手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リング 金輪 7

 こうしてほぼ毎日、原稿用紙4枚に及ぶブログを書いていると、「どうしてそんなスピードで、文章が書けるんですか」。と聞かれます。実は、私は、もし本にするときなどを想定して、折々に原稿を書き溜めていたものが随分あるのです。

 今、解説しているリングは、3本、4本、5本、6本、9本、12本と言った、様々なリングの手順を全て、歴史から、作者から、手順まで一挙に百科事典のごとくに解説しようと考えて、20年も前に書いてあった原稿をもとに放出しているわけです。

 東京堂出版さんは、初めはリングの百科事典のアイディアに、好感触だったのですが、この20年の間に、本でマジックを勉強しようとする人は減って、仮にリングの百科事典のようなものを作ってもどれだけ売れるか、妖しい状況になってしまい、そのまま企画はお蔵入りになってしまったのです。

 無論、DVDにして出す考えもありましたが、DVDは結局、マジッククラブや、アマチュアの間でダビングが氾濫し、本来知る必要のない人にまで只で情報が流れてしまいます。しかも、その使われ方が、文化としてのマジックを伝えることにはつながらず、単なるネタ取りとして、タネの部分ばかりが流れ出て行きますので、芸術としてのマジックを語るには不向きです。

 私は指導ビデオに関して、かつてはアイビデオさんから50本くらいDVDを出しました。しかし、今となってはほとんどがコピーされて、無料で取引をされています。それ故に、私は、新たなDVDは、ショップなどに販売していません。直接習いに来る人以外にはDVDはお渡ししないようにしています。人の顔がわかるようでないと、安心して秘密を伝えることはできませんから。

 

 私が育てたい人は指導家ではありません。ちゃんとマジックのできるマジシャンなのです。DVDを買った人が、ちゃんと稽古をして、作品を自分のものにして、自分自身の演技があちこちから評価を得るようになってもらいたいのです。しかし、ろくすっぽ稽古もしないで、いつの間にか指導家になってしまって、どんどんクラブの生徒さんに教えてしまう現状では、百害あって一利もありません。いいマジックを見せられない指導家なんて要りません。DVDと言うものがマジック界のレベルを引き上げることにはなっていません。今のマジック界の現状では、普及がマジックを無価値にしています。一作一作の作品が、まるでストーブに薪をくべるかのごとく消費されています。

 世の中にはどんな人がいてもいいし、何をしようと勝手ですが、そうした人とはかかわりあいを持たないように注意しなければいけません。そして、妖しい指導家には、いい情報は流さないように注意しなければいけません。秘密は理解者の中で守られなければいけません。目には見えなくても、仲間の良識によるバリアは必要です。名古屋の峯村氏と飲むと、このことで氏はいつも悩んでいます。氏の場合は販売と指導が背中合わせですから、一層切実な問題です。

 さて、どうしたら優れたマジックを愛好家に提供できるかと悩みつつ、リングの続きをお話ししましょう。

 

 金輪と称する、日本のリングの手順があって、それが江戸時代から明治、大正、昭和初期に至るまで残っていたことは明らかです。その手順が、ひょっとすると、古い中国のリングの手順である可能性も否定できません。

 ここに12本リングと言う手順が出て来ます。この手順がいつ作られたのかはわかりませんが、トリプルリングが入ること、キーリングを途中からロードすることなど、相当に斬新なアイディアが入っていることなどから考えて、ヨーロッパでショウが発展して行く過程の時代に作られたのではないかと思われます。そうなら1800年代の半ばであろうと考えられます。日本で言うならちょうど明治維新時期です。

 この12本リングを扱うマジシャンが日本に来ています。名前はわかりません。12本リングの作者か、弟子か、コピーした人か、それも分かりません。とにかく日本に入ってきました。そして日本の奇術師に指導をします。習った人はわかります。

 天長斎ミカドと言う人です。不思議な名前です。名前にカタカナを入れるのはこの時代の流行です。西洋の匂いをさせるためにそうしたようです。この名前からすると、ミカドさんの活躍した時代は、明治5年くらいから明治の末年までの人でしょう。マジックの資料には全く出てこない名前です。どこで、どんなマジックをしていたのかもわかりません。この人のことはマジック研究家だった平岩白風故人が調べていて、私に教えてくれました。どこで調べたのか謎です。

 とにかくミカドさんは西洋人から12本の演技を習い、得意芸にしてあちこちの舞台で演じました。舞台上でリングを演じた草分けの人と言えます。12本の演技は芸の輪郭も大きいですし、派手ですから、大舞台に生かせます。恐らくミカドさんは、小なりと言えども、一座を持ち、全国の芝居小屋などで興行を打っていたのでしょう。

 ミカドさんの晩年に、12本は高松紅天さんに引き継がれます。この人は女流奇術師で、踊り子や、曲芸、軽業師などを引き連れ、一座40人で大きな興行をして全国を回っていた人です。恐らく紅天さんは、大舞台で生かせる12本の手順に惚れ込み、ミカドさんに懇願して、譲り受けたのでしょう。

 

 そこから先は、12本リングの項で解説していますので簡単にお話しします。紅天さんは、弟子の紅菊に12本を伝えます。紅菊さんは後に松旭斎良子と名を変え、一座を持ちます。以来12本は良子さんの得意芸として知られます。良子さんに至って、はじめて私の年齢と重なってきますが、残念ながら私は良子さんの演技を見てはいません。私が幼くて、見る機会がなかったのです。

 良子さんのお弟子に松旭斎千恵という方がいて、私は、千恵師匠に12本を習います。

時代は昭和40年代末で、当時は、本数の少ないリングに多くのマジシャンの興味が集中していて、12本は奇術家の間では不人気でしたが、一般観客には強烈な手順だったようで、どこに行っても12本は必ず注文がありました。実際私が20代の頃、私の生活を支えていたのは12本リングとサムタイでした、この2作のお陰で仕事は山ほどありました。

 

 私に12本リングが伝わるまでに、天長斎ミカド、高松紅天、松旭斎良子、松旭斎千恵、そして新太郎と、五代150年を経て継承されてきたことになります。

 いま、私の弟子、大樹、前田将太、など、一年以上私の所で習ったものには12本を伝えています。彼らは六代目になります。直接の指導を通じて伝わった正真正銘の芸の継承です。彼らは、これ一作で必ず食えるマジシャンになれますから、即戦力として有難い作品であるはずです。

 次回はマリニーの9本リングについて書きましょう。

 

リング 金輪 6

 昨日に引き続き、リングについて書きます。日本では、金輪(かなわ)という呼び名で、戦国末期、あるいは、江戸初期から演じられていました。しかし、金輪を使っていたのは多くは放下の芸人で、舞台で演じられていた資料がありません。それは玉すだれと同様で、すだれもまた、舞台の手妻師が演じた形跡はありません。

 金輪はその素材が金属で、演技をすると遠くにいても音がよく聞こえますので、大道で演じるには、人寄せにもってこいの素材だったと思います。しかしなぜ、舞台芸として発展しなかったのかが謎です。私なりの推測をすると、シングルリングとキーのすり替えや、キーの位置を別の位置に誘導して見せる技法。あるいは、キーの保持の仕方が未熟だったからではないかと思います。

 金輪はキーリングを二本使うと申しました。その二本を観客に渡すことはできません。しかし、全く渡さないで演技をするのは不自然だったろうと思います。そのため、金輪の演技はつなぎ外しを見せることはほとんどしないで、金輪の改めもそこそこに、いきなり造形の手順を演じていたようです。

 青森で金輪を習った時に、演技の仕方をずっと見ていると、しばしば演者がキーリングを手から離してしまい、度々キーが見えました。その時、「昔はキーを離して、人に仕掛けを見せても平気だったのではないか」。と思い当たりました。

 つまり、金輪と言う物自体が、マジックではなく、様々な形を作るだけの知恵の輪だったのではないかと言うことです。演者自身が、手妻であることを放棄して、形作りの面白さだけを見せていた可能性は十分にあります。

 いや、そうではなく、ちゃんと手妻として見せていた人もあったはずだ。という考え方もあるでしょう。その場合、キーをお客様に渡すのはどうしていたかというなら、恐らく大道で演じるときは、キーだけサクラに渡していたのではないかと思います。

 古いマジックはよくサクラを利用します。技法が未熟であれば、サクラを利用する以外に解決の道はなく、大道で生きるにはそれでよかったのでしょう。

 いずれにしろ、日本のリングの演技は、形作りの比重が大きく、繋げ外しの不思議に関してはごくあっさりしたものだったと思います。そのため、マジックとしての不思議さはあまりなかったのではないかと思います。その点を舞台の手妻師が見て、「あれは手妻ではなく、知恵の輪だ」。と思ったのではないかと私は考えます。

 

 明治を迎えて、多くの西洋奇術が入ってくると、日本の奇術界は一変します。洋服を着て、さっさと西洋奇術を看板にする奇術師が増えて行きます。それも当初は、なかなか手妻のスタイルから抜け出せず。伴奏は、三味線と太鼓(西洋楽器も、西洋楽器の演奏家もいませんので、やむを得ません)。服装は、着物の下にシャツを着て、袴をはき、唯一、シャツだけが西洋風と言った状態。足は、日本式の舞台ですから、靴は履けず、足袋を使用。演じる奇術は、なかなか西洋奇術の情報が入ってこないため、従来の手妻のまま。つまり言ってみれば、シャツ以外は何一つ変わらない内容で看板だけ西洋奇術の名前を名乗る奇術師が大勢いたのです。

 そうした中でも、海外から来る西洋奇術師と交渉をして、奇術を習う熱心な人が何人か出て来ます。そうした人が習い覚えた作品で今も生きている作品がかなりあります。サムタイ、袋卵、メリケンハット、ダラ棒、真田紐の焼き継ぎ、等々、今日では手妻と思われている作品の中に、西洋奇術が入って来ています。

 

 その中で、12本リングがあります。これは演者が誰なのか、どこの国のマジックなのか、その後西洋で12本リングはどうなったのか、全くはっきりしていません。全く謎のまま日本に残され、継承され、今は私の一門のみ継承されています。

 この演技は、本数の多いリングの到達点ともいえるもので、流れと言い、基本的な考え方と言い、マックスマリニーが演じた9本リングと同様に、本数の多いリングの特徴を余すところなく表現されています。

 さて、ここで私の長年の疑問が発生します。12本リングは、9本リングを発展させて出てきた作品なのか、それとも、初めに12本リングがあって、それを本数を減らすことで、9本リングが生まれたのか。どちらが先かという謎です。今となっては、西洋で、9本も、12本も消えてしまっていますので、解決の糸口が見えません。

 

 かつて、2005年に私はマジックキャッスルに出演した際に、SAMの役員が保管している、マジックミュージアムを見せてもらったことがあります。それはロサンゼルスにあり、元銀行だった建物の地下に道具が展示してありました。残念ながら、常時人がいませんので、SAMの役員に連絡を取って、その都度見せてもらわなければ見ることはできません。料金は無料で、全く、SAMの役員のボランティアでした。残念なことは、その博物館が数年のうちに火災を起こし、すべて消えてしまいました。(火災は一階の元銀行、当時は会社の事務所で起こったのですが、大量の水を送り込んで消火したため、地下が水浸しになり、しかも、一階の整理が手間取ったせいで、展示物全てが何か月も泥水につかり、結局すべて廃棄されました。世界に誇るマジックの文化が廃棄されたことは返す返すも残念です。)

 その作品の素晴らしさは、サーストンの人体切断の箱がそのまま残っていたり、実際サーストンが楽屋で使用した、化粧道具、衣装、アシスタントの衣装、等々、そのまま当時の楽屋が再現されていました。あらゆる有名なマジシャンの日常の小道具から大道具まで、丹念に収集していたのです。これらを買い集めることは大変な時間と費用を要したと思います。フーディーニの小道具、大道具もありました。その中に、チンリンスーのコーナーがあり、そこにチンリンスーが実際使ったリングがありました。

 リングの本数は8本で、銅で出来ていました。繋ぎ目は蝋付けがしてあり、明らかに継いでいるとわかるほどたっぷり半田が団子のように塗られていました。リングは銅製ですので、恐らく手でひねれば簡単に曲がってしまうと見え、当時のお客様が本気でひん曲げたものを後で直した形跡があり、丸と言うよりもでこぼこのリングでした。このリングを見ただけで、100年前にリングのアクトがどのように演じられていたかが想像がつき、思いが深まりました。

 

 話をまとめて行くと、当時の西洋のリングは8本が基本であり、9本は珍しかったのです。片や、12本は、トリプル、ダブルが2セット、シングル4本、キー。本数が多い分造形も派手です。そして何より12本リングの大きなメリットは、リングを全て渡せたことです。初めに11本リングとして、繋げてお客様に渡し、途中からキーをロードして来て、12本にしてしまうのです。数に紛れてお客様は本数がわからないのです。

 このアイディアによって、12本は完全にリングをお客様に渡して調べてもらう手順が完成したのです。私はここから推測して、初めに12本リングがあって、マックスマリニーは、12本のロードの手法を真似て、途中から8本リングを9本にする手を加えたのではないかと思います。つまり、9本の演技と言うのは一般にはなく、マリニーが12本からロードの技法を借用することで9本手順が生まれたのではないかと思います。

そうなら、12本の手順がいつ生まれたのか。次回その点を詳しくお話しします。

リング 金輪 5

 日本にリングの手順が伝わったのはいつのことかと考えると、資料には江戸中期から伝授本や、浮世絵などで金輪の演技が描かれています。しかし実際はもう少し古いのではないかと思います。江戸の初期には伝わっていた可能性があります。と言うのも、実際鎖国が始まった後ではなかなかマジックは伝わりにくかっただろうと思います。人の往来が自由だった、戦国から江戸初期には様々なマジックとともに、リングも伝わったのではないかと思います。

 そうなら、室町期には日本に入っていたのではないかとも考えられますが、実際室町時代の資料には金輪が演じられた形跡がありません。私は、ギリギリ江戸の初期に伝わり、徐々に全国に普及していったものと思います。江戸の中期、末期になると、放下師(大道芸人)の中から、豆蔵、芥子の介、鶴吉、と言った名人上手が出て来ますが、その中の芥子の介が金輪を演じた挿絵が残っています。

 初代の芥子の介は、江戸の初期から中期に活躍した人で、元禄3(1690)年。「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」には、6本のリングが描かれていて、他の道具と一緒に、無造作に筵の上に金輪が散らばっています。ご丁寧にも、キーリングが描かれていて、切れ目が見えています。これを使って芥子の介がどんな演技をしたのかはわかりませんが、太鼓の囃子に合わせて、踊りながら、口上を言いながら、演技を見せたのだろうと思います。

 この芥子の介からずっと下って、三代目芥子の介の弟子に、東徳蔵と言うものがいて、徳蔵は修行の途中で逃げ出してしまいます。その時に、金輪を盗んでしまいます。三代目にとっては弟子が逃げることよりも、金輪を盗まれたことがよほどショックだったようで、様々な資料にこのことが書かれています。ここから考えて、当時金輪は、芸人にとっては貴重品で、簡単に一から作れるものではなかったのだろうと思います。

 盗んだ、徳蔵は、そのまま大坂に逃げ、大坂で芸を見せ、その後、三代目が亡くなった後、江戸に戻り、その腕で江戸一番と言われるようになります。盗み癖はあっても、技は達者だったようです。何にしても、6本のリングは徳蔵によって明治までも継承されたようです。今日残っている金輪は、徳蔵の手順とは違うようですが、放下の芸人が工夫していって発展したものであろうと思います。

 今日残されている金輪の口上の中に、江戸期の三人の放下師の名前が出てきます。「金輪の名人と申しますと、大坂では長谷浦の久八、京では岩国の権太郎。江戸では山下の鶴若。この三名は稀なる芸者(名人)に候らえども」。長谷浦の久八も、岩国の権太郎も資料にはありませんが、山下の鶴若は、山下の鶴吉の弟子でしょう。上野山下で放下をしていた芸人の名前がわかったことは日本芸能史にとってはめでたいことです。

 

 私が日本の金輪を知ったのは、大道芸研究家の上島敏昭氏から情報を頂き、青森に金輪を残している人がいると知って、青森に出かけました。青森放送の、伊那かっぺいさんを巻き込み、青森放送にカメラを出してもらい、ドキュメント番組を作りました。

 青森県の五戸でリンゴ農家を営んでいる、和田勇市さん、もう一人は八戸に住む市川勇さんのお二人を訪ね、その演技を見せてもらいました。金輪の曲は五戸と八戸の二系統が残されていました。恐らくこの二系統は、元は同じ芸人が教えたものだと思いますが、年月を経てゆくうちに、少し変化していったようです。キーリングはどちらも二本使います。大きな違いは、五戸は6本リングでしたが、八戸は7本リングでした。

 両方の演技を照合すると、原案は7本だったのだろうと思います。形を作って行く上で、7本のほうが形のバランスが綺麗です。口上は、五戸のほうが原型に近く残されているように思えました。それは、戦前から金輪を演じていた、佐伯万曲(さえきまんぎょく)と言うアマチュアさんの口上テープが残されていました。この万曲さんの声が素晴らしく、まるで歌を歌っているような調子のよい口上でした。セリフの古さと言い、心から金輪を愛している万曲さんの話し方が素晴らしく、これを見つけた時には震えが来ました。まさに江戸の芸能でした。

 金輪の曲は、二つの系統が残されたことが結果として幸いでした。それぞれの違いを検証してゆくうちに、本当の手順が見えてきたからです。更にはそこから発展して、ダブルリングの可能性も見えたことは収穫でした。

 佐伯万曲さんは、今日でいうセールスマンだったようで、東北各地を回って商売するうちに、放下の芸人と出会い、玉すだれと、金輪を習います。この芸人は東京から流れ流れて東北にやってきて、江戸以来続いた放下芸を演じていたようです。今から思えば一縷の縁で、江戸の芸能が青森残ったことになります。

 

 江戸時代は、どうも、金輪は放下師(大道芸人)が専門に演じていたようで、例えば柳川一蝶斎のような、舞台の上で演じていた手妻師が、金輪を演じたという資料がありません。不思議なことです。舞台の手妻師が、放下師を見下していて、金輪を演じなかったのか、あるいは、何らかの縄張り意識があって、特定の芸人しか金輪を演じることができなかったのか。詳細は不明です。しかしここになっらかの区別があるようです。実際、舞台の奇術師が明治になっても金輪を演じることはなく、金輪を演じるようになったのは、西洋奇術のリングの手順が入ってからになります。

次回は12本リングについてお話ししましょう。

 

誤謬の末路

 昨日小池百合子都知事が「コロナウイルスが重大局面を迎えている。場合によっては都市封鎖もしなければならなくなる」。と、いよいよ極論から極論に話が進んでしまいました。おかしな話です。今現在、日本のコロナウイルスは伸び悩み、収束に向かっているはずです。少なくとも中国や、イタリアのような繁殖力は日本のコロナウイルスにはなかったのです。

 毎日、テレビの報道では、何人が感染したと人数を公表していますが、現実には微々たる数です。肺炎や、インフルエンザの罹災者や、死亡者と比べたなら、百分の一でしょう。テレビは、コロナの死亡者を語るときに、必ず、肺炎や、インフルエンザの死亡者も語るべきです。肺炎や、インフルエンザの感染のほうがどれほど恐ろしいかを伝えるべきなのです。そっちを語らずして、なぜ影響力の少ないコロナウイルスばかりを語りますか。おかしな話です。

 昨晩、志村けんさんがコロナウイルスに感染したとテレビで報道されました。志村けんさんは、持病もあるようですし、年齢も70歳ですから、合併症があると少々心配ではありますが、一般にコロナウイルスは流行り風邪です。ほとんどの場合、仕事を休んで寝ていれば治ります。特段大騒ぎの話ではないはずです。テレビでも、「お大事に」。と言えば済む話です。それを針小棒大に大騒ぎする姿は異常です。

 

 学校閉鎖も、都市封鎖もとんでもない話です。日本で感染者が増えないのは、世界の国々と比べても、日本の都市の衛生面が極端に高レベルだからです。疑う前に世界中のトイレと日本のトイレを比較してみてください。中国の地方都市では依然として路上で大小便をする人がいくらでもいます。風呂にも入らない人がたくさんいます。病院はあっても治療費が払えないために病気に行けないでいる人が大勢います。そうした国の衛生管理と日本とを比べたなら、日本の感染者が増えないのは明らかです。

 イタリアが感染者を増やしていると言っていますが、イタリアは北部の豊かな地域と、中南部の貧しい地域が極端です。ナポリの中世さながらの迷路のような都市を見れば、この国がいかにウイルスに無防備な国かはすぐにわかります。そのあたりに中国南部からやってきた労働者が住み着いて、コロナウイルスを増やしたなら、たちまち罹災者が増えるのは当然です。しかも、イタリアは日本のように医療が充実していません。

 南部は元々、アフリカやバルカン半島からやってきて住み着いた不法移民者が大勢います。不法であれば保険がありませんから病院にも行けません。そうした人々の中には既に疾患を持っている人も多くいます。その人々と、中国人の持っているコロナウイルスと重なり合えば、たちまち死者は激増します。

 しかし、しかしです。イタリアにとって幸いなことは国自体が気候が良いことです。これからどんどん暖かくなります。気温が上がって、雨でも降れば、温暖な気候と湿度によって、コロナウイルスは必ず減少します。7000人の死者は大ごとですが、まだ肺炎や、インフルエンザの猛威には及びません。

 

 そんなことよりも、健全に仕事をしている人々の今後がどうなるかが心配です。ホテルや旅行会社、観光バスなどの観光業が大打撃です。芸能関係者も同様にお手上げ状態です。国は、国民に一律10万円を支給するなどと言っていますが、健康な国民は仕事さえできる環境が整えば国の補助など求めません。補助金でどうにかしようなどと考えるのは間違いです。

 ここで私が常に言っているように、阿部首相が、「コロナウイルスは大したウイルスではない。罹ったとしても寝ていれば治る」。と言えばいいのです。それだけで、すべての仕事が再開し、平常の生活に戻ります。観光も芸能もデパートも、観客が集まりだします。国民の不安さえ取り除けば、必ず元の状態に戻ります。

 小池都知事の発言は人の不安をあおるだけです。そんなことを言ってどうなるものでもありません。リーダーは目先のことを語るのではなく、少し先のことを予測して発言しなければいけません。このままでは国が身動きできなくなってしまいます。世界に先駆けて、「もう大丈夫」。と言うべきなのです。日本の発言は世界中で注目します。そうなら、日本が率先して、少し世界を安心させるべきです。

 

 そうでないと、またとんでもない方向に話が進みます。自国がうまく行かないと、近隣の国に戦争をしかける国がいくらでもあります。それをチャンスと、戦争当事国に金を貸し、武器を貸して一儲けをたくらむ国や金貸しがたくさんあります。多くの国の思惑で戦争は大きくなり、互いが引くに引けない状況に陥ると世界大戦に至ります。

 1914年は、そうした地域紛争がヨーロッパ全体の大戦に発展したのです。初めはオーストリア国内のテロに始まりました。みんなが、この程度の問題はすぐに解決すると思っていたのです。それが終わってみれば4年にわたる大戦となり、700万人もの死者を出す戦争になったのです。これが第一次世界大戦です。フランスが参戦し、ドイツが参戦し、ドイツとフランスは戦車を使い、毒ガスを地下壕に撒いて戦いました。多くの死者を出しながらも、ドイツ兵士も、フランス兵士も、なぜ自分たちが互いが戦わなければならないか。訳が分からなかったそうです。

 初めの戦いの際にどちらに大義があるのか、そんなことは誰も語らなくなり、抜けるに抜け出せない戦争が続く内に、誤謬が肥大化して、目的を失ったのです。

 今の世界が1914年を笑うことはできません。ことさら問題を大きくして、世界中の人々の不安をあおっています。煽った結果、この先、世界中の国で不景気風が吹きまくるでしょう。どこに問題がありますか。無責任なマスコミ、煽りに煽る政治家。それに乗せられて、仲間を監視して、旅行や遊びをする人に陰口でやめさせようとする陰湿な人の目。世の中はどんどん悪くなってゆきます。

 何がしたいのですか。国民全体が被虐的な行動をとって、騒ぎを煽って、この先どうやって生きて行くのですか。馬鹿な真似はおやめなさい。寝ていれば治るウイルスをみんなで騒ぎ立てることは無意味です。同じ生きるなら、もっと楽しい世界に生きましょう。私の手妻でも見ませんか。大どかな江戸の夢がそこにありますよ。

 

ジャパンカップ2020

 田代茂さんが提唱して始まったジャパンカップが、今回、JCMAから離れて、新たに日本マジックファンデーションと言う組織を立ち上げて、引き継がれることになり、第19回目のジャパンカップが帝国ホテルで開催されました。

 

 私はプレゼンターとして出席するため、和服で伺いました。和服なら車で出かけたほうが、行き来に好都合なのですが、恐らくパーティーでアルコールが出ると思いますので、電車で伺いました。ところが、中野を出て、新宿に近づくと、電車は止まりました。吉祥寺駅での人身事故を知らされます。そのまま電車は30分ストップ。これでは遅刻です。やがて電車は動き出し新宿駅に、そこからすぐに総武線に乗り換え、7時15分のパーティーの開会から遅れること10分、帝国ホテルの会場に入りました。

 参加者は30人ほど、ゲストショウのHIRO SAKAIさんが演技をしていて、そのさ中に私は客席に着きました。そのあと表彰に入りました。

 先ず感謝状。小林洋介さんが組織に寄付をしてくれました。会長の田代さんから感謝状が贈られました。

 NMF(日本マジックファンデーション)フェローシップ賞、淵脇洋介さん、こちらは私は存じませんが、FISM東京を誘致しようとした際によき協力者になってくれたそうです。プレゼンターは弁護士の小野智彦さん。

 功労賞は、ジャグリングの謳歌さん。トゥルーアクトの主催者です。プレゼンターはメイガスさん。とてもいい顔合わせです。

 著述、放送文化賞、ROUTE13。テツヲサン、シンゴさん、maguraさんの三名。マジックのアイディアをテレビ番組などに提供している。プレゼンターは滝沢敦さん。

どんな形であれ、マジックを生かして生きて行くことは素晴らしいと思います。

 ベストクロースアップマジシャン賞は、高橋匠さん。地味な活動ながら黙々とクロースアップを演じ続けてきた高橋さんが認められたことは素晴らしいことだと思います。但し高橋さんは仕事で出席できませんでした。もし出席できないのであれば、翌年の受賞でもよかったのではないかと思います。優秀な活動をしているクロースアップマジシャンはまだ何人かいるはずですから、急ぎ高橋さんに渡す必要はないと思います。

 新たに出来たこの会の意義を高めるうえでも、受賞者が出席をすることを原則に、賞を渡すべきでしょう。プレゼンターは二川慈夫さん、代理受賞者は小林恵子さん。若手を讃えるためにやってきた二川さんには失礼な結果になってしまいました。

 マジシャンオブザイヤー賞は、原大樹さん。黒紋付の和服の正装で受賞に臨みました。プレゼンターは私です。原さんは、若手の中でも、しっかり稼いでいるマジシャンで、いい仕事をして、実績を残している人です。こうした人が認められることはむしろ当然なことで、この先一層飛躍することを望みます。但し、私はここで、「若くして成功した人は、30代で次の自分の目標が定めにくく、そのまま消えて行く人もいます。そうならないためにも、この先、しっかり目標を立てて活動してください」。と申し上げました。

 なんでそんなことを授賞式に申しあげたのかと言うと、実際、去年、私が主宰したビッグセッションにゲスト出演して頂いた際も、原さんが何か悩んでいる姿が感じられました。10代の頃に作った手順が、今演じると、何となく今の自分にはぴったり来ないのでしょう。芸が未熟なうちはそれで十分拍手が来たのです。しかし、いろいろ分かって来ると、芸能の難しさを知ります。さてそうならどうするか、ここで思い悩みます。

 

 私は、人に色紙を頼まれるとよく、「昨是 今不是」とかきます。「さくぜ、こんふぜ」。どう言うことかというなら、昨日までならそれでいい。今日からはそれではだめだ。と言うことです。私のように、古典奇術をしているものは特にそうなのですが、古いことをそのまま演じていてもそれで生きていけるのです。然しそれを続けているとある日、観客がいなくなり、仕事がなくなります。

 それがなぜなのか、それは、世の中の流れ、自分の心、お客様の目、一つとして固定されたものはないからです、すべてが微妙に動いています。動く世の中に対して、古典奇術だけが動かないというのは正しくありません。古典であってもやはり動かなければ生きては行けないのです。それには自分自身が自分の演技を「おかしい」、「このままでは取り残される」。と、気づかなければいけないのです。気づいたなら、すぐに行動に出て、マイナーチェンジをしなければならないのです。そうしなければ古典と言えども生き残れないのです。

 芸能で生きるものはそこを常に考えていないと、ある日世の中からとんでもなく離れたところにポツンと置き去りにされた自分に気づきます。その時全てが終わります。

 そうならないために、自分自身が、もう今のやり方では通用しないと気が付く感覚が必要です。世の中で成功している人の多くは、自分を変えられる人です。ピカソなどはそのいい例です。人生の中で何度も作風を変えて行き、それぞれが話題となり、常にトップを維持し続けてきました。北野たけしさんなどもその一人でしょう。一つの成功にこだわらず、次々に新しいジャンルに分け入って挑戦する、こうした人は人から尊敬されます。原大樹さんも、そうあって頂きたいと思います。

 

 パーティーはその後会食があり、帝国ホテルの中華のコースを着席で十分楽しんで、解散となりました。今回の催しで、田代さんは随分散財したことと思います。昨年は色々なことがありましたが、何があってもめげずにマジック界に貢献してくださる田代さんは立派だと思います。

 特に人を認める行為を19年間続けてきたことは素晴らしく、その年月から、この行為は本物であると、誰もが認めざるを得ません。極めて大きな足跡を残した人として、マジック界は田代さんの名前を深く記さなければならないでしょう。

 私はNMFの活動には、何かあればいつでも協力したいと思います。

 

すわ世界大戦か

 昨日、大阪で指導をして、そのあと、4月25日のヤングマジシャンズセッションのスポンサーの千房(ちぼう、お好み焼きチェーン、世界中に90店舗持っています)さんのオーナー、中井会長さんにチラシとご招待状を届けに本社まで伺いました。

 そこで中井会長に今回のコロナウイルスのお話を伺いますと、売り上げが70%ダウンだそうです。先々の予定が全く立たないと仰っていました。日頃強気で、陽気な会長ですが、今回ばかりは深刻な顔をしていました。そんな状況で、広告料の話もできず、チラシを置いて、すごすごと帰ってきました。大阪でも千房さんは飲食店の中ではえらく勢いの良い会社です。その会社ですらこの先どうなるかわからないという状況ですから、マジックの世界なんぞは、あと半年もウイルスがのさばれば、木っ端みじんに消え去ってしまうかもしれません。

 

 世間は混乱を繰り返し、対応は誤謬を重ねるばかり、いよいよ社会は極端な方向に進み、このままでは最終局面に向かってしまいます。

 初めは中国の奥地で発した、とるに足らないウイルスの問題だったものが、ウイルスを隠ぺいして知らん顔を決め込んだ中国が、隠ぺいの手順を間違えたことで国内に広がり、やむなく武漢を都市ごと閉鎖したことで世界は騒然となりました。その後ウイルスは韓国や日本に飛びますが、当初、日本や韓国では、いつもの中国産のはやり風邪が来た。と言う捉え方で、あまり大きな問題ともとらえていませんでした。

 話を一気に拡大したのは、横浜港に接岸したダイヤモンドプリンセス号の連日の中継でした。早くに乗客を下船させてホテルに宿泊させればよいものを、降ろして良いものか、どうしたものかとうろうろしているうちに、たちまち、700人の感染者を出してしまい、それを連日世界のテレビ局が報道しました。

 ここでコロナウイルスが怖い病気だということが拡大されました。現実には怖くもなんともない、ただの風邪なのです。医者に言わせれば、病気ですらなく、罹っても市販の薬を飲んで寝ていれば治るものです。死者が出ると言っても、合併症の老人が罹れば死病になるという話で、それは肺炎であっても、インフルエンザであっても全く同じことで、例えば日本の肺炎の患者は毎年10万人が亡くなっています。年間10万人なら、3か月で2万5千人です。コロナの死者がこれほど騒がれていて、死者が100人に満たないことを考えれば、コロナがいかにおとなしいウイルスかはわかりそうなものです。

 しかし世の中は全く逆の方向に進みます。事を重大視した安倍首相は、イベントの自粛を呼びかけます。更には全国の小中学校を休校にします。

 

 これも頓珍漢な話だと私は申しげましたが、もし、ウイルスの伝播を止めるのであれば、山手線や中央線を止めることが第一なのです。山手線を止めればかなりの会社が閉鎖せざるを得ません。大変な騒ぎにはなりますが、確実に感染者を減らすことになります。満員電車を連日走らせていたなら、ウイルスの繁殖は止められません。山手線の混雑を思えば、イベントの満席などは可愛いものです。ましてや人気タレントのイベントなら混雑も予想されますが、私のような芸人のライブなどは、観客が少なくて、ウイルスも会場内で行き場がなくて、暇しています。そんなものを自粛させる理由がどこにありますか。

 更には、小中学校の休校です。コロナウイルスは子供や健全な人体には感染しないと言われています。実際子供はかかりにくいのです。それを休みにして何の効果がありますか。恐らく、安倍首相はオリンピックを成功させたいために、日本政府の意気込みを見せようと休校を呼びかけたのでしょう。しかしこれが結果として、一層欧米人を不安に陥れ、日本のすることに右へ倣いをしています。世界中が学校を閉ざし、都市を閉ざし、国を閉ざしてウイルスを寄せ付けないようにしています。

 

 しかしよく考えて下さい。問題の根となるのは、罹っても寝ていれば治るコロナウイルスです。何をそんなに騒いでいるのですか。アジアでは中国が終息して、日本も同様に収束に向かい、あとは韓国さえ収まれば、もう終息宣言を出してもよい状況になろうかという時に、欧米が過大に騒ぎだした結果、どうにも収まりきらなくなってきました。特に、アメリカがこうまでウイルスを過大に対応したことは予想外です。

 この時安部首相は、声を大にして世界に語り掛けるべきだったのです。「心配無用。寝てれば治る」。と。はっきりしたことを言わないから、憶測が憶測を生み、世界中が守りの体制に入ってしまいました。

 恐らくこれでオリンピックも取りやめになるでしょう。勿論日本の損害は甚大です。安倍首相としても、オリンピックを開催したいばかりにとった極端な対策が、かえって世界中の国々に不安を与えてしまったのは皮肉です。

 

 さてこの先はどうなるのでしょうか。今は、飲食店の売り上げが半分になったとか、マジシャンの仕事が10本消えたとか、15本消えたと言っていますが、そんな程度で秋になったなら好景が好転するかといえば、そうは考えられません。秋が来ようと一年たとうと、今のマイナス景気は簡単に補いは付きません。私はとんでもない大不況が来るのではないかと思います。それは、かつての1930年の不況に匹敵するような世界同時不況が来ると思います。

 今は、日本はまだしもですが、世界中の国々の景気が悪すぎます。中国も不安定ですし、韓国は青息吐息です。アメリカも、この3年くらいは景気が良かったのですが、このウイルス騒ぎで財布のひもが固くなるでしょうから、商品が売れなくなります。アメリカ人が物を買わなくなれば、当然、日本の自動車や、機械類が売れなくなりますから、日本の企業は減産体制に入り、たちまち日本の景気も悪くなります。

 ヨーロッパもドイツを除けば景気のいい国はありません。不況は世界中を脅かします。この先、小さな戦争が各所で頻繁に起こるかもしれません。北朝鮮と韓国が紛争を起こすかもしれません。中国も、政治不信を外の問題でごまかすために、台湾や香港と戦争を起こすかもしれません。戦争はたちまちのうちに拡大するかもしれません。

 戦争や、不況が何年続くかはわかりませんが、そこから脱出したときに、どんな世界になっているでしょう。恐らく昨年まで我々が享受していた世界はもう二度とやってこないかもしれません。明らかに今まで体験したことのない時代に入ると思います。

 そんな中でマジックはなにをしたらいいのでしょうか。はっきりとはわかりませんが、確実に言えることは、ネットでマジックを見ることも、マジックコンベンションに出かけることも、アマチュアがマジック発表会をすることも、今は昔の物語になるかもしれません。

 世界中の人が、コロナウイルスを過大に捉えたために、パンドラの箱を開けてしまったのです。本来大した問題ではなかったものを、誰が意図したものかは知りませんが、人の尻馬に乗って噂を後押しして、能力ある人が、誤った対処をしたために、どんどん間違った方向に進みます。これから国同士で借金のなすり合いが始まります。結果、大変な問題が起こると思います。国の形も、社会制度もすっかり変わってしまうような大きな変革が来るでしょう。

 と、手妻師は予言します。予言は封筒に入れ、柱に画びょうで貼っておきます。5年たったら開封してください。きっと私の言ったことは真実と分かるでしょう。手妻師の言うことを信じることです。

 

柳ケ瀬の夜はしんみり

 昨日、富士の指導をして、急ぎ新幹線に乗り、名古屋で降りて、在来線に乗って岐阜へ、この一年、私のお馴染みのコースになりました。昨晩は岐阜の柳ケ瀬のクラブで辻井さんと峯村さんと一杯やり、私はそのままホテル泊まり、そして、朝。こうしてブログを書いています。すなわちまだ岐阜にいます。これから朝食を食べて、名古屋に行き、指導をします。

 昨晩、岐阜の繁華街はしんみりとしていました。コロナの影響です。人ごみの中に行くと、コロナウイルスにやられるからと言ってみんな外出しません。どこの店も閑古鳥が鳴いています。然しです。むしろ、コロナウイルスに罹りたくなければ、柳ケ瀬へ行って一杯飲むほうが、健康です、何しろ人がいませんから、人ごみなど有り得ません。お店の中もガラガラです。こうまで人がいなければ、ウイルス自身も生活して行けないのではないかと思います。

 人がいて初めてウイルスは寄食して生きて行けるわけですから、柳ケ瀬のウイルスは、生活苦でばたばた倒れているはずです。つまり、ウイルスを倒すには薬はいりません。柳ケ瀬に送れば自然と死滅します。

 

 しかし、一軒だけよく入っている店がありました。高級クラブです。ここだけは次から次とお客様がやってきます。ママさんは友禅染のいい着物を着ています。チーママまでも渋い黒の友禅を着ています。どういう理由か知りませんが、この店は巧く行っているようです。他に体格のいい若い女の子が二人、それにロシア女性がいました。このロシア人が大垣弁で色々しゃべるのですが、話題も広くて、笑いも取ります。酒の相手にするのはもってこいです。但し、このところのコロナウイルスの影響で、ロシアへの帰省ができなかったそうです。

 

 実は、峯村さんも、ロシアで開催される世界大会のゲストに出演する予定だったのですが、大会そのものが中止になったそうです。久々のロシアですから、娘と奥さんを連れて行こうと考えていたそうですが、果たせずがっかりしていました。峯村さんは今年の海外公演はどこもキャンセルになったようです。お気の毒です。どうも、ウイルスの影響はあらゆるところに関わっています。みんな苦労しています。

 とにかく、辻井さんは本当に顔が広く、会うたび面白い場所に連れて行ってくれます。勿論、健全な場所ばかりですが、よく遊び方を心得ています。私は辻井さんは本当にいい人だと思います。

 

 さて、猿ヶ京のレッスンは既に10人が集まっています。一泊泊まりこみで1万円、二日間で5レッスンします。食事代が4食分で3000円ですから、安いレッスンです。もとより、利益を上げることが目的ではありません。学生さんや、他の若い人に、レッスンを受けることの価値を伝えたくて毎回開催しています。私の経験でもそうですが、直接先生に、しっかりとした手順を習うことは、一生忘れられないマジックになります。

 今でも昭和40年ころに習ったマジックを、習ったその景色ごと思い出すことがあります。先生が何を言ったか、先生がどんな服を着ていたか、その教え方から、周りの風景まで、何から何まで思い出されます。その時の影響は一生ついてくるものなのです。だから大切なのです。高々マジックのことですが、この経験を持った人と、経験なく、ネットばかりを相手にして、種仕掛けを覚えた人とでははっきりその先の生き方が変わります。

 生き方とは、マジシャンとしての生き方ではありません。人が人とどう接しなければいけないか、今の自分の不足がマジックの知識不足だけのことなのか、もっと、もっと、いろいろな不足があるのではないかと気づきます。人として、何を学ばなければいけないかがわかります。習うことを繰り返していくうちに、人が一回り大きくなります。習うことの大切さは、先生の人生が見えることであり、自分の進む道が、少し見えることなのです。

 そんな体験を味わえることは誠にタイムリーです。ぜひ時間があったらご参加ください。夏、秋にもまた開催します。

 

 5月の東京のヤングマジシャンズセッションのチラシもできました。東京イリュージョンの掲示板をご覧ください。いいメンバーですよ。座高円寺は250席しかありません。お早目にお申し込み下さい。

 

 人形町玉ひでで、月に一回お座敷で手妻を開催します。4月18日、11時30分からオープンfです。親子丼と鶏料理を食べて、ショウを見て5500円です。私のほかに、弟子の前田将太、日向大祐さん、ザッキーさん、が出演してくれます。色々なマジックをご覧になって、13時から私の座敷の手妻が1時間あります。日頃舞台ではやらない形式の古風な江戸の世界を再現します。内容たっぷりの企画です。こちらは座敷の都合で30人限定です。どうぞお申し込みください。