天一は、横浜で興行している際に、東京の新聞に自身の意気込みを広告スペースを使って大々的に述べています。大変に面白い文章です。が然し、余りに難しい漢文がたくさん出て来ます。現代の知識人が多くは英語を理解しているのと同じように、明治の知識人は漢文を知識の物差しと考えていました。そうした読者に照準を合わせていたようですが、然し、それにしても難しすぎます。当時新聞を読んでいた読者の一体何人がこの文章を理解できたのか、またあえてそんな文章を費用を支払って、新聞に掲載する理由があったのか。

 どうも天一は、興行で成功した後を考えていた節があります。天一は、「誰に評価して貰いたいのか」。をはっきり狙いを定めて東京進出を考えていたようです。無論お客様であるならどんな人でも来てもらいたいのですが、天一の本心は、

 知識人階級に、天一の舞台を見てもらい、仲間に広めてもらいたかったのでしょう。そうすることで、奇術と言うものが知的なものである。芸能として高尚なものであると言う評価を東京中に振りまいてもらいたかったのでしょう。

 このことは先に申し上げたように、中村一登久が、東京で成功して以後、決して良い仕事に巡り合えず、小屋掛けにとどまっていた姿を見ていて「あのやり方ではこの先の成功はない」。と考えていたのでしょう。そしてこれこそが天一の答えなのです。

 天一は、奇術師の文章とは思えないような、漢文どっさりの広告を出します。恐らく知り合いの漢文学者などに手伝ってもらったのでしょう。面白いので全文書きます、後で訳させていただきます。

 

 萬国第壱等世界無比

改良 大てじな興行

 予輩今回演スル西洋奇術ハ英国妖術博士(イギリスのマジック権威者)鉋富満(ホフマン)氏ノ盲体論魔術矩(モダンマジック)ノ実伝ナリ、予氏ニ従ヒ研究スル事積年、而(しか)シテ氏ハ予ノ黽勉屈撓(びんべんくっとう)セサルヲ賞褒シテ之ヲ授与スルニ至レリ、然リト雖(いえど)モ予之ヲ以テ未タ心ニ足レリトセス、尚遠奥(なおしょうおう)ヲ究(きわめ)ント欲シ、奮然身ヲ理化学ニ委ネ、思ヒヲ焦シ頭(こうべ)ヲ爛(ただ)シ尚蛍雪(なおけいせつ)ノ功ヲ累(かさ)ネ、奇々妙々千変万化ノ秘術ヲ発明スルヲ得タリ、

 今是ヲ諸方ニ施シテ世人ノ称賛喝采ヲ得タリ、現ニ横浜ノ如キハ大(おおい)ニ洋人(=西洋人)ノ褒賛ヲ得、͡滋(ここ)ニ興行スル事二カ月ノ長キニ及フト雖モ満場殆ント立錐ノ地ナク其ノ奇ヲ演シ術ヲ行フニ至ッテハ看客(=観客)ヲシテ拍手喝采手ノ舞ヒ足ノ踏ムヲ覚ヘサラシム、実ニ華胥仙界(かしょうせんかい)逍遥(しょうよう)スル疑ヲ起コサシム(後略)

 

 この後、自身の得意芸の火吹きのことを書いています。口から火を噴く姿が、会津磐梯山の噴火を思わせる、等と宣伝しています。この年に福島の磐梯山が噴火したため、それを奇術にくっつけて語っています。若いころ習い覚えた火吹きをこの時はまだ繰り返していたのです。他に、文楽座の入場料などをこまごま書いていますが、とにかく、前半の文章は驚きです。

 先ずモダンマジックを盲体魔術矩と書くことは、当時どれだけの人が読みこなせたか謎です。苦労して学ぶことを黽勉屈撓と言う人が当時の日本に何人いたでしょうか。途中、理化学に身をゆだね、と書いていますが、天一が理科学の研究をしていたかどうか不明です。火薬の調合や、小道具の制作は熱心にしていたでしょうが、それを拡大して言っているのでしょうか。

 そもそもホフマンと言う人は、モダンマジックと言うマジックの種の解説本を出した人で、アマチュア研究家なのですが、明治初年の日本ではこの本を奇術愛好家は有り難がって読み、ホフマンを神様扱いをしたのです。その人の所に行って、奇術を習って来たと言うのは天一の法螺です。この時点で天一はまだ海外に出てはいません。

 横浜の二か月間は、観客が熱狂し、拍手喝采の上、踊り出し、大騒ぎとなったと言っています。横浜の興行が当たったことは事実です。然し観客が天一の奇術を見て、熱狂して踊り出したと言うのは大げさです。然し、天一が何を東京の観客に伝えたかったのかは痛いほどよく伝わります。

 

 天一は、横浜を終えると10月には東京に乗り込み、文楽亭(座)の支度をします。そして11月1日。初日を迎えます。文楽亭の入場料は、下等8銭、中等15銭、上等30銭、と、半年前のジャグラー操一の興行と大差はありません。然し特別上等として、1円の席を設けました。これは大きなことでした。当時の1円は今日の2万円に匹敵します。警官の月給が8円の頃の1円です。簡単に出せるお金ではありません。

 「奇術の興行に1円なんて誰が払うんだ」。と鼻で笑っている関係者がいた中で、天一は強気です。きっと特別席が満席になると踏んでいたのです、実際、興行が始まると、黒塗りの馬車に乗って押し掛けるお客様が大勢来て、たちまち特別席は満席になりました。天一はしてやったりとほくそ笑んだでしょう。さてその演技は如何なものか、すみません、明日またお話しします。

続く