手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

お休みします

 昨日のテレビ撮りは夕方6時から始まって朝4時までかかりました。家に帰ったのは5時でした。さすがに疲れました。これから2,3時間休んで、富士に指導に行きます。

 と言うわけで、今日のブログはお休みです。明日の朝元気ならまた何か書きます。

それではまた。

スライハンドはなぜ売れぬ 5

糖尿病の検査

 今朝は月に一回の糖尿病の検査がありました。そこでいろいろ気になる問題が発生しました。詳しいことはまた後日お話ししますが、これまで入院とか、重い病気に罹ったことのない身としては、病気は気になります。然し大したことにならなそうですので、よかったと思います。

 

テレビ撮り

 今日は浅草でテレビ撮りをします。夕方に蝶を演じます。そして深夜に水芸を和田奈月が演じます。その監修を私がします。そのため、午後から深夜まで浅草の東洋館に張り付くことになります。昨日蝶の稽古をしました。何千回と演じている蝶ですが、稽古をすると身が引き締まります。

 水芸は奈月と、前田将太がいたします。私は一切舞台には現れません。巧くやってくれることを願っています。

 

関西指導

 明日(7日)は、富士、明後日(8日)は名古屋、明々後日(9日)は大阪の指導です。また3日間東京を離れます。もうこうした活動が10年以上続いています。各地で私を支持してくれる人がいることに感謝を感じています。

 

 スライハンドはなぜ売れぬ 5

短距離走者とマラソン

 私が、スライハンドは7分の演技では売れない。30分のショウを作らなければだめだ。と言っても、スライハンドマジシャンはおいそれとは動きません。それはある意味やむを得ないことです。と言うのも、彼らはこれまで、演技を凝縮して、密度の濃い内容にすることで手順を作ってきたのです。それを30分の演技にしろと言うのは、全く別の考えでショウを作らなければならなくなるからです。

 例えて言うなら、短距離走者にマラソンを要求するようなものです。同じ陸上競技ではあっても、短距離とマラソンでは両極の技です。然し、芸能で生きると言うことは、この矛盾を受け入れられる人のみが生き残れる社会なのです。以前に私が書きました。「やりたいことのみの仕事なんてないのです。やりたいこともやりたくないこともできて仕事です」。

 役者をしていた人が司会者になったり、お笑い芸人がレポーターになったり、元々彼らが求めていた仕事とはかけ離れたところで人気を維持している人はたくさんいます。

 実際自分自身が何に向いているかと言うことは、自分ではよくわからない場合が多いのです。それを、ただ一度、マジックのコンテストで入賞したと言う実績を拠り所に、自分のスタイルを作り上げ、その中だけで生きようとするのはあまりに視野の狭い生き方ではないかと思います。

 今ここで話していることは、レポーターをしなさい。司会をしなさい。と言う話ではないのです。演技の枠を広げて、自分自身を多面に眺めて、別の角度からマジックを作って見なければ先がないと言っているのです。

 そうでないと常に、タキシードを着て、嫌味のない、居てもいなくてもどうでもいいような好青年を演じ続けなければなりません。自身のある一面だけを見せて、嫌われない程度に人に認めてもらい。小さなポジションを手に入れてそれを固守する。そんな役どころで30年も40年も人に愛され生きて行けるわけはないのです。その生き方では人の見方が浅すぎます。人の魅力はもっと起伏が激しいはずです。もっと自分自身は多様で多面なはずです。それらを客観的に見つめて表現するのが芸能です。

 スライハンドマジシャンは、芸能の世界で生きて行く上であまりに初心(うぶ)な人が多いようです。初心と言うよりも素人なのかもしれません。私はそろそろ本気で芸能の世界で名を成すスライハンドマジシャンが出てこないかなぁ。と思っています。

 

成功のチャンスはある

 私はきっちりとした30分手順を作り上げたスライハンドマジシャンが出たなら、十分売れる可能性はあると思います。日本全国の市民会館を次々に公演してゆくことも不可能ではないと考えています。

 その理由は、大学のマジッククラブが、どこももう50年以上も活動を維持していることです。彼らのOBの数を合わせれば日本中に数万人のマジック愛好家がいることになります。大学マジッククラブのOBはすなわちスライハンドマジックの愛好家と考えてもいいと思います。

 その中には自営業も会社経営者もいるはずです。そうした人たちと巧くつながればいい支持者が集まるはずです。要は魅力あるスライハンドマジシャンが一人でも現れれば、一遍に日本中のマジック愛好家の輪ができると思います。

 そうなれば市民会館で年間50本も70本も公演することは不可能ではありません。日本中でマジックショウが開催できます。条件の悪い仕事場で角度に悩む必要もなければ、仕事の少ないことを悩む必要もありません。マニアばかりを相手にして、コンベンションで小道具を販売する必要もないのです。常に舞台に出ることで安定して生活をして行けます。要は、社会人が見るに堪えうる、中身の濃いマジックショウを提供できれば、マジシャンは生きて行けるのです。

 その中でもスライハンドマジックは、技巧を前面に押し出し、ストーリー性を加味し、センス良くまとめ上げれば、多分に芸術的要素が生まれて来るでしょう。俗に走らず、奇抜を追わなければ、きっと多くの人に支持されるはずです。

 要は、誰がその人となるかだろうと思います。

スライハンドはなぜ売れぬ。終わり

 

スライハンドはなぜ売れぬ 4

スライハンドはなぜ売れぬ」と、題して1から3まで理由を上げ、2の演技時間が短すぎる。で随分時間を取ってしまいました。一度話をまとめましょう。今の芸能の仕事で求められる演技時間は最低30分です。7分の演技では仕事は来ません。そこで30分のグランドデザインを描いて、ショウ構成できる人でなければ売れないのです。

 ところが、多くのスライハンドマジシャンは、30分演じるとなると、安易に売りネタを使います。無論売りネタがいけないわけではありません。自分なりにアレンジしたり、ストーリーを加えるなどして、自分の世界に引き込んで演技をしたならいいのですが、売り物をむき出しで使われると全体のイメージを損なわれてしまいます。

 

 かつてSAMジャパンのコンベンションでゲストショウに、韓国の代表から当日、突然に韓国の若手を出してほしいと言われました。正直そんな話はお断りです。リハーサルもせずにいきなり乗り込んできて、本番に「出せ」と言うのはわがままです。然し裏の諸事情で了解しました。この時のショウのトリは、トミーワンダーでした。無論彼はトリネタに鳥籠の浮揚をします。韓国の若手は、カードやボールの手順を演じましたが、トリネタにテーブルの浮揚を演じました。

 これを見て私は頭を抱えてしまいました。マジック関係者なら誰もが知るように、テーブルの浮揚は、鳥籠の浮揚のパクリです。それをされたらトミーワンダーに失礼です。何のためにヨーロッパからトミーワンダーを招いたのか、公演全体のイメージが損なわれてしまいます。絶対にやってはいけない演目です。

 若手の演目が事前にわかっていたならなんとしても断ったでしょう。何よりいけないのは、その若手がテーブルを浮揚させる理由がないことです。カードやボールの演技とテーブル浮揚は全く関連性がありません。彼は自分の手順をより受けを良くするためにテーブルの浮揚をしたのです。主催者にとっては痛恨でした。

 演技を作るときに、スライハンドマジシャンがなぜ、それを演じなければならないか。と言うことを真剣に考えなければ、演技全体がどんどん間違った方向に進みます。自分の考えを持たずに,あちこちのマジックのうけをつまみ食いして手順を作れば、周囲のマジシャンに迷惑がかかります。

 私は今までどれほど多くのマジシャンに、私の演技の前で瀧、吹雪を撒かれたことか知れません。彼らは手妻をするわけでもないのに、いきなり瀧吹雪を撒きます。それをされたら手妻師に迷惑がかかることがわからないのです。自身の人生をかける30分演技を、売り物や、つまみ食いで作っていてはこの世界で生きてはいけません。

 私の傘から蝶、間の小ネタを挟んで40分手順と言うのは、5年の歳月をかけて作り上げました。私は弟子に対しては、同様に、30分構成の手順を作り上げるための指導をしました。大樹の、七変化からトリネタの蒸籠の手順、間に小ネタを入れて30分と言う演技も、考え方は私と同じです。人まねでない、独自の世界を30分。これを作り上げない限り、今の仕事に対応して生きて行くことはできないのです。

 

3、マニアの評価から脱却できない体質

 スライハンドマジックが一番クライアントに受け入れられにくい理由は、演目に変化がない事です。こう言うと、マジック愛好家は「いやかなり内容に変化がある」。と言うでしょうが、例えば、カードの演技だけで7,8分もやられるのはどうでしょう。

 四つ玉だけで7分、3本リングで5分、などと言う手順は、マジック関係者が見る分には面白くても、一般の観客には冗長に見えます。もっともっと一つのパートを凝縮して、2,3分で演じたなら、スライハンドは密度の濃い、変化の多いものになります。

 かつての。フレッドカプスやリチャードロスの演技は、どれも一つのパートが2分程度でした。しかし最近のスライハンドは一つがやたらに長くなっています。それは、一般に見せることを諦めてしまって、関係者の間の評価のみを当てにして作っているからのように見えます。こうなっては一層一般客を相手にできなくなって行きます。

 今のスライハンドの復活には、エディター(編集者)の目を持った人が必要でしょう。今の現状はマジック好きが、やりたいことをやりたいだけやっているのです。

 

 スライハンドで芸能の社会で生きて行きたいと思うなら、コンベンションの評価から離れることです。アマチュアや、若いうちはコンベンションを追いかけてもいいでしょう。然しプロで行こうとするなら早くにコンベンションから離れることです。離れて自身の世界を模索しない限り、スライハンドで生きて行く可能性はありません。

 今のマジック界は、マニアや、奇術関係者の評価が、一般の観客のニーズから明らかに乖離(かいり)しています。マジックの世界はどんどんアマチュア化していますし、好みは一般の人との共通性を求めるよりも、個人の好みに偏重しています。

 

 私が、1992年からSAMの組織を日本に持って来て、世界大会を年次開催するようになったとき、「5年開催して大きな間違いに気づいた」。と以前書きました。その間違いとは何だったのかと言えば、「コンベンションは次のスターを作り得ない」。と言うことでした。このことは私が心の内に秘めて、決して人に語らなかったことです。

 もしそれを語れば、コンベンションの主催者がコンベンションの否定をすることになり、そうなれば、コンベンションを開催する意味もなくなり、私のマジック人生も否定することになります。SAMジャパンの組織は多数の日本の奇術愛好家に支持されており、コンベンションではみんながニコニコとした顔をして大会を楽しんでいます。

 然しその組織からは次のスターは生まれないと主催者が確信したなら、参加者も、奇術関係者も、一体どうしたらいいのでしょうか。

 SAMジャパンの一回目のコンテストの優勝者は、カズカタヤマさんです。二回目はセロさんです。この二人はコンテストに出る以前からすでにプロになって活動している人たちです。心配なくチャンピオンとして認めることが出来ました。

 然しその先となると、アマチュアばかりが出て来て、アマチュアの価値観がコンテストを支配するようになりました。無論アマチュアが出て来ることはいいことです。しかし、SAMのハードルは高くしておきたかったのです。そのため部門優勝は出しても、チャンピオンは出しませんでした。

 5回目に幸条スガヤさんが出てチャンピオンになりました。そしてそれ以降、チャンピオンが出ていません。なぜかはお判りでしょう。プロとして社会に推薦出来るマジシャンが現れないからです。つまり、これ以降、私の心の中ではSAMのコンベンションのスタイルでプロマジシャンを生み出すことは不可能だと知ったのです。

 当時の日本のスライハンドのレベルでは、プロとして生きて行くことは不可能だと知ったのです。それは演じる側が、アマチュアの評価ばかり当てにして、プロを目指していないことが大きな原因なのです。

続く

 

スライハンドはなぜ売れぬ 3

  昨日(3日)は、スライハンドの演技時間が短すぎると言う話を半分まで致しました。ここを今日は詳しくお話ししましょう。

 スライハンドの手順が7分、8分で終わってしまうと、クライアントから求められている30分の持ち時間の残り23分は他のマジックを演じなければなりません。

 実はここがスライハンドマジシャンの本当の実力を見せる場なのです。マジシャンがマジックをどんなふうに考えているのか、或いはマジシャンが芸能芸術をどんなものと、捉えているのか、そのことを自身が多面に眺めつつ、素直に心の内を見せるのがこの23分なのです。つまりスライハンドで見せた自分とは別の自分を見せる場なのです。ところが多くのマジシャンはそこで自己の告白もせずに、トリックを見せることで安易な逃げを考えてしまいます。

 あと23分演じてくれ、と言われて、23分の時間を埋めるため、売りネタを買って来て演技を繋いでしまうのです。彼らはその売りネタで作った手順を「営業手順」と称します。世の中に営業手順などと言うものはありません。自身が演じる手順はすべてメイン手順かサイド手順です。メインのスライハンドにくっつけた手順なら、それはメイン手順にほかならないのです。そうであるなら、メイン手順を売り物で間に合わせてもいいのかどうか。よく考えなければいけません。

 

 「いや、見ている人は素人(しろうと)ですから、オリジナルか、売り物のマジックかはわかりませんよ」。と、かつてのマーカテンドーは言いました。そうでしょうか。見ているお客様は、マジシャンが思っている以上にマジシャンの安易な考え方を見抜きます。自分自身が、10年20年苦労して、ようやく一般に認知されたのは、観客の厳しい目に選別されたからこそ今に至ったのではないのでしょうか。

 それが人気を得たからと言って、すぐに初心を見失って安易な演技をして、その先、仕事を得ることが出来るのでしょうか。私は営業手順などと言う言葉を平気で言うマジシャンで、営業をたくさん持って豊かに活動している人を見たことがありません。なぜかは明らかです。そこのあるのは時間のつじつま合わせであって、感動がないからです。世の中を舐めていては成功なんてないのです。

 

 マーカテンドーは、バブル期にNHKのレギュラー番組を持つようになって、にわかにパーティーの仕事が忙しくなったらしく、30分40分の持ち時間のイベントを頼まれるようになりました。そこで時間を満たすために、私のレクチュアービデオをすべて買って、見て練習する度に私に電話をしてきました。「いやー、新太郎さんのビデオは素晴らしいですよ。よく考えられています。これは営業に使うとよく受けますよ」。

 私を参考にしてくれるのは結構なのですが、明らかに時間のつじつま合わせのために私の作品を演じているようでした。特に12本リングを絶賛していました。「あれはいいです。すごいです。全編現象がつながっていますし、迫力があります。しかも5分も持ちます。あんなトリネタ他にはありません」。と、べた褒めです。然しそれを聞くたび私は不安になりました。

 そして彼に、「そっくりそれを真似るのではなくて、君にあった手順に作り直して演じないと、君のイメージからそれた手順になってしまうよ」。と言ったのですが、彼に私の言葉は聞こえません。彼はそのまま演じていました。

 一つのマジックをいかに自分のものにして、自分の世界に組み込んで行くか。その作業こそがプロの仕事のはずですが、作品と正面から向かい合う気持ちが彼に欠けていたと思います。12本リングは本来の昔の手順とは違います。私が改案して、私に向いた手順に変えてあるのです。大変なウケネタですから、それをそのまま演じてもよく受けます。しかしそこに大きな落とし穴があります。自分の世界をどう作るのかと言う命題が飛んでしまっているのです。

 しかも彼は私のリングに感動していながら、私から直接習おうとはしませんでした。ビデオを見ただけで舞台に掛けていました。ビデオ解説は、語るべきことの半分も伝えてはいません。当然です。ビデオは演技も入れて1時間で収めなければならないのですから。あと半分は、習いに来た人の技量に合わせて、少しずつ伝えてゆくものなのです。そうであるなら、プロは必ず直接習って、奥義を尋ねなければいけません。然し、マーカテンドーはそれをしませんでした。

 マジック全体のグランドデザインを作り上げる作業が、どこか彼はおざなりだったように思えます。

 すなわち、マジックのコンベンションに出て、7分のスライハンドで優勝したと言うのは、プロの入り口に立ったにすぎません。スライハンドの手順を生かし、そこからあと23分、どのような世界を作り上げるのか。それが出来て、演技が認知されて、初めて芸能の世界で生きて行けるのです。

 然し、コンベンションは麻薬です。コンベンションで優勝することは世界一になったと錯覚してしまいます。そして、優勝すると急にマジックを舐めてかかります。マジックの商品を買ったり、ビデオで見て覚えて、営業手順と言い出します。然し、これは、明らかに素人の行為です。

 マーカテンドーと言えば世界中のスライハンドを目指す少年たちの憧れの存在でした。然しその底辺にあっものは完全なるアマチュア意識でした。

 NHKのレギュラーを手に入れた時に、一緒に出演するスターたちともっと緊密に付き合って、自身のリサイタルなどを開催して、友情出演してもらい、仲間を増やして行けばいいものを、リサイタルをすることもなく、スターとの交流もなく、イベントも売りネタやビデオネタを演じて時間のつじつま合わせをしているうちに、レギュラー番組は終わり、イベントの依頼はなくなって行きました。

 晩年、仕事がなくなり、コンベンションで一人道具を売っているマーカテンドーが、ある友人に心の内を話したそうです。「僕は子供のころから、上手いマジシャンになれますようにって、毎日神様に祈っていたんですけれど、それは間違いだったと気付きました。本当は稼げるマジシャンになれますようにって、祈るべきでした」。痩せて精気のなくなったマーカテンドーの言葉を聞きながら、友人は悲しさのあまり直視できなかったそうです。

続く

 

 

スライハンドはなぜ売れぬ 2

 この項の前に、ミスターマジシャン待望論を書きましたが、その中で、スライハンドマジシャンからプロが育ちにくい理由を幾つか書きました。

 その理由は大きく3つあると私は考えています。

一つは、角度の問題。

二つ目は、持ち時間の短さ。

三つ目は、マニアの評価から脱却できない体質。

順にお話ししましょう。

 

 スライハンドが角度の浅い芸能であることはマジックをする人なら周知の事実です。然し、これはなにもスライハンドに限ったことではありません。クロースアップでも、トークマジックでも、マジックはある一面から見たときのみ不思議な現象に見える芸能であって、どんな状況でも万全に不思議を作って見せられるものではありません。

 イリュージョンのように全面を箱で囲ってしまえば、角度はかなり強くはなりますが、囲ってしまう分、観客からすると、クリアな不思議には見えません。

 その点スライハンドはほとんど遮蔽物を利用しないで物が出たり消えたりするため、魔法に真実味があります。うまく行ったときのスライハンドは本当に魔法です。

 然し、ベストを見せたい思いでやって来て、与えられた仕事場が最悪の環境だと、スライハンドマジシャンは侘しい思いをします。

 私自身も若いころに随分嫌な経験がありました。スライハンドは場所が悪ければことごとく魔法が利かないのです。

 条件の悪い舞台に直面したときにはどう対応したらいいでしょう。

 一つは、マジックを差し替えることです。例えば、7分ある手順のうち、後半2分が特に角度が弱い、などと言う場合は、事前に、後半2分の演技を角度の強い演技に差し替えられるように常に別手順を用意することです。この道で生きるとなったら、何が何でも引き受けた仕事はやらなければなりません。

 その上、差し替えをしても、お客様が演技全体を見た時に、全く気付かれないくらいに作り変えなければいけません。やりたい演技ができないことは苦しい選択ではありますが、どんな仕事にも、「次善の作」が用意されていなければ、仕事を世話してくれるクライアントさんから信用されなくなってしまいます。

 

 さて、そうして、手順を差し替えてでも仕事をして行って、究極には自身が何をしたいのかを考えておく必要があります。つまり、きっちり音響照明、緞帳が付いていて、一方からの身お客様がご覧になるような、万全な状態のステージでスライハンドがしたいのでしょう。それは例えば、市民会館の中ホール、小ホールのような場所で常に演技ができたなら都合がいいわけです。

 そうなら、仕事場の環境の悪いことを嘆いてばかりいないで、何としてもスライハンドで年間30本、40本、市民会館に出演できるような手段を考えるべきです。然し、市民会館を満席にするのは至難です。人をたくさん集められるような実績や人気がなければ出られません。と、言って初めからあきらめていては、いつまでたっても自身のスライハンドが生かされません。そうなら、今の仕事の内容を変えて行かなければ自身の目標は達成できないことになります。どうしたら市民会館の仕事が作れるでしょう。その答えは次をご覧ください。

 

二つ目、持ち時間の短さ。

 スライハンドの厳しさは、持ち時間が短いことです。一回の演技が10分以下と言うのでは、クライアントとすれば、交通費を支払って、宿泊費を支払って、ギャラを支払って呼ぶ芸能としては、とても満足行くものではありません。

 かつて、スライハンドがもてはやされたのは、ナイトクラブやキャバレーが全盛の時代です。そこはアルコールを提供する店であり、店も、お客様もスピーディーに短時間に物事が進行する芸能を求めていたのです。しかも、出演者のほうも各国を回るために道具立ては極力簡素なものでなければならなかったのです。10分と言う持ち時間は、使う側も、演じる側も求めているものが一致していたのです。

 しかし今のお客様は違います。見る側は飲酒をしませんし、呼んだ以上はじっくり見たいと言うお客様が多いのです。少なくとも30分、長ければ1時間一つの芸能を楽しみたいと言う人達なのです。そのニーズにこたえない限りステージの仕事は発生しないのです。先ずは30分の手順を作ることがスタートラインでしょう。

 ランスバートンさんは鳩出しだけをしていた時には、ラスベガスのショウの幕間(まくあい)演技だったのです。それが、トークから、イリュージョンまで、芸の幅を広げるようになって、1時間のフルショウができるマジシャンになったのです。

 島田晴夫師も同様で、傘出しを演じていた時には幕間のショウでした。それが、鳩出しも演じ、更にはドラゴンイリュージョンを演じるようになって、フルショウのマジシャンになったのです。スライハンドにとどまっていたのでは大きな成功はつかめなかったのです。

 

 スライハンド手順を大きくしなければやって行けないと言う考えは、実は私が40歳の時に苦しんでいた問題でした。私がイリュージョンをやめて、和の芸を主にやって行こうとしたときに、蝶の手順を作りました、蝶は7分です。これだけで仕事が来ることなど有り得ません。そこで前ネタとして、7分の傘出し演技を考えました。ただ単に傘出し手順をくっつけたのではなく、蝶の演技とコーディネートするように工夫して、全体の演技を作り上げました。これで15分の手順が出来ました。

 元となる考えは、江戸から続く「蝶」と言う短いスライハンドマジックを如何に一般のお客様に伝えるかと言うことが、発想の原点になっています。そこへ、傘出しと言う7分のスライハンドを作って、時間的に15分の演技を作り上げたわけです。

 更に、「柱抜き=サムタイ」、「おわんと玉」、「札焼き」などの江戸以来のトークマジックを足して、30分から40分のショウ構成を作りました。全体は古典の構えを維持してトータルコーディネートしたのです。もっと大きなショウを求められた場合は、「水芸」を足し、なおかつ生演奏で、鼓や、琴、三味線を加え、大きな編成を作り上げました。この手順によって、私は市民会館のショウを頼まれるようになりました。

 

 私のしたことをスライハンドマジックに置き換えれば、工夫次第で、30分40分のショウ構成ができるはずなのです。但し、いかに、ショウを大きく長くするからと言って、一般売りしているマジックの種をつなぎ合わせて、後半の演技を作ってしまうと、前半の密度の濃い、スライハンドの演技に対して、後半は月並みなマジックになって行ってしまいます。これは多くのスライハンドマジシャンが侵すミスです。ここは細心の注意をして手順を作らなければいけません。明日は詳しくそこをお話ししましょう。

続く

 

 

 

 

スライハンドはなぜ売れぬ

雑用と稽古

 大きな舞台がすむとまた、企画書を書き、稽古をし、道具の修理をしています。

 6日にはテレビ撮りがあります。詳細はまた後日お知らせしますが、二本をまとめて撮るそうで、撮影に、まる24時間かかります。どんなふうになるかわかりませんが、大仕事です。放送日はお正月の予定です。詳しいことが決まったらお知らせします。

 

 その翌日(7日、8日、、9日)、には富士、名古屋、大阪の指導があります。そのための小道具をそろえることと指導のための稽古を、今日、明日にします。

 

  来週、14日15日には猿ヶ京でマジック合宿があります。これも道具をそろえておかなければなりません。私の指導は、個々の受講生で、それぞれ習うものが違います。10種類のマジックを教えるなら、私が10種類のマジックを隅々まで知っていなければなりません。習う方は真剣です。私が曖昧な指導はできません。いつも身を引き締めて指導していますが、時々忘れます。一度抜けてしまうとなかなか出て来ません。年齢がそうするのでしょう。そのため予習が欠かせません。

 

 更に、11月15日夕方6時に、NHKのBS で、クールジャパンと言う番組があります。そこで手妻が紹介されます。手妻の歴史から、作品、そして背景に語られているストーリーに至るまで、かなり手妻に時間を割いて解説されています。この手の番組はまさに私の出番です。古い歴史から手妻を語れる人は今の日本にはいないのです。いや、知っている人はいても、舞台を体験し、古い手妻師と楽屋を同席していた人はもういません。私から話を聞かなければ全ては闇のかなたに消えてしまいます。つまり私は生きた化石のようなものです。NHKさんも私を貴重品扱いしてくれて、お陰で今回は私の顔が長く画面に映ることになるでしょう。ご興味ございましたらご覧ください。

 

スライハンドはなぜ売れぬ

 スライハンドはマジック界では人気の種目です。学生のマジッククラブなどはほとんどがスライハンドを種目として稽古をしています。

 実際、スライハンドや、クロースアップマジックは演じていて充実感があり、やって楽しいものです。なぜ充実感があるかと言えば、それは正味自分の技で不思議を作り出せるからです。カードにしろ、ボールにしろ、その素材自体にはほとんどトリックやギミックがありません。マジシャンの手わざによって、出たり消えたり、変色したり、様々な不思議が起こります。これが見る人には魔法に見えます。演じる側も、マジシャン自らの技で魔法が作れる。と言うところが面白いのだと思います。

 実際よく考えられたスライハンドの演技はとても不思議です。しかもそれを独自の世界を作り上げて滔々と見せられると、まさに芸術の世界です。

 島田晴夫師の、カードの後半、両手から次々にカードが出る演技を見ると、私はなぜか涙が出ます。晩秋の銀杏並木で、枯れた銀杏の葉が次々に初老の男の肩に降りそそいでくるような風景を思い浮かべ、理由もなく寂寥感にとらわれます。

 ノームニールセン師の、バイオリンのアクトが、布の上で、バイオリンを浮揚させ、さて、そろそろかたずけようかと、弓を取り除いた後に、バイオリンがピチカートで演者にささやくところも、切なく悲しく、涙が溢れます。「もう少し一緒に遊んでいたい」。とバイオリンが縋(すが)ります。あの一瞬でニールセン師は、お客様が一生忘れられない演技を瞼の奥に焼き付けるのです。

 スライハンドは特別色々な道具を使いません。舞台上にはせいぜいテーブルが一つあるのみです。テーブルの上も大した小道具もなく、至って質素です。その分、マジシャン個人が大きくクロースアップされ、マジシャンの魅力を最大限にアピールすることが出来るのです。スライハンドは演者が芸術家になれる要素を多分に秘めています。

 そうなら、マジック界に、もっと、もっと、優れた芸術家が出て来てもよさそうなものですが、なかなか手わざの演技を超えて、芸術を語ることのできる人が出て来ません。私はイフェクトや、トリックにこだわるマジシャンよりも、芸術家に出会いたいのです。しかしそうしたマジシャンに出会うのは至難です。

 つまり芸能芸術を語れるマジシャンが出るためには、どんなマジックを演じるかではなく、誰が演じるか、なのではないかと思います。マジシャン自身の目指すレベルが高くないと、単に器用なマジシャンで終わってしまうのだと思います。そもそも意識の高い人が奇術界に入ってこない限り、芸術的なマジックには出会えないのでしょう。

 

 と、ここまでお話しして、いきなり下世話な話になりますが、私が子供のころ、或いは、20代になっても、マジックの定番は、夫婦者のマジシャンが、鳩やカードを出し、鳥籠を一瞬に消して、その後に喋りネタを一つ二つ演じ、お終いは、奥さんを使って、ヒンズーバスケットや竹の棒の浮揚。ジグザクボックス。人体交換箱。と言った大道具を一つ演じて終わる。と言うパターンがマジックの主流でした。

 鳩、喋り、ヒンズーバスケットで15分から20分の手順、これはマジックの王道ともいえるもので、日本中の何十人ものマジシャンがその手順で生活していたのです。今考えたならそれで生きて行けたのですから幸せです。

 私が10代、20代の頃は、マジシャンの数が少なく、仕事の数が圧倒的に多かったものですから、上手い下手を語る以前に、マジックができると言うだけで仕事が来て、マジシャンは誰も大忙しでした。マジシャンにとっては夢のような時代でした。

 彼らはこうしたマジックを演じることに何ら悩みはなかったように思います。少なくとも自分がこの先、活動して行く30年や40年はずっとこのパターンでやって行けると考えていたでしょう。

 

 然し、なぜこのパターンが飽きられたのでしょう。

 その後マジシャンは、各セクションに分かれて活動をするようになり、イリュージョン、トークスライハンドなどと、セクションによって住み分けが進みました。然しその中で、スライハンドは、一般の仕事先を手に入れているでしょうか。マジックの理解者ばかりを相手にする活動に甘んじていないでしょうか。無論、そこで十分生きて行けるならいいのですが、理解者のみを相手にして生きていけるでしょうか。生きて行けないなら、マジシャンはどこを目指そうとしているのでしょうか。

 明日はそのことを書いてみたいと思います。

続く

 

 

またぞろロックダウン

お次の戦略は

 ヤングマジシャンズセッションが終わって、休む間もなく、来年の文化庁の芸術支援事業の企画書の制作を始めました。

 来年はヤングマジシャンズセッションを、6月ころに東京と大阪で開催する予定です。東京も大阪も2日間開催しようと考えています。そのころまでに海外の出演者が呼べるなら、ハンマンホをゲストにしようと思います。

 さらに秋口には、私の独演会を企画します。ほとんどゲストを入れないで、私がこれまで演じてきたマジック、手妻をすべてまとめてご覧頂こうと言う企画です。久々洋服のスライハンドなども演じてみようと思います。20代の頃は、カードや、鳩、ゾンビボール、リングなど演じていたのです。実際スライハンドが生活の主流だったのです。久々それらを出して40年前の手順を出してみようと思います。

 手妻の方も、水芸のような大掛かりなものは出さずに、私の喋りの演技を主体とした手妻をコンパクトにまとめてみようと考えています。長年暖めていた、「峰の桜」も、次回出してみようと思います。

 コロナ禍にあって、多くの芸能人はみな生活に苦労しています。然し、こんな時こそ前に出て活動しなければ、人生がどんどん退行して行くばかりです。人はどうあれ、私が本気になって活動しなければ何も前に進みません。

 

またぞろロックダウン

 アメリカ、ヨーロッパでのコロナウイルスが収まらないため、フランスや、イギリスなどで再びロックダウンが再開されそうです。毎回申し上げますが、ロックダウンはウイルスを根絶する効果はありません。

 ロックダウンをした当初は、感染者数が減りますが、解除すれば元に戻ります。根本の解決には結びつかないのです。ロックダウンは目先の実績を作るだけのもので、コロナの根絶にはなりません。無能な政治家のその場しのぎの政策です。

 それよりなにより、ロックダウンすれば経済が破壊されます。国民も困窮して、失業者が続出し、治療も受けられないような人が増えします。そうなればますますコロナウイルスは蔓延します。元々、欧州や、アメリカでコロナウイルスが収まらないのは、低賃金で働く有色人種の労働者が、満足な治療が受けられず、保険にも加入していないため、感染したまま放置してしまうことが問題なのです。底辺にある問題は貧困であり、人種差別です。

 今でもアメリカは黒人の感染者に冷淡ですし、所得の是正は考えません。保険も国民全体をサポートする考えは出てこないのです。一時期オバマ大統領が、国民健康保険を唱えましたが、いつの間にか消えてしまいました。アメリカ人の根底にあるのは強者の論理です。一度でもアメリカの病院に入院した経験のある人ならわかります。一泊泊まって治療を受けるだけで、瞬時に月収が消えます。

 アメリカは、元気で、努力をして、才能のある者には夢の国です。それがひとたび病気をすれば冷淡な扱いを受けます。それが黒人では、入院すら拒否されます。徹底した白人優位なのです。ここが変わらない限り、アメリカのコロナは減らないでしょう。

 アメリカの大統領選挙を見ても、どちらも黒人や、ヒスパニックに対しては冷淡です。南北戦争以来の人種差別がクリアされない限り、アメリカの国が抱える病気は、そのままコロナの感染を広げて、国民を苦しめるのです。

 

 こうした状況を眺めていると、まだ日本は幸せだと思います。仕事がないないと言ってもまだ何とか生きて行けます。芸能人もどん底の生活には落ちていないように見えます。日本の場合問題の根は、コロナウイルスの感染ではなく、テレビ局の、過剰なコロナウイルスのニュースによる風評被害にあります。風評被害さえなければ、もっともっと活発な芸能活動はできたではずです。

 人がコロナウイルスに怯えて外に出なくなったことがあらゆる産業を危機に陥れています。零細企業の飲食店、JR、飛行機会社、旅行代理店、ホテル、旅館、芸能事務所、松竹、東宝と言った映画、舞台芸術製作会社、実演家の、交響楽団、漫才、落語、マジック、ジャグラー、芸能と言う芸能は何から何までひっ迫してしまいました。

 このままこの先どうなるのかは誰一人読めない状況です。漠然と来年の夏ごろにはワクチンが出来て、何とかなるだろうとは思っています。それはあくまで希望的な観測です。神頼みと言っていいでしょう。能天気な人が神頼みで生きて行く分には誰もなんとも言わないでしょうが、国を上げて神頼みをしていては、行く末が不安です。

 こんな時に実力のあるカリスマ政治家が出て明確な進路を示せないものでしょうか。それができるなら、政治家もその政党も、一躍第一党に躍り出て、政権がとれるはずです。それは難しい話でしょうか。

 

 私の考えを申し上げると、コロナウイルスは感染力の弱いウイルスですし、罹っても健康な体の人ならほぼ治ります。そうなら、普通に生活をしていれば問題はないはずです。これまでの生活していれば別段恐ろしいことはありません。

 こうした時こそ、気持ちを転換させて、楽しく生きることを優先させたほうが、体にもいいはずです。そうなら決して難しい話ではないはずです。長年野党に甘んじていた政治家は、今こそ、「どう楽しく生きるか」、を提案できれば、一躍第一党になれるはずです。どうです。マジックを見ようと言うキャンペーンを張ってくれませんか。

続く