手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

何が手妻(和妻)か

 又も朝4時に起きて、麦茶を飲みながらブログを書いています。睡眠は6時間取れたので問題はないと思います。10日間悩まされた帯状疱疹は消えつつあります。全く帯状疱疹にはひどい目に合いました。顔の左側に帯状にぶつぶつができて、そこから電気ショックのようなチクチクとした痛みが、まるで行進曲の太鼓ようにリズミカルに、脳を刺激してきます。

 痛みと言っても外傷の痛みとは違い、昔の玩具で、箱に入ったトランプを引き抜こうとするとびりびりと搾れるいたずら玩具がありましたが、あの電気ショックに近いものです。私はあれが嫌いで、見るのも嫌なのですが、あのトランプの箱を額に当てて、リズムに合わせて箱を引っ張るようなもので、とんでもないいじめにあっているようで、耐えがたい不快感が顔半分を支配していました。

 今は良くなりましたが、完全に刺激が消えたわけではありません。忘れたころにピリピリします。あと5日もすればよくなるそうです。

 

何が手妻(和妻)か

 この数年で、和妻をする若い人が増えて、マジシャンの集まる会合などでも見知らぬ人から挨拶されることが多くなりました。一時期和妻の演じ手が全くいなくなって、これはもう終わってしまう世界かと言われていた時代を思えば隔世の感があります。

 こうした状況は良いことだと思います。どんな手妻であれ、それを演じようとする人がいなければ、誰も見るチャンスがなくなってしまうのですから、どんな形であれ演じられて、残ってゆくことはいいことなのです。

 よく訳知りのマニアなどから「今、和妻をやっている若手を見てどう思いますか」。と聞かれることがあります。こうした場合、相手は、私からの答えとして、「着物の着方ができていない」。とか、「ハンカチの持ち方が違う。蒸籠の持ち方ができていない」。などと、問題の指摘を期待して尋ねて来る場合が多いようなのですが。私は「演じ手の数が増えることはいいことです。内容の良い、悪いは、私が何かを言わなくても、5年、10年経てば必ず淘汰されてゆきますから、良いものが残ります。まず分母を大きくしなければ良い人材は集まりません」と言っています。

 例えば、学生が発表会で演じる傘出しを、私が何か言うべきではありません。たくさん傘が出て来て面白ければそれでいいのです。観客が演技を見て、傘出しのどこかが面白い、と思ってくれればそれでよく、あとは自然に観客が質の高い手妻を探して、見たいと思うようになります。そうなれば、巡り巡って私の所にもお客様が回って来るのですからそれはいい結果です。

 

 ただし気になることがあります。若い和妻プロの紹介分の中に、「伝統的な和妻の継承者」。とか、「長い歴史の蓄積から生まれた芸能」。とか、「古典芸能としての完成された内容」。と言った宣伝文句が書かれている人がありますが、これは疑問です。

 私はどんな和妻があってもいいと思います。和も、洋風も一緒くたになった演技であろうと、全く自己流に作った和妻であろうと、何でも結構なのです。ただ、そうして創作の和妻をお作りになったなら、それに自信を持ってもらいたいと思います。それを古典と偽って、古典に擦り寄ってきたり、自分から妙な権威付けをする必要はないと思います。ここでは何が手妻か、何が古典芸能かについてお話しします。

 

古典の定義

1、誰から習ったのか

 マジックショップから小道具を仕入れて、付属の解説書を読んで、「はいよくわかりました。私は古典芸能の継承者です」。と言うのは間違いです。先ず誰から習ったかが一番大切です。習った先生がちゃんと和妻の知識のある人でなければいけません。そして、習った先生の更に先生が誰から習ったのか、これも大切です。自分の先生の先生が実はマジックショップの小道具の解説書を読んで覚えたのでは同じ結果です。

 代々遡(さかのぼ)って、明治期くらいまで戻ることが可能であれば、それは古典の手妻と考えてよいでしょう。古典とはそういう意味で、きっちり代々人から人に伝わっているものを言います。物や書き物でも残っていれば十分価値はありますが、手妻が実演である以上、口上を習い、手を取り、体の動きまで習わなければ芸の継承にはなりません。

 今でも東京、大阪に古典を継承している手妻師が何人かいます。ご自身が古典の継承者になりたいと希望するのであれば、直接習いに行くことをお勧めします。その上で、何を習ったか、誰から習ったかの系譜を書いてもらうようにしたほうがよいでしょう。後々の証拠になります。

 

2、口伝を継承していること

 古典には必ず表に出ない、内々だけの口伝えがあります。これを口伝(くでん)と言います。蝶や、水芸のは多くの口伝が残されていますが、わずかですが、蒸籠や、夫婦引き出しなどにも口伝は残されています。口伝と言うのは、多くは、種仕掛けだけでは演じることのできない秘密が特定の子弟の間だけに伝えられたものです。これを知って演じるのと、知らずに演じるのでは演技の本質が変わってきます。今は口伝もあまりやかましいことを言わなくなり、比較的、容易に習えてもらえるようになりました。せっかく手妻の興味を示したなら、一つでも口伝を習って学んでおくことは大切です。

 

3、楽屋のしきたりを学ぶ

 弟子修行などをすると、周囲の別の業種の方々とのお付き合いがいろいろあります。最低限の楽屋マナーなどを習っておくことは大切です。座敷で、あいさつの仕方もできないと言う理由で、いきなり帰された手妻師の話も聞きます。お辞儀の仕方、座敷の入り方、楽屋の使い方、お茶の入れ方、座布団の当て方。最低限のマナーを学んでおくことは大事です。

 

4、着物の着付け、畳み方、

 来る、脱ぐ、畳む、わずかこれだけのことですが、きっちり勉強している人とそうでない人は大きく違います。古典芸能継承者であるなら、この辺をしっかりできないと、とんでもない失敗をします。言葉だけの古典継承者になるのではなく、相応の応対がきっちりできなければうまく行きません。同じに習うなら、細かなマナーもきっちり学んでおくとよいでしょう。

 

5、流派、一門を大切に、

 一つ二つ手妻を習ったからそれでおしまいと言うのは違います。流派、一門は手妻を長く残してゆかなければならない使命があります。誰かかが残したから、今、我々はその恩恵にあやかっているわけです。そうであるなら流派、一門の活動には積極的に協力をしなければいけません。物を頼むときだけ一門ではいけません。古典の継承者になるならその義務を果たさなければいけません。みんなが協力するから手妻が残って行くのです。助け合うことで一門、流派の力が生まれます。これがなかなかこの道では有難く作用します。個人で活動しているマジシャンとは一線を画しているわけです。

 この道で生きようとするなら、嘘偽りで身を固めていてはいけません。それではいつまでたっても偽物です。自称、古典芸能継承者。伝統保持者、これは何の役にも立ちません。本物になるなら本気になってください。

 

 

関東地震はどうなりました

 5月の8日9日に関東に地震が来るのではないかと言う、私の予感は外れました。その後、何か予感とか、体感するものはないかと自分自身で注意していましたが、今のところ何の予感もありません。新たな地震の知らせなら、地震の二週間前に夢に人が現れます。また、以前の夢がそのまま生きているのなら、三日前に何らかの体の変化があると思います。

 体の変化とは、突然心臓が高鳴ったりします。あるいは逆にどんより重たい雰囲気になります。今のところ、夢も見ませんし、体の変化もありません。そうなら、今月末までは何もないと思います。何か変化があればお知らせします。

 

 コロナウイルスの非常事態宣言が徐々に解除されています。東京だけがまだ頑なに完全解除されていません。然し、非常事態宣言はしっかりとした補償があってなされているものではありませんから、何ら法的な拘束力はありません。あくまで自粛しているだけのことです。そうであるなら、解除するしないに関係なく営業してよいのです。  

 但し、日本では、法よりも恐ろしいのは人の目です。他人に厳しい目がなかなか解除を認めようとしません。おかしな話で、営業しなければ倒産してしまう企業に、人は目で営業を制するのです。何の権限があってそんなことをするのでしょう。日本人の持つ陰湿な一面です。私がよく言う、戦前の国防婦人会が今も生きているのです。この性格は、この先、日本の国力を貶めるでしょう。

 いずれにしても、非常事態宣言は近々全面解除になるでしょう。ただしこの先は多難です。多くの企業も経営者も疲弊しています。もしこの先、秋口に新型ウイルスが出たなら、もうロックダウンは通用しないでしょう。同じことをすれば、大半の企業は倒産します。本来ロックダウンなどと言うものは初めから政策としては使えないものなのです。 政治が生きている人の血液の流れを止めるようなことをしてはいけません。あくまで政治は生きている人のためのものなのです。

 

 さて私の左の顔に出た帯状疱疹は、快方に向かっています。一週間前までは、左の瞼が分厚くなり、左目を覆って、赤くはれたためにものすごい顔になりました。これには、さすがに驚いて、数日間外に出られませんでした。人生にはいろいろなことがあるものです。何が起こるかわかりません。

 今は快方に向かいましたので、昨日は島忠ホームセンターに行きました。相変わらず混雑しています。リクライニングの座椅子を買いました。それに洗車のシャンプーも。明日の朝、戦車をしてみようと考えています。

 

 と一日経ちました。今日は朝から前田と一緒に洗車をしました。長く雨が降ったため車はほこりにまみれています。めったに外出しないため汚れ放題です。来月には玉ひでや、神田明神の公演があります。気合を入れて、車もきれいにしておきます。洗っているうちに舞台が近いと実感します。いいことです。やはり舞台に出なければ舞台人ではありません。日々、舞台のために何かをし、何かを考えることが充実なのです。

 

 13日の玉ひでの座敷では。江戸時代のやり方で、面明(つらあ)かりを使って、蝋燭(ろうそく)の明かりで蝶を飛ばしてみます。実際の座敷の芸がどんな明るさで演じられていたのか、体感していただきます。通常の電気の明かりと、蝋燭の明かりでは、当然明るさが違いますが、それだけではないのです。

 電気の明かりは、部屋の隅々までが見えてしまいます。蝋燭の明かりは燈台から2mくらいまでは見えますが、そこから先は闇の中です。部屋の隅や天井の隅は見えません。ボヤっと明るい空間で不思議が発生すると、それは全く魔法の世界です。

 私は今まで座敷で何度も蝋燭灯りで手妻をしてきました。その経験から申し上げて、蝋燭灯りの世界は面白いです。我々現代の生きるものにとって未体験の世界です。ぜひこの不思議な世界を味わって見てください。

 

6月13日 11時30分オープン 12時からお食事 親子丼と鶏料理のコース

13時から手妻の公演。 前田将太、ザッキー、日向大祐、藤山新太郎

料金5500円。要予約、03-5378-2882 東京イリュージョン

 

 

ヒカキン木村花裏表

 今朝は一番に皮膚科に行きました。高円寺の駅近くにきょうオープンした城皮膚科です。行ってみると私が患者一号でした。お医者様は中国人のようでした。だいぶ良くなっていたので問題はありませんでしたが、左目が腫れているため、眼科に行ったほうが良いと言われ、そのあと、すぐに高円寺北眼科に行きました。二か所病院に行って、薬をもらうとずいぶんの種類の薬が集まりました。これを全て時間通りに正確に飲めるかどうか。簡単ではありません。それでも、顔の腫れは取れ、快方に向かっています。

 

 私はブログを始めるにあたっていくつか自身が心に決めたことがあります。詳細は別の機会に話しますが、その一番大切な一つは、返信しないことです。全くしないわけではありません。住所と名前がはっきりわかる人以外には返信をしません。そうでない人は野次馬です。野次馬は相手の返事を受けて、更なる中傷を加えます。中傷に腹を立てて反発すれば、それを揚げ足取りして、仲間の野次馬が一層騒ぎ出します。うまいストレスのはけ口を手に入れたとばかりに、悪口の大合唱に変わり、やがて「言った」「言わない」に変わります。そんな人たちを相手にしてはいけません。

 ブログであれ、youtubeであれ、ツイッターであれ、不特定多数の人を相手にするときはよく気を付けなければいけません。何に気を付けるのか、相手は自分が身を隠していることをいいことにいじめや妨害を平気で仕掛けてきます。そんな時に、自分が正しく真面目に活動していればそんな被害は受けないと思っていると、それが落とし穴なのです。相手はとんでもない理由でいじめを仕掛けてきます。

 私も経験のあることですが、私が会ったこともない人から。「藤山嫌い」。と言われます。舞台の仕事をしていればそんなことはしょっちゅうです。いちいち気にしていては仕事ができません。「偉そう」、とか、「マジック界を仕切っている」。とか。「なんとなく嫌い」とか。要するに見た目で決めて、あとは完全否定するのです。こうした人にどんなに誠実に接しても結果は同じです。私をストレスのはけ口に利用しているわけです。理性で判断ができない人たちなのです。

 つまり、タレントであることは、それだけで知名度なり収入があるわけですから、そこに妬みや僻みが発生します。決して自分自身がお高く留まっていなくても、「なんとなく嫌い」と言われるのです。

 ところがそんな人に限って、私が何か成功して、世間が評価してくれるようになると、手のひらを返したように擦り寄ってきます。妙に古くからの仲間だった話をします。昔から私を嫌っていたことは知っています。でも仲間だったことはありません。ところが、ここで冷たくあしらうとたちまち敵に回ります。敵に回すと小さな嫌がらせをします。仕方なく写真を撮るくらいはします。でも全く油断のできない人たちです。

 

 先日亡くなった木村花さんはこうしたファン、アンチファンの嫌がらせの重圧で亡くなったのでしょう。お気の毒です。ファンもアンチファンも実は表裏一体です。特定のタレントを追いかけていて、そのタレントにあった時に、素通りされたと言うだけでアンチファンになる人がいます。ファンの人の価値判断は自分なのです。自分を認めてくれた時にはファンになり、拒否されればアンチに回ります。それをいちいち気遣っていては生きては行けません。どこかで区切って考えなければタレントとしてやって行けないのです。愛する人も嫌う人も同じ人であることを忘れないことです。

 マジシャンであれ、俳優であれ、歌手であれ、タレントとして生きる人は、自分が愛されているのは虚像に対してであって、自分自身でないことをはっきり知ることです。その上で、無理に虚像を作ろうとせず、無理にタレントを意識しようとせず、常に自身を客観的に見ることです。そして、ファンに積極的に近づかないことです。

 よくよく気をつけて、お客様として接するか、少し親しくなっても決してべたべた付き合わないように注意することです。

 人の付き合いはどんな場合でもそうですが、片方が、知名度や収入を得てしまうと対等な付き合いはできなくなります。友達付き合いと言うのは難しいものです。それができるのは、売れる前から付き合っていた仲間のみです。

 ファンとタレントの関係では一層難しいものです。どんなに親しく付き合っても限界があります。友達、親友と捉えることはよしたほうがいいのです。それは、長くおつき会いするためのは絶対に必要なことなのです。

 

 さて今回の花さんと対極にあるのがヒカキンさんでしょう。ヒカキンさんのこの数年の活躍は誰もが認めるところです。youtuberでここまで名前を成す人が出るとはだれも思わなかったはずです。しかしそのためには大変な苦労を重ねて来ています。真似ようとしてできることではありません。

 特に彼は仲間の地位向上のためか、小池百合子都知事と渡り合ったり、医療機関に1億円を寄付したりと、随分目立った活動をしています。金があるから出来る。と言ってしまえばその通りですが、それもこれも一つ一つの動画の積み重ねで作った資金です。それを思い切って使う姿勢は素晴らしいと思います。

 但し、気を付けないと、ここも危険な連中にたかられる可能性があります。そもそもyoutubeそのものが不安定なジャンルです。うまく長く続けばいいのですが、コンピュータの世界は危ういです。長く成功を維持していくことを期待します。などと月並みなまとめをしてしまいました。

 

 私は6月13日、たまひでで公演を再開します。親子丼のコースを食べながら江戸の手妻を見る会です。11時30分オープン。12時から会食、13時からショウ。

お食事の合間に、弟子の前田将太、日向大祐、ザッキーが出演します。事前予約は東京イリュージョンまで。03-5378-2882

 

 神田明神でも手妻の公演をいたします。6月12日、26日、伝統館の地下一階、エドッコスタジオで公演。

11時30分から、鯛めし弁当が付きます。食事付き5600円。要予約

03-5378-2882まで

 

 

 

雨の降る夜も雪の日も

 雨の降る夜も雪の日も、通い通いて大磯や、

 これは舞踊の「雨の五郎」の冒頭です。江戸時代のスパースター、曽我の五郎が父親の仇を打つべく連日仇の様子を見に行くすがたを踊ります。鎌倉時代、曽我の五郎は兄の十郎とたった二人で、大名、工藤祐経(くどうすけつね)を打ち果たします。五郎は確か15歳です。江戸っ子はこうした話に感動し、たくさんの、曽我物と呼ばれる芝居ができます。雨の五郎は若手の出世を祝って舞踊の発表会によく出る作品です。

 私の流派では、弟子の卒業記念に、舞台でこれを躍らせることにしています。三味線、鼓、太鼓、笛、唄い手と、演奏家だけでも8人お願いしなければなりません。大変な出費です。然し、毎回それをやっています。

 生演奏で舞踊をすると言うことは一生にそう何度もあることではなく、しかも、自分の出世披露と言うことで、ひときわ喜びが大きいようです。こうした喜びを人生の中で持っていることがプロの道の第一歩なのです。適当に名刺を作って、プロになりました。と言う人とは根本が違うのです。

 

行きずりの人になぜ教える

 今週は一連の指導ビデオについて書きました。このように書いてゆくと、私は今の若手マジシャンが出しているビデオ作品を駄作だ、つまらないと思って書いているとお考えの人がありますが、話は逆です。面白い作品はたくさんあります。むしろなぜこの作品をここで公開してしまうのだろうか、と残念に思います。

 わずか3000円の指導ビデオで、誰が買うともしれないものに、自分の苦労の作品を公開して、この人はこの先どう生きるのだろう。と、思います。次から次と作品がわいてくる人でも、アイデアは必ず枯渇します。いったん枯れだすともういい作品は出て来ません。そもそも多くのアイデアは才能では有りません。それはちょうどサーフィンのようなもので、波にうまく乗って、板の上で絶妙なバランスを維持して進んでゆく過程にアイデアが生まれます。

 

サーフィンで波の上に立つ

 波とは時代のトレンドを指します。まず自分のしていることが時流に乗っていなければ話になりません。一つのジャンルのマジシャンの、上位20人くらいがしているマジックを追い続けて、そこを追いかけているうちに引き継ぐマジックが何であるかを探します。そこから自分の作品を組み立てます。初めはほとんど人まねです。

 そこから自分の作品を出してゆきます。周囲のアマチュアからも注目されるようになります。このあたりから、サーフィンの波の乗る資格を得てきます。

 今まで水面下にいたのに、ようやくボードの上に立ちます。ここで作品集なり、演技ビデオを出します。然し、要注意です。ここまでこのマジシャンは才能で駆け上がってきたわけではなく、ただ時流がわかってそれにくっついて来ただけなのです。時流を読むと言うことは、若いマジシャンは得意です。何の予備知識なく、今の流行はストレートに受け入れます。むしろ私なんかは、時流を前に、「何でこんなことをするのだろう」。と疑問が先に立ってしまいます。頭が古いのです。

 

才能ある人が消えて行く理由

 私が作品集を見ると、いい作品がゴロゴロあります。でも、どれも誰のために作られたものかがわかりません。ただ、素材としてころがっています。芸能ではないのです。私は、「もったいないなぁ」、と思います。「こんな生な状態で外に出さずに、じっくり自分の作品として練って、自分の演技が大きく評価された後に、発表したらみんな飛びつくだろう」。と思います。

 このままではアイデアも生かされず、才能も空費してしまいます。本来良くなるかもしれない人たちが、結局話題にならず、収入にもならず、失意のうちに消えて行きます。かつて仲間内で持ち上げられていたスターは、みんなこんなことを繰り返して消えて行きます。彼らは成功を焦ります。仲間に持ち上げられてプライドばかり高くなります。気持ちの上ではマジック界の上位に立っている気持です。然し話題は作れず、収入にもならず、当人の思いとは裏腹に人生は常にアンバランスです。

 でも、それでいいのです。若い人の人生はみんなそんな風なのです。本当に大きくなってゆく人は、どうにもならない今の状況からいろいろなものをつかみ取ることで大きくなるのです。まだまだ本当の才能で勝負していないのです。

 

一休さんの話

 一休さんが、庭の松を見ていて、枝が複雑に折れ曲がっているのを、弟子に、「あの曲がった枝はどうしたらまっすぐに見えるだろうか」。と尋ねます。弟子がいろいろ見てもまっすぐには見えません。すると一休さんが、「俺の友達の蓮如に相談して来い」。と言って、弟子に浄土真宗蓮如を尋ねさせます。尋ねられた蓮如は、「うん、曲がっている、実に曲がっている、松は良く曲がっている」。と言ったと言う話。

 何のことだかさっぱりわからない話です。トンチ話で有名な一休さんですが、実は、室町時代臨済宗、京都大徳寺の住職で、浄土真宗蓮如とは親しい仲間です。共に有名な宗教家で、特に一休宗純一休さん)はウイットに富んだ生き方が後世までも愛されています。多くのトンチは、一部は、考案と言う、禅の問題集のようなものからとられています。考案とは噺家の謎がけに似ています。

 松の枝をどう見たらまっすぐに見えるか、と言う無理難題に対して、多くの弟子は首をかしげてしまいます。しかしよく考えてみれば、それは自分の価値観を押し付けて、見ているから、枝が曲がっていてはいけないと思い込んでしまうのです。蓮如はすぐにそこに気付いて、曲がっていることのほうが自然なんだと伝えるべく、枝が曲がっている松をほめたのです。見事な連係プレーです。

 明らかにそのやり方で行ったら失敗すると言うマジシャンを見た時に、なんて言ってやったらいいか、大いに悩みます。素直に教えてやって感謝されるならいいのですが、さんざん悪態をつかれて悪く言われることのほうが多いのです。その人の人生なのですから、どう生きようと勝手です。でも何とか失敗しないように、少しでもわからせてあげたいと思うのは同じ道を進むものとしての親切心です。然し、それも自分の価値観の押し付けでしょうか。曲がった枝を見て、曲がっている、よく曲がっていると言うことが正しいのでしょうか。

指導ビデオ終わり

雨上がり

 昨日もよく眠れました。雨も上がって、うまい具合です。帯状疱疹もかなり引いてきたように思います。今日は快調です。この2,3日内には非常事態宣言も解除されるでしょう。この数か月、全く無意味な政治パフォーマンスに国民全体が乗せられました。ロックダウンなんかしなくても、時期が来ればウイルスは退散します。ロックダウンのお陰で何千万人もの人の仕事が失われました。愚かな過剰反応です。

 お陰で芸能はいまだに仕事がきません。俳優や、オーケストラは困窮しています。昨日、野田秀樹さん、平田オリザさんの文章を読みました。みんな不満の持ってゆく場がなくて困っています。同情します。手妻師も同じです。

 

成功が欲しい

 若いうちは何とかなりたい一心で、いろいろ余計なことをするものです。然し、なぜ自分が認められないのかをよく考えることです。力がないのです。知識が足らなすぎるのです。それなら先ず知識や、技術を学ぶことが第一です。まずしっかり勉強しなければだめです。それをどうにかなりたいばかりに、指導ビデオを作って販売したり、レクチュアーをしたり、自分のリサイタルを企画したり。それ自体は悪いことではないのですが、いかんせん実力に厚みがありませんから、一度演じた後に、もう余力がありません。それではすぐに飽きられてしまいます。やった活動も、自分が思うほどには世間の話題にはなっていないのです。なぜでしょうか、それは、自分が思っている半分も自分自身には才能がないからです。

 10代20代はとにかく学ぶ時期です。成功を焦って、学ばなければならないときに、人に物を教えようとしたり、ろくすっぽ手順もないのに自主公演をしていては先がありません。ここで間違えると人生を大きく遅らせます。

 

私の修行時代

 とこう書くと、「じゃぁ、藤山さんはどうなんですか。若くしてビデオを出して大当たりしたそうじゃぁないですか」。はい、仰る通りです。しかし私がビデオを出したのは28歳です。私は12歳で松旭斎清子の弟子になり、3年半修行して、基礎マジックと手妻を学びました。その後、アダチ龍光先生、ダーク大和先生からマジックとトークを学び、18歳くらいから渚晴彦先生にカードや鳩を習い、高木重朗先生にクロースアップや、様々なマジックを習い、名古屋の松浦天海先生について初代天海先生のハンドリングを習いました。22歳で藤山新太郎を名乗り、26、27歳にはマジックキャッスルのビジティングマジシャンを2年連続貰いました。27歳には、文化庁芸術祭に参加しました。

 そうした実績があって、ビデオを出したわけです。ビデオも依頼があって出したので、私が望んで出したものではないのです。ビデオを出すまでに15年以上の修行があったのです。それ故に私のビデオは売れたのです。

 

インチキマジシャン登場

 この時代、他の同年代のマジシャンをみていると、言っていることが実にいい加減でした。「マジックは種仕掛けではできない」。その通りです。「では何が必要なんですか」、と、問うと、「見せ方だ」。と言われました。「ガチョン」です。本質と技法を混同しています。マジックが種仕掛けではできないことは事実です。何が必要かと言うなら、まずマジックが芸能であることを自覚することなのです。一つの演技に対して、適切に喜怒哀楽を表現して見せなければそれは際物芸になってしまいます。

 例えば、剣刺しボックスの箱にアシスタントが入るときに、アシスタントが笑いながら入ります。箱に入れられるのに、なぜアシスタントは笑って入るのでしょう。よくわかりません。箱にふたをして、マジシャンが剣を刺します。なぜ剣を刺すのでしょう。自分のアシスタントではないのですか。よくわかりません。

 何本か刺してから剣を抜き、箱を開けると、アシスタントが笑いながら出て来ます。アシスタントはなぜ笑っているのでしょう。自分を刺した相手なら怒らなければいけません。然し、怒りは一切なく、二人は仲良く手をつないでポーズを取ります。これは一体何をしているのでしょう。頭を抱えてしまいます。

 これでは、喜怒哀楽は一切語ってはいません。観客は感情移入できません。でもマジシャンはそんなことを考えません。どうもマジシャンの芝居は、芝居ではなく、その場しのぎです。これが芸能だとはだれも思わないでしょう。

 つまり、マジシャンのしていることは、マジックの都合でマジックをしているのであって、芸能として捉えてはいないのです。自分のしていることはいかに不自然で、理屈に合わないかを考えていなかったのです。

 私は、マジックが芸能である、と言う基本的な考えを語ろうと思いました。ただそれだけのことですが、人はそのことをなかなか理解しなかったのです。

 ところが、私が一連のビデオを出している間も、どんどん、自己愛と自己顕示欲に満ちた若いマジシャンがビデオを出してきます。誰がビデオを出してもいいですが、マジックの世界がどんどん素人化して行きます。そんな人たちがビデオを出しても、人は注目しません。指導ビデオを出すよりも、まずじっくり次の時代をにらみ据えて、しっかり学ぶべきです。耐えるときに耐えて、考えを蓄積することが大切なのです。

  

埋木舎

 幕末に幕府の大老になった井伊直弼は、井伊彦根家の14男に生まれました。いかに男として生まれても、14番目では彦根の大名にはなれません。この時代の大名の子供が生きる道は、三つしかありません。1、どこかの大名の養子になる。2、出家して坊さんになる。3、家来の家を継ぐ。直弼は10歳で控えの屋敷を貰い、そこに暮らします。これを部屋住みと言います。いわば飼い殺しです。

 初めのチャンスは、九州の大名から養子の話がきました。直弼と、弟の二人が選ばれて、面接をします。どうも弟のほうが素直そうで、性格も良さそうなので、弟が選ばれ、7万石の大名になります。この時、恐らく直弼の心はすさんでいたでしょう。直弼は、自分の住む控えの屋敷を埋木舎(うもれぎのや)と名付けます。このまま世に出ることなく埋もれて行き朽ち果てると感じたのでしょう。しかしその後兄たちが養子に出たり、早死にしたりして、何と彦根藩主の地位が舞い込んできます。

 それまでしっかり勉強して、知識を身につけていた直弼は井伊家35万石の藩主になります。結果から逆算すれば、若いころ九州の7万石の大名にならなくて良かったのです。あまり小細工をせず、不器用に生きたことが結果大きな成功を手に入れたと言えます。

 私は20代のころ、彦根の埋木舎に行きました。地味な屋敷です。毎日ここに暮らしていてはさぞや退屈な日々だったでしょう。然し、こんな時期こそ大切なのです。認められていないときにどう生きたか、それは自分を語る意味でとても貴重なことです。

 

 若手マジシャンも、未成熟な指導ビデオなど出さずに、まず優れた演技をお作りになることです。すべてはそれができて、社会に認められて自分の将来が開かれるのです。苦しくつらい時こそ、その人の本当の能力が見えるのです。

続く

 

雨垂れ(あまだれ)

 昨日も、日中数時間昼寝をしました。その分、夜になるとそう長くは寝ていられません。今朝も4時に起きました。睡眠は昼寝と合わせて7時間ありますから、申し分ありません。先ずコーヒーを入れて、快適にデスクに向かいます。朝4時のデスクワークは周囲が全く無音で、頭は冴えわたり、最高の環境です。

 全くの無音と言うわけではありません。時折、雨垂れの音がします。もう雨はやんでいますが、どこかに残った雨水が庇を伝って忘れたころに静かに落ちます。能を見ていると、静かな場面に時折り小鼓が入ります。決して拍子に忠実なわけでなく、どういうリズム感なのかわかりませんが、ポツンと一つ、鼓が鳴ります。デスクから雨垂れを聞くと、「あぁ、能はこの静寂を音で語っているのかなぁ」。と気づきます。雨垂れが聞こえるほどの静かな風景を、あえて音を出すことで表現しているのでしょう。

 

ビデオも指導も両刃(もろは)の剣

 さて、私が多くのビデオを出して、自らの収入の一助となった話をしましたが、その後ビデオの販売はやめました。それはビデオも指導も危険な道であることに気付いたからです。マジシャンが種仕掛けに関わるものを公開する時は、よほど気を付けなければいけません。ビデオを出せば、一瞬多くの人が飛びついて収入になって、いいような話ですが、長く続けていると弊害が現れます。マジシャンは安易にマジック愛好家と種仕掛けの話をしてはいけません。寄ってくる人たちは、マジックを種でしか見ない人ばかりが寄ってきます。別段どんなアマチュアがいてもいいのですが、そこに交わっていると、やがて自分自身も意識の低い人に落ちて行きます。

 

手順指導から高級品へ

 私はシルクやロープのビデオを出してゆくうちに、アマチュアの求めているものは単発のマジックではなくて、手順なのだと気づきます。手順こそ、アマチュアが考えにくいもので、3分なり、5分の流れを教えてくれる指導家がいれば、アマチュアの技術は引き上げられます。そして手順を通して芸能とは何か、と言うことに気付いて行きます。そこで、手順指導のビデオを出し始めました。併せて、マジックの道具があまりに粗末なことを思い、ゾンビボールの完全版をデザインしたり、手妻も、蒸籠、引き出し、連理の曲、紙卵(紙片の曲)、真田紐(陰陽水火の曲)、など立て続けに発表しました。実はこれがとんでもなく売れました。

 それまでマジックの小道具で一つ30万円、40万円などと言う小道具はまずなかったのです。それをいきなり出したものですから、そのインパクトは絶大だったのでしょう。時は平成10年、私が芸術祭大賞を取った翌年ですから、実績のバリューがついて、道具はとてもよく売れました。ところが、これが結果、マジック界の質向上につながらず、その後の私の人間不信につながってゆきます。

 

コピーの氾濫

 アマチュアの中で、私のビデオだけを買って、道具は自分で作る人が出て来ます。せっかく私がデザインして、漆塗りの金蒔絵の箱を作っても、多くのアマチュアはベニヤで箱を作り、スプレー塗装をしてコピーする人が出て来ます。

 私は日ごろ、舞台人は、楽屋に入るときから人に夢を与えなければいけないと話します。化粧前(ドレッサー)の前に道具を置くのでも、段ボール箱から道具を出すのをやめて、桐箱からウコンに包まれた道具を出し、化粧前に並べて、きれいに磨き、それから衣装を着かえて、舞台に立たなければいけません。その一連の仕事が美しくなければいくら手妻がうまくても無価値なのです。その元となる道具がちゃちでは、見る人が見たなら決して一流の芸能とは思わないでしょう。

 だから小道具に気を付けなければいけないと話します。私の弟子はそれを毎日見ていますから、30万も40万もする道具を躊躇しないで注文します。衣装も私と同じところで作ろうとします。弟子にすれば大変な出費ですが、その出費が結果としてどんな効果を生むかは十分承知していますから、積極的に投資します。人の上に立ってものを教えることの大切さはまず自分がして見せることです。

 それを指導ビデオで実践したのですが、これがうまく行きません。すぐにコピーが出回ります。コピー専門のメーカーが私に無断でベニヤで道具を作り、私のビデオをコピーして解説書にして、ベニヤの道具を販売します。まったく泥棒です。

 こうなると対処しなければいけません。先ずビデオ販売を止めます。そして、これまで私の指導を受けた人、親しい人のみに今後は指導し、販売するようにしました。ここにおいて、私のビデオと道具の一般販売は終わったのです。

 

人の限界

 人に物を教えることの難しさは、ある一線を超えると、脱落してゆく人が大勢出ることです。それはどの社会でも当然起こることで、学校でも、誰もが優秀な学校に進めるわけではないのです。人をこういう風に育てたいと思っても、そうならないことはいくらもあります。そうした中で指導家はどう生きて行ったらいいか、教える側が自分の道を模索するようになります。こうしたときは苦しいものです。

 種仕掛けを教えれば、種仕掛けでしかものを見ない人が山ほど育ちます。ここを注意して生きて行きなさいと指摘しても、指摘されたことが自分の人生とは無関係だと思い込んでいます。いい道具を見せると、それを似せて作ります。そんな人ばかりを見ていると、マジックと言う世界に失望を感じます。

 

直接指導を始めました

 然し、失望していても前に進みません。ちゃんと芸能のわかる人を育てなければいけません。私は10年前から、東京、大阪、名古屋、富士と4か所で直接の指導を始めました。東京と大阪では毎年発表会を開催しています。それがマジック界の向上に役立つならいいがと思って続けています。

 

 指導も、ビデオの販売も、よほどうまく立ち回らないと、自分の人生を悪くします。誠実に人を育てようとしても、相手は種を知ってしまえばその後は何ら敬意を払わずに、手に入れたマジックは自分のものと思い込みます。売ると言うことはそういうことです。それを怒っても始まりません。そこに何らかの人間的なつながりを求めたいと思うなら、顔の見えない人に種やビデオを売らないことです。よくよく相手を見極めて指導することです。人生を良くするも悪くするも「誰と知り合ったか」、それがすべてです。縁のない人、行きずりの人に芸能の深い理解を求めても、大概はうまく行かないものです。

続く

 

五月雨の中

 今時分のだらだらと降る雨を五月雨(さみだれ)といいます。時折晴れ間が出ます。それが五月雨の中(ちゅう)です。また夕方には雨になるそうです。

 帯状疱疹によって、昨日は一日寝ておりました。私の家の寝室は4階にあります。一階はアトリエ、二階は事務所、三階はリビング、四階が寝室。こう書くと豪邸のようですが、13坪の家です。土地がないので上に伸ばしました。4階は日当たりもよく、窓も広くとってありますので、パノラマ展望台のようです。

 東には新宿のビル街が見えます。周囲は住宅街ですので、視界を遮る物はなく、朝は小鳥のさえずりで目覚めます。ところが、日常は、朝起きると、すぐに下に降りて仕事をしていますので、4階の恩恵を忘れています。

 昨日は終日4階で寝ていました。暖かく、とても快適です。私は今まで都内で9回引っ越しをしました。芸人の父親と、幼い子供を連れて、母親は生活が苦しく、安いアパートを探しては転々と引越しをしていたのです。池上で5回、板橋で3回、そして高円寺です。もうこの先引っ越しはないでしょう。9回引っ越しをした中でこの部屋が最高です。そうでありながら、日中のこの部屋を誰も使いません。勿体ないと思います。

 帯状疱疹は薬を飲んではいますが、顔の左側に大きくいぼいぼが広がって、ゾンビの特殊メークのようです。時折頭に電気が走るような痛みがあります。コロナも迷惑なら帯状疱疹も迷惑です。でも、考えようです。昨日は快適な部屋でゆっくり休めたのですから。「これも帯状疱疹のお陰」。と、むしろ感謝しています。

 

指導ビデオは何のため

 指導ビデオに関してお話ししましょう。多くのビデオを出しているマジシャンが勘違いをしていることは、指導ビデオは自分の才能を認めてもらうための手段ではありません。売れる指導ビデオと言うのは、この道でどうにかなった人の演技や、アイディアを学ぶためのものです。初めに演技者としての実績がなければ、ビデオは売れません。

 まだ認知度が未知数で、しかも、才能が評価されていない人はビデオを出してはいけません。先ず自分が演技者として名前を上げるのが先です。知名度もないうちに種仕掛けを公開しては、自分のマジックの神秘性が失われます。

 第一ビデオ販売などと言う小さな成功を当てにしていては大成できません。ビデオがこの道で成功しない人のガス抜きに使われるのは悲しいことです。

 忘れないでください。自分があちこちの人を尋ねて、マジックを学んで、作品をまとめて、演技を発表して、ようやく評価を得ることよりも、ビデオを買って覚えた人はあなたよりも三倍速く一連のマジックをマスターします。教えることは、取られることです。いとも簡単に自分を超えて行ってしまうことです。そんなことに手を染めて、あなたのマジック人生に幸せがきますか。

 

ビデオは人気の余禄

 「じゃぁなぜ、藤山さんは指導ビデオを出したのですか」。そうです。私が指導ビデオを出したのはまとまった資金が欲しかったからです。私は、舞台で、イリュージョンや、手妻を演じて得た収入はすべてチームに入れました。毎年催していたリサイタルの経費、新作の道具代、アシスタントの衣装代。およそ毎年300万円程度の費用は、ビデオの売り上げと、指導料で稼いでいたのです。

 このやり方を20代半ばで作り上げたおかげで、イリュージョンチームを維持できたのです。併せて私の演技を見たいと言うお客様の開拓にも役立ちました。私のビデオは私のファンへのサービスの一環だったのです。私は自分の作品でマジック界に、クリエーターとして君臨したいなどとは考えたこともありません。すべては私の舞台活動をスムーズに進めて行くための手段だったのです。

 

なぜ売れたか

 こう書くと、私は自分の金儲けのために種仕掛けを切り売りしたことになります。ある人はこう言います。「藤山さん、シルク20の売れた時代は、バブルの真っ盛りでしょう。9800円だろうと12000円だろうと、何でも売れた時代ですよねぇ」。

 仰る通りです。いい時代だったのです。アマチュアマジシャンの人口は5万人くらいいましたし、コンベンションに出店しているショップなどの軒並み儲かっていました。

その時代にいい売り上げを作ったのはむしろ当然で、今のクリエーターはだらしがない、と言うのは言い過ぎだと仰りたいのでしょう。

 然し、よく考えて頂きたいことは、そんな時代でも、指導ビデオは一作30本とか50本しか売れなかったのです。唯一島田さんの鳩と、南京玉すだれが500本程度売れたくらいです。私のように、出すビデオ出すビデオ500本以上売り上げたマジシャンはいなかったのです。バブル時代でも、アマチュアがたくさんいた時代でも、売れないビデオは山ほどあったのです。

 

どんな人を育てたいか

 ではなぜ私のビデオが売れたのか。そこには目的がありました。私はスライハンドトークマジックのプロを育てたかったのです。当時の地方都市と東京大阪のマジシャンとでは相当に大きな技術レベルの差がありました。地方都市にいては何がよくて、どうしたらいけないのか、みんなよくわからないでマジックをしていたのです。そこで私が演じたビデオは、単発の作品もありましたが、何作かまとめて、繋げて見せる。手順物をいくつか紹介しました。トークをしながら演じて見せる、セリフも手順の構成も考えて作品を作って見ました。これが多くのアマチュアセミプロから支持を得たのです。

 実際私のビデオを全て買い集め、それを演技に取り入れて、地方でプロになって行ったマジシャンはたくさんいます。ビデオのお終いには、マジックの考え方、演じ方、お客様との接し方など、細かな指示を伝えました。いまだに私のビデオでマジックの考えを知ったと言うマジシャンが大勢います。私はそうした人を育てようと言う目的を前面に出して、マジック指導をしたのです。後にも先にもそうした考えを打ち出したビデオは見当たりません。単なる種あかしビデオではなかったのです。

 つまり自分がどうにかなりたくてビデオを出すのではなく、こう言うマジシャンを育てたいと言う、明確な目的を持ってビデオを出さなければ売れません。

 

 最近何本か若い人のビデオを見ました。人によっては感想を聞かせてくださいと言って来る人もあります。中には面白い作品もありますが、正直、私が感想を伝えるようなビデオはありません。先ず私はビデオを見る時に、「この人は誰をどういうマジシャンにしたいのかな」。と思って見ます。然し、順に見て行くと、対象となる人の顔が浮かんでこないのです。初心者とか、熱烈なマニアとか、マジッククラブの指導家とか、特定のイメージが浮かんできません。全体を見終わって感じることは、

 「この人の対象者は結局自分自身なんだなぁ」。と、思います。自分が作った作品を自分で評価して、自分で褒めているのです。アマチュアにはこんな人は多くいます。これは人の能力を引き上げてあげるビデオではないのです。あくまで自分を自分で褒め上げたいのです。

 こうした人に何かアドバイスをしても意味がありません。ましてや意見がましいことを言ってはいけません。自家撞着している人は決して自説を曲げませんし、自分自身が絶対ですから、人の意見は一切聞きません。うっかり何か言えば一生逆恨みされます。とことん自分のだめを知るまで放って置くしかないのです。

 

続く