手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

今日、明日はお休み

 今日(14日)と、明日(15日)は、猿ヶ京合宿のため、ブログはお休みします。合宿は、毎年、4月、7月、10月と三回行っています。舞台がありながら、誰も使用していない稽古場ですので勿体ないと思います。どなたか、マジッククラブの合宿などでもお使いになりたいなら、稽古場をお貸しします。

 秋は、毎年10月くらいに合宿していますが、今年は、半月遅れになりました。もう猿ヶ京は秋も終わりに近づいていると思いますが、それでも、丘の上にある町営温泉の露天風呂から眺める。赤谷湖とその周りの山々は、きっとまだ紅葉が残っていて、素晴らしい景色だと思います。

 夕方までに稽古を終えて、まだ日のあるうちに露天風呂に入って、紅葉を眺めつつ湯に浸かろうと思います。夜は、みそ仕立てで、豚肉の鍋をこしらえてみんなで食べようと思います。前田の得意のたこ焼きも用意しています。前回も夜遅くまで酒を飲みながら、マジックの話をしました。こんな日があってもいいのです。

 と言うわけで、毎日楽しみにブログを見に来てくださるあなたには申し訳ありませんが、2日間お休みします。月曜日にまたお会いしましょう。

続く

マックスマリニーとパン時計

猿ヶ京合宿の買い出し

 明日(14日)猿ヶ京で合宿をするために、一昨日(11日)布団や、枕を買い足しました。また今日(13日)は、肉や野菜やビールを買いに行きます。総勢12人の集まりですから、食事の量も相当に必要です。日頃は食事など作りませんが、合宿となると料理作りが楽しみです。日々変化のあることをしていると気持ちが生き生きしてきます。

 

久々伊勢丹

 昨日(12日)は、午前中に踊りの稽古をし、午後に新宿の伊勢丹に行って、靴や服を買いました。余り買い物に出かけることはないのですが、余りにいつも同じものばかり着ていてはだんだん貧相になりますので、思い切って上から下まで買いました。随分派手に出費をしました。何のかんのと半日伊勢丹で買い物をして、服やズボンを脱いだり着たりして、少し疲れました。でもそれがためにいい服が手に入りました。何とか出費した分、仕事をしなければいけません。

 

マックスマリニーとパン時計

 アダチ龍光師の演じたパン時計はマックスマリニーの演技を脇で見て覚えたものだと聞いています。マックスマリニーは生涯で5回以上、日本を訪れています。別段日本が好きで来たわけではないようです。「Malini&hisMagic(マリーニ&ヒズマジック)」と言う洋書に、彼が明治の末年から大正にかけて頻繁に日本を訪れていることが書かれています。上海に友人の実業家がいて、しばしばマリニーをパーティーに招いてくれたため、その帰りの駄賃稼ぎに日本に寄り、ひと稼ぎして行ったわけです。

 今日のマジック界ではマリーニは、クロースアップマジックの元祖のような扱いを受けていますが、この書物では随分様子が違い、明治の末に新富座で、トランク抜け(人体交換術)を演じています。それを若いころの天洋師が見ています。(奇術と私)

 実際、マリニーが日本に来ると、新富座のような1000人も観客の入るような大きな劇場を専門に開け、各地を一週間から10日間廻っていたようです。演者は、マリニーとアシスタントの男性、女性。それに通訳を引き受けた、木村荘六(きむらそうろく=後の木村マリニー)と弟子の木村荘一(後のアダチ龍光)ほんの5人くらいで1000人の舞台を開けるのですから、いい収入になったと思います。

 マリニーが頻繁に日本に来ると言うことは、いい稼ぎ場だったからなのでしょう。恐らく、日本で興行した利益だけでも、マリニーが半年生活できるくらいは稼いだのではないかと思います。

 

 話は前後しますが、そのマリニーの演技を、アダチ龍光師の師匠である、木村マリニー師が通訳をしました。弟子である龍光師はそれを手伝い、二人はマリニーのマジックを脇で見て覚えて行ったのです。

 今となっては伝説の彼方にあるマリニーですが、龍光氏の聞き書きからはマリニーが名人だったとはどこにも書かれていません。巧いことは巧かったのでしょうが、特筆するほど巧かったとは書いてないのです。あのダイバーノンが、マリニーを語るときには、純粋な中学生のような瞳に変わって、神に接するような思いで語っていたのに、龍光師にはさほどの名人とも思わなかったようです。

 ちなみに、マリニーはアマチュアマジシャンに対しては冷淡だったようです。アマチュアが楽屋に尋ねて来ても、一瞥(いちべつ)しただけでそっけない応対しかしなかったようです。バーノンに対しても同様で、バーノンから尊敬されていたにもかかわらず、マリニーはバーノンを相手にしなかったようです。バーノンのマリニーへの思いは片思いだったと言えます。マリニーからすればアマチュアが寄って来るときは、タネを盗みに来るときで、話をしてもいいことは一つもないと考えていたのでしょう。

 実際、彼はマジックのコンベンションにも顔を出さず、指導もせず、演技も、殆どは金持ちのプライベートパーティーを相手に出演していました。そのパーティーを引き受けるために、金持ちの好みを調べ上げ、専門の知識を勉強し、今彼らが興味を持っている話題を必ず会話に取り入れたり、社会常識を普段の会話でも取り入れて、一流の知識人を演じて見せたそうです。衣服や、葉巻に至るまで、一流を身につけ、泊まるホテルも町一番のホテルに泊まったそうです。

 

 そのマリニーがよく日本で演じたものは、読心術、9本リング、マイザーズドリーム(バケツコイン)、などで、それらを龍光師は脇で見て覚えたようです。その中にパン時計がありました。パン時計は、かつては西洋でも日本でも頻繁に演じられていた演目ですが、今は見ることがありません。面白いマジックですが、やり手がいません。

 それは、時計が懐中時計ではなくなり、腕時計になったために、扱いにくくなったのでしょう。懐中時計のように、クッキーのようなサイズなら、抜き取りも、パンに挿入することも簡単ですが、今の時計は鎖の形状に奇抜なものがたくさんあって、かさばって扱いにくいのです。そのため演じ手が減って行ったのでしょう。

 小箱にお客様から預かった時計を入れ、テーブルに置きます。テーブルの上にパンが一斤置いてあります。パンを半分に切り、お客様にどちらかを選んでもらいます。選んだほうにお客様の時計を瞬間に移すと言います。選んでもらった後で、選ばなかったほうのパンをほじくって見ます。中に何も入っていません。さて、小箱にピストルを向けて銃砲一発、箱を開けると、時計は消えています。その上で、残ったパンをほじくってみると、中からお客さんの時計が出て来ます。

 

 私は龍光師の演技を何度も見ました。師の得意芸ですから、いつ小箱から時計を抜き取ったのかもわかりませんでしたし、いつパンに時計を入れたのかもわかりませんでした。実に鮮やかなマジックでした。

 よく考えてみると、時計と言う固形物を仕込むには、パンはいい素材です。お札なら丸めたり畳んだりすれば、レモンや封筒の中に入れることはできますが、時計と言う形状は、畳むことも丸めることもできません。それを収めるのに、パンと言うのはとてもいいアイディアです。やわらかくて、時計を包み込むには最適ですし、タネが見えにくい利点があります。しかも、パンを舞台に飾れば絵柄が斬新で、お客様の興味を長く集めることが出来ます。今さらに、パン時計を思い出してみると、「いいマジックだったんだなぁ」。と感心します。

 私は、「これをなんとか来年のリサイタルでできないだろうか」。と考えています。そのためには時計を如何に扱うかが問題です。指輪を使えば簡単ですが、指輪がパンの中から出て来るのと、懐中時計が出て来るのでは相当に効果が変わってしまいます。ここは時計を生かしたいと思います。

 いろいろ考えてみると、新しいアイディアが生まれてくるかもしれません。出来てきたならまたお知らせします。

続く、

菌残って人が死ぬ

菌残って人が死ぬ

 またも北海道知事が自粛要請をして、夜の飲食店の営業を制限することになりました。「自粛要請」なら、店側は断ることもできるはずですが、日本ではそれはできません。周囲の人が従っていることに反対すれば、すさまじい反発を受けて、表からも裏からもいわれなき営業の邪魔をされます。すなわち村社会、密告社会がはびこるのです。

 この国では、「自粛」は自粛ではなく命令なのです。ただの命令ならばだれの責任で出した命令かがわかりますが、要請には強制力がありませんから、命令を出そうとした人は責任が問われません。「あくまで自粛です。私は命令をした覚えはありません」。と、逃れられます。便利です。つまり要請は、為政者が責任を取らなくて済む責任者不在の法律なのです。

 無責任な言葉が世間に蔓延して、多くの飲食店、ホテル、観光会社、航空会社、鉄道、イベント会社、芸人、ありとあらゆる人寄せ業がみんな生活が維持できなくなって行きます。これまで9か月何とか借金するなどして維持してきた活動も、この先またもや自粛が始まればいよいよ生活は成り立たなくなって行きます。

 

 のちの時代になって、今の状況を語るときに、「コロナウイルスによって、飲食店や、ホテルが大打撃を受けて倒産した」。と教科書に書かれるでしょうが、そこははっきりここで訂正しておきます。コロナウイルスによって多くの会社が倒産したのではありません。全ては人災です。

 政治家の無責任な自粛要請。テレビが面白おかしく連日感染者の報道をして煽り続けたこと。この二点で人が出歩かなくなり、多くの人集めの仕事を邪魔して失業に追い込み、結果として経済にダメージを与えたのです。責任のないものが無責任な行動をとった結果、多くの人を失業させたのです。コロナが悪いのではありません。コロナは言ってみれば風邪と同じです。風邪なら毎年普通に罹る病気です。

 それを針小棒大に語って、コロナウイルスをモンスターにした連中に責任があります。そして、またぞろ北海道知事は同じ轍を踏もうとしています。なぜ北海道の飲食店関係者は道庁を取り囲んで抗議しないのですか。このままでは生きて行けなくなるでしょう。窮鼠猫を噛むと言いますが、いかに何でも無責任な政策を繰り返されて、生活が立ち行かなくなって行くなら、人は怒って当然でしょう。

 

 私は昭和63年の秋に芸術祭に参加してリサイタルを開くことにしていました。リサイタルは毎年開催しています。全くの自費運営です。ところがその年の夏に天皇陛下が倒れ、世間は自粛ムードが漂い、あらゆるパーティーが中止になりました。芸能人にとっては大打撃です。そんな折、国のある機関が私の元に電話をしてきました。「天皇陛下が倒れられて、多くの人が公演を自粛していますが、あなたは芸術祭参加を自粛はしませんか」。と言われました。

 私は、「自粛はしません。天皇陛下は国民が生活できなくなることを希望されていますか。いないでしょう、今の状況が続けば我々は舞台の仕事がなくなり、生活が成り立たなくなります。国が生活の面倒を見てくれるなら、私は国の言うことも聞きますが、責任のない自粛には応じられません」。と言うと、相手は黙ってしまいました。無責任な自粛要請は、言って見れば嫌がらせです。私はその年のリサイタルを開催したことで一回目の芸術祭を受賞したのです。無責任な国の言うことなど聞いて、素直に自粛していては成功もつかめず、芸能活動もできなくなるのです。

 

 何度も私はブログに書きましたが、コロナウイルスは、ロックダウンや、自粛要請では感染者は減らないのです。確かに一時的に感染者を減少させる効果はあります。然し、それは見せかけです。毎日山手線に乗ったり、バスに乗ったりして通勤すれば、必ず感染者は増えるのです。すすき野や、歌舞伎町の夜の店を自粛要請するなら、なぜ、山手線やバスを自粛要請させないのですか、おかしいです。片手落ちではないですか。

 山手線や中央線を3分に一本走らせてコロナウイルスを増やしておいて、レストラン、バーはだめとはどういう理由でしょうか。これで感染者を減らすことが出来ますか。山手線の混雑は許されて、歌舞伎座の客席はなぜ規制しますか。見たところ歌舞伎座のほうが山手線よりもよほどゆったりしていますし、衛生的に見えますが、なぜ劇場に限って出かけて行ってはいけないのですか。どなたか政治家の先生でも、お医者様でも説明してくださいませんか。

 このまま行ったら歌舞伎は消えてしまいます。交響楽団も成り立たなくなります。

先日東洋館でのテレビの収録の際に、久々ナイツと長話をしました。漫才の根城である東洋館も連日10人20人と言う観客数です。漫才協会は、東洋館の赤字を補填するために、毎月100万円の補助を出しているそうです。補助と言っても結局借金です。どこからも協力金など出て来ません。百数十人会員のいる漫才協会は、別段収入源などありません。協会員の会費がすべてです。この先どうやって協会を維持しますか。協会副会長のナイツも嘆いていました。もう漫才協会が維持できない状況なのです。上野の鈴本も客席は閑古鳥が鳴いています。落語家もとても生活して行ける状況ではありません。

 

 ロックダウンも自粛要請も、一時感染者を減らす効果はありますが、それは見せかけのデーターです。解除すればすぐに感染者が増え、元に戻ります。それは今年に流れを見れば明らかでしょう。もう、ロックダウンはできないのです。ロックダウンをすれば、ウイルスよりも先に人が死んでしまうのです。それを知って自粛要請しますか。

 一部の医者はアメリカやイギリスやフランスのような大感染が来ると言います。私はあえて言います。「来ません」。それが証拠には、半年前にテレビで、「二週間で40万人が感染するようになる」と言って脅した医者がいたではありませんか。あの嘘つき医者を呼んできてください。そしてなぜ日本で40万人の感染者が出なかったのか、説明させてみることです。それを聞けば誰もが納得するはずです。

 既に東アジアでは免疫力を持った人が多く存在しているのです。それゆえ、感染は大きく広がらないのです。心配はいりません。コロナは恐ろしい病気ではありません。恐ろしいのは煽り続ける政治家と医者です。そしてテレビ局です。

 今の我々にできることは、手洗い、うがい、マスクをすることです。重症になったら病院に行く。それだけです。ワクチンが開発されるまで、それ以上のことはできないのです。大騒ぎをしても意味はありません。これから先は通常の生活をすることです。東洋館に行ってナイツの漫才でも見ることです。

続く

節税

節税

 オリエンタルラジオの中田さんが、シンガポールに移住して、シンガポールで暮らし、そこから日本に通い、日本の仕事をして行く、と言う話が週刊誌に載っていました。中田さんは初めはコントをしていましたが、今はYouTuberとして、大きな収入を得ているそうです。

 確かに、YouTubeを見ると、中田さんが日本の歴史などを平易に解説しているものがたくさんあります。あれを我々が一回見る毎にいくらかの収入が中田さんに入って行くのでしょう。それを世界を相手に公開すれば、年間で億の稼ぎも夢ではないのでしょう。ヒカキンさんなどとともに、今や若者の希望の星なのだと思います。

 私は今でもYouTubeが収入になるなんて言うことが信じられません。いや、仮に収入になったとしても、それが長く続くとは思えません。文筆業以上に危うい仕事ではないかと思ってしまいます。但し、それはあくまで私の考えです。無論、それで成功している人に対して何か意見がましいことを言うつもりはありません。

 私自身がマジシャンなのですから、危うさにおいては世界の職業のベスト5に入るくらい危うい仕事をしています。マジシャンのことを思えば、人にない才能で、世界を相手に、自身の才覚で稼いでいるのですから、それは素晴らしいことです。

 

 その中田さんが、シンガポールに移住すると言う話で、そこで生活し、YouTubeで得た収入もシンガポールに税金として支払ってゆくと言うのです。シンガポールは個人も企業も税金の安いことでは有名な国です。そもそも税金を安くして、企業を誘致し、才能ある人を数多く住まわせることで、資源や産業に乏しいシンガポールを豊かな国にして行こうと言う政策から、税を優遇しています。

 日本の小豆島位いしかない土地で、日本人より高額な所得を稼ぎ出している国ですから、よほど思い切った政策を取らない限り、都市国家であるシンガポールは生きては行けないのでしょう。

 シンガポールの税金が安いからと、世界中の企業家や、能力ある会社役員が、移住し、税金をシンガポールに収め、節税した収入で、新たな事業に投資したり、或いは、シンガポールで豊かに暮らしている話はよく聞きます。

 いくら税金が安くても、国情の不安定な国や、辺鄙な国、貧しい国では、情報も集めにくいでしょうし、ビジネスチャンスも作りにくいでしょう。文化的な生活もしにくいでしょうから、シンガポールに暮らすことはきっといいチョイスなのだと思います。

 中田さん自身が稼いだ収入を、税金の安い土地に住んで、節税をして、残った収入で優雅に暮らすのは、中田さんの帳簿上は素晴らしい選択なのでしょう。然し、そうなら、日本が国を維持するための経費は誰が払うのでしょう。

 日本の政府を維持するための、例えば、警察官の給料。消防士の給料、学校の教師の給料、自衛隊の給料、国を維持するためのあらゆる経費は誰が支払うべきなのでしょうか。日本で仕事をして、収入を得ているのなら、警察の協力を求めることもあるはずです。ひとたび災害が起これば自衛隊の協力も求めることもあるでしょう。先の水害の時に、老人を背負って川に肩まで浸かりながら必死な救助をしていた自衛隊員を見ていたら、私は涙が出て来ました。あの人たちの給料は誰が支払うのでしょうか。我々が支払わなくてどうしますか。

 日本で仕事をし、様々な日本人の世話になっておきながら、税金が高いからと言う理由で海外に移住してしまって、本当にいいのでしょうか。中田さんのように若い人に影響力を持つ人が、税金が安いことを理由に率先して海外移住をすれば、多くの若い人はマネをするでしょう。それがいい事でしょうか。

 

 実は、昭和の40年代から、企業の経営者の中で、税金を納めないで、儲かった利益を土地や不動産に投資することでとんでもない稼ぎを上げた人たちが大勢いました。外から見たなら、巨大な、誰でも知っているような一流企業です。この経営者は年間国に100万円しか事業税を支払いませんでした。ものすごく儲かっているのに、です。

 儲けの全ては、不動産に投資して、銀行から金を借りてビルを建て、企業や、個人に貸し出して、家賃収入を上げます。その収入も次の不動産に投資します。足らない分は銀行から、土地を担保に金を借ります。企業は儲かっているにもかかわらず、帳簿上は次の投資のために利益を使いきり、赤字経営になっています。本来支払わなければならない税金を支払わず、それでいて、企業の資産はどんどん増えて、東京の町中にこの企業の名を冠したビルや土地が目に付くようになります。

 この経営者は脱税をしているわけではありません。合法な金儲けをしているのです。この経営者はある時期、経営の神様のような扱いを受け、経済誌に顔が載りました。然し今、この経営者が語られることはありません。なぜか、平成になってバブルが弾けて、あっという間に不動産価値は三分の一に落ちてしまったのです。銀行は不動産の担保では金を貸さなくなります。焦げ付いた不動産を山のように抱え、企業は倒産してしまい、経営者は消えてしまったのです。

 平成になってからそんな企業が山のように出ました。でも誰も彼らに同情しませんでした。彼らの言う企業戦略とは何だったのか、節税とは何だったのか。帳簿の収支は間違っていないのに、なぜ人から嫌われたのか。結局自分の金儲けしか見ていなかったのではないでしょうか。国や、周囲の人におんぶにだっこで、我ままし放題で、少しも人の役に立っていなかったからなのではないですか。

 高くても税金は支払うべきです。自分の稼ぎが国の役に立っているなら、それは誇るべきことです。日本人として最低限しなければならないことを出し惜しみして、自分一人豊かに暮らしている姿が、かっこいいですか、若者の憧れになりますか。

 少しは町のため、国のため、地に足をつけて、周囲の人のためを考えるべきです。と、言いつつ、よく考えてみたならYouTubeは元々地に足をつけて活動していないのでしょうから、そんな人が海外移住されるのも致し方ないのでしょうか。そうなら私が何か言うことではありません。でもそんな生き方をする人を私は尊敬できません。

続く

峰の桜

針飲み 

 今日(10日)は、13時から東京新聞の取材があります。取材は1、2時間ほどかと思いますが、3時からは習いに来る人が2人あります。その間に奈月が訪ねて来ます。

かなり忙しい一日です。結局私には休みがありません。

 毎日忙しいことは結構なのですが、この先もやらなければならないことが幾つもありますので、その稽古もしなければなりません。今週は猿ヶ京の合宿、来週は、人形町玉ひでのお座敷です。(11月21日、12時から、人形町玉ひで

 玉ひでは毎回、珍しいものを二作は出そうと考えています。今回は、「相生茶碗」と、「針飲み」をして見ようかと思います。相生茶碗と言うのは、コップ釣りと呼ばれている素人宴会向けの一芸ですが、実はこれはれっきとした古典手妻です。今ではアマチュアの宴会芸の扱いを受けていますが、本来の口上を取り入れて演じてみるとなかなかの名作です。要は簡単な芸だからと言って軽い扱いをしてしまって、古典として演じ切る人がいないのです。今回は口上を入れて、昔の型で再現します。

 針飲みの方は、これも古い手妻で、道具が簡易なことから、江戸時代にはこれを演じる芸人は多かったようです。然し、今では演じる人もほとんどなく、貴重品です。これを書物などで見聞きしていて、種だけを先に知って、やり方を知らないマジシャンも多く、私はこれを天海師から習った人から詳細を聞き、譲り受けました。

 実際演じてみると、余りに不思議で、マジックに見えません。昔テレビでやっていた、「世界びっくり人間」のような、変人に見えます。「あれは変な人だから出来るんだ」と、思われてしまいます。そこでめったなことでは演じなかったのですが、何度も何度も同じ仕事場で手妻を頼まれたときなどに、演目に窮したときには時折りこれを出しています。

 芸としては危険術でも何でもないのですが、今となっては評価の分かれる芸です。私は手妻を残す身として、一つの作品として評価すべきものだと思います。但し、終わった後、場の雰囲気が変わってしまうことが問題です。何とか、明るい、楽しい雰囲気に変えて終わるようにしなければいけません。

 

峰の桜

 秋に私のリサイタル公演をします。その時に、今まであまり演じなかった作品を出して行こうと考えています。その中の一作で、「峰の桜」を出そうと思います。

 これは故石田天海師が、昭和10年に、故松旭斎天勝師に依頼されて、天勝師の引退公演の際に披露するために作ったものです。演技自体は、ミリオンウォッチを大掛かりにしたものです。空中から次々と桜の花びらを取り出して、舞台の緞帳に飾って行くものですが、とても一人では緞帳一杯の桜の花びらを出すことはできませんので、二人の助手を使って長唄の吉原雀の相方を使って、派手な踊りを取り入れて、三人で一緒になって桜を次々に出すと言う舞踊劇に変えました。

 踊りの名手だった天勝師の演技と、きらきらとした桜の花びらが舞台一面に飾られるマジックで、引退興行の際には大変好評でした。然し、天勝師以後はこれを演じる人がありません。私は若いころ、その桜の花びらの実物を見せてもらったことがあります。薄い鉄板に鍍金された銀色の花びらで、五枚の花弁はタコ糸で結ばれていました。

 天勝師は、これを掌(てのひら)に数セット握って、一セットづつ、空中から出して見せたそうです。ミリオンウォッチのようにバックパームはしなかったようです。当時の日本のマジックのレベルからしても、バックパームは難しかったのでしょう。また、花びらを緞帳に飾るときに、次の花びらを補給するために、バックで持ってくる動作もなかったようです。

 つまりマジックの不思議な要素はほとんど後退していて、弟子が踊っているすきに、太夫は後ろを向いて次の桜の花を取って来るような動作だったと聞いています。

 この仕掛けを見た時、私は、「いつかこの作品を作ってやろう」。と考えました。それを50歳の時に作り始めました。先ず、桜の花びらをバックパーム出来る仕掛けを考え、手のひらで、空中をつかむと忽然と花が咲きくように作りました。いい具合です。ミリオンウォッチは、バックパームしているサイズのままウォッチが出現しますが、桜の花びらは、空中をつかんだ瞬間、五枚の花弁が広がって、手のひらよりも大きな花びらが出現します。ある意味峰の桜は、ミリオンウォッチよりも良く出来た演技なのかもしれません。

 恐らく天海師も、天勝師もこういう峰の桜を演じたかったのでしょう。もしこの形が理想形であるなら、半世紀以上たって峰の桜は完成を見たことになります。私はその後、5年かけて道具も装置も完成させました。従って、道具は既に私の元にあります。

 然し、演じる踏ん切りがつきません。何が自分を引き留めているのかと言うと、自分らしさがないのです。ただミリオンウォッチを、桜の花びらに置き換えて、桜を出しただけではあまりに内容がなさすぎるのです。ここで、私のいつもの屁理屈が始まり、自分の演技を止めているのです。

 この間も、晃太郎を使って舞台に出そうか、大樹を使おうか、いろいろ考えたのですが、その都度別の都合で演技は人前に出すことはなく、答えが出ないまま止まっていました。道具は猿ヶ京の倉庫に眠ったままです。勿体ない話です。

 ただ、このまま行くと、私の年齢等を考慮すると、もう大きな道具を使って、人を何人も手配して、費用をかけた新作披露は出来なくなって行くでしょう。

 そこでここらがタイムリミットと判断して、いよいよ、作品披露をして見ようと考えました。

 話は長くなりましたが、今年の秋、私のリサイタルで、峰の桜を披露してみようと思います。その手始めとして、今週の集中合宿の際に、猿ヶ京に眠る道具を出して、飾ってみようと考えています。どうなるでしょうか。楽しみです。

続く

 

 

名古屋指導

学生の傘出し

 私が学生の傘出しを見ることは普段はないのですが、このところ私のYouTubeに学生さんが演じている傘出しの絵が映ります。前嶋さんと書いてあります。どこの学生さんかはわかりません。でも、なんとなく形がいいものですから、もしやこれはと思って映像を見てみました。

 いいです。とてもいい演技です。傘を出しながら一つ一つ形を作って行きますが、結構形になっています。多分、どなたか舞踊家に習っているのでしょう。型がしっかりしています。手順は、傘あり、面あり、扇子あり、衣装変わりあり、と、賑やかです。ところどころ、大樹が出てきたり、台湾の扇子の手順が出てきたり、エスニックな演技が見え隠れしますが、私なんかよりもよほど色々なことをしています。

 傘を出すたび、花吹雪が散るところなどは、東大の流れを受け継いでいるのでしょうか。そもそもが東大の学生さんなのかもしれません。

 和の世界では無暗に吹雪を散らすことは禁じ手です。吹雪は重要な素材です。演者の心の表現を伝えるものですから、安易に使うことはできません。傘を咲かせるたびに効果として吹雪を撒くことは許されません。

 しかしアマチュアがされる分には一向にかまいません。

 ただ、これだけできるなら、余り、物を出すことにこだわらずに、もっともっと世界観を表現していったら、立派な本物の芸になると思います。今の演技ではいかんせん物を出すことに集中しすぎて、中盤から飽きがきます。出すことが目的になって、出した素材でどのような世界を見せるか、と言う「芸能」がありません。

 物を出している時だけがお客様とつながっている時で、物を出し終えてしまうとお客様と気持ちが離れてしまう、アマチュアの演技の典型のパターンです。

 演技の前半で、傘を三本出します。左手に傘のろくろを向かい合わせでつかんで二本の傘を持ち、右手で、空中から一本傘を出します。効果は満点ですが、この演技を前半で見せてしまうと、後することがなくなります。そもそも傘を三本出したら所作が出来なくなります。結果、出したものを捨てるしか手がなくなってしまいます。出しただけで捨てるなら、出す意味はありません。プロはこうした手順は作りません。

 でもアマチュアでこれだけできれば十分です。少なくとも、袴をはいて大股に蟹歩きして出て来る学生の傘出しを思えば、数段上の演技です。アマチュアとしては最高点でしょう。ローカルなコンテストに出たなら、優勝できるでしょう。

 

名古屋指導

 昨日(8日)は午前10時から名古屋のご指導です。コロナの影響で、参加者は二人だけ、二人で5時間の指導を独占です。贅沢な時間です。お二人とも熱心で、毎回欠かさずいらっしゃいます。もしどちらかが辞められるようなら、名古屋の教室を閉めようと考えています。お一人は蝶のお稽古をしています。蝶は、指導料が別格です。しかも10回の指導料を先納していただきます。途中で来なくなっても返金されません。勿論来る以上は、ご指導をします。このため、後二回、来年1月までは名古屋教室を閉めることはできません。

 コロナさえなければ、名古屋教室は毎回5人程度のご指導をしていたのですが、このコロナ騒動で、色々生活のスタイルも変わってしまいました。良くも悪くも今の状況を受け入れて生きて行くほかはありません。

 それでも東京は生徒数が増えています。何のかんのと私から習いたい人は多いようです。特に手妻に関しては、他に指導している人もいないようですので、私の所に集中します。実際私から習って、それで舞台に掛けて生活している手妻師もかなりいます。生きて行く手段として役に立つなら幸いです。

 来年2月26日には、マジックマイスターと言う、アマチュアさんの発表会を開催します。大半が私の所で指導を受けている方々です。年に一度、本格の舞台で、音響、照明さんを頼んで、舞台を踏みます。プロマジシャンも何人か、ゲスト出演していただきます。実に気持ちのいい舞台です。

 毎回アマチュアさんだけでも15本くらい出演していましたが、今回は、コロナの影響で、出演者も減っています。恐らく10本程度でしょう。その分ゲストを増やすなどして、安定した舞台を作ります。ご興味ございましたら、東京イリュージョンまでお問い合わせください。

 

 今日(9日)大阪指導を終えて、東京に戻ります。今週末は、猿ヶ京の合宿です。もう11人が集まりました。面白い会になると思います。毎年、春と秋に合宿を開催しています。猿ヶ京は、稽古場の裏が、町営温泉になっています。大きな温泉場で、サウナや露天ぶろ、滝ぶろなど一通りそろっています。

 ここもコロナの影響で、大きく観客を減らしています。猿ヶ京そのものが限界集落に近く、人の数が少ないため、この先町営温泉が維持されるがどうか心配です。何もかも色々なところで町も国もうまく機能しなくなってきていますが、何とか面白く楽しく生きて行けるように、我々は工夫してゆきたいと思います。

 

 今月15日に、夕方6時から、NHKのBSでクールジャパンと言う番組があり、そこで「手妻」が取り上げられています。私がかなりの部分出演します。願わくば、この番組が多少なりとも話題になり、イベントの依頼が2,30本来ればいいと考えています。

 クールジャパンはその後も教育テレビや総合テレビで再放送され、合計5回放送されるそうです。有難いです、同じ内容で、五回も使っていただいて、

 NHKさんはまじめな会社ですから、再放送されるたびに再放送料が振り込まれます。律儀な会社です。但し、金額があまりにわずかで、銀行の通帳を見て、「この金は一体何の金だろうか」、と毎回首をかしげてしまうような謎多き金額です。頂けることに不満はありませんが、出来ることなら、もう少し芸人が夢と希望が持てるようなギャラをください。

 それから、6日、深夜に撮った奈月太夫の水芸は12月に演芸番組で放送されます。大樹も出演します。

 私の蝶の演技は、お正月の同じ番組で放送されます。こちらも世間の話題になって、仕事の依頼が来ることを願っています。

続く

うまく行かない日

 うまく行かない日

何事も順調に進む日と、何をやってもかみ合わずに、うまく行かない日があります。

昨日(7日)はうまく行かない日の典型でした。テレビの録画撮りが終わったのが早朝の4時でした。それから浅草を自家用車で出て、まず、スタッフ2名を車で送り、家に着いたのが朝5時でした。

 普通の5時なら何でもないのですが、さっきまで水芸の大道具をかたづけるのを手伝っていたため、随分疲れました。

 家に戻ってデスクに向かい、ブログを書こうとしましたが、椅子に座ったまま2時間ほど寝てしまいました。結局満足なこともかけずに、女房から朝食の知らせ。朝食を済ますと前田がやってきて、打ち合わせをし、前田に中野まで車で送ってもらいました。講習に出るときはいつも、車で中野まで行きます。実はこのところ右手が少し痛みを感じます。スーツケースを持って移動するのが辛くなり、毎回弟子に送迎を手伝ってもらっています。

 新幹線で富士へ。富士の指導が12時40分から、4時30分まで。全くの個人指導ですので、一人一人の演技内容と進み具合を把握しておかなければなりません。それが済むと新富士駅まで送っていただき、5時07分の新幹線に乗る予定でしたが、ここの待合所でうっかりうたた寝をしてしまい。「はっ」と気づくと、新幹線の発車音が聞こえました。急ぎホームに上がりましたが、あえなく新幹線を見送ってしまいました。

 やむなくホームで次のこだまを待ちます。30分後には来るのですが、何たることでしょう。駅に着いていながら新幹線に乗り遅れるとは、こんなだらしないことは今までなかったのに。しかしそう思う反面、こうして30分、のんびりホームに座っていられることが心地よいと感じました。

 「あぁ、そうなんだなぁ、いつも時間に追われて、きっちり、きっちり生活してゆくことが大切だと思っていたけれど、いったん気持ちがルールから解かれれば、何も拘束される物なんてなかったんだなぁ」。

 と、逆に爽快な気分になりました。それからはのんびりとこだまで名古屋まで行きましたが、事務所から前田の電話です。聞いてみると、期待していた来年の仕事が流れたと言う話でした。なんということでしょう。えらい期待をしていた企画だけにがっかりです。あぁ、今日はいいことがない。

 でもいつまでも悩んでいても仕方がない。気分を変えましょう。これから柳ケ瀬です。新幹線で名古屋へ、そこから在来線で岐阜へ、駅にはいつもの通り、辻井さんと、峯村さんがいます。そのまま柳ケ瀬の八祥へ、そうそう、前回峯村さんが偉くお気に入りだったからすみの炙り、あれで酒が飲めたらどんなに幸せか、と言っていたのを再現するため、今晩は、からすみの炙り、銀杏の炙り、サンマの塩焼き、金目の煮つけを注文。

 マジックの話をしながら、クロースアップ動画を見ながら、ごちゃごちゃとマジック談義。辻井さんは、レベルの高いマジックの話をする人が岐阜にいないといつもこぼしていて、我々と月に一度話をすることが楽しみなのだそうです。

 さて、からすみは、期待を外しません。この店の炙り方が旨いのでしょう。巧くからすみの香りを引き出しています。これをちびりちびりかじりながら三千盛りを頂くのは至福です。今回は銀杏の炙りも大当たりです。皿に盛って出されたときから香ばしい香りが漂い、これは巧そうだと予知させました。銀杏は悪の強い豆ですが、炒ることで悪のきつさを弱めます。噛むとほのかに甘みも出て来ます。「銀杏て、こんなにうまかったんだ」。と妙なところで感心しました。

 なんと言ってもきんきの煮つけが圧巻でした。大ぶりなきんきを醤油とみりん、砂糖で煮つけて、一匹丸ごと大皿で出て来ました。これを箸で身をはがして取るのですが、身が柔らかく簡単にはがれます。はがすそばから脂が滴ります。これを甘辛いつゆに浸して食べるのですが、箸が止まりません。これです、これ、こういう魚で酒が飲みたかったのです。骨に付いた白身をはがしながら、「ここをそいだらきっと濃厚な味わいだろうなぁ」、などと想像しながら細かな身も残さず食べて行きます。箸休めのごぼうも、シイタケも気が利いていい味です。

 さて、ここで私はおねだりしました。鰻の有馬煮のお茶漬けです。有馬煮が何であるかわかりませんが、恐らく鰻を佃煮のごとく甘辛くに着けてあるのでしょう。それを飯に乗せて、だしをかけて食べます。これは以前私が人生で最もうまかったお茶漬けの内の、鮎の茶漬けに似たものではないかと思いました。あの甘辛い鮎の甘露煮がだしをくぐるうちに飯に甘みのつゆが溶けて行き、一帯になって行くあの味を思い出し、是非食べて見たくなりました。すると、峯村さんも、辻井さんも同じく鰻の茶漬けを所望されました。

 そこで出てきたものは期待を超えたものでした。当初の予想では、小さな甘露煮のような鰻がちょこんと飯の上に載っているのかと思っていましたが、出てきたものは、鰻がこんもりと、たくさんの身が重なって飯に乗っていたのです。しかも、だしが既にかかっていて、そのだしが、鰻のたれと混ざって真っ黒な色になっています。

 これを匙ですくっていただくのですが、鰻の甘露煮がまず素晴らしく、ボリューム満点で。山椒の粒がところどころ利いていて、甘み、からみ、山椒の刺激で飽きがきません。仕上げの飯と言うよりも、これはメインディッシュでした。いや大したものでした。

 その後、おなじみのグレイスに行きます。お客様は少し戻ってきたのでしょうか。人も多く、お店はなかなかにぎやかです。この晩のママさんは、お召の着物でした。銀ねずの濃い目の色で、ところどころ絵柄が見えます。帯も龍が背中に見えて、なかなか押し出しがいいです。チーママさんは、そのままさんから買ってもらったと言うお召で、淡い黄色の地で、絵柄入りの物でした。二人の着物の趣味は素晴らしいものでした。いいですねぇ、こんな贅沢な着物をさりげなく着て見せる店があるなんて、柳ケ瀬はいまだ健在です。

 

 辻井さんが私がバーボンが好きだと知って、ワイルドターキーのハイボールを頼んでくれました。これがさっきの濃い目の茶漬けのすぐ後だったものですから、味が合います。嬉しくなって二杯ぐっと飲んでしまいました。これが引き締めていた気持ちを「ふっ」と解いてしまいました。急に眠くなり、話をしていても睡魔が襲います。いや、これはまずい。もっともっと面白い話をしなければ、と、思っていながらも寝てしまいました。気が付くとお帰りの時間です。辻井さんには申し訳ないことをしました。ホテルまでタクシーで送ってもらい、そのまま部屋に入って、顔を洗ってベッドの倒れました。

 そして朝5時、ブログを書いています。熟睡のお陰で気持ちもすっきりです。然し昨晩はうかつでした。辻井さんごめんなさい。

続く